第五章 英雄の肖像

   一

 全ての個にはが存在する。

 人間だけではない。動植物や木石でさえ、個という単位で計れば同種同族の他者との間には違いが存在するのだ。

 物質を構成する分子でさえ。

 それを構成する原子、更にそれを構成する電子や中性子でさえ、量子的な観点で見れば差が存在する。

 故に、個として現世に在るモノは、他との差によって格を強いられてしまう。そして格とは運命が支配するシステムにおける資格や手形のようなものであり、より高い格を持ち合わせた者ほど自由と繁栄を手にできるというわけだ。

 生まれ落ちる場所、生きてゆく道行き、体格や容姿、人格さえも、世に生まれ落ちる瞬間ランダムに手渡された札で決まってしまう。カードに記された格という名の運命を指して人は呼ぶのだ。


 才能ギフト、と。


天よりの授かりものギフト”―――嫌な言葉だと思う。

 それは、神が差別好きのトリックスターである何よりの証明だからだ。

 幼い時分の記憶が胸を締め付けてゆく。

 敬虔なキリスト教信者だった母は、寝物語に聖書の逸話をいくつも読み聞かせてくれた。

 自分の知る誰よりも母は神を信じていた。

 教義が説く在り方を信じ、神の救いを心の底から祈り続けていた。

 生まれつき身体が弱く、ド田舎の静養所と自宅を行ったりきたりしている有様だったこともあるのだろう。

 他人の助け無しには生きられない人間だったからこそ、きっと誰よりも人の善性を信じるようになったのだ。

 信じているからこそ、信じられたのだ。

 神を。

 そして神の言葉とかれた宗教の教義を。

 生まれ持った虚弱を嘆くのではなく、これはきっと他者の善性を信じられる人間になりなさいと神が与えてくれた贈り物なのだと信じて。

 誰よりも人を信じ、神を信じ、真摯に家族の未来を祈り続けていた横顔を覚えている。

 祈りを終えて、開いた眼差しが映す最初になりたくて、いつも母親のかたわらで祈っていた。

 いつか母が元気になれますように、と。

 いつまでも母が神を信じる人であり続けられますように、と。

 そして―――長くはないのであろう命が尽きる最後まで、その美しい心を曇らせる“悪”が、どうか母の前に現れませんように、と。

 幼かった俺は心から祈っていたんだ。

 母が信じた神を、俺も信じていたかったから……。



   *   *   *   *   *



 鋭いビープ音に、アンディ・ハレーは我を取り戻した。

 コックピットにおける長い待機の退屈で、我知らず寝入ってしまっていたらしい。白いパイロットスーツとヘルメットの拘束感は窮屈ではあるものの、もはや慣れ親しんでしまい、ストレスをあまり感じなくなっている事も一因なのだろう。

(久しぶりにみたな。あの夢……)

 夢うつつの残滓ざんしが意識の片隅をたゆたっている。懐かしくも暖かい記憶をしかし、今は反芻はんすうしている時間は無かった。

 眼前でビープ音をがなりたて続けているヘッドアップ・ディスプレイのタッチパネルへ右の人差し指を伸ばす。点滅している“CALL”表示に指先が触れると、無機質なシステム表示を羅列させていた正面の大型ディスプレイに小ウィンドゥが開いた。

 接続された通信回線を通して小ウィンドゥに表示されたのは、苛立ちを浮かべた女性仕官の顔だ。白皙の肌と秀麗な眉目は美貌と呼んで差し支えの無い顔立ちだがしかし、今は深い緊張徒と険が浮かび、青い双眸の怜悧れいりさも手伝って剣呑な雰囲気を放ち続けている。

『コールにはすぐ出なさい。ハレー少尉。何のための機中待機ですか』

 高圧的な声音とともに女性仕官―――ローレル・クインシーは右手の杖を突きつけてきた。簡素な軽合金製の杖は、艦の指揮権を預かる長の証である指揮杖だ。

「そんなに怒るなよ。せっかくの美人が台無しだぜ? お、髪また短くしたのかよ。もったいねぇなぁ。結構、似合っていたのに」

 軽口に、ローレルの険が更に深まる。出立前に切ったのだろう。長い遠征任務中は無精で肩口まで伸びていた金髪が、今は以前のショートカットへ戻っていた。

『……営倉をお望み? 今なら、セクハラでも上官侮辱罪でも好きなだけ罪状を並べ立ててあげられるけれど?』

「悪ぃ。悪ぃ。状況は把握しているよ。ライトニング少佐の予見通り―――いや、それ以上の獲物がかかったんだろう?」

 右手のサイドモニターへ横目を走らせる。

 そこには、無数の小ウィンドゥが様々な情報や画像を煩雑に表示させていた。艦の情報システムとリンクし、引き出した情報群だ。パイロットの脳波による機体の思考補助制御システム―――S-Linkと連動したフィルタリング処理によって、パイロットが必要とする情報だけを自動選別して優先度順に表示している。

