第19話 ネバーランドの混迷
「あ、アオ……」
「大丈夫だ、サンゴ」
怯えるサンゴを背に庇って、アオは思案した。
全く、少しも大丈夫な状態ではない。それはわかっている。
この連中はヒメの居場所を掴んでいない。掴んでいるとしても、手を出せない状況にある。つまり、アオたちは貴重な情報源となるか、人質としての交換価値がある存在だということだ。すぐに殺しはしない。少なくともアオとサンゴのどちらかがヒメの居場所を漏らすか、記憶回路から直接情報を抜き取るまでは生かされる。
そしてアオたちの居場所はヒスイたちにはわかっている。少なくともサンゴの居場所は。シオンからもらった位置情報の発信装置付きの造花は、サンゴがワンピースにピンで留めていた。
「サンゴ、その足でどれくらい走れる?」
小さい声で、そう告げる。
「え? 短時間でなら……いつもと同じくらいには」
「なら、俺が動いた瞬間に走って逃げろ。サンゴの身体は特注だ。あいつらが多少屈強だったとしても、素早さではサンゴの方が上だ。まず追いつけない」
「でもそれだとアオが……」
「すぐには殺されない。大丈夫だ――行け!」
その瞬間、アオは迷わず銃を構えた男に向かって突進した。
「うおおおおお!!」
銃が放たれる。銃弾は包帯とアオの耳たぶをかすめたが、当たりはしなかった。男の一人にタックルをして、しかし人数が多いからあっさりと取り囲まれる。
「女の方が逃げたぞ!」
男の一人が叫ぶ。首を持ち上げ振り返ると、サンゴが器用に雨どいをするする掴んで恐ろしい素早さで店のアーケードへと上がり、店から店へと渡りながら飛び跳ねていくのが見えた。ハンデ付きの足だ。普通に走るよりも、手の届かない上にあがることを即座に選ぶあたり、彼女もなかなか度胸と根性がある。
(大丈夫だ……サンゴが無事なら)
最悪のことがあっても、ヒメを安全な場所につれていってくれるだろう。
そして、アオは両手をあげて降参のポーズをとった。いくらハカセがくれたスキルがあったとしても、多勢に無勢だ。しかもこちらは丸腰である。勝機はない。
「できるだけお手柔らかに頼みます」
せめてもの希望としてそう伝えると、背中を思い切り蹴り飛ばされた.
(さて、これからどうするか)
サンゴにタンカは切ったものの、ノープランだ。まさか敵が銃で武装してくるとまでは考えていなかった。GPSをサンゴに持たせたのも手落ちだったと言える。サンゴの方が逃げきる可能性が高いのだから。
(だけどまぁ、やるしかない。まずはこいつらのアジトがわかってから、だな)
目隠しなどはされなかった。しても移動した方角、距離などを精査すれば大まかな位置は特定できる。意味がないのだ。ヒトが相手ならば。
こちらだってだてに遺跡探索をやっていない。遺跡の崩落に巻き込まれかけたことだって多々ある。危ない場面を切り抜けるだけの度胸はある。
(遺跡マニアをナメんなよ!)
■
「動いたな」
ギンはジャンク街近くに拠点を移し、『幽霊』仲間からの連絡を待っていた。
場所はジャンク街に入ってからそう遠くはない。アオたちが奥に来るまで待てなかったあたり、敵も相当焦っていると見える。おかげで察知しやすかった。
よて亭の周囲は『幽霊』が邪魔をしてなかなか近づけない。ヒメをさらう機会を得られない彼らが、ヒメを保護しているアオを狙うのは当然ともいえる。アオを脅してヒメを連れてこさせるなり、アオを人質として交換条件にするなり、あるいはアオの記憶情報を改ざんするなりして。
この中で一番最悪の結末になるのは、記憶情報の改ざんが行われた場合だ。アオが自分の足でよて亭に戻り、ヒメを連れ出してジャンク街に連れてくるように思考をいじられていれば、よて亭の面々も油断するだろうし『幽霊』の警戒もすり抜ける可能性がある。
アオが正常な思考回路であることを、外面で判断するのは困難だ。元に戻せる保障だってない。アオから有効な情報の引き出しができず、交換条件となる意味も見いだせなかった場合、その最悪のケースになる。そして、アオが交換条件をうのみにするとは思えない。そうなる前に何とか彼を救出したい。
『幽霊』からの通信が入る。
「……サンゴは逃がしたのか。まぁ、懸命だな。サンゴの方が足も速い。連中にとって生かしておくメリットも薄い」
そちらには自分が向かうことを返信して、ギンは次の通信画面を開く。
【TO:HAKASE CALL...】
通信が繋がるのは早かった。向こうも連絡を待っていたのだろうから当然か。音声通信へと切り替える。暗号化されない分、傍受される可能性は上がるが、向こうは今アオにかかりきりでそれどころではないだろう。
「合流できたか?」
『おう、お前のフィアンセは話が早くて助かったぜ』
ハカセにはよて亭に行ってもらっている。渋られたが、『幽霊』が身を匿っているのだから、これくらいの働きはしてもらいたいものだ。
できればかつての仲間を巻き込みたくはないが、アオとサンゴのことは彼らにとってもヒトごとではない。
自分のできるあらゆる手を使う。
「ヒメは?」
『元気いっぱいだぜ、安心しな』
