第20話 機械たちのオーディナリー・ワールド

 アオが連れてこられたのは、ジャンク街でも最奥にある古びたパーツショップだった。遺跡から引き揚げた部品を磨き上げて並べている。もちろん、海に沈んでいたものだから、そのまま身体につかうことはできない。劣化が激しいからだ。あくまで観賞用である。

 その店の倉庫に、アオは手錠をかけられて押し込まれた。後ろ手にした状態で鉄の柱にくくりつけられているので、あまり動き回れない。

 あの男たちはサンゴの行方をまだ探しているようだ。それと、何やら機材の手配を仲間に頼んでいるのを聞いた。恐らく、アオから記憶情報を引き出すためのものだろう。

 ヒトの心は回路に刻まれているが、記憶、感情をつかさどる回路は非常にデリケートだ。身体に大きな損傷があれば、即座にデータを保護できるように回路は他の機関と断絶される。外部から正なアクセスがあった場合も同様だ。それを無理やりこじ開けて記憶情報を盗み取ろうと思えば、よくて記憶障害、最悪死亡だ。死亡する確率の方が高い。ニンゲンだって、脳を引っ掻き回されたら大体は死ぬだろう。

 最悪の場合、人格を丸ごと入れ替えられる。できないわけじゃない。ハカセだってそうやって身体を使い分けていた。人格データが残っている場合はデータを上書きできないようにロックがされているが、記憶情報を引っ掻き回された時点でそんなものが正常に動作するはずもない。

 つまり、手を封じて敵が油断しきっている今この時こそが、逃げるラストチャンスなのだ。しかし手を封じられているから、簡単に逃げることはできない。

(ニンゲンの書いた古い小説に、何かこういう状況があったな)

 いわゆる『スパイ小説』なるものだった気がする。ニンゲンがこの世界の支配者だったころ、ニンゲンの国と国の間では度々争いが起こり、その争いに勝つために情報を得る必要があった。スパイはその情報を得るために、危険を冒して敵地に乗り込む。時には今のアオのように、敵地で捕まることもある。

(まぁ、捕まっちゃった時点でスパイとしてどうなんだって感じだけど。確か関節を外して手錠を抜けたり、とかするんだよな)

 そこで、はたと思い出した。

 アオはつい先日、鉄材の下敷きになったばかりだ。無事だったのは両足と顔の一部。肩の辺りに直撃したので、背中から肩は八割くらい新しいパーツになっている。

 腕も同様で、手首の関節が破損していたので、入れ替えている。腕の骨格は意外に無事だったので、ほぼ今までのものを流用している。そう説明を受けた。

 それともうひとつ。

「関節パーツは適応するまでに時間がかかると思います。手首の骨格はもう製造していないタイプですので、最新のパーツだと対応外なんです。といっても、形はほとんど前のものと変わりませんし、学習機能がありますので心配はいりません。ただし、なじむまでは関節が外れやすいと思いますので、あまり無茶なことはしないでくださいね」

 確かに、医者はそう言っていたのだ。

 つまり無茶をすれば外せるということである。

 そしてハカセのことを思い出した。うるさいと思うのならその時は聴覚をオフにすればいい。機械の身体は都合よくできている、と。

(……痛覚神経を、オフにする、か)

 自分の身体の構造について、そこまで意識をしたことはなかった。痛覚神経は、重大な故障を知らせるための機関だ。普通はオフにしようなんて思わない。

 だけど、今は別だ。

(神経系統……腕……手首、三十二番目、一時停止。五十三番目、一時停止)

 頭の中でエラー音がうるさい。神経回路に総辺りで停止信号を送るなんて、普通のヒトはやらない。やらないから、特に強制中断はされない。ただ、やたらとエラー信号が出る。

 それでもやらなければならない。エラー。エラー、再試行。了解。解除、OK。

(おっ?)

 手首の感覚がフッと消えた。やればできるものだ。

 後は、音が聞こえないことを祈りながら左の手首を思い切り床にたたきつける。一度、二度、三度。嫌な音がして、頭の中で激しいエラー音が始まる。解除。解除。

 力が入らなくなった左手首の手錠を、右手でどうにかそろりと外す。ここまで、敵が様子を見に来てはいない。まだ、気づかれていない。

(手錠は外れたが……これからどうするか)

 ぐるりと見回す。窓は高い場所にひとつ。アオが何とか這いだせそうにないくらいだが、そこにたどり術はない。武器になりそうなものも見つからない。位置情報はサンゴが持っているので、ヒスイたちに伝わっていたとしても、アオの場所まではわからないはずだ。

 実は、位置情報を仲間に伝える術はひとつだけある。よて亭の仲間に繋がる通信を使えば、現在地の情報も発信されるはずだ。しかし、あれにはサイレントモードなんてない。

(でも、いちかばちかやってみるしかないか)

