【三】(12457字)

 目覚まし時計が鳴ったとき、部屋の中はまだ真っ暗だった。窓が鳴らないことから、嵐が過ぎ去って、いつもの灰色の空が戻ってきたのが分かる。カーテンを開けると、夜明け前の静けさと霧雨の幕があった。

 カーテンを開けると、そこには荒れ果てた町の有様があった。屋台の骨組みは破壊され、雷のせいで黒焦げになった石畳が見える。屋台に飾られていた装具が、粉々のゴミになって飛散している。そういった傷跡に、酷すぎない程度の雨がぽつぽつと降っていた。水っぽい空気が鼻の粘膜を潤していた。

 僕はレインコートを着込み、ポケットに時計台の鍵を入れた。洗顔や朝食などの身支度をさっさと済ませた。傘と鍵、小型の懐中電灯以外の荷物は持たなかった。当然、両親にもなにも伝えない。おそらく、隣の部屋で寝こけていることだろう。

 惨状に反して、石畳の道は歩きやすいものだった。割れた電灯の硝子片や嵐の持って来た木の葉などを避けるのに、それほどの労力を使わなくて済んでいる。祖父が道を予め用意してくれていたのかもしれない。

 ゴミ箱をひっくり返したような現状を見るに、今日の祭りは延期されそうだった。雷や嵐は鉄やアルミや木材で好き勝手に遊んで、適当なところで片づけもせずに帰ったのだった。屋台も舞台も無事なものが一つも見当たらない。

 今のままでは、豊穣も息災も祈れない。壊滅的な惨劇が終わったあとに残ったのは、家や店と言った土台のしっかりした建造物だけだ。そのなかにも、窓ガラスが割れたり、屋根の一部が吹き飛んでしまったりしたものが見受けられる。

 夜中眠れなかった住人たちは、今休んでいるのか、人の動く気配はまるでない。二十四時間営業のコンビニなど、灯りがまるでないわけでもないし、災害復旧のために缶詰にされている公務員もいるだろうが、それは町に活気とか生気に当たるものを与えない。静謐な町の様は、逆に不気味なものの痕跡を確かに残していた。

 都会の大学に通っていると、ここまで静かな町や通りを見ることなどない。賃借りしている大学提携のマンションのあたりは、深夜になると静かにはなるが、遠くからは絶えずに車や電車の走る音がおぼろげに聞こえる。深夜帰りのひとが恨み言を言いながら通り過ぎることもある。

 今、僕の歩いている空間では、音や気配は完全に死んでいた。津波が全てを攫って行った浜辺のようだ。僕の耳や目に生きて動くものは映らない。地面に滲みた水やそれに触れた鉄分に特有の生臭さはあったが、食べ物の腐った臭いなどとは違うものだ。崩れ落ちた享楽と惚けの建築物の残骸が視界に入るが、それも存在感のあるものとは決して言えない。

 そこに、猫が割り込んで来た。屋根から塀を経由して飛び降りてきた。あの土砂降りを生き残ったとは思えないくらいの純白の毛並みで、闇の黒と対照してその無垢さが際立っていた。品種としてはRagdollのような中型で、こちらを見ても狼狽して逃げ出すようなことはなかった。また、雨を嫌って屋内や軒先に退避しようとする様子も見せなかった。

 しかし、その猫は人懐っこいわけでもなく、こちらを一瞥すると、すぐに歩き去ろうとした。目の色は雲のない蒼穹のようであり、引き込まれるような深みがあった。僕はその猫が行こうとする先を見つめた。

 あの時計台が、何事もなかったようにそこに鎮座していた。あれだけの暴風雨をものともせず、超然と泰然とそこに鎮座している。巨人のように見えて、そこにはどこか儚いもろさがあったが、それは頑丈な外見の安心感を損ねることはなかったように思う。