「こんなに早くリベンジできるとはな。今日は、ツいてるぜ。フューリーと、あのガキには山ほど借りがある」

 言い放ち、ヘルメットのバイザーの奥で不適に口はしを吊り上げる。

『馬鹿を言わないでください』

 だが、ローレルの反応は冷ややかなものだった。

『敵艦の存在を確認できただけで十分です。我々の任務は、あくまで宙域の哨戒と、敵が残した機雷撤去による掃海だということを忘れないように』

「はぁ!? なんだよ。それ。フューリーを鹵獲する絶好の機会じゃないのかよ」

『馬鹿の上に[[rb:阿呆 > あほう]]ですか。あなたは』

 感情極まって頭痛を覚えたのか、ため息混じりにローレルが左手で伏せた顔を抑える。

『今この艦に幻想機は9号機しか無い事を忘れたの?』

 本来は3機の幻想機を保有するソードフィッシュだが、本営の意向により12号機は基地待機、そして10号機はライトニング少佐とともに秘密裏に基地近傍の宙域へと舞い戻っている。

『同じ幻想機―――それも相手はフューリーと、あのレイジ・トライエフです。幻想機に乗って日も浅いあなたでは、五分五分どころか返り討ちに会うのが関の山ではなくて?』

 怜悧な眼差しがアンディを射抜く。だがしかし、アンディは不敵に鼻を鳴らして口端を吊り上げると、左手でをファンクショントリガーへ差し入れた。

 五指がリング状の鍵盤キーを通るのと同時にカバーが閉じ、手首から先が固定される。フローティング式の固定部は底部がレバーにもなっており、切り替え操作によって操縦桿や画面のマウスポインター操作も兼ね合える仕組みだ。

「“I have control”」

『……どういうつもりかしら?』

 一方的に放たれた一言に、ローレルの険が深まる。その双眸はもはや味方を映してはいなかった。

「“I have control”」

 ふたたび繰り返された言葉に、無言のままローレルは指揮杖を振り上げた。アンディが乗る機体は未だ艦の管制下にある。指揮杖が持つ艦内システムへの強制命令権を行使すれば、機体の発進どころか即時停止とアンディの拘束は容易だ。



 ―――と。



「“You have control ”」

 艦橋内に女性オペレーターの伸びやかなアルトが響き渡った。

 驚きとともに振り返った先では、傷だらけの面を持つ禿頭の男が、ねぎらうように女性オペレーターの右肩を軽く叩いて何かを呟いていた。

 威圧的な風体の男だ。2メートルを超える身長は隆々とした筋骨で厚く、袖口からのぞく手は異様に節くれだっている。まさに筋骨隆々とした巨躯を軍服へ押し込めたといった形容が似合う。

 そんな男に女性オペレーターは曖昧な笑顔で首肯し男から、はたまたローレルの視線から逃れるように慌てて管制装置へ向き直ってゆく。

「グスタフ大尉。何故……」

 憤懣ふんまんやるかたない感情をぶつけるように靴音を立て、歩み寄ったローレルにグスタフは困り顔で肩をすくめた。

「何故も何もない。知っているだろう? 幻想機は特別だ。そしてそれを駆るパイロットもまた、艦の指揮系統とは切り離された単独行動権を有している。こちらが駄目と言ったところで、その気になれば勝手に出て行けるような輩を無理に引き止める意味は無い」

「冗談ではありません。これは重大な命令違反です。軍規に則って厳重な処罰を与えるべきです!」

「たしかに軍規は重要なのだがね。水面を見つめているだけでは、その深さをはかれんよ。時には石を投げ込み、波立たせることが布石となる事もある」

「だからといって、こんな勝手を許せと?」

「実力を知る良い機会だと言っているんだよ。あいつと9号機の戦闘を、俺は断片的な記録映像とシミュレーションでしか知らないのでね。実戦で使える奴なのか否かについては、大いに興味がある」

「グスタフ大尉!」

「安心しろ。責任は俺が持つ。上とライトニング少佐には、俺が勝手に指示を出したとでも報告しておけば良いさ」

 詰め寄るローレルの言葉を涼風のように聞き流しながら、グスタフは艦橋の中央に設置された六角形の戦術モニターテーブルを見やった。

 宙空へ投影された幾枚もの艦内カメラ画像の一つに、一基の巨大なひつぎが映っている。

 艦内の効率的な艦載と運搬を目的として、中央製の艦船が備える艦載機格納棺―――ブラスト・コフィンだ。

 各部に艦載機射出機構とのリンカーを備えたそれは、艦載機発進時のカタパルトも兼用している。

 画面の中でブラスト・コフィンの外郭が展開し、一機のブラッディ・ティアーズが薄明かりの中でおぼろげなシルエットをさらけだし始めた。

 腰部後ろの懸架用接合部を残して両腕と両足の固定部が開放され、背部のメインフレームへと引き込まれてゆく。同時に顔面のセンサースリットを閉ざしていたシャッターが開かれ、内より溢れだす燐光が暗闇に三つの十字架を浮かび上がらせた。

