【二】(7109字)

 仕事が終わって給料を貰った。都会でやるアルバイトに比べ、矢鱈に賃金が安い気がした。賃金の出るボランティア、という体裁だからだろうか。

 ドアの外は本降りで、柔な材質の傘ではすぐさまに雨を弾けなくなりそうなくらいの雨だった。当然、通りには人はいなかった。雨は砂嵐のように舞い、出歩く気分を削ぐのだった。

 しかし、僕は祖父の家(と、いまの僕の寝床)とは正反対の方角にある、時計台の前にやってきていた。昼間の祖父の思い出が離れなかったからである。

 入口の扉は祖父の鍵がないと入れないため、内観は思い出から想像するしかない。あの豊かで温かなものを、そっと胸の引き出しから取り出すのだ。雨で寒いのも気にならないように感じる。

 一目で年季の入ったものであるとわかる、薄茶色の煉瓦で出来た円塔は、激しい雨にも負けない安心感を放っている。しかし、その実はオンボロで、いつ崩れてもおかしくはないだろう。ピサの斜塔にあるような頑丈さは存在せず、壊れていく過程の途中にある、というのがよく分かる。僕の感じる「安心感」も、他人からは理解されないだろう。

 高さは都会にある十四階立て程度のビジネス・ビルくらいで、壁面に沿ったらせん階段がこの塔を登る手段である。数字にしてみると、かなりの高さがある。思えば、危篤状態に近かった祖父がこの塔を登れていたのは信じられない、奇蹟のようなものだ。

 祖父の工房は三階にあった。この時計台は五つのフロアーで成り立っていて、最上階の五階は足場の狭いふきさらしの屋上だった。

 祖父は毎日、約十七メートルの高さを上がっていたことになる。傾斜は緩いとはいえ、その高さまでらせん階段を登り続けるのは、老体に過度の負担をかけることになっただろう。

 工房のある高さ付近に目を移すと、大時計の文字盤が見えた。雨にぬれ、曇りと光の屈折のせいで文字は見づらい。時計は祖父の工房のあたりに埋め込まれていて、祖父は工房から直接に不具合を治すことが出来ていた。

 しかし、正常な動きをしていても、町の人々は大時計を見ることは少なかった。家庭用の時計や腕時計があれば十分だったからである。電波時計など、アナログの時計より信頼できるものがあればなおさらだ。

 祖父の日課には、誰が見るのかもわからないこの時計を直し続ける、というのも含まれていたはずだ。祖父にとってそれは苦行ではなかっただろう。しかし、万事が楽しい娯楽でもなかったはずだ。

 それは日々が「色褪せ」ないようにするための儀式だったのか。祖父は時計と向き合うことで、それ以上のものを見、それによって死にゆく老人である自分を肯定し続けたのか。

 僕が考えていると、黒いスーツ姿を来た二人の男が声をかけてきた。片方は僕の父であり、もう片方は建設会社の管理職の人物だった。彼らは雨の強さをぼやきつつ、この塔へは取り壊しの工事と、土地の再活用について話すために来たと言った。

 「取り壊すことがようやく決まった。親父が死んで、土地とこの塔の所有者が親父から私に変更されしだい、時計台は解体し、この土地は貸し出す。鍵がないからここの内部を見られないが……まあ、ガラクタしかないだろうから、心配あるまい。」

 父は淡々と事実を述べた(「ガラクタ」という言葉には反発を覚えたが)。それは、祖父の命の終わりが、この時計塔の終焉であることも示唆していた。祖父の居場所に差す陽光が、消え失せるときが近づいているのだ。僕はひそかに唇を噛み、すぐさま取り繕って言った。

 「ついに取り壊すのか。跡形もなく、何もなくなるのだね。」

 「ああ。そうだな。この時代遅れの塔が崩れて死人が出るよりはいいだろう。もっとも、このあたりに人家はないが。」

 父の声に感慨はなく、ただ当然のことを述べる響きだけがあった。思い返せば、父は時計塔に来たことがないのだった。父にはここに思い出もなにもない。おんぼろの建築物のせいで発生した面倒な手続きに対する苛立ちが滲んでいた。

 多忙な研究者である父は家にいたことも少なかった。父には殴られた記憶も撫でられた記憶もない。彼の愛情は現金に還元されていたのだろうか。幼少期の僕に父の与えた影響が見当たらなかった。

 面倒をみてくれたのはいつも母で、母も僕が時計台に来ることをあまり良くは思っていなかった。時計台で飲む水を汲んでいるときも、「今日も行くの」と咎めるような口調だった。「行く」と答えると、「早く帰りなさい」と言い、また無関心に家事や内職に戻っていった。

 母の口癖は「もっと勉強しなさい、ためになることをしなさい」だった。無理にでもやっていたおかげで、僕は大学での勉強について行けているのだろう。もしも、勉強が出来ず、就職するしかなかったら? 僕は生きていけるだろうか。社会的な責任を背負えるのだろうか。

 大学生の僕は一年生を無事に過ごし、世間的な評価として満足いく成績を出せた。しかし、二年生になって、突然レポートが一単語も書けなくなったらどうしよう!