 その猫は間違いなく時計台を目指していた。僕も猫の背を追いかけ、ともに歩んで時計台に向かった。

 時計台の前に着くと、猫は扉を指さすようにして、そこを開けるようにせがんだ。強風に吹かれて千切られた木の葉が散乱し、生き残った雑草たちが夜露にまみれていた。時計台からは焦げた土が雨に溶けるにおいがする。見上げてみると、時計の針はいつも通りに時間を指し示している。ずぶぬれの塔は、根のしっかりした堅牢さを見せつけてくる。外観は相変わらずオンボロだが、昔から続いてきている根強さもあった。

 のんびりしすぎたのか、猫が喉を唸らせた。早くしろ、と文句を言いたいらしい。適当に受け流して、懐中電灯で鍵穴を照らした。鍵穴に鍵を入れて回す。がちゃり、という厳かで重い響きの音が鼓膜を揺らす。

 今、祖父のいた場所への扉が開いた。猫は塔のなかへ転がりこんで、毛の水を切ろうと激しく振動した。それから、まっしぐらにらせん階段を駆けだした。僕はその後を小走りになって塔の中を進んでいった。後ろでドアが自重で閉まる音がした。

 当然だが、電気すら通っていないこの塔の内部に明かりはない。懐中電灯で、床のモノクロで構成されたモザイク模様を照らして進む。春先の夜明けまえ、しかも雨の降ったあと(今は霧雨がぱらついている)なので、湿気を含んでいて、ひんやりとした空気が出迎えた。塔の内部は思っていたより掃除が行き届いていた。少なくとも、湿気を吸った埃が積もっていることはない。祖父が掃除熱心かを考えたことはないが、危篤の知らせを受けて駆け付けた日、祖父の部屋はこざっぱりとして、清潔だったのを思い出す。医者や両親の出入り(もちろん、頻度は低いが)があって、部屋は少しずつくすみだしていた気がする。

 汚れはないが、祖父に癖があったのか、モザイク模様には擦り切れの激しいところがあった。祖父はここを自分の脚で歩んでいたのかと思うと、なんだか痛烈に惜別を感じた。昨日の祖父の死は、誤解を恐れず言うなら、あっけなかった。若返って僕に説教しだすかと思ったら、いきなり老体に逆戻りして、啓示めいたことを言って草葉の陰に隠れてしまった。僕が悲しんで、愚かなまでに涙を流すまえに祖父はこの世を去って行ったのだ。

 気が付くと足が速くなる。見上げると、先行する白猫が反対側の塔壁からこちらを見下ろしていた。蒼い光線が僕を射貫く。僕はまた速度を上げる。少しずつ鼓動が速くなる。脈拍が上がり、息が弾みだす。階段は程よい角度であり、転ぶ心配はなさそうだが、段数が多い。暗がりを懐中電灯で照らし、あの猫を追う。

 祖父が死んだあのとき、僕が祖父の荘厳な予言を聞いて感じたのは、驚嘆と希望だった。涙を流したが、愛別離苦の疼痛は遠慮して強くは主張をしていなかった。僕は薄情なんかではない! 僕は不可思議な霊験に包まれていた。時計台を登ることへの義務感とともに、祖父に与えられた光明に充足を覚えたのだ。

 だが、時計台に来て、生きていたあの祖父が置いていった残り香とか痕跡とかを見て、「もう祖父は生きてなにかを残すことはない」とか、「むしろ彼の存在を証明してくれるものたちは、相次いで消去と忘却の憂き目にあわなくては不可ないのだ」とかということを突き付けられると、麻痺していた悲しみが疾風怒濤となって、心を揺らすのだった。祖父がくれたもののなかに、祖父自身に同等な形見はまるでなかった。僕の大好きな存在は、例えば写真だとか、人形だとか、形のある贈り物で慰めを提供しようなんて、考えてもくれなかった。

 祖父をこの世に引き留めるのは、僕自身の心持ちだけだった。

 そして、祖父は亡霊などにはなりたくないだろう。だから、僕は祖父を忘れなくては不可ない。それがまた悲しい……。

 らせん階段を駆け上がる。息を切らしながら、二階と三階を抜けていく。三階を越したあたりで一度足を緩める。疲れのせいか、膝小僧の痛みがぶり返していた。白猫の姿はもう見えなかった。先に屋上に行ったのかもしれない。飲み物くらいは持って来ればよかった。身体は火照り、汗が雫となって床に垂れた。脇腹が痛くなり、頭の中に靄が侵入してきた。