「デス・カード……」

 ローレルの唇が、忌々いまいましげに機体の名をつむぐ。

 死神の卦札デス・カード―――真実の己マイセルフかんする機体でありながら、その個体名はあまりに禍々まがまがしい。

「ハレー少尉。単機での先行を許可する。ただしエンパス・システムの使用は禁止だ。逆にフューリーからシステム発動の気配を少しでも感じたなら即時撤退しろ」

 デス・カードのコックピットを映した画面の中でアンディが首肯しゅこうする。

「本艦はこのまま直進し、敵艦の左舷側をすれ違いざまに艦砲を叩き込んで離脱する。デス・カードは先行して、敵艦の左舷を叩け。推進ユニットをやって敵艦の足を止められれば最上だが、あちらの艦砲を削ぐだけでもかまわん。相対速度差から予想される戦闘可能時間は15分弱だが、艦の足は緩めん。取り残されるなよ」

 艦橋の各員へ戦術指示を飛ばしながら、ローレルを振り返る。

「艦長代理。あとの指示は任せる。俺はブースターユニットを担いだ機体で待機していよう。万が一、彼が戻れなかった場合には、合流ポイントの指示を頼む」

「わかりました」

 敬礼をかわし合う足元を微震が襲う。

 機体の発艦機構によってデス・カードが射出されたのだ。

 艦橋中央の戦術監視用モニターテーブルが球状の三次元地図を宙空へ投影し、内に敵艦とソードフィッシュの相対距離や予測進路を初めとした情報を羅列し始める。戦術コンピューターが本格稼動し、戦闘状況の監視と情報の記録を開始したのだ。

(見せてもらうわよ。裏切り者のテレパシスト。ヒュエル少佐たちが言う通り、あなたが有用な駒なのか否かを、この目で直接ね)

 艦橋を去るグスタフの背姿から目を戻し、ローレルは指揮杖を振るって細かし指示を飛ばすのだった。



   二

 10秒にも満たぬ短い加速は終わりを告げ、軽くなってゆく負荷とともに噛み締めた奥歯から力を抜いてゆく。

 入れ替わりに顔を出した口中の違和感を意識する。食いしばりによる歯の損壊防止のため、中央軍が標準採用しているマウスピースの感触だ。下側の歯列へ装着する合成樹脂性のマウスピースは、噛み合わせの厚さ0.2ミリという極薄のシート状のものである。その薄さのため違和感は小さいが、マウススピースというもの自体に不慣れなアンディにとっては不快感が拭えない。

 勿論もちろん、古くからボクシングを初めとした近代スポーツにおいて証明されているマウスピースの有用性については疑う余地は無いのだが、身の内まで兵器として手を入れられたかのような潔癖意識の琴線が震えてしまうのだ。

 子供の時分から身体の感覚が鋭く、常に指先の一つ一つにまで繊細なまでの感度と制御を利かせられた才能がそうさせるのかもしれない。常人であれば、長い年月と反復によって身に着けるはずの身体制御能力を、アンディは身体的な才能として有しているのだった。

 思考と実際の肉体の動きとの差がほとんどない事が、実は特別な事なのだと知ったのは士官学校へ入った直後の検査でのことだった。

 他人より少々、運動が得意で手先が器用なだけ、そんな程度の認識がくつがえされた日の驚きを覚えている。


 ブレッシング・チャイルド。


 身体の神経網の形成・発達時期にテレパシー・シンドロームを経た一部の子供たちへ付けられた二つ名だ。

 テレパシー・シンドロームによる脳神経への高負荷は、多くの人間に一時的、または永続的な障害をもたらした。だが、極めて少数の者にだけは、逆の結果をもたらしたのだ。それが、神経の先鋭化による高次での体機能拡大効果である。

 備えた才能へのブースト効果とも呼べるこの効果により、ある者は天才的な知能指数を、ある者は人並みはずれた反射神経を獲得し、文字通りの神童としてテレパシストの優性を木星圏の人々に確信される一助となっていったのだ。

「才能、か」

 普段の軽薄さはなりを潜め、陰鬱な表情でアンディが呟く。

 天才と、そう自身がうそぶいてはばからない才能―――世界に何をもたらすこともなく、何に貢献することもなく、ただただ己個人を優れた兵器の制御部品へ貶めることしかできない才能を、かつては忌避きひし、だが今は自身に残された唯一として振りかざす。

