第22話 天国≒ネバーランド
ジャンク街での騒動から一日。
サンゴの足は無事に元通りになり、アオの手首は風穴があいてしまった手のひらごと再交換。ついでに、思っていたよりも早く届いたという、眼球も入れることになった。
目の神経を繋ぐのは、意識のある状態では少しばかり、いやかなり痛い。ぎゃあぎゃあと騒いでしまったので、サンゴがここぞとばかりに大笑いした。自分だって一歩間違えばこうなっていただろうに。
とはいえ、これで顔は元通りだ。ヒメが嬉しそうに顔をぺちぺちと触ってくるのが、何やらとても気恥ずかしい。
怪我をしているのがよほど心配だったのか、ヒメはなかなかアオと離れたがらなかった。サンゴも一緒だし、ということで、ヒメも見学させていたのだ。
手術が終わったので、三人で戻ることにする。
待合室ではギンが誰かと話しているのが見える。角度的にギンしか見えないが、相手はヒスイだろうか。自分と同じ顔の色違いがそこに存在していると、しみじみ、自分たちは作られた機械なのだと思う。
同じ顔があっても、何も不思議なことではなかったのだ。商品であったアンドロイドに、人間ほどの外見バリエーションなどあるはずもないのだから。ただそれだけのことだった。そんな単純なことにすら、気づかずに過ごしてきたのだ。
近づいてみると、ギンが誰と話し合っているのかが分かった。
虹色のだいぶクレイジーな色合い髪の毛をした、スタイルのいい女性。ハカセ(♀)である。
「…………ハカセ」
「ああ、ハカセさんまだバージョン2の方なんだ」
「ばーじょんつー?」
アオとサンゴの反応に、ヒメが小首をかしげる。
そう、男性の時の蛍光イエローと合わせて、一度見たら忘れられない髪の毛ナンバーワン。本当に彼の趣味はどうかしている。
「いきなり女性の方で来たからびっくりしたよ。おっさんの方はどうしたんだよ」
「あんたが頭のネジが三本くらい飛んだニンゲンバカ共に居所を気づかれたせいよ。おかげでメインの住処を変える羽目になったわ。顔割れていたら面倒だから、しばらくあっちの姿は隠れ家に保管してるの」
「中身がおっさんだと思うと女性口調がうすら寒いな」
「てめえ、しばき倒すぞ。ここが病院だから気を使ってネコ被ってやったのによ」
「あ、ハカセだ」
サンゴが妙に納得した様子でうなずいた。昨日もこの姿で会っているのだが、やはり言動が一致しないと中身がハカセだと実感できないようだ。気持ちはわかる。
「もっと私に感謝してちょうだい。アオを助けたのは半分私の功績よ?」
「そういえば、一体何でハカセが、ギンやよて亭の皆と一緒にいるんだ?」
昨日は色々ありすぎて結局聞けなかった疑問を口にする。ハカセは根城を撤収して、アオが怪我をしていたことも知らないはずだ。大きな事故だったから、噂で聞いたのかもしれないけれど、それは仲間たちと行動を共にしている理由にはならない。
「あんたらがジャンク街に行った後、いれ違いによて亭に来たのよ、この人」
待合室のソファに座っていたヒスイが、そう言い添えた。
ちなみにルビィとシオンは、隣のソファに並んで座っている。律儀に全員で待っていてくれたようだ。
「ていうか、あたしとシオンは、ギンがよて亭の近くにいるの知ってたし?」
ルビィがしれっと言ってのけたので、アオは首を傾げた。
「は? 近くにいたって?」
「ルビィがギンを見つけてたんだ。でも、ギンがよて亭は極力巻き込みたくないからって言って、それで黙ってたんだって。アオとサンゴがジャンク街に向かった時も、こっそり連絡をとってた」
「る、ルビィが隠し事……するなんて」
確かに、もっと大げさに心配して騒ぎ立ててもおかしくなかったルビィが、妙に聞き分けよく留守番とヒメの世話を買ってでていたのは妙だったように思える。
あの時点でルビィは――恐らくシオンも、ギンがいるのを知っていて。アオとサンゴに何かあったらギンが動くとわかっていたのだ。
「あたしだってフェイクのひとつやふたつ入れるって。ヒスイ姐さんにも釘さされてたし、ね!」
「主に私が釘をさしたおかげ、ともいうわね」
ヒスイは呆れ混じりの顔で、ルビィの額を軽く小突いた。