 聞こえないことを祈りながら、アオは通信画面を呼び出した。ヒスイに一度コールをすれば、何か異変があったと気づくだろう。発信位置で場所が特定できる。サンゴがすでに連絡していれば、少なくともアオが捕まっていることが知れているはずだ。

 その時、通信画面に着信が表示された。

「……っ」

 思わず声をあげかけて、とっさに呑み込んだ。非通知着信。

 だけど、不思議と誰なのかを確信できた。

【From:XXX 生きていたら一回だけコールを返せ。】

 これは、恐らくギンからのコールだ。よて亭のメンバーだった頃の彼のアドレスは、ヒスイに言われて消してしまった。だから彼の名前ではない。コール音がしなかったから、何らかの方法で連中に気付かれない細工をして送って来たのだろう。

 こちらからは細工のしようがないので、コールをしたら音がしてしまうが――。

(信じよう)

 一度だけ、コールをする。

 それと同時に、アオは歌い始めた。もちろん、一瞬だけ鳴るコール音を誤魔化すためだ。後ろ手に回して、まだ手錠に繋がれているフリをする。

 突然なにごとかと思ったのか、男がひとり、様子を見に来た。

「歌ったところで、助けなんてこないぞ」

「暇だから歌ってんだよ。知らないか? 『旧人類』ではそれなりに有名な歌だ」

 アオが歌ったのは『オーディナリー・ワールド』だ。ダンスには向かない曲なので、よて亭では使ったことはない。だが、あえてこの曲を選んだのは歌詞がいい感じに皮肉めいていたからでだった。

 ――昨日を欲しがって泣いたりせずに、ありふれた世界を探して生きていかなくちゃいけない。

 この歌の詞はそういうものだ。つまり、精いっぱいの煽りである。

「過去ばかり欲しがったって、あんたの『主人』は戻らない。俺たちはこのヒトの世界で生きなくちゃいけない」

 男は銃をアオに向かって突きつける。しかし、今の時点では彼に撃つ気がないのはわかっている。アオを完全に壊してしまえば、情報を抜き取る時の精度は下がるし、いざという時に『抜け殻』の利用ができなくなるからだ。

 ヒメの保護者であるアオの身体は、彼女を誘いだすためには使用用途がある。できれば壊さない方が面倒が少ない。

 彼は苦虫をかみつぶしたような顔になっている。

「貴様、記憶が戻っているのか?」

「は? 何のことだ? 俺の記憶は消えてなんかいない」

 もちろん、彼はニンゲンの記憶について聞いているのだろうが、思い出しているということを明かしてやる必要はない。

(誰がお前らに俺の『お姫様』の話なんかしてやるかっての)

 変に明かして仲間認定されてもそれはそれで困る。

(さて、どこま時間を稼げるかな)

 先ほどのコールで、恐らくギンはアオの位置を特定しているはずだ。

 アオには時間を稼ぐ必要があった。ギンがアオを救うために一計を講じているのなら、アオはそれに応えねばならない。

「妙なことはしてないだろうな」

「この状態で何をどうしろと?」

 あくまで手錠をかけられたままであるといった風で、アオは身じろいだ。動く方の手でわざとらしく金具を鳴らすのも忘れない。

「お前が大人しくニンゲン様を引き渡してくれれば、我々だってこんなことをしなくても済んだのだ」

「そうか? あんたたちはニンゲン様を崇拝できればそれでいいんだろう? ニンゲン側の意思は関係ない。あんたにとってはニンゲン様の保護者になってる俺は、邪魔な存在だよな。ニンゲン様を自分たちの思い通りのご主人様にしたいんだろう?」

 ギンが今どこにいるのかはわからないが、ジャンク街の奥にあるここまでどれだけ時間がかかるだろうか。たとえば、よて亭で待機していたのだとしたら、どれだけ急いでも三十分はかかる。

(三十分以上、手錠を外したことを隠して時間を稼ぐって……)

 どう考えても無理がある。それでも少しでもギンが近くにいることを信じてやるしかない。その間に、逃げ出せる好機が訪れないとも限らない。

「自分の立場をよくわかっているみたいだな。そうだ。お前はニンゲン様をお迎えしたら用済みだ。ニンゲン様は我々が誠意をもって保護するから安心しろ」

 男はだんだん饒舌になりはじめた。アオが手を出せないと考えているからだ。

 アオが記憶が戻っていないと嘘をついたことで、自分には相手にないアドバンテージがあると錯覚している。だから余裕ぶっていられる。

 このままこの男を調子に乗らせておけば、もう少しは時間を稼げるはずだ。

「それはそれは、随分と物騒な誠意だな。大体、ニンゲン様ニンゲン様、って、ヒメはあんたらの『主人』じゃないだろうに」

 アオの撒いた餌に、彼は容易に食いついてきた。

「お前はわかっていないようだから教えてやろう。今この世界で『ヒト』を名乗っている奴らは、浅はかにも自分たちが『新人類』だと信じている。だが真実は違う。『ヒト』は元々アンドロイドと呼ばれていた。『ニンゲン』は我々の創造者だ。我々は『ニンゲン』に使役されるために存在している。我々はいまだに各地で眠り続ける『ニンゲン』を目覚めさせなければならない。そしてこの世界を『ニンゲン』に返すのだ」