 戦うことしかできない。

 裏切ることでしか、自身の望みをかなえられない。

 本当に欲しかった才能は“強さ”ではなかった。だが神がアンディに授けた贈り物ギフトは、誰よりも早く引き金を引く才能であり、それを成し得る幻想機だった。

 死神の卦札デス・カード

 皮肉な名だ。弱さを誤魔化すための道具にすぎなかったはずの卦札カードが、逆に運命そのものとなってアンディを取り込もうとしているかのようにすら思えてしまう。仮面を被っていたはずが、気づけば自身の顔そのものとなってしまっていたかのように。

 自分は、変わり果てようとしているのだろうか。

 そんな疑問が浮かんでは消えてゆく。

 狂おしいまでの使命感と情熱に突き動かされるまま成した裏切りの痛みが、心の輪郭を突き崩そうとしてくるようだ。欠け落ちた心の欠損を、妄執もうしゅうという名の炎で埋め合わせようとしている自身の醜さに吐き気が止まらない。

「それでも俺は……こうすることでしか進めない……こうすることでしか。あの約束を果たせない……」

 呟く胸裏を、切り捨てたはずの友たちが過ぎる。

 自分とは別の素質と才能をもった彼らが自分の立場だったのなら違ったのだろうか。

 裏切ることなく、切り捨てることなく、望みを果たす道を見つけられていたのだろうか。

 明晰めいせきなる優しき友よ。

 明朗めいろうにしてゆうなる友よ。

「……阿呆くさい。この期に及んで泣き言かよ」

 自嘲とともにかぶりを振って、埒もない考えを振り払う。

「俺は、俺だ。どこまでいっても、何をどうしようとも俺のままだ。俺のまま……俺は往く」

 左手のファンクショントリガーでキーコードを打ち込み、感情抑制器FREを起動させる。

 熱く波打っていた感情が水を打ったように沈静化し、遠ざかる衝動と引き換えに氷を差し込まれたかのような怜悧さが身の内を占めてゆく。額が冷たい。パイロットスーツ背部のコネクションを通じて供給された電力により、ヘルメットが脳神経の加熱防止機構を作動させ、頭部のアイシングを始めたのだ。

「デス・カードよ。俺を導け。あの場所へ、俺を再び降り立たせろ。それさえ叶えてくれるのなら、何だってかまわない。たとえその果ての結末が、おまえの名が示す通りのものだったとしても」



   *   *   *   *   *



 無窮むきゅうの空間を一機のブラッディ・ティアーズがけてゆく。

 航宙機をベースに量産兵器として規格化された木星軍のそれとは一線を隠したデザインラインを持つブラッディ・ティアーズだ。

 一見してワンオフの特殊品と知れる外観は、古代日本の武者鎧を彷彿とさせる無攻撃的なシルエットをしていた。

 ブラッディ・ティアーズの特徴の一つである長肢多関節化された左腕がそなえるSSTシールドは、頂点が基点から頭部辺りまでと長いのに比べ、下部が手首までと短いいびつな“星形盾スターシールド”だ。また、背部から極太のアームで支持された2基のアクティブスラスターは、描く『くの字』の上支が4メートル近くもある奇形で、そこから後方に伸びる推進の噴射光がまるで一対のフラッグを背負っているかのように見せていた。

 通常のブラッディ・ティアーズを軽騎兵とするのならば、こちらは分厚い鎧で全身をよろった重騎兵というところだろう。過剰なほど悪魔的にデザインされた姿の中でも最たる部位は頭部だ。両脇と額部から後方へ伸びた角に囲まれた顔面の中で、両頬と中心へ十字に刻まれた三つのセンサースリットが、内で無数の光点を舞い踊らせていた。

 マイセルフ9号機 デス・カード。

 神の欠片を宿し、奇跡を起こす力を求めて建造された9番目の秘機だ。

 目指す先では、トリニティ・ウィーセルが左翼艦の天蓋を解放し、飛び出したテンザネスと入れ替わりに3機のブラッディ・ティアーズを牽引した揚陸艇を収容している。損傷著しい3機は、中央の前線基地へ強襲をかけてきた蝙蝠に似た異形のブラッディ・ティアーズ―――ハリケーンたちだ。

「みつけたぜ。イビルバットども」

 中央側が付けたハリケーンへのコードネームを口に、アンディはイメージを広げてゆく。自身を大きく、広く拡大してゆくイメージだ。

 克明にイメージをデザインしてゆく。

 足先から頭頂、背面や武装にいたるまで、イメージの型枠で鋳造してゆくのはデス・カードの姿だ。

 凄まじいまでの精度をもったイメージだった。

 外観のシルエットだけではない。複雑に組み合い、重なり合った幾層もの装甲材や、その下のフレーム、細かな稼動を続けるセンサーや駆動系の様子まで克明に再現されている。単なるイメージと一線を画したそれは、思考による機体の補助制御システムとアンディの才能が融合した結果もたらされる人機の同調現象だ。

