【一】(7175字)

 太陽はそこにあるだけで、僕らのなかの多くを見透かしてしまう。

 僕がそれを学ぶ前の日。霧雨のじめじめとした空気がアルバイト先の厨房に充満していた。沈鬱した気分のなかで、僕は野菜を切る手を止め、家で死にかけている祖父の顔を思い浮かべた。空想のなかにも、細断された雨粒が入り込んで来た。

 大学の春休み初日。郷里の町役場から連絡があった、と両親から電話があった。祖父が仕事場である時計工房に行く途中で倒れていたらしい。通りがかりのひとが救急車を呼び、搬送された病院の医師が所見とともに報告してきたのだ。

 移動手段の確保は割とすぐに済んだ。町に着いてすぐ、祖父の家に向かった。貧乏と小金持ちが一緒に住んでいる、アパートメントの一階の一画である。祖父は貧乏のほうに属していた。しかし、根暗というか、付き合い精神がないというか、その頑迷な気質のせいで、その共同体においても交流は少ない。

 役所の配慮で、祖父の部屋に隣接する空き部屋を二つ、貸してもらえることになったらしい。先に到着していた両親はその片方に落ち着いていた。自分の荷物整理もほどほどに事情を聞く。両親は、道端の犬の生死を語るように、相当の無関心を滲ませ、医者の言葉をそのまま引用した。表面上は悲しんでいるように見えた。世間体という理由があるためだ。

 祖父はもう長くないということがはっきりと口にされた。

 祖父の希望で、在宅での看取りが選択された。祖父は病院嫌いではなかったが、これを殊更に強く主張した。祖父は医療経費や遺産関係など、業務上のやり取りを除き、あまり口を開きたくない様子だった。

 精密機械を扱っていたころの巧の腕は、感覚が麻痺したせいか動かすのもおっくうそうだった。開いた手を握るのにも苦労していた。

 こういった記憶が、五日ほど前のことである。衰弱は日に日に進行している。食事に苦労する祖父を思い返したところで、厨房のドアが開く音がした。

「おい、坊主。野菜はどのくらい切れた?」

 厨房の主である男が僕に声をかけてきた。声に遠慮や同情はなく、アルバイトに話しかける口調としては適切すぎるものだった。

 「四分の三くらいは切り終わりましたよ。」

 「すまないな、身内の不幸のときに。ただ、この祭りも町おこしの大事な行事の一つだ。明日の本番のためにも、労働力は多ければ多いほどいい。」

 男は特に「不幸」をさらりと言い切った。形のうえのものを除けば、とくに配慮などは感じ取れなかった。僕はピンで刺されたような胸の痛みを無視し、包丁を動かし始めた。

 僕はいま、この町に伝わる「豊穣祭」の準備を手伝わせられている。祖父の危篤にも関わらず、僕は公の行事を優先しなくてはいけなかった。

 まず、「暇な時間」が多いと町の皆から見做されたのだ。祖父を看取ると言っても、死ぬまでずっと寝室で一緒にいる、というわけではないからだ。その時間を「無為」に過ごすのは、またその姿を見られるのは、あまり気持ちの良いものではない。

 「無為」。そう、祖父の危篤は、祭りよりも重要度が低かったのである。

 祖父は利発でもなく、工房に閉じこもって時計とばかり話す男だった。町の人たちからすれば、さほど接点もない人物である。辛うじて会話の機会があっても、冷淡かつ無愛想に応対されただろう。この町で「陰気で根暗な時計屋」と言えば祖父のことだ。

 陰々滅々とした祖父より町おこしのための祭事が重要なのは明白だった。

 そして、僕はここに一時的に住んでいる身だ。長く見積もって一週間ほどだが、体面というものがある。一応は生まれ故郷であり、そこのひとたちから邪険にされるのは厳しいものがある。

 この町において、祖父に好意的な感情があるのは僕だけだろう。祖父と親子関係にある父でさえ、祖父の頑固で盲目な姿勢に嫌気がさしている。

 僕は努力する必要があった。異端者にならないために。

 「坊主。切り終わったら、昼食をおごってやろう。」

 「ありがとうございます。すぐに終わらせます。」

 残りの野菜を切ることに専念し、正午過ぎに作業を終えた。湿度が高く、額や脇の下が薄らと汗ばんでしまった。

 切った野菜は、祭りで提供される郷土料理のものである。ポトフのような味の、野菜粥である。無事の収穫や無病息災を祈願して作る、滋味のある料理だった。

 二十年くらい前までは、地元の農家が作った野菜が用いられ、使われる野菜にはそれぞれ呪術的な意味があるという言い伝えが鮮明に残っていた。例えば、紅菜苔という、アブラナ科の花芽や茎を食用とする野菜は紫色をしている。その紫色は、夏に雷神とともにやってくる、悪戯好きな「嵐餓鬼」という存在から野菜を守る御守りを象徴しているらしい。