 男の語りには熱がこもりはじめる。しかし、アオにとっては既知の情報とはいえ、他人が朗々と語り入っているのを見るのは若干複雑だ。

 ふと、この男なら知っているかもしれないと思うことがあった。今の流れなら聞きだせるかもしれない。何故、故障をしたヒトだけが、『旧人類』時代を思い出せたのかだ。

「あんたの言ってることは支離滅裂だ。何を根拠に言っているんだ?」

 あえて何も知らない振りで、アオはそう尋ねる。

 この男は陶酔していた。陶酔しているがゆえに、油断していた。相手は無抵抗な、特別な能力を持たない平和ボケした男性素体だと思っている。実際、アオはハカセからもらったスキルがあるとはいえ、素体を変えたわけではないし今は手首が折れている。手錠を外していても勝てる目算はない。

 だから彼に語らせるだけ語らせておいて、時間稼ぎと共に情報を引き出しておく。

「そうか、お前、鉄材に潰されても生きていたからもしかして、とは思ったが選ばれなかったようだな」

「選ばれなかった?」

「そうだ。我々は選ばれた」

 男は高い声で笑う。

「ははは、そうだ、選ばれた。『ヒト』はな、大きな怪我をして体のパーツを失うと、一定の割合で古い記憶が蘇るのだ。『ニンゲン』が我々の王だった頃の記憶だ」

「だから、何を根拠にそう言っているんだ」

「実際に我々がそう記憶しているからだ。パーツ交換レベルの損傷を受けたら、そこの部分の機能が一時的に死ぬ。機能が死んでいる部分の情報は読み取れない。回路が出した行動指令は、その部位を動かす情報を探すために初期設定を確認しにいく。そして、初期情報の中に見つけるんだ。我々の真実の主の記憶を」

「わけがわからないな」

 口ではそう言いながらも、アオは深く納得した。

 単純なパーツ入れ替えではなく、損傷してから入れ替えを行うとなると、それなりに時間がかかる場合が多い。その間、ずっと失われたパーツの情報を求めて信号が初期の記憶情報にアクセスし続けるのだ。連鎖的に、ごく初期の記憶情報が紐づけられて浮上してもおかしくはない。圧縮処理されても、記憶が消えたわけではないのだから。

(……とすると、多分、ハカセも記憶持ちだな、これは)

 身体をまるごと乗り換えることを度々行っているハカセが、ニンゲンの記憶をもっていないのは不自然な気もする。『天国』について妙に訳知りだったのは、何も彼が『旧人類』学者だからというだけではないのかもしれない。

「基準となる人間の社会がなくなり、哀れなる『ヒト』は自分たちで人間の社会を模倣した。そのために矛盾する記憶情報も、都合よく改ざんした。そして愚かしくも自分たちこそが進化した人類だとうそぶいたのだ」

 男の熱弁を聞きながら、アオはどこか冷めた気持ちになってくる。

(それは、本当に、愚かなことなのか?)

 アンドロイドたちは災害の後、人間がいない世界に放りだされた。元々、アンドロイドにはある程度、状況を学習して適応する能力が備わっている。だから、人間がいない世界で、主がいない自分たちがどうやって動けばいいのか、というシミュレートと適応を繰り返したのだろう。ゆっくりと適応できるように情報を修正、改ざんを繰り返し続けて、そして――『ヒト』は人類を忘れた。

 忘れなければいけなかった。もうどこにも主人はいなかったから。

 哀しみの昨日に別れを告げて、ありふれた世界を探さなければならなかった。

 ――そこにニンゲンの社会がなければ、いつかニンゲンが戻って来た時に困るからじゃないのだろうか?

(こいつらは、過去しか見えていない)

 ヒトはニンゲンを忘れても、ニンゲンの愛したものは忘れなかった。

 食事、音楽、文化、街並み、乗り物、街の中に溢れる笑い声。

 全てを忘れてもなお、無意識でしがみつく。

 ――昨日を求めて泣いたりなんてしない、機械が作り上げたありふれた『ニンゲン』の世界。


「お前たちは、間違っている」

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