 パイロットと機体双方向の情報交換によってなされるそれは、幻想機という機体を得たことで極限まで高められ、完全な思考制御に等しい操縦感覚をアンディにもたらしていた。

「警告はしない」

 トリニティ・ウィーセルの中央艦から銃火が煌めき、砲列がデス・カードへと迫る。

「容赦もしない」

 デス・カードの背部でアクティブ・スラスターが微動し、歪な螺旋状に進路を捻じ曲げてゆく。

 すぎるほどに滑らかな軌跡だった。

 まだ1km近い距離があるため、機体による射線予測が高い精度で行えているのだろう。

 まるで一直線に進むデス・カードを砲列が避けているかのような錯覚さえ覚える動きで迫る先では、揚陸艦との連結を解いたハリケーンたちが次々を起動し始めていた。

 鋭い敵意がアンディへと突き刺さる。FREの感情抑制レベルが急上昇し、眉間で上がりかけた熱の気配が霧散するのと同時にアンディはファンクション・トリガーでキーコードを打ち込んでいた。

「逃しは―――しない」

 デス・カードの左腕でSSTシールドが起動し、歪な星型の闇へと変貌してゆく。同時に盾の裏側で装甲が展開し、ナックルガードが施された鈍色の柄頭が現れた。右手がそれを掴むと、手のひらに備えた非接触式の通信機構によって武装の安全装置が解除されてゆく。

 柄頭から盾の最長端へと一直線に盾裏の小装甲が展開を連続させ、開放された長大な剣をデス・カードの右手が引き抜いていった。勢いのまま後ろへと振り切り、真後ろへ引きずるような形で前進を続けてゆく。

 大型の盾が作り出す闇にほぼ全身を隠して進むデス・カードへの銃撃は無駄と判断したのだろう。蝙蝠の皮膜にも似た大型アクディブ・スラスターを展開したハリケーンたちが高周波ブレードを抜き放ってトリニティ・ウィーセルを飛び立った。

「……決死、かよ。くだらねぇ」

 ハリケーンたちから感じる思惟の気配をアンディは知っていた。

 そんな彼らの背後で、揚陸艇を収容し左翼艦の天蓋を閉じたトリニティ・ウィーセルが艦首をひるがえしてゆく。

「そんなボロボロの機体で―――」

 どれ一つとして万全の機体は無い。

 アクティブ・スラスターや四肢の駆動部こそ無事だが、大半の武装を失い、生々しい被弾跡が全身のいたる箇所で口を開けているのだ。弾薬も尽きているのだろう。二本の下肢を持つ右腕の甲部へ折りたたまれていた爪がポップアップして伸長する。熊手にも似た形状の高周波ブレードが形成され、高周波振動機能の起動とともに白い燐光を放ちだした。

「―――俺を止められるわけがないだろうが」

 デス・カードの顔面に穿たれた三つの十字型センサースリットが、その内で無数の輝きを躍らせ、右腕の肘と肩、手首にそれぞれ備わった三本の羽飾りに似たパーツが紫電を散らしてゆく。同時にデス・カードの左肩部装甲が展開し、目玉と見まがう球状の投光機構を露出させた。

「この馬鹿野郎どもが」

 ヘッドアップ・ディスプレイに表示された相対距離表示が100mを割り込む。前面にかざしたSSTシールドによって前方の視界は無いに等しいが、テレパシー能力を通じて展開した空間把握によって不自由は無い。

 機体が備えた外部からのテレパシー干渉遮断機能が十全に機能している現在、この宙域における主導権は全てアンディの掌中にあった。

 だがハリケーンたちの動きに一切の遅滞は無かった。

 一方的にジャックした思惟にも揺らぎは無い。複座機を駆る彼ら6人の意思は完全に一つだった。彼らが隊長と呼ぶ男の意思にじゅんじること。彼が命と引き換えに託してくれた情報を木星軍へと持ち帰らせること。彼がそうしたように。彼が最後まで、彼らの知る彼でありつづけてくれたように。

 確固たる敵機たちの思惟しいがアンディの内で形を成してゆく。

 無形の叫びとなってこだまする。

 俺たちもまた、と。

 戦い抜いてみせるのだ、と。

 俺たちも、俺たちも、俺たちも、俺たちも、俺たちも。戦い抜くのだ。彼のように戦い抜いてみせるのだ―――と。

 その姿に、記憶の中の孤影が重なってゆく。

 三つの機体に、アンディの知る三人が重なってゆく。

 おぼろげなシルエットに喚起された感情が身の内を焦がし、重く固い縛鎖となって四肢を拘束しようと絡みついてきていた。

「ちきしょおぉぉぉぉぉ!!!!」

 FREの感情抑制が制御上限へと達し、上がるヘッドアップ・ディスプレイの警告音をアンディの叫びがき消した。

 沸き起こる苛立ちのまま、ファンクショントリガーでキーコードを打ち込む。動作プログラムの一つが読み込まれ、機体が一連の動作を実行してゆく。

 相対距離が20メートルを割り込んだ。

 音速で距離を縮めあう両者にとって、ここから先は秒刻みだ。

 デス・カードの左腕がSSTシールドをわずかに下げた。ハリケーンたちへ向け、露出した左肩で投光機構がおぼろげに点灯する。

 その直後、3機のハリケーンたちが大きくバランスを崩してよろめいた。

 制御を失ったかのように機体の各部が動作を停止させ、SSTシールドがまとう闇が消えてゆく。

 サーキット・クラッシャー。

 左肩部に備えた超大容量のコンデンサーに大電力を蓄え、瞬間的に電磁パルスとマイクロ波から成る不可視の指向エネルギーを放射することで、対象の電子機器を破壊する電磁兵装だ。