「そうか。今から直近の『幽霊』の仲間がそちらに向かう。こちらは何とかするから、例のプランでよろしく頼む」
『はいはい、人使いの荒い『幽霊』さんだぜ、まったくよ』
とはいっても、何だかんだで動いてくれる気はあるらしい。ギンはハカセに『最終手段』まできちんと伝えてある。
「俺はサンゴの救出に向かう。アオの位置も特定して見せる。予定通りに進んでくれ」
■
サンゴは走っていた。
いつものパーツではないから、足の違和感が酷い。無理をしすぎている自覚はある。恐らく、追っ手ももう振り切っている。それでも走ることをやめられなかった。
(誰か、誰か、助けて)
アオを見捨ててしまった。アオがそうしろと言ったのだが、彼女の胸には仲間を置いて逃げた罪悪感がこびりついている。
走って、走って、通りすがった誰かと肩がぶつかって、足がもつれて転ぶ。
「おい、大丈夫か?」
手を差し出される。それだけで、少なくとも追ってきた敵ではないことがわかって、サンゴは立ち上がる気力を失った。ゆっくりと、顔をあげる。
そこには驚いた様子のアオの顔があった。
いや、違う。アオと同じ男性素体の顔があった。しかし、その髪の色は紫がかった銀。
「……ギン?」
「悪い、遅くなった」
ギンはまるで全て状況を把握しているかのように、そう言った。
「う、うん」
サンゴはひとまず、頷く。
言いたいことはたくさんあった。聞きたいこともたくさんある。ヒスイを置いていったことについては、平手打ちのひとつくらいはしてやりたかった。
彼女は、そのどれも実行に移すことはできなかった。ただ、差し出された彼の手をもう二度と離すまいと握りしめる。
「お願い、アオを助けて」
「……つかまったんだろ、知ってる」
何故彼が知っているのか、その理由を考えるよりも先に、ただひたすらに頷いた。
「動けるか?」
「少し休めば、多分」
「わかった。休んでいる間に、ヒスイと連絡を取ってくれ。それが合図になる。あっちにはハカセが向かっているからな」
いつハカセと知り合ったのか、今まで結局何をやっていたのか。
疑問はぐるぐると回っている。だけど何よりも不思議なのは、今あったばかりの彼が正しく状況を把握していることだ。
「ギン、何があったか聞かないの?」
ギンはアオと同じ顔で、だけどアオよりは不思議と少し大人びた笑顔で、くしゃくしゃとサンゴのピンクの髪をかき混ぜた。
「この状況で、お前がそれを言うか? 俺は『天国』に行ったはずの男だぞ。お前が俺に聞きたいことがあるっていうんならともかく」
「聞かないわ。この世界にはきっと色んな『天国』があるのよ。っていうか、今はそんな場合じゃないし」
「それは言えているな」
ギンは苦笑を漏らす。
「アオはあれで、割と緊急事態に強い奴だ。行動力だってある。何せ湖の遺跡を一人で見つけ出したくらいだしな」
「そっちも知ってたんだ」
「遺跡のある辺りには『幽霊』……お前が言うところの色々ある『天国』のひとつが、定期的に見回っている。アオが見つけた新遺跡も、すでに連中には気づかれているさ。元々、あいつは結構有名人だったみたいだな。遺跡を一人でうろちょろしていたから。実害がないので野放しになっていたが、ニンゲン様を見つけたとなっては黙っていられなくなったわけだ」
ギンは苦笑混じりの顔で、サンゴの手を引き上げた。
「本当に、色々知っててびっくりよ」
「俺にも色々あったんだよ。よて亭の奴らは巻き込まないつもりでいたけど、勝手にそっちから飛び込んできたんだから仕方ない」
「飛び込んだのは主にアオだけどね」
「じゃあ、助けにいかないで逃げるか?」
「まさか。よて亭の仲間は同じヒスイ姉さんのご飯を食べた仲間よ。ニンゲンだって言うでしょ。同じカマノメシを食べた仲間ってね。カマノメシってなんのことなのかよくわかんないけど、多分美味しいのよね?」
「釜の飯、な。確かにあいつの飯は美味い。また食いたい」
「食べにくればいいじゃん。生きてることバレちゃったんだし」
「そのうちな。今はまず、同じカマノメシを食った家族を助けるぞ。ろくでもない方の『天国』とやらからな」
久しぶりにあったはずなのに、まるでよて亭で毎日顔を合わせていた頃と変わらない様子で彼はそう言って。
だけどその手にはさきほどの男たちと同様に、銃が握られていることに気づく。
変わっていないけど変わってしまった家族の姿に、サンゴは少しだけ哀しい思いでうつむいた。
『天国』に行く。それは何て哀しくて、救いのないことだろう。
彼はきっと、ニンゲンといた頃のことを思い出して、ニンゲンの姿を追い求めてしまったのだ。あの男たちのような妄執に取りつかれたわけではなくとも、偽りに満ちたヒトの世界で生きていくことはできなくなった。
圧縮された記憶を詰め込んだ箱の中には、大切だけど思い出してはいけないものが詰め込まれていた。その箱を開けたら、もう戻れない。
もちろん、サンゴとアオも、戻ることはできないのだ。
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