 倒れこむようにして四階に駆け込む。駆け上がった高さは約四十メートル。大樹よりもずっと太い塔の円周を、らせん階段で駆け上がってきた。大げさに拍動する心臓を労わりつつ、身近にあった壁際の椅子に座り込む。来ていたレインコートは椅子に掛けた。

 窓の方に何かが煌めいたので見てみると、あの白猫の目があった。喘ぎながら、室内に懐中電灯を当てる。ここは祖父の仕事場で、あの猫は出窓の淵に取り澄まして座っている。その出窓は、時計台をそうたらしめる、祖父が人生をかけて直し続けた時計の機械室へつながるものだった。

 昨日まで、祖父がいた時計の聖域。秩序だった歯車の鳴動がする。真っ暗で、文字通りに一寸先は闇であるこの部屋に、いくつかの小さな時計とたった一つの大きな時計があって、それが正しくときを刻むことを保証する音色が響く。

 懐中電灯を消し、しばし微睡む。閉じた瞼の裏に浮かぶのは……ただの真っ暗闇。

 どんなにあの日々を願っても。魔法が欲しいと願っても。

 もうここに彼が戻って来ることはありえないし、僕はそれを望まない。矛盾しているように思えるが、僕は祖父と過ごした日々も、祖父自身も愛している。しかし、僕が降霊術を上手く制御出来たとしても、簡略な防腐処理を施された祖父に目を開けてほしいとは思わない。世の理を逸脱するから、などの綺麗な理由はない。ただ、違和感があり、僕が眺めるべき景色ではないから、だ。

 僕は祖父の最期の言葉に未来への展望の欠片を認め、時計台の中に入って過去への哀愁の総攻撃を受けた。これが戦争とするならば、ここまで戦況を鑑みるに、僕は未来志向でいられたのだろうか。祖父は死者だ。重すぎる過去の枷は、僕を生かしてはくれないのだ。

 祖父は、愛しい存在ではあるけれど、最期まで僕とは次元のようなものが違う存在だった。僕の世界と祖父のそれは、わずか一点で交差するに過ぎなかった。彼は僕が幼少期を懐古する道具ではなかったし、彼もまた僕をかわいがることで老人となった自分を慰めることはなかった。祖父はいつでも僕の頭上にいた。

 そこまで考えたとき、僕の太ももに飛び乗って来る存在があった。あの白猫だった。意識が現在に戻り、耳には時計の音が戻ってきた。空気は湿っぽく冷たかった。僕は猫と目を合わせた。

 「可愛い子供のふりをするな、二十歳。」

 欠伸をした猫はそういっているようだった。もし、この猫が人間ならば、僕はその声は思い出深い、年老いた声にする。僕が二十歳であることを思い出させてくれる声に、例えば十代の少女のハスキー・ヴォイスは似合わない。そういった声は、いつか失われるものだから。

 僕は少年時代の純真と素直さは失った。代わりに、釣り合うかを計れるかも分からない、社会経験と教養を得た。僕はヤギとキャベツを同じ船に乗せる方法に頭を悩ませ、「時計の長針と短針が逆に回転すればよいのに」などと考える愚か者だった。つまり、子供にしがみついていた。好きなものを好きでいることを、絶対の正義として。

 僕はそれを甘えと断罪しない。僕は正しかった! それは疑いようもない! だって、後悔なんてしていないから。むしろ、僕自身の未来を試すチャンスが巡ってきたのだから。子供っぽさを捨て去ることと、子供っぽさを断罪することは必ずしも等号で結ばれるものではない。

 「そうだね。僕がすべきなのは、子守歌を聞くことではなく、日の出を見ることだ。寝てなんかいない、心配はしないでくれ。」

 盛大に心配だ、と言いたげな蒼い瞳が瞬く。無用な心配に感謝を表すため、僕は猫の頭を撫でた。雨水でややしっとりした毛並みは、汚泥や病原菌に汚染されることのない、滑らかなものだった。白猫は撫でられるのを避けるように地面へ降りて、出入り口に向かった。