 天体による強力な電磁波や放射線が飛び交う宇宙空間での活動を想定されているブラッディ・ティアーズには当然、相応の防護処理が施されてはいる。だが損傷著しく、いたる箇所の装甲を失って内部機構さえ剥き出したハリケーンたちにとって、それは恐るべき威力となって突き刺さっていた。

「消えやがれ!!」

 バランスを失い、手足をバタつかせながらきりもむハリケーンの一機へデス・カードが迫る。めまぐるしい操縦桿とフットペダル操作によって敵機と正対し、かつ自身がこれから行う機体動作に最適な位置へ到達するコンマ数秒直前、左手がファンクショントリガーの打ち込みを連続させた。

 デス・カードの右腕三点で羽飾りがそれぞれ一つずつ、紫電を飛ばすのと同時に消灯し、入れ代わりに銀光が右から左へと刹那、一文字を宙に刻む。

 文字通りの粉砕だった。

 高周波による切断ではない、大剣の大質量と迅雷じんらいの速度による破断によってハリケーンは、機能停止した盾ごと胴体を両断されていたのだ。いかな幻想機とはいえ、エンパス・システムのブースト無しにはありえない膂力と動作速度だった。だが現実にデス・カードはそれを無し、次の獲物を求めてセンサースリットを瞬かせてゆく。

 その瞬間、アンディの中で孤影が一つ、散った。敵機へ重ね見ていた記憶の中の孤影が、だ。

「てめぇもだ!!」

 大剣を振り切った勢いのまま一転したデス・カードの背でアクティブ・スラスターが推進炎を吹き放つ。機体にかかる慣性を利用し、ブーメンさながらの鋭利な軌道を描いて、続く一機の頭上から背後へと回り込んだ。

 右腕の三点で輝く羽飾りたちが紫電を放ち、それぞれの箇所から更に一つずつ輝きを失ってゆく。

 デス・カードの四肢が、いっそ生物的とも言えるほどの滑らかさで微動し、凄まじい慣性によって揺れる姿勢を補正してゆく。縦に一転する中で右腕が、軋みを上げながら大剣を振り上げ、頭上から迫る勢いのまま敵機の頭頂へと振り下ろした。

 抗う間もなく登頂から股下まで一直線に叩き割られたハリケーンが四散してゆく。

 ふたたび散った孤影にアンディは奥歯を噛み慣らす。

 アクティブ・スラスターと同時に脚部各所の姿勢制御ノズルから推進炎を吐き出し、減速と姿勢回復をはかるデス・カードへ最後のハリケーンが襲い掛かった。体当たりによる相打ちを狙った全力の突進だ。

 敵機の思惟は揺るぎ無い。

 すでに覚悟はできている。そんな、潔いと呼ぶにはあまりにも冷徹に過ぎる思惟が、アンディ自身にも正体不明な苛立ちへ拍車をかけてゆく。

 破壊されても、加速した自身の残骸を武器としてデス・カードにダメージを与える腹積もりなのだ。己が生き残ることなど微塵も考えていない。頭にあるのはただただ、仲間の遺志を守るために全てを投げ打つ覚悟だけ。


 アンディ! こんの馬鹿野郎!!


 かつての言葉が耳によみがえる。敵機に重なる孤影がアンディへと叫んでいた。

「あぁ……そうだよ」

 操縦桿を握る右手を震わせ、アンディはファンクショントリガーでキーコードを一つ、打ち込んだ。

 デス・カードの右腕で最後の羽飾りたちが紫電を放つ。

 輝きを失いゆく羽飾りたちの紫電を振り払うように、デス・カードは迫るハリケーンへと大剣の切っ先を差し向けた。手のひらのコネクションを通して右腕から莫大な電力が大剣へ流しこまれ、高周波振動を発し始めた刀身の輝度が増してゆく。それと敵機の到達は、ほぼ同時だった。