 努力して、求めて、縋ったさきにあるはずの「なにか」は混沌に沈んで見えない。泥と水草のせいで薄汚れた底なし沼を凝視しても、底は見えないように。

 見えないものを追い続ける虚無的な沈降を感じていると、父の携帯電話が鳴った。父は画面を見て、「とうとうか……」とつぶやきながら通話を始めた。僕は気が気ではなくなった。管理職の人間は、傘を器用に支えつつ、煙草をくゆらせ始めた。濁った煙は雨に溶けて見えなくなった。

 父は携帯電話をしまうと、聞いたことを簡略に僕へ伝えた。電話相手は母で、祖父の様態が急激に悪化したのだという。すぐに戻ってきなさい、とのことだった。

 建設業者の人に別れを告げ、自宅へ走って戻る。僕は滑りやすい石畳を全力で駆け抜けた。祖父の死に際を看取ることを、一つの義務のように感じていた。祖父は僕の顔を見ずに死んだら、悪霊になって一生祟って来るだろうとも思えた。なにより、祖父にもう一度、好意を伝えておきたかった。

 雨足は一段と強くなっており、石畳の凹みはいくつもの支流を成して流れていた。季節外れな黒雲が迫っており、月明りすら浴びさせてくれなさそうだ。静まり返った町のなか、自分の駆け抜ける音だけがはっきりと反響していた。祭りに浮かれていた人たちは、雨に濡れないように、すっかりと屋内に避難し終わっていた。町は湿度の高い沈黙の空間となっていた。

 ふと、自分の足音しか聞こえないことを不審に思った。振り返ると、父はそこに居なかった。かろうじて見える人影は遠くにあり、その姿は歩いていた。転ぶのを気遣う余裕も感じられた。一応、急いではいるのだろうが……。

 僕は父に構わず、駆け抜けようとした。僕は自分が祖父への並々ならぬ憂虞を露わにしていることに気が付いた。父が僕の姿をどう思うか、気が揉めた。

 足が滑り、僕は濡れた石の床に叩きつけられた。考え事で注意散漫になったせいで、地面と靴の底の当たり方が具合の悪いものになったらしい。顔は無事だが、肘や膝が擦れてしまった。石材によって刻まれた線や円の傷跡から、紅い血が滲み、やがて垂れていった。湿度が高いせいで、かさぶたになるには時間がかかるだろう。鈍い痛みが熱を伴って、僕を責めた。

 「おい、危ないぞ。擦り傷程度ならば大丈夫に決まっているが。」

 父が追いついて来て、僕に声をかけてきた。「何をそんなに急いでいるのだ」という言外の呆れが窺えた。父は屈んで傷口を見るとか、献身的なことは一切せず、早く行こうと僕に要請した。焦りを微塵も感じない。母から「早く来て」と言われたから、出来る限りそうしようという無感動な性質の声だった。

 僕は「確かに、大丈夫だ」と言い、滲んだ血をなるべく気に留めないようにして道を速足で進んだ。関節を動かすたび、傷口が変形するせいで痛みがぶり返してくる。傷口の疼きを感じるうち、僕はこういう傷は子供のころ以来であったのを思い出した。僕は相変わらず、急いた心情で足を動かした。

 祖父の家までたどり着いたとき、父とは差はそれほどなかった。しかし、数的距離には確かに開きがあった。僕は抱いた感傷を、母から受け取ったバスタオルで拭きとり、着替えをして、祖父の部屋へ向かった。冷たい水にぬれた膝小僧は、まだじんわりと痛んでいる。

 祖父の部屋に居たのは両親と担当の医者だった。父は僕よりも先に仕度を済ませていたらしい。カーテンの引かれた部屋は静かで、外の雨のこだまが部屋に入り込んできていた。部屋の電灯は正常に点いていたが、死にかけの人間が放つ無気力な存在感のせいで、重苦しく気が滅入るような雰囲気があった。

 もっとも、医者はビジネス・テイクで業務的な佇まいだった。両親は「ようやく逝くのか」と言いたげに表面的な悲しみを表していた。この辛気臭い感覚に苛まれるのは僕だけみたいだった。僕は(いまさらだが)なるべく「表面的」に悲しもうとし、この陰惨を感受していることを隠そうとした。