 だんだんと口が潤って心臓が大人しくなってきた。唾液の鉄っぽさは薄れていき、視界も広くなっていく。汗の引き、肉体の疲れも地面に吸い取られていく。時計が、がちり、と重厚な音を立てた。入るときに確かめなかったが、もしかしたら日の出が近いかもしれない。ぐずぐず怠惰になることは許されない。

 僕は祖父の仕事場を出ようとして、はたと考えを巡らせた。八十歳の老衰した肉体と眼は、ここに至り、精密機器と向き合うのにどれだけの苦痛を感じただろう、と。

 老人が上るにはここは高すぎるし、辿り着いてもエアー・コンディショナーはない(小さい自家発電機があるが、電気ポットや小規模の電動工具を動かす程度にしか役に立たないだろう)。作業台の椅子は硬いウォルナット製。作業は極めてアナログで、全ての工具を自分で操り、拡大鏡越しに部品と睨み合う。

 考えれば考えるだけ、艱難辛苦に満ちた営み。止めるひとがいたならば、間違いなく止めただろう。老体に撃つ鞭としては、太くて硬質すぎる。

 だが、もしも祖父が時計と関わるのを止めていたら?

 果たして、祖父は僕に未来を示せただろうか。いいや、不可能だ。なぜならそれ依然に、今日まで生き残ることはなかっただろうから。長寿ならばいいとは言わないが、それでも僕が無用な悲しみに沈み、喪に服すと称して無気力にだらける理由を作ったはずだ。

 僕を未来に生かすものの場所を教えたのは祖父。その祖父を今日まで生かしてくれたのは時計。そう考えると、僕は時計に絶大な感謝をする必要がある。

 出口に向かおうとした足を翻して、祖父の作業台に行ってみる。上に乗せられていた、修理中の中身がむき出しの時計を眺める。大小の歯車が動力機で回っている。祖父が命を懸けて向き合った相手は、複雑怪奇な機巧で、僕には到底、手を出せない代物だった。

 僕にとって時計は文字盤で時間を表示する存在でしかない(退屈な授業を長引かせ、焦燥の試験時間を短くする、厄介なやつでもある)。最近ではディジタルのものも増え、歯車と精密ネジとモーターは全員解雇される日が来るかもしれない。

 そこまで考えると、果たして祖父はなぜ時計を「選んだ」のだろうか、と疑問に思った。例えば、祖父がサーフィンを選択したら、祖父は海で心臓麻痺になるまで波乗りを続けた気がする。ジャグァーなどの車で、渋く峠道をドライブするのもありえる。棋盤の向かいにランタンを置いて、詰め将棋をひたすら解くというのもありだろう。

 しかし、今あげた例は、祖父の日常から乖離しているし、その活動のために特別に気持ちを盛り立てなくては不可ないものだ。

 祖父は時計技師として死んだ。それくらいに時計が身近で、日常だった。農夫が土を耕し、商人が算盤を弾き、聖職者が日課のお祈りをするくらいに、日々と連続性があり、それをすることで生きることが秩序づくもの。命あるものが自分の進んだ道に信頼を持つためのもの。

 祖父にとって「時計」は人生であり、生命だった。祖父は僕と違い、子供じみた感情で「時計」に固執はしなかっただろう。僕の心情を超越し、超克したものが祖父の抱いた畏敬に近いとは思うが。

 ゆえに祖父は「時計」やその先にあるものに守られていたのだと感じる。くたびれた老体でここまで来ることが出来ていたのは、祖父を支えて守るものがあったからだろう。祖父は不可視の力を与えられていたのだ。

 恐らくはそういった力や自信の根源が「時計」や時計を通じてやってくるものであり、祖父はそれと関わる術があった。ほかのものでは見つけられなかった術を時計のなかにだけ見つけ、それを保持し続けるために時計職人であり続けたというのもあり得る。

