第21話 迷えるキカイに命令を

「俺は……あんたの方がよほど哀れで愚かに思える」

「何だと?」

 熱弁を振るっていた男が、悪魔にでも取りつかれたような形相でアオを見る。

「俺は、あんたが可哀想だよ」

 彼には、他によすがとなるものがなかったのだろうか。

 アオにとってのヒメやよて亭の仲間のように。かつての主である『お姫様』のように。自分が自分でいるための場所がなかったのだろうか。

 アオだって、もし仲間がいなかったら、かつての主がもう生きているはずはないとわかっていなかったら、『天国』の妄執に取りつかれたかもしれない。

 あれだけ恋人のヒスイと長い付き合いだった、そして仲間を大切にしていたギンでさえ、結局は『天国』へ行くことを選んだ。かつての主が世界のどこかにまだ眠っている可能性があるとしたら、果たしてアオはそれを探さずにいられるだろうか。

 人間がいない世界で、人間に存在理由を与えられていた機械が、自我を保つために作り上げたのが今の世界。

 何もかも全て偽りでした。真実は全て消えてしまいました。

 それだけで割り切れるなら、一体どれだけのアンドロイドが『天国』を探さずに済んだのだろう。

 冷凍睡眠ユニットの使用権利は高額だった。大半のニンゲンは希望を挟む余地などなく、災害で死亡しているはずだ。

 突然、今まで信じていたものが根底から崩れたうえに、主人の残酷な最後を思い出すことになって、動揺するなという方が無理な話だろう。

 ――それでも。

「ヒメは……あの子は、あんたらが見つけられなかったご主人様の代わりなんかじゃない」

 もちろん、アオにとってもヒメと『お姫様』は別のニンゲンだ。

 どちらも大切な、主人と機械という関係だけでは語れない――『家族』だ。よて亭で過ごした日々は、皆で遊んで笑いあったことは、ニンゲンとヒトという区別でできあがったわけではない。

 このヒトが作った世界で、ニンゲンが生きていく一つの形であり、答えでもあったはずだ。

「あんたらにはヒメは渡さない」

「何とでも言え。お前はどうせ、記憶さえいただけば用済みだ」

 銃口が向けられる。記憶さえ無事ならいいのだ。彼らがアオを五体満足に保存しておく理由はない。腕や足くらいならどうとでもなる。最悪、東武さえ破壊しなければ。

(少し、煽り過ぎたか)

 後悔しながらも、だけど間違ったことは言っていないと思い直す。

 ヒメをこの男たちに渡すわけにはいかない。ギンが間に合うかもわからない。場合によっては、わざと銃弾を頭に当てて記憶情報と共に盛大な自殺を決めてやろう。できるかどうかはわからないが、半ば本気でそう考える。

 その時だった。

 アラームが鳴る。コール音。さきほどのギンからと思しき通信とはちがう。よて亭の仲間同士の通信で使うものだ。

【emergency:音声のみ、自動対応します】

「お前、仲間と連絡をとったな!」

 男が引き金に手をかける。しかし、その瞬間にはアオは駆けだしていた。

 素早く男に駆け寄り、膝の関節裏を蹴り飛ばす。とっさにそこをければバランスが崩れると判断できた。護身術スキルには感謝したりない。ハカセに今後何か奢る。

 男はもんどりうって倒れ、暴発した銃が床に穴をあけた。だがそんなことに構っている余裕はない。

 そのままアオは、捕らわれた倉庫を駆けぬけ、飛び出す。体当たりで飛び出す覚悟を決めていたのに、そこに他の男はいなかった。

(どこ行ったんだ?)

 物陰に隠れ、様子を伺う。あまりもたついていると、倉庫から先ほどの男が追いかけてくる。急がなければならない。

 どうやら他の面々は表に出ているらしい。外には女性と子供が立っていた。女性の方はスタイルのいい、一度見たらまず忘れられないような虹色の派手な髪の毛。傍らには小柄な黒髪の少女。肩口がふんわりとした袖の、足首が隠れるほどの赤いドレスを身にまとっている。

(ハカセ……!?)