 「病院へ運ぼうとしたのだけれど、強い口調で反対された」と母が言った。母は最期まで在宅での看取りに反対していたようだ。祖父は危篤になるまで介護を必要としていなかった。だから、最後においても、病院の顔も知らない医者や看護師に囲まれて、苦労をかけない死にざまを曝して欲しかったに違いない。彼女にとって、家にいることにこだわった祖父というのは、最期になって厄介と迷惑をかけてきた、煩わしい存在なのだろう。

 祖父は目に見えて衰弱していることが分かった。目の焦点が怪しく、身体に力が入らない様子だった。少年時代に見たころの祖父とは、まったく似ても似つかない姿である。老衰し、死にかけた人間はここまで恵まれない存在になれるのか、と僕は悲しくなった。

 しかし、祖父は僕を認めるやいなや、ベッドから上半身を起こした。その動作は、祖父が一瞬で何歳か若返ったと勘違いするぐらいに、滑らかで強靭さを窺わせるものだった。

 医者はギョッとし、それを止めようとした。すると、祖父は力強く明確に拒絶の意を表した。それは太鼓の響くような声であった。

 「お前らは出ていくのだ。俺は……こいつに話すことがある。」

 祖父は僕を指さした。指の筋肉をしっかりと張って、僕以外に話し相手がいないことを宣言した。医者は引き留めようとした。祖父の頑迷さの理解者である両親は、医者を説得しながら部屋を出た。

 僕は怪我した膝小僧が地面につかないようにしながら、祖父のベッドに寄り添った。祖父の顔をまじまじと見てみると、それは血の気が失われていき、青白いものだった。しかし、そこに二つ存在する黒い眼だけは、射貫くような鋭さを持ち、生き疲れた老人ゆえの慈愛が籠ったものだった。僕は祖父が惨めではないと気が付き、安堵した。祖父の視線には、不思議な力強さがある。

 「お前さん、「時計」は見つかったか?」

 威圧するような響きのある声で、僕は恐れてたじろいでしまった。掠れた息をしていた先ほどとは大違いの、旺然とした発言だった。僕を試すような問いに相応しい声。しかし、話題が子供のときの「あの問い」であると気づくと、懐かしくて柔和な雰囲気も感じ取れたので、僕は部屋から逃げ出すことはなかった。しかし、僕はその質問が来てしまったことで、後ろめたい気持ちになった。

 「見つかってないかな……むしろ、遠ざかったかもしれない。」

 僕は素直に答えた。祖父の表情は変化が少ないが、思案している面持ちだった。

 「大学生になって、僕も二十歳になる。それなのに、まだなにも。」

 僕は思った限りのことを祖父に話した。自分が何を軸にして生きているか、何を求めて生きているのか。他のひとはこのことをどう考えているのだろうか。他人と関係を持つことに意味はあるのか。僕はなぜ勉強するのか。こういった疑問も吐露した。

 「解らなくて当然かもな。でも、ようやくお前も二十になるのか。」

 僕が語り終えたあと、少し間をおいて祖父は頷いた。祖父は「時計」の持つ意味を敷衍して、「何か」をある程度、定義づけているらしかった。ゆえにやや見下ろしてくるような言い方をしたのだろう。しかしそこには、答えを知っていて教えてくれない、学習塾の教師のような意地の悪さを感じることはなかった。

 また、祖父は二十という数字にノスタルジーを感じてもいるらしい。祖父が工房を立てたのが二十のときだったのかもしれない。二十歳というのは、人生を始めるには適切な年齢なのだろう。

 「確かに僕は二十になるよ。今年の誕生日を迎えればいやでも。では、それで何が変わるというのだい? ぼくだけは……ぼくだけは何も変われないかもしれないという気さえしてしまうのに。」

 僕は自分の悩みをもう少し詳らかにしてみた。しかし、祖父はその一言でひどく肩を落としてしまった。先ほどの力強さが弱まった気がする。そんなことを言うな。祖父はそう言いたげだった。

 突然の雷鳴一閃。酷い音を立てて雷が落ち、雷光とともに部屋の明かりが一瞬途絶えた。停電だ。部屋は嵐に惑う、小舟の様に揺れた。僕は地震と見間違う振動に翻弄された。自分が沖に出て難破しているような、酷く不確かな接地感を気味悪く感じた。もう出歩こうとしても出歩けないぐらいの雨の弾幕が形成された。天邪鬼な神様が、祭りの準備を攫っていきそうだ、とも思われた。電気が戻ると、そこには絶望で消えてしまいそうな祖父がいた。