 いずれにせよ、祖父は時計と生きることに確固たる意味を見出していた。

 無人の作業台にあの頃の祖父を描こうとした。臨終したあとの弱々しい手でではなく、時計を操っていたころの姿である。無愛想で気難しい、人付き合いの少なさそうなあの顔。そして、精緻で技巧的なあの手さばき。時を刻みだす時計の音色と、それを包む太陽の匂い。

「ごめんね、待たせてしまった。」

 僕は祖父の工房を巣立つことにした。これ以上の回想に意味はない。有意義なのはここまでだ。今度こそ、僕は独りで歩まなくては不可ない。白猫は「ようやく、お済になりましたか」と五階、屋上への階段を目指して歩き出す。もう、僕も猫も背後の時計たちを振り返ることはしなかった。

 直前の回想は僕に勇気と丈夫な杖をくれるものだった。しかし、祖父は理解されることではなく、考えて見つけてもらうことを望んだ。だから、今度の回想はその姿を記憶の奥へそっと埋めておくのはよいが、浸っては台無しなのだ。今も含め、辛くなったときの支えになってもらうために残すのはいいが、足踏みしてゆっくり観劇しては不可ない。祖父が僕に伝えたのは、名残惜しさではなく、梟の見透かすような聡明さであり、一種の図太さであったはずだ。

 そう考えると、祖父の「時計」は僕の「なにか」ではなかったが、祖父はきちんとヒントをくれていた。僕に相応しいものが、この先にあるのだと教えてくれたのだ。飴玉すらくれなかった祖父がくれた、貴重な後押し。

 高所にあるものに風が当たって弾ける音が聞こえ出す。湿っぽい空気は、通気性が良くなったおかげで外へ脱出しだした。煉瓦の匂いも薄れ、時計台の壁や屋根の作り出すものとは性質の違う闇が見える。

 外だ。もう間もなく、吹き曝しの屋上が見えてくる。

 眠気はないが、緊張もしていない。朝日の出る瞬間は本当に一瞬で、僕はそれに全てを賭ける。祖父の言ったことは正しかったのだ、とそうなることを望む。もう時間がないかもしれない。僕の足は自然と軽くなる。先行する猫に追いつく。「気が急いている。転んでは台無しだ」と白猫がこちらに視線をよこす。

 昨日の擦り傷が鈍く痛んだ。湿度が高く、おまけに走ったときに具合が悪かったせいか、血が滲んでしまった。

 だが、僕らは歩みを止めない。僕はてっぺんに登り、日の出を拝まなくては不可ない。

 祖父の言う通りに、黎明の炎が僕に「なにか」を指し示すはずだ。

 それは僕の未来と生命を護るためのもの。僕の人生を肯定するための支柱を選び取る手伝いをしてくれる。僕に、希望の火種を渡してくれる。

 僕は僕自身のために時計台を上がらなくてはいけない。

 屋上への通用口を駆け抜ける。屋上は吹き曝しの円形の足場であり、柵はない。床面は霧吹きで都合よく濡らしたように滑りやすかった。雨水を排水するためか、経年劣化のせいか、やや通用口から円周に向けて傾いている。僕はスピード余って転び、またしても擦過傷を作った。

 「転落死は免れたようでなによりだ。」

 さすがに、この屋上は少しの気のゆるみで世界の果てまで落ちるようには設計されていない。白猫のほうは優雅に歩み寄ってきた。さながら、これから始まるのはショーであり、この白猫がその劇座の長であるかのように。僕は煮干しがあればチップとしてくれてやってもいいかしら、と思った。

 高所のせいか、風の威力が強い気がした。これがこの灰色を吹き飛ばし、夜明け前の青みかかった空を招くのかと思うと感慨がある。風の吹きすさぶ音と、時計の機械音以外に響くものはない。

 僕は淵から五歩ほど離れたところに胡坐をかいて座った。レインコートの背中側の余剰分を座布団にしている。猫はコートのなかに入り込み、腹のあたりのボタンを勝手に開けて顔を出した。猫らしく、水気に耐えられなくなったらしい。体温を奪われているが、その身体には暖炉のような柔らかい温もりがあった。