「俺は……馬鹿野郎さ……」

 爆光が花開いた。

 真白い閃光に続いて白煙と火花が飛び散り、他の二機のそれとも相まって場を覆いつくしてゆく。

 その爆煙から何かが飛び出した。

 尾を引く白煙を振り払い、SSTシールドの闇をかざしたデス・カードが姿を現す。たずさえた大剣は機能停止し、鈍色の刀身が推進炎を照り返して輝いていた。

 右腕がひるがえり、刀身に付着した塵を振り払う。そうして大剣を盾裏へ収納すると、デス・カードは背部のアクティブ・スラスターの出力を上げ、更なる加速をし始めた。

 デス・カードとハリケーンが接触し、戦闘が開始されてからまだ37秒しか経過していない。圧倒的な膂力と運動性を見せ付けた一連の戦闘は、全て一瞬の出来事なのだ。

 目指す先から散発的に火線が走る。

 だがどれも狙いに正確性を欠いた牽制射撃だ。艦を回頭させている最中のため、正確な狙いが付けられないのだろう。

 主推進器を後部に設けている構造上、基本的に艦船は正面もしくは左右方向への射撃を想定して艦砲が配置されている。宇宙における戦闘は全周囲が常だが、最前線での白兵戦闘が主である戦闘機とは違って、艦船は艦隊運用による砲撃戦を前提に設計されているためだ。

 機体を左右に振りながら、いびつな螺旋を描いて進むデス・カードがSSTシールドをかざして進路を直線に固定した。

 主砲を初めとした大口径の砲撃は無いと判断し、敵艦の照準回避運動よりも接敵を優先したのだ。

 無数の思惟と感情が入り混じった巨大な気配にアンディは意識を集中してゆく。

「駄目、か。想定よりも回頭速度が早い。あんなバランス悪いナリしてやがるクセに……」

 舌打ちとともにヘッドアップ・ディスプレイを見やれば、デス・カードに対し左上奥へと艦首を向けたトリニティ・ウィーセルの熱源反応が急上昇しているのがわかった。回頭が終了し、主推進機関に火が入ったのだろう。相対距離はすでに200メートルを割り込んでいるが、相対速度差を加味した場合、デス・カードが携行する火器の最大射程距離である100メートルまではわずかに届かない計算だ。

「まいったね。あんな大見得きっといて、ダサすぎだろ。俺……」

 時間差にして4秒。満身創痍のハリケーンたち3機によって目論見通りの足止めを食わされてしまった格好だ。

 眼前まで迫った船体が、上がる推進炎でかすんでゆく。みるみる広がる相対距離表示に嘆息し、アンディは操縦桿を右へと振り向けた。

 後方から近づいてくるソードフィッシュの進路に機体の進行軸を合わせ、アクティブスラスターの推力を緩めてゆく。

 遠ざかるトリニティ・ウィーセルの艦影を横目に、アンディはSSTシールドの機能を解除した。盾の前面を覆っていた闇が霧散し、青い輝きを放つ歪なスターシールドの姿を取り戻してゆく。同時にファンクショントリガーによるシステム操作により、機体制御をマニュアルからセミオートへと切り替えた。

 テレパシーによる敵意感知やSSTシールドを使うまでもない。こちらに背を向けた体勢から放てる艦砲など当たるはずはなく、機体の自動防衛システム任せで問題ないと判断したのだ。

 ソードフィッシュから電子メッセージが届く。管制官からの収容指示だ。

「…… “You have control ”」

 FREを停止させ、機体の制御権をソードフィッシュの管制システムへと明け渡す。機体の制御が切り替わったことでファンクショントリガーのロックが自動解除され、固定具が左手の拘束を開放した。左手を引き抜き、ヘルメットの右脇からS-LINKシステムの通信ケーブルを引き抜くと、アンディはヘルメットを脱ぎはずして座席の後ろへと放り捨てた。

 ヘッドアップ・ディスプレイ下のユーティリティケースの蓋を開け、取り出したタオルを目元に当てながら背もたれを後ろへ倒す。

 無言のまま宙を仰ぎ、溢れる涙を隠すアンディの手は震えていた。

 戦闘への興奮が冷め、FREによる感情抑制による沈静が消えてゆくに従って、奇妙なほどに重い実感が沸き起こってきたのだ。

 かつてドカトを撃ったときには無かった。彼がテレパシー能力を失っていたからなのだろうか。それとも、そんな思惟を放つ間もなく散ったからなのだろうか。

 冷たいナイフが胃の腑へ差し込まれたかのような思惟の残滓ざんし―――敵意と恐怖にまみれた断末魔の残響がアンディの内で響き続けている。FREの感情抑制が切れ、システムによって半ば強制的に溢れてくる涙が、ただただ熱い。

(……なんだよ。俺……こんなの……いまさらすぎるだろ……)