 「何もかわらない、そう思うのか。こう、襟を正すように何かが一瞬で変わっていくような、ああいう感覚はないのか? トンネルを抜けて目が眩んだときのような、そういう戸惑いは?」

 「少なくとも、今は。僕のそういうところは……空っぽだよ。崖の淵に独りで取り残されているような。」

 祖父に対して深い後悔を懺悔しているようだ。祖父の声は上擦っており動揺しているのが明白だった。僕の生きてきた二十年というのは、祖父の問いに一定の答えを出すのに十分な期間だったのか。提出し忘れたレポートのような、非常な罪悪感が僕を襲った。

 祖父から目をそらすと、力の入った手は深い怒りを意味していた。先ほどの憮然とした様子からは正反対だ。血管がグロテスクに浮き上がり、皺も伸びきっていた。今にも殴りかかってきそうな拳だった。

 だが、その怒りが一瞬にして霧散した。祖父が再びベッドに横になったのである。またもや、祖父は一瞬にして老けてしまった。手先も、とても時計をいじることの出来ないようなものに逆戻りした。古色蒼然といった趣ある老体ではなく、残酷で無残な古い肉がそこに現れた。

 「俺の服を入れる棚。そこの下の道具箱に、時計台の鍵がある。」

 僕は突然の言葉に驚いてしまった。祖父はもう一度、語調を強めて同じことを繰り返した(強いとはいえ、傍から見れば衰弱しきってか弱い声だっただろう)。祖父が僕に鍵を渡そうとする意図は掴み損ねた。膝小僧が痛むが、僕はしゃがんで鍵を見つけた。

 「夜明け前に、そいつで時計台に入れ。そして、頂上から暁を見るべきだ。地平線を割って出てくる、飛び切りに明るいやつを。」

 祖父は鍵を見ながらつぶやいた。つぶやきにも関わらず、先ほどのように満ち足りた声だった。自分の持てる限りの力で、道を示してやろうとする、賢者のようであった。

 「理由はわかるか。お前が生きていくにはそうするのがいい。生きたいのならば、行くのだ。いいか、時計台の、朝日だぞ!」

 祖父が咳込んだ。咳は激しくなり、祖父は苦しげに喘ぎだした。僕は反射的に医者と両親を呼んだ。もう、助からないのは分かっていた。祖父が死んでしまうということを率直に伝えたかった。医者や両親は外で盗み聞きでもしていたのか、すぐさまに歩いてやってきた。

 「俺は……失ってしまった。……あの時に、見た、時計の歯車にもある……」

 祖父の言葉は次第に弱々しくなった。そしてついに聞こえなくなってしまった。祖父が僕に最期の伝言をしているあいだ、医者と両親はそれを気に留めずに話し込んでいた。

 僕は静かに涙を流した。目の前で祖父が「遺体」となった瞬間の衝撃に打ちひしがれた。祖父の身体はそこにいるが、そこに繋ぎ止められていたものは、すでに空白になってしまっていた。六十年という年月よりも、彼はもっと遠くへ行ってしまったのだ。

 医者が歩み寄り、脈を見たり、胸の音を聞いたりした。瞼を開け、眼球にペンライトの光線を当てた。締まりのない黒目は、生気のあったことが信じられないものになっていた。

 「臨終です。」

 「解りました。葬儀は明日中に。」

 医者は退屈で気疲れしたような様子で帰り支度を始めた。強すぎる雨に恨み言を吐いていた。勝手に空き部屋を拝借して、泊まっていくつもりかもしれない。両親は祖父の遺体を前に、その処遇を話し合っていた。埋める墓地についてだとか、年金給付の停止手続きだとか。いやに準備がよいな、と感じた。祖父には目立った遺産はなく、そういった話は出なかった。

 僕はその部屋を出て、時計台の見える窓へ近寄った。窓の外では雨雲が縦横無尽に広がり、悪意すらありそうな勢いで雨粒を投げ込んで来ている。煉瓦の屋根で、硝子の窓で、鉄筋コンクリートで、水が跳ねるのが見える。僕は猛烈な嵐へ耳を澄ます。祖父の伝言を咀嚼しながら。

 祖父は、この嵐がやって来る扉を開けたのかもしれなかった。死にゆく自分が、孫に残せるものを考えて、置き土産をしようとしたのかもしれない。

 そして、その扉を閉めるのは自分なのだろう。二十年で気が付けなかった「何か」を手繰り寄せることが、祖父への感謝と贖いになる。

 僕は明日、時計台に行って朝日を見なくては不可ない。

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