 大時計は見えないし、腕時計も持ってもいないので、あとどれくらい待つのかはまるで見当がつかない。待てるだけ、座して待つのだ。レインコートの防水性はコマーシャルで売りにしていた通りのもので、僕の体温で猫を温めてやることが出来る。しゃがんだ地面も、じきに温くなってきた。

 まだか、まだか、と僕は身を乗り出すようにして朝日を希求する。楽しみに待つことが不謹慎でないかが心配だ。だが事実として、僕は日の出を恐れず、むしろ待ち望んで希望を持った。今の空のように、灰色で真っ暗なものに覆われた「根元」への接近をするには、今日の日の出しか好機はない。僕が生きるのに、朝日は必要不可欠だ。

 ……やがて。僕が七回ほど座り直し、白猫が身を十数回ほど捩ったそのとき。

 微かな風が吹いた。それが全ての切っ掛けになった。

 まず、灰色の雲と嵐の名残の霧雨が幕開きのように別れを告げて去っていく。空には純粋な黒い闇が残った。しかし、この有様は不安になるものではなかった。

 次に、どこからともなく、鳥の鳴き声がし出した。小型のツバメが塔より低いところで鳴いた。塔の円周をカラスがかすめていった。

 僕は徐に立ち上がった。白猫は(空気を読んだのか)先にコートから出て、僕の邪魔にならないところに移動していた。

 空に白い色が混じり始める。母乳のように穏やかで柔らかい色。それが暗夜に一滴、一滴、と垂らされ、ぼんやりとしながら混濁しだす。雲のない空は、その柔らかさの純度を損ねることはなかった。

 視線を前に向ける。慈愛だけでない、峻烈な光の奔流。

 目を逸らさざるを得ない。が、確かに見た。

 朝日だ! 祖父の言った朝日だ!

 地平線を割るように、悠々と燦然たる上端が起き上がって来る。その動きは超然としており、何にも恥じず、何にも驕らず、単純に心を震わす打撃と感動をもっていた。白猫も眩しいのか、僕の足元に滑り込み、影に隠れた。僕らは暁の光を直視することは出来なかったが、その威光に戦慄を覚え続けた。太陽はなおも上昇を続け、その圧倒的な輝きで僕らを地に座らせた。立っていることは出来なかった。立ち眩みのせいもあるが、目の前に出現してくる存在は、平伏して迎えるのが相応しいように思えた。

 これだけ僕らを打ちのめしているのに、太陽は僕らを気にせずに登って行く。天体の運動としては当たり前だが、太陽は僕らが(人間だろうと猫だろうと)全く不在であっても、それを顧みずに世界を照らし、夕暮れに去っていくのだ。僕らは太陽の前では酷く矮小で粗末な存在になる。

 目線を下に向けると、朝日を受けて鈍く輝く町と石畳の道が見えた。所々が嵐によって削れ、綻びた建物の群れ。その間に水浸しになった石畳があり、破壊されて崩された屋台や舞台の残骸が散りばめられている。間を飛び回るハトやツバメ、カラス以外に生きて動き回るものはない。沈黙と悄然の覆いが町を病的な混沌に貶めていた。

 その凄惨な場所にも太陽の光は、我関せず、という具合に侵入し、随所を光らせている。鉄くずも水たまりも反射光で眩しくなり、町が体温を取り戻してゆくのが感じ取れる。役人などの元から起きていたひとたちが本格的に被害状況の調査に乗り出し、家の前を掃除しだす人々がまばらに現れた。ランニングに出掛ける人の姿が見え、店の換気扇は朝食の準備のために煙を吐き出した。太陽はそういった人々に軽蔑も尊敬もくれず、ただ温もりと明るさだけを与えている。

 僕は立ち疲れたので、床に腰掛けた。白猫も僕の近くにやってきた。暗黒の夜空は霧散し、昨日までと変わらない黄色い光と青い空がやってきている。

 「そこにいるだけ……。そう、太陽はなにもしてくれやしないのに……!」

 僕の見た太陽は、まさに「ありてあるもの」だった。太陽は明るいだけで、僕のもとに天使を派遣するとか、絶対の信用にたる啓示を下賜するとか、そういった能動的な行為を全くしていない。