 間違いない。あれはハカセの「着替え用」女性素体だ。何故ハカセがいるのかはわからないが、状況的に考えるにヒスイの代わりに交渉に来たようだった。

「アオを返してもらえるかしら。私はニンゲンに興味はないし、この子だって貴方たちに任せた方が幸せになれるでしょうから。ヒスイさんも了承済みよ」

「話がわかる方で助かりました」

 男たちは笑顔で少女を迎える。

 しかしアオにはわかった。あの黒髪の少女はヒメではない。確かにヒメが小柄だが、一緒に暮らしていたのだ。さすがに間違えない。

 何よりも、ヒメは赤いドレスなんて着ない。赤い服を好んで着るのは――。

「ルビィ! 俺は無事だ! フリはもういい」

「えっ? よかった、ヒメの身長に合わせて中腰になってんの結構きつかったんだよね」

 パッと黒髪の少女が顔をあげる。ずるりと長い黒髪のカツラを引っ張ると、下から鮮やかな赤毛がでてきた。

「なっ……!?」

 男が鼻白んだその瞬間に、ルビィとハカセは即座に逃げ出した。アオも入口から飛び出す。倉庫から這い出してきた男と、出入り口のそばにいた男たち。挟まれる形になったが。

「アオ、伏せて」

 その声にとっさに伏せると、無数の電動鳩が一斉に男たちの顔面めがけて羽ばたいてきた。シオンの手品道具だ。手品にこんな使いかたがあったとは。

 男が鳩を叩き落とすと、今度は煙幕が辺りを包み込む。これも手品用の仕掛けだ。

「手品スキルめちゃくちゃ戦闘力高いな!」

「そのまま左に直進」

「了解!」

 シオンの声に従い、走る。いつの間にか痛覚が戻ってきていて、走る度に衝撃で折れた手首が早急な修理を訴えてくる。それでも走った。手首の修理なんて無事に逃げおおせればいつだっていい。

 男たちが追いかけてくる気配がある。手首が痛い。足がもつれる。

「こっちだ、アオ!」

「ギン!」

 アオと同じ顔をした、紫銀の髪の青年が、荷運び用の車両の運転席から半身を乗り出し、銃を構えている。三回の発砲。それぞれ男たちの足元に命中して、二人との距離が開く。

「アオ、荷台に乗って!」

 荷台にはヒスイとサンゴが待っていた。それにハカセとルビィが飛び乗る。ルビィが伸ばした手を、シオンが取り、荷台に上がる。サンゴが伸ばしたその手を取ろうとして、アオも手を伸ばす。しかしその手首を銃弾が貫通した。

「いっ……!?」

 振り返る。追いつかれた。このままじゃ荷台の皆も狙い撃ちにされる。

 ぐるぐると考えて、だけど意識はまとまらない。痛覚が危機を訴えている。

「貴様ら、全員記憶情報を抜き取ってスクラップにしてやる!」

 男の一人がアオに狙いを定め、銃を向ける。

 アオは動けずにいた。もう限界だ。荷台の上の仲間たちも、身をすくませている。

 ギンが銃をリロードする。それが間に合うのか、アオにはわからなかった。ただ、スローモーションのようにできごとがのろのろと動いているように思える。

 今、自分が時間を稼げば仲間だけは逃げられるだろうか。荷台へと伸ばした手を、下げようとする。大丈夫だ。武器を持っているギンもいる。きっと皆助かる。

 たとえ、アオが『お姫様が待っている方の天国』にいってしまっても。

「やめて!アオを殺さないで!」

 そう叫んだのは誰だったのか。

 アオはしばらく理解できなかった。

 ただ、今まさにアオを撃とうとしていたはずの男たちが、何故か一斉に銃を下げる奇妙な光景を目にしていた。

「あっ、待って、出てっちゃダメ!」

 サンゴの声が、どこかそらぞらしく聞こえて。

 気が付くと、アオの目の前には小さな女の子がいる。

 黒に近い色の髪の、青いワンピースを着た子供。

 ヒメ。

 この街でただ一人の――もしかすると、この世界でただ一人の、ニンゲン。

「アオ……アオ、ケガしてる、死なないで」

「死にませんよ、ヒメ」

 どういうわけか、追手は全員戦意喪失している。相変わらず手の痛覚信号とエラー信号が酷いことになっていたが、それでもアオは無理をして笑った。

「俺は案外丈夫ですから、大丈夫です」

 だけど、ヒメは大きな黒い目からぽろぽろと涙をこぼし始める。

 死ななくても、大丈夫だと言っても、泣きやまないのなら何ができるのだろう。

 本当は全然大丈夫じゃないし、機械だって死ぬことはある。絶対に死なないなんていいきれない。

 エラー、エラー。頭の中がエラーでいっぱいで、ヒメにどう答えたら正解になるのかなんて、全然出てこなくて。

 だから、彼女の言葉を止められなかった。止めるべきだったのに。きっと止められたのはアオだけだったのに。

「アオをいじめるやつなんて、みんな死んじゃえ!」

 ヒメが泣きながら、そう叫んだ瞬間――。

「アオ、見せるな!」

 ギンがそう叫んで、アオは条件反射のようにヒメを腕の中に抱きしめた。

 その数秒後に、いくつもの銃声が響き渡る。

 思わず身をすくめてみたものの。

「――え?」

 仲間の誰も撃たれていない。アオもヒメも無事だ。無傷だ。

 アオはヒメを胸に抱え込んだまま、茫然とその光景を見ていた。

 ギンの言うとおりだ。見せてはいけない。こんなものを、彼女だけには。

 ニンゲンを求めてやまなかったヒトビトの群れは、今は全員がただの無機物の塊となってジャンク街の路上に転がっていた。

 自殺したのだ。自分たちが持っていたその銃で、頭にある回路を正確に打ち抜いて。

 銃を持っていなかったらしい数人が、狂ったように地面に頭を打ちつけている。異常な光景がそこに広がっていた。

「アオ……ロボット三原則って知ってるか?」

「え?」

 ハカセが降りてきて、急にそんなことを言った。男の方の身体はどうしたんだとか、何故よて亭の皆やギンと一緒にいるのか、色々聞きたいことはあったが言葉がでてこない。

「ニンゲンに危害を加えてはならない。ニンゲンの命令に従わなければならない。前者二つに矛盾しない範囲内で自分の身を守らなければならない。ま、戦争をしてた国で造られたりすると、しれっとプログラム書き換えて無視されていたりもしたけどな。……基本的に俺たち『ヒト』は『ニンゲン』に逆らえねえってことだ」