 しかし、時代とともに都市部への輸出用の作物ばかり作るようになり、いまここにある野菜は別のところから輸送したものが大半である。件の紅菜苔も、ただの人参に居場所を明け渡していた。

 昼食はその野菜粥だった。形の悪い野菜を用いた、まかない料理である。味付け自体は悪くないが、歯ごたえがなかった。しっかりと郷土料理の言い伝え(現存していれば、だが)に従って作れば、もっとシャキシャキとした食べ応えになるのではないだろうか。平穏無事を祈るものならば、こんな中途半端な食感はいただけない。

 「そうだ。みんなはどうしているのだろうか。」

 特に連絡もせずに飛び出してきたため、SNSの投稿が数日途切れていた。僕はスマート・フォンを起動し、コミュニケーション・サイトに繋がるアプリケーションやブラウザを見て回ることにした。

 案の定、大学の友人たちからメッセージが届いている。安否を気遣う言葉が、メールやダイレクト・メッセージの形で届いていた。

 彼らの掲示板やタイム・ラインを眺めると、「来週、カラオケで徹夜したい」とか、「人気のアイドルがどこそこでライブをやる」とか、アルバイト先への愚痴だとか、誰に向けているのかわからない雑言が闊歩している。

 僕はスマート・フォンのカメラを昼食に向けて撮影した。その写真と短文のメッセージをつけてインターネット上へ投稿する。「「豊穣祭」の準備中。忙しくて大変です」、「でも。郷土料理の野菜粥が美味しい」と。

 昼食を食べながら、届いた返信や友人の別の投稿に目を通した。数が多いので、必然的に流し読みになる。野菜粥は、ほぼ飲み物に近いので食事に注力する必要はない。

 歴史の年表を見せられているときの嫌な気分になるが、円滑なコミュニケーションのためには情報が不可欠だった。友達との会話の題材は、これらから出題される。

 ある話を読んでいると、別の話が更新され、それを追うようにまた別のひとが話だす。彼らは自分の話が、さも記録的な事態であるかのように自慢する。

 SNS上では誰もが歴史の生き証人になれるらしい。

 誰かとの不確かな共感を確かめずにはいられない。ときには共感のために嘘もつく。二枚舌が三枚舌、もう一つ増えて四枚。増え続けて舌で窒息死しそうだ、と僕は思った。

 昼飯を食べ終え、SNSを見終わると、母から電話が入った。画面に表示される通話ボタンを押すのが躊躇われた。祖父に聞こえない隣の部屋から、やけにはっきりとした声で、祖父が確かに衰弱していることを告げているらしい。

 「今日か、明日か。少なくとも一週間以内には死んでしまうって。」

 僕は祖父への好意を大きなものに見せないように努力していた。だから、母の事務的な声にも平坦な回答を心掛けた。

 「そうだね。家に帰ったら、声をかけに行っても構わないかな。」

 「別に伝染病じゃありませんし。いつでもお好きにして下さい。」

 そういうと、母は通話を打ち切った。僕が返事をする間もなかった。そこへ雇い主の男が扉越しに声をかけてきた。力仕事にでも行っていたのか、息が上がって、汗が張り付いている。

 「坊主。休憩していいぞ。」

 昼食の食器を片付けて、腹ごなし(というほどに満腹ではないが)の散歩に出かける。霧雨はやや強くなっていた。僕は厨房の主の男からビニール傘を借りた。ドアをあけると、身体を舐めまわすような湿気の渦が僕を包んだ。灰色の空が陰鬱で、散歩を取り止めようかとも考えた。

 ソーシャル・ゲームで時間を潰すのは勿体ないので、石畳を踏み、木造・煉瓦・鉄筋といろいろな種類の建物が並ぶ町を歩いていく。祖父が死ぬまえに、祖父の生きた町を歩きたいと感じた。

 町は雨でどんよりとした様子だが、祭りに向けての意気込みが感じられる。商店では祭事用の記念品が売り出され、酒屋の酒は少し安くなっていた。食物や遊戯の屋台と思われる骨組みがいくつか出来ており、販売を始めているものも見受けられた。