 太陽は照らすだけだ。どこまでも明るく、どこまでも慈しみ、どこまでも無償で。打算も贔屓もない、純然たる平等。混沌は次第に白へと溶け、輝かしさが塗り潰してゆく。それ以上のことをしないにも関わらず、何よりも圧倒的。時計の稼働音すらも光の力で滑らかに響く。

 そう。光があった。僕が見たのは、全てを圧倒する朝の太陽である。

 祖父の遺した、厳かで答えのぼかされた啓示に比べ、僕が見たものは余りに単純明快で、淡泊なものだった。僕は太陽に照射されただけだ。

 だが、僕のなかで、全てが変わった。天地万物の表裏、善悪、利害、真偽、正誤。彼の腕は全てを抱き、余すことなく照らして明確にした。それは母の手がものを指して言葉を教えるのに似ていた。僕が日常的に見ているもの、見ることが出来ない暗部にあるもの、気が付いたふりをして気が付いていないものとその逆のもの。僕の視界から零れ落ちているその他のもの。あの数秒に満たない一方的な伝達のなかで、僕は自分が回心とか覚悟とかに近づいた気がするのだ。

 足元の猫は澄み渡った空の色をした目でこちらを見つめ、否定も肯定もせず、ただ「大げさなやつだな」と言いたげにしていた。前足で顔を掻き終わると、また町のほうに目を向けなおした。

 僕は未だに呆けた顔で考え込んでいた。厳密に祖父の狙いを言うなら、彼は僕に「見つめて」欲しかったのだろうか。自分のうちにある「世界」について、舐めまわすように。もしかしたら、祖父は自分も僕と同じ経験をしているのかもしれない。彼も(眼前に広がる風景は別だろうが)この抱擁と光輝の衝撃に自分のなかを探りつくされ、暴かれ切った結果に「時計」に気が付いたのだろうか。

 そうすると、太陽の役目や能力があそこまで単純にも関わらず、強大無比な影響力を与える理由も自明である。太陽は最も日常に浸透した存在であり、我々の全てを照らし出せる。全てが攪拌され、底深くから浮き出てくる。それは無自覚であっても、僕らに明らかな影響力を持ち、無理矢理に内省をさせる。纏めると、「太陽は無意識の自己反省をさせるだけの力を持っているから」、ということだ。太陽に何かを求めることは無意味だ。全ては自分の中と経験にあり、太陽はそれを探し、未来への一手を決める手助けしてくれるのみ。

 水たまりや祭りの残骸における乱反射。僕の心に与えた躍動的で穏やかな暴力。その存在感を証明するに相応しい光景が眼前にあるはずだ。

 僕はもう一度、町の全貌を眺めようとして、下界がやたらに騒がしいことに気が付いた。屋上の縁に腹ばいで進んで驚いた。町の消防隊員や自警団、それに両親や厨房の主の男、その他大勢の野次馬かボランティアかは知らない人々が詰め寄せ、こちらを指さしながら、口々に叫んでいるのである。

 耳を傾けると、どうやら僕が急に飛び降り自殺をしたくなった、ということにされている。隣から見下ろしている白猫は「あいつらは余程に暇人なのだな」と欠伸をしている。無自覚だったが、僕が思索をしていた時間はあまりに長く、両親を不審に思わせるには十分なものだったようだ。救助に来た人々の様子を見る限り、来てから時間はあまり経っていないようで、隊長らしき人が必死に指示を飛ばしている。

「おおい。坊主! 死ぬな、死ぬな!」

 厨房の主の男がそう叫んだ。彼の声が一番大きい。自警団の人間が、「彼に刺激を与えないでください」と男を抑止しようとしている。両親も、動機に対して不審を抱いているのが見え透いた表情で説得をしてきたし、野次馬も無難な言葉を選択して吠えている。カメラのフラッシュが見えたので、物見遊山かジャーナリスト、「生き証人」の気分でいるものもいるようだが。

「ごめんなさい。なるべく早く降りますね!」

 僕は無事であることを伝えようと声を張り上げた。救助隊は僕が錯乱したと勘違いして、安全のために防災用のマットで僕を受け止める膜を作り始めた。その膜には亀裂がいくつか見られ、耐久性を疑問視するような出来だった。この町では自殺者を救う道具に関心があまりないのだろう。だから、維持管理もされていない。