「だいたい、ギンがしれっと出てきたのもびっくりだったし」
これにはギンも苦笑いだった。ギンはルビィに会ったりハカセに会ったりと水面下で色々やっていたのだろうが、アオにとってはシオンが目撃したという情報以上のことは知らなかったのだ。
「ハカセといつ知り合ったんだ」
「割と最近だな。お前が見つけた遺跡の調査を依頼していたんだ。彼は『幽霊』の間では有名人だから」
「幽霊?」
「お前らがたっぷり思い知ったように、『天国』だって一枚岩じゃない。あいつらみたいにニンゲンを崇拝しているやつもいれば、共存を目指す奴だっている。俺は共存派だ。死に損なってうろついてるから『幽霊』ってことだ」
アオが遺跡を見つけたことから、巡り巡ってギンがここに戻ってきている。思えば不思議なものだ。
「どこでどう繋がるかわからないな、本当。命からがら脱出してきたらいきなり女体のハカセがいるし、冷静に考えたらそうとうわけわからないぞ」
「私の髪の毛ならインパクト絶大で目を引くから、ルビィの変装が多少無理あっても気づかれづらくなるでしょう?」
ハカセだと中身を知っている気持ち悪い投げキッスを添えた答えがかえってきて、アオは心なしか一歩後退した。恐らく、一度会ったハカセと同一人物だとは気付いていないであろうヒメがきょとんとした顔になっているが、許してほしい。
何にしろこのメンバーが揃っていたから、切り抜けられたのだ。
ヒトの繋がりで、ニンゲンの想いで、アオは救われた。この数日で、百年分の運を使い果たしたような気分だった。
「ところで、ギン。私、言いたい事あるんだけど」
話が途切れるのをまっていたかのように、うろんな目を向けて切り出したヒスイに、ギンはばつが悪そう顔になる。
恋人同士だった二人。長い間一緒にいて、店を作り上げた二人。
ニンゲンの記憶が、二人を『天国』と『生きるヒトの社会』に引き裂いた。
自然とアオも、他の皆も、ハカセすら黙って二人の成り行きを見守る。
「よく耳をかっぽじって聞いてくれるかしら」
「……何だ」
「もう一発殴ってもいい?」
「好きにしてくれ」
「じゃ、遠慮なく」
ヒスイが渾身の力を込めて、ギンの左の頬に拳を叩きこんだ。実にいい音がした。
さすがに相当痛かったようで、ギンは頬を押さえながらしゃがみこむ。
「グーかよ!」
「グーよ。それくらいの権利はあるはずだわ」
ヒスイはむすっとした顔で、手をぷらぷらと振っている。彼女もそれなりに痛かったらしい。
「何よ、思い出したご主人様は私よりも美人だったわけ!?」
「ちげえよ! 俺の主人は野郎だったよ! もっと友情的な何かだよ! 単純にもし主人が生きてるなら助けないとって思うし、死んでても行方が見つかったら、遺品のひとつでも弔ってやりたいとかそういうのであってな!」
「それで私を捨てたわけ?」
「ああ、もう、捨ててねえよ! ずっと好きだよ、何言ってんだ。お前と何年一緒にいたと思ってんだ、過去を整理する時間くらいくれよ!」
だんだん二人の間の会話が、単なる痴話げんかになってきて、よて亭の皆が一様に目配せをしあう。悲劇が引き裂いた二人のようなシチュエーションだったのに、ただのノロケを見せられている。
「なぁ、ギン」
「何だよ、アオ」
「……生き返れば? 普通に。別に『天国』にいなくたって、ニンゲンは探せるし。俺がヒメを見つけたみたいに」
「…………」
ギンは答えなかった。だけれど、明らかに気持ちは揺れているようだ。ヒスイをじっと見つめている。それはそうだろう、恋人を捨ててまでやろうとしていたことを、アオが偶然とはいえ成し遂げていたのだから。
「ギンは『天国』から生き返る。そして、俺はこれからヒメと一緒に『天国』に行く。入れ替わりならどう?」
その提案を口にした途端、よて亭の面々はもちろん、待合室にいた客の全員が注目したのでアオは少しだけ息を呑む。しかし、ひとつ咳払いをして、すぐに続けた。
「あ、いや、勘違いしないで欲しい。自殺しにいくわけじゃないから。ヒメが安心していられるような……そういう『天国』が必要だと思うんだ。理解してくれとは言わない。自分でもわけがわからないこと言ってると思う。だけど……」