 向こうから走って来る子供たちは、長靴とレインコートを身に着けてはしゃいでいる。長靴が踏んだ水たまりが割けて、水滴が飛んだ。飛び跳ねた水滴は元気良かった。

 商店で恋人たちが今の役人が考案した記念品を見ておしゃべりをし、酒屋からお酒が売れて消えていく。花屋では造花の花飾りが編まれていた。

 明日の祭りでは、子供は遊び、大人は飲みつぶれるのだろう。

 豊穣祈願や成人の儀式の名残として、町役場前で演舞や歌謡が行われるのは聞いているが、それはもはや祭りの中心ではない。飲み食いし、浮かれた気分を共有して楽しむのがこの「豊穣祭」におけるメイン・プログラムだ。いつもと違う雰囲気と気分のなかで、享楽を得ることが目的なのだ。

 明日の祭囃子の響きが、今ここにも響いているように感じられる。

 そのなかにおいて、僕は先ほどの母の声を思い返す。迫真からは程遠い、あの平坦な声を。

 祖父は死ぬのだ。あの時計好きな彼が死んでしまう。僕は立ち止まった。湿気のせいで、靴下が気持ち悪いことになっている。僕はコンビニの軒先に避難し、靴下から水気を絞った。

 ふと、町はずれの時計台が見える。祖父の仕事場がある、背の高くて目立つ煉瓦の塔だ。その高さは都会のオフィス・ビルにも匹敵する。あそこで祖父が仕事をして、生き続けていた。偏屈で内気な祖父だが、僕は彼が好きだった。比較的安定した気候の地とはいえ、冷暖房などの快適装備がないあの塔に仕事場を持つことを唯一心配していたのは僕だけだ。いや、医者や些かの興味を持ったひとが気にしていたかもしれない。いつか死ぬだろう、と無関心を装いながら。

 特に工房で時計と向き合う姿が好きだった。太陽の柔和さを包み込んだ、煉瓦の安らぎがあった。そんな工房で、金属や何種類ものオイルの匂いに包まれながら、二人きりで居た記憶は宝物だ。少年時代、この町に住んでいたころにはよく工房を訪れ、歯車と格闘する祖父を見ては喜んでいた。

 「おじいちゃん、時計作りは楽しい?」

 あるとき、無邪気にこんな質問をしたことがある。僕としては、唇の端をゆがめて、分かりにくい微笑を浮かべるものとばかり思っていた(そして、それが分かる僕は、やはり特別なのだと温かい気持ちになるのだ)。祖父は長い沈黙ののちに、答えを口にした。僕が驚いたのは、予想に反して、祖父が思い詰めた顔をしていることだった。感情の起伏が激しくない祖父が、自分が深い思索をしたことを、その表情で表したのだった。僕は祖父の見たことがない姿に対し、子供らしく素直に驚いていた。

 「……楽しいのか、これは?」

 僕は、祖父は時計がこの上なく好きで仕方がないから時計職人なのだと思っていた。だから、この返答は意表を突くものだった。祖父の難しい表情はなおも続いていた。祖父は手元の時計の歯車を睨み付けた。

 「楽しくない、と言えば嘘になる。しかし、楽しいからというだけでは……ないな。もっと、別のものがある。」

 祖父は僕が幼いことも忘れ、難しい言葉で持論を話しだした。その切り口はこうである。

 「おい、お前は何を軸に生きておるのだ。なんのために生きている? これさえあれば生き抜いていける、と断言出来るものはあるか。」

 祖父は僕の名前を呼ぶと、唐突にこう質問してきた。十にも満たない少年に対し、過度に哲学的すぎる問題を出してきたのだ。祖父らしい話し方であるとは思うが。だが、少年には適切な答えを探す材料が少なすぎた。「抽象化」とか「論理立て」とか、といった作法にも知識がない。

 「んー、どういうこと? 遊びに行くの、楽しいよ! でもお勉強はイヤだし、一人きりでいて、さびしいときもあるなぁ……」

 確か、自分の返答はこうだったはずだ。思い返せる限りの日々の感情を素直に話してみた。祖父は窓の外を遠目に見ながら言った。

 「しかし、俺のような年寄りになると、詰まらないことを考える時間も多い。周りの連中が後ろ指を指そうと全く気にする気はない。しかし、女房もいなくなり、目が悪くなるとかで老いを意識すると、どうにも心が埋まらん。空っぽなところができてしまうな。」

 歯車の微細な運動の音だけが響いていた。こちこち、という音から時間が過ぎ去りゆく音が聞こえていたが、それを感じるには当時の僕は幼かった。

 昼間の陽光が金属板を照らし、室内は明るかった。それに反して、祖父の表情には陰りがあった。僕はそれを好ましくないものに感じ、なんとかして明るくなってほしいと願って次のように聞いた。

 「おじいちゃんは、毎日が楽しくないの?」

 「違うぞ。老いることが、即ち死にたくなることではない。俺はむしろ生きていたい。俺の人生は楽しいこともあるし、辛いこともある。毎日は平たんな道路ではない。起伏があって結構。」