 下界の人間は、果たして僕に生きていてほしいと思っているのか。おそらく大半は結果次第でどちらでもよいと感じているに違いない。もしかしたら、両親は葬儀の追加予約を取ってから、緊急電話をかけた可能性すらある。

 僕は淵からゆっくりと距離をとり、猫を抱えて屋上の出口へ歩み出した。下馬評はともかくとして、僕は生きて帰るつもりだ。そうでなければ、祖父に申し訳ない。

 生きていたいとは思うが、僕はここで死んでもいいのかもしれない。可能性として提示された「時計」に相当する「何か」について、僕は飽くなき疑問を持つ。絵心のないものが、未来を圧巻する名画家になると予言された場合のように。予言と啓示は果たして真実なのか? 僕は太陽に化かされているのかもしれない。

 しかし、絶対にそんなことはないだろう。祖父だって、時計と関わるのが楽しいのか苦しいのか判断に迷っていたし、大事なものは常に万能薬ではない。Delphoiの神託でも、Socratesは初めから信じ切っていたわけではないのだ。

 僕は太陽に見せられた、僕の日常を支える「儀式」をこなし、日々を生きていく。祖父はそれを願い、僕もそれを承諾した。僕は、祖父の示してくれたこの道を信じて生きていこうと思う。

 気温が上がって来たおかげで、塔の内部にいても寒気を感じることはない。擦過傷の痛みももう感じなくなった。階段を一段一段と踏みしめておりつつ、僕は生きて帰ることを強く願った。時計台から帰還しなくては、僕の未来は始まらないのだから。

 祖父の工房にまで戻って来て、偶然、僕は窓際で光るルーペに気が付いた。急に、祖父の形見が欲しくなった。祖父に依存する気はないが、今日感じたものを心に繋ぎ止めておけるものが欲しくなった。不安と懐疑を押しとどめておく現物が必要だった。

「やはり、若輩者ゆえに脆いな。」

 白猫はそう言いたげに小さく鳴いた。侮蔑的ではなかったが、心配をするような響きもなかった。彼は僕のなかの事実を端的に述べただけだった。

 僕はルーペを手に取った。片目にだけつける型で、留め紐は黒だった。細かい傷や手垢の跡があり、祖父と長い間連れ立っていたのが分かる。祖父の目がここにあったのだ、と僕は震えた。恐れ多いように感じたが、祖父の予言と僕の未来を繋げる象徴として、相応しいものに覚えた。

 階下から、救助隊が駆け上がってくる靴音と怒声が聞こえる。僕はこのあと、時計台に上がった理由を詰問され、参列者の少ない祖父の葬儀を経て、面倒くさい諸手続きを手伝い、また大学生に戻る。いずれは時計台が取り壊されたことを知って悲しみもするだろう。そのうえで、次の学期や今後の人生を生き抜いて行けるかも分からない、矮小な存在として日常を過ごす。

 今までと違うのは、僕を支えてくれる「何か」という「儀式」のあること。僕が自分の日常を確認する手段を得たということである。

 僕が迷ったときでも、日々が問題なく過ぎ、僕が生きていることを明確化できる方法がここにあるのだ。僕は学び、生き続けていきたいと思う。

 もう、雨は止んでいた。ルーペを外して外を見ると、綺麗な青空に虹が架かり、常緑樹が青々と並んでいる。桜が咲けば、もっと麗しい光景が浮かび上がるだろう。僕はそういった想像にも、太陽の温もりが遍在するのを意識した。

 白猫が出口へ向けて歩き出した。僕も自分の無事を訴えながら外へと歩みだす。胸に残った、太陽の鮮烈な感動と強烈な威圧とともに。

 僕は今日を忘れない。僕を支えるものを失わない。

 ふと、作業台を振り返る。陽だまりの射すそこに、やはり祖父はいなかった。


(了)

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時計台の太陽 本田育夢 @Ikumu_HONDA

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