 ヒメが「死んじゃえ」と『命令』したから、あの妄執にとりつかれたヒトビトが全員それに従った。

 それが真実なら、ヒメは何気ない言葉ひとつでこの世界にいるヒトを虐殺できてしまうことになる。

「安心しろ。言っただろ。俺たちにゃ自分の身を守る権利と意思がある。それが必要な命令だと判断されなければ、自分の身を守ることが優先される。たわむれに死ねっていって全員がバカスカと壊れるんじゃ使いものになんねーだろうが」

「だって……それじゃあいつらは……」

 なおも言い募ろうとしたアオを、ギンが肩を叩いて制した。

 危険はないと判断したのだろう。銃はホルスターに収めている。

「あいつらは『ゾンビ』だからな。『ヒト』としてはもう死んでたんだ。あいつらにとっては自分の存続よりもいるかもわからない『ニンゲン』の命令の方が優先されていた」

「ゾンビ……?」

「『天国』の行きそこないだ。ニンゲンに取りつかれておかしくなった奴らは『ソンビ』だ。俺みたいに半端に生きたヒトに混じってるやつらは『幽霊』。笑えないだろ」

 いなくなってしまった人間に焦がれて、焦がれて。

 それだけが全てになってしまったから、彼らは死んだ。そういうことだ。

(それでも、何かのきっかけがあったら、ヒメがその言葉ひとつでヒトをどうにかできてしまうっていうことに、変わりはない……)

 よて亭のように上手くいっていればいい。

 だけどきっと、これからもこういう連中はやってくる。ニンゲンの主人という亡霊に取りつかれて『生ける亡者』になったヒトビトが。

 そして、何度でも選択を強いられる。

 身体は生きて稼働していても、心がすでに『天国』に旅立っているヒトビトに、対話する余地など、きっとない。

 彼らはヒメのことを守りたかったわけではない。

 自分の存在を証明するための『主人』が欲しかっただけなのだから。その『主人』が命令したら迷うことなく死ぬ。求めてやまなかった『命令』を受け入れて死んでしまう。

 ヒメをこの社会のことを理解させて、ヒトに紛れて生きることを教えるにしても、少なくともあと数年は彼女は子供のままなのだ。この先完璧に隠れ続けるなんてことは無謀でしかない。

 ヒメにたどり着くまえにそれらを周囲のヒトビトが排除するのか。

 ヒメ自身がそれらを排除していくしかないのか。

 何をどうしたって選ばなければならなくなるのだ。

「アオ……」

 サンゴも荷台からおりてきて、アオの腕の中からヒメを引き取った。泣きやまないヒメの髪を撫でてやりながら、サンゴもまた泣いていた。

 涙を流しているわけじゃない。ヒトには眼球の洗浄液はあっても、涙を流す機構はない。それでも、泣いているように思えた。

「よて亭に帰ろう……皆で帰ろう……ねえ」

 そのまま帰って、また皆で歌って踊って食べて笑って。

 ギンも戻ってきて、ハカセも仲間に加わって。

 そういうありふれた世界を探しにいきたい。昨日まではまだ、確かに存在したはずのもの。

(……だけど、俺は昨日を欲しがって嘆いたりなんかしない)

 優しくて、甘い、オーディナリーワールド。それはもう、アオの日常ではない。

 全て思い出した時点で、そうなるしかなかった。過去と今、ヒトとニンゲンの間で板挟みになりながら、生きるしかない。

「ああ、だからギンは『天国』に行ったんだな……」

「わかってくれて俺は哀しいぜ」

――わかってしまった時は、俺が『天国』で出迎えてやるよ

 彼が最初の別れの時に、そう言ったのを思い出した。

 アオはニンゲンの遺跡が好きで、文化が好きで、ただそれだけで『天国』になんて興味はなかった。

 これからもずっと、このネバーランドで生きていくのだと思っていた。

 選ばなければならない。

 他の誰でもなく、ただ独りのニンゲンであるヒメのために。


――今度のお姫様はちゃんと最後まで一緒にいれくれるといいね。


(いいえ、違いますよ、俺の『お姫様』)


 ヒメはアオのお姫様ではない。主人ではない。

 他でもない、よて亭の仲間たち皆の家族。守るべきものだから。

 そうであってほしいと思うから。


 だから、アオは『選択』をした。

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