 祖父はコーヒー・カップを傾け、一息ついた。祖父はブラックでしか珈琲を飲まなかった。時計台には冷蔵庫が無かったし、砂糖やクリームは祖父の嗜好に合わなかった。

 「しかし、そういう生活が急に色褪せてしまうことがあるのだよ。流れる時間は鋭い硅石のようで、身体や心には悪いものだ、と考えてしまうことが。」

 当時の僕には「色褪せる」の意味が解らなかった。「硅石」とはなにかを知らなかった。しかし、祖父の表情が雄弁に話の中身を物語っていたので、話に付いていくのには困らなかった。

 「俺は生きている。しかし、生きているからなんだというのだ。」

 僕は祖父の独白に圧倒されていた。雰囲気から、幼稚な自分は口をはさんでは不可ないことを感じ取ったのだと思う。そのときの祖父は、僕とは違う大きなものに対面し、それの正体を問い尋ねる旅人のようであった。祖父はこの問いを発するだけで、やたらとくたびれしまったように見えた。

 しかし、彼は次の言葉を、不思議なほどの活力をもって言い切ったのだ。

 「そんなとき、ここには時計がある。俺がここにいることを指し示すのだ。空っぽを埋める「なにか」も時計だ。」

 祖父は時計を胸元に掲げて言った。コチコチと時を刻む音が脳裏に焼き付いている。僕にはそれが、祖父の心臓と共鳴し、新しい意志を生み出す存在に昇華していくように思えた。

 「お前に、そういうものが見つかるといいな。」

 祖父は工具を置き、汚れた手を拭ってから、僕の頭を撫でた。祖父に撫でられたのは、これ以外に片手で数えられるほどしかない。撫でたときの彼の顔は無愛想なものに戻っていたが、手の温もりは確かに祖父の愛情ゆえのものだったと記憶している。

 「おじいちゃんみたいに時計なのかな? そうだといいな。」

 「さあ、それはお前が見つけるものだから、俺は知らん。」

 祖父はそういうと、僕の頭を撫でるのをやめた。そして、何事もなかったように机に戻った。それから夕暮れの「もう帰れ」の言葉まで、僕と祖父は会話をしなかった。

 今ならば、祖父の問いを理解できる。しかし、返答は出来ない。僕と祖父には少なく見積もっても六十年近い隔たりがある。それだけの経験と知識の差があり、何を語っても、祖父は「若造が偉そうに」としか言わないだろう(それは皮肉らしい語調で口にされることは決してないが、さりとて積極的な授業参加を褒めるように言われるわけでもない)。

 もっとも、僕は本当に答えられないのだった。自分に、祖父にとっての「時計」があるとは思えなかったのである。秒針が動くことで、何かを伝えてくれるものはあるだろうか。僕が途方もなく迷ったときに、道を示してくれるものはあるのだろうか。

 友人や家族、知り合いの関係性を日々確かめて生きてはいるが、しかしその関係の大本は、暗い闇の中にあって見えない。日々を生きるのは、この糸の大本へたどり着こうとすることなのかもしれない。しかし、先の見えないこの行動は、僕になにをもたらしてくれるのか? それに、ちゃんとたどり着ける保証はどこにある?

 実はすでに根元が切れていて、いつの日かそれが分かって絶望するかもしれない。必死になって縋っていたものに無事辿り着いたとして、それは腐乱した死体や、惨めな襤褸切れに過ぎないかもしれない。

 なるべく真実に辿り着く道を多くしようと、人々は声帯を震わせ、電気信号で通信し、即物的なものへ熱心になる。

 果たして、それに意味はあるのか?

 僕が暗い思考に囚われかけたとき、霧雨がまた強くなりだした。コンビニの軒先から大粒の雨水が垂れ、道路を跳ねる雨滴は確実に強さを増しだした。コンビニからは、ビニール傘を買った男が舌うちをしながら出てきて、どこかへ去っていった。

 道を見てもひとの気配がなくなっている。雨が祭囃子を押し流そうとしているようだった。雨の降り方は、すてばちになって暴れる子供のようにも思えた。遊びに混ぜてもらい損ねたのか、凄まじい荒れようである。

 祖父の死に沈む自分と、町の様子がようやく調和して、僕はなんだか安心している。町からはお祭りの前座と言った風体は消え失せた。側溝から排水溝へ落ちゆく音は、祭囃子よりも好みだ。

 時計台の文字盤を見ると、休憩時間が終わりそうだった。スマート・フォンで見ても間違いない。

 僕は急いで戻り、残りの野菜を調理することにした。

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