なんだか胸がいっぱいになってきて、アオは息をついた。
ヒメはアオが主人だと認めた彼女とは全くの別人だ。『アオのお姫様』はもうこの世界のどこにもいない。これは自分の存在意義を、このひとりぼっちで取り残された小さな女の子に押し付けようとしているともいえる行為だ。
それでも、アオは『選択』した。
ヒメはきっかけさえあれば、この世界のヒトビトを全て臣下のように扱うことだってできるかもしれない。ニンゲンはヒトを従える。その力を欲しがるヒト、危険視するヒト、今回のように妄執に憑かれて無為に『命令』を求めるヒトがきっと出てくる。
そういう時、よて亭でのんびりと暮らすことが、必ずしもヒメのためになるとは限らない。
せめてヒメがヒトの中で隠れられるようになる数年間を、守り通さなければならない。それなら、ギンの言うところである共存派の『幽霊』を頼るのが一番安全なように思えたのだ。
「俺を、信じて欲しい。俺がヒメを見つけたのも、何かの運命なのかもしれないって……、そう思うから」
今のヒトの社会は、機械が抱いた幻想によって造られた、偽りだらけのネバーランド。
彼らにとっての『天国』もまた、偽りの世界を受け入れられなくなったヒトビトの求める歪んだ幻想でしかない。
この世界は全てが幻想でできていて、ニンゲンの居場所はどこにもない。
ニンゲンの大半は、ニンゲンがかつて定義していた正しい意味での『天国』に行ってしまったから。
本当はこの地上に『天国』なんてどこにもなかった。どこにもないから、自分の手で作るしかない。ネバーランドに相応しい答えを。
「ヒメ、正直、俺自身にも『天国』の定義はよく分かっていないんです。だからこの前の質問には答えられませんでした」
ヒメが「てんごくはどんな場所?」と尋ねた時に、わからないとしか答えられなかった。何も知らなかったからだ。今だって、アオは自分のかつての主人が、どんな場所に逝ったのかを知らない。
だけど、願ってやまないことがある。
「今は『天国』って、きっと素敵なところだと思います。素敵なところにしなくちゃダメなんだって思います。そして、ヒメの周りが『天国』みたいな場所だったらいいな、って思います。だから、俺を信じてくれますか?」
本当は主人でもないこの少女を、自分の基準で幸せにしたいと願うのは、あの狂信者の男たちと同じことなのかもしれない。
彼女には『ヒメ』ではない本当の名前があるはずだ。家族や、友達や、もしかしたら彼女にもいたのかもしれない家族同然のアンドロイドがたどった末路を思い出して、絶望にくれる未来が待っているかもしれない。
それでも。
「うん、アオと一緒にいく」
彼女が笑顔でそう答えたので。
アオは力の限りで、小さな体を抱きしめる。
――ねえ、アオ。ギターを抱えた、私の王子様。きっと生き延びてね。
耳の奥に主人の声が、蘇る。
アオは、思い出していた。世界が一度終わる前の、主人との最後の時間を。
ギターを奏でていた。ずっとずっと。
アンドロイドの退避を命じられて引き離されるその瞬間まで。ギターを取り上げられてしまうまで、ずっと。
冷凍睡眠ユニットに入らなかった彼女は、死ぬことがほぼ決まっていた。もし奇跡的に生き延びたとして、アオと再会できた可能性がどれほどあっただろう。
それでも彼女は幸せそうにギターの音に耳を傾けていた。
お姫様扱いをしてくれないと嫌。私のためだけに音楽を奏でてくれる、とっておきの王子様がいい。そう言ったのに、王子様のイメージとはかけ離れたギターを所望したアオだけのお姫様。お姫様なのに、古い映画のギター弾きに恋したために、ちぐはぐな王子様像を求めてきた少女。
彼女は、幸せだったのだろう。確かに、アオと一緒に過ごして、満たされたのだろう。
王子様と、お姫様の最後の時間。
その先は覚えていない。多分、覚えている必要もない。
いつかこのネバーランドから、本当の意味での『天国』へと旅立つ時が来たら、その時はきっと、彼女が教えてくれるだろうから。
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