 込み上げる可笑しさに、我知らず口はしが緩む。

 我が手で成した事へ何一つ思うところは無いというのに、小さな痛みが止まないのだ。

「……本当に、ダッセぇな。俺って」

 恐れではなかった。殺人への罪悪感や忌避でもない。だが小さなトゲのように刺さって抜けない疼きへの自嘲が笑いとなるのを止められなかった。

「割り切って、振り切って、切り捨てておきながら、まだ俺は……」

 必死に目をそらす。

 考えるなと、己を叱咤しったする。

 自身をさいなむ感情の名を、それが言葉として形を成そうとするのを必死にかき消しながら、アンディはただただ、目頭をふさぎ続けるのだった。


   三

 遠ざかるソードフィッシュの艦影を彼方に、カジバは大きく安堵あんどの吐息をついた。

 握り締めた両手は緊張で強張こわばり、冷や汗がにじんで止まらない顔を白衣の袖口で拭う。

「第一種戦闘配備を解除、各セクションへ船体各部のチェックをさせてくれんか」

 右手のシステムシートに座す管制官へ一言を告げ、力の抜けた身体を艦長席の背もたれへと預けてゆく。

「見た目通りの怪物的な戦闘能力でしたな」

 背後から、自動扉の開閉音とともに艦長の声がかかる。

「何があってもレイジを起こすな、か。接近する敵機が9号機とわかった途端、あなたの顔色が変わった理由がよくわかりましたよ。まさかフューリーと同じ、近接戦闘特化型の機体が幻想機に存在するとは……」

「……同じなどではない」

 探る声音に、苦々しくカジバが応じる。

「9号機は、電気駆動システムの雄―――ノゥト・アステリオスがプロジェクト・リーダーを務めて開発した機体じゃ。幻想機の駆動系設計者である男が、の」

「たしか幻想機の開発プロジェクトは―――」

「あぁ。ワシを含めた12人が設計し、開発していた実験機を原型として各個に発展させたものじゃ。じゃが勘違いしてくれるな。あれらに兵器として設計された機体など一つとして無い。全ては、各々の研究成果の結実を、目に見える形にして発表するための機体じゃったのだからの」

 艦長席から立ち上がり、身をひるがえす。

 その視界から逃れるように、艦長席をはさみ回って背後についた気配へはかまわず足元を蹴った。無重力の宙を流れた先へ右手を伸ばし、自動扉の開閉スイッチを押す。

「そう。あれは兵器などではなかった。そんなつもりで進めていたプロジェクトではなかった。ブラッディ・ティアーズなどというものが現れるまでは……」

 自動扉をくぐり、廊下を進み行くカジバの声音がこらえきれぬ感情で震える。

「聞き及んでおります。あなた方にとって、原型機のブラッディ・ティアーズ化は苦渋の決断であったと」

「カレン、か」

「はい。ご自身の研究成果である相克型空間駆動エンジンを幻想機の心臓へ供与したことを、リバー博士は最後まで悔いておられました。自分は我が子を悪魔へ売り渡した罪深い人間なのだと。未来へはばたく人類の翼となるはずだった希望を、悪魔の心臓へ堕としめてしまった、と」

「信心深かかった彼女らしい物言いじゃの。幻想機への転換に最後まで反対していたのも彼女じゃったと聞いているよ。3号機の開発を放棄したとがで軟禁されていたそうじゃが、やりきれん」

「えぇ。あの実験には、エンジン調整のためリバー博士も参加されていましたから。レイジとイノリを殺した幻想機を、憎んでさえいるふしがありました」

 廊下の突き当たりを左へ曲がり、長い回廊を進んでゆく。

「……話を戻そう。9号機じゃがな。あれはフューリーとは似て非なる―――むしろ真逆とも言えるコンセプトで設計された機体なのじゃ」

「真逆? 大剣と大型シールドを振るうパワー型のフレーム設計に、短射程の飛び道具と、とてもそうは見えませんでしたが」

「フラッシュ・ムーバー」

「?」

「9号機の設計者であるノゥトが研究していた新機軸の駆動システムじゃよ。一言で言えば、迅雷の速度で機械肢きかいしを動かす駆動システムじゃな。さっきの戦闘で9号機が見せたじゃろう? 超重量の大剣を、羽箒はねぼうきみたく振り回してみせたアレじゃよ」

 非現実的なまでに重量や慣性を感じさせない動きが脳裏を過ぎる。

「内実はともかく駆動原理はシンプルじゃ。カメラのフラッシュと同じで、関節部に大容量のコンデンサーを置いて電力を溜め込ませ、動作に合わせて大電力を開放することで瞬間的に出力と速度を飛躍的に上昇させておるんじゃ」

「そんな乱暴な事が可能なのですか? いくら幻想機とはいえ、人間の作った機械です。強度や耐久性にだって限界はある。加減速度の慣性吸収による衝撃だって相当なものでしょう。そんな無茶をすれば動作と同時に手足が吹き飛びそうなものですが……いや、それ以前にパイロットが耐えられないはずです。そんな加速と衝撃、大型トラックに高速で吹き飛ばされることと変わらない」

「それにも色々とカラクリがあっての。9号機は通常の駆動系とは別に、第2の駆動系を備えておるんじゃよ」

 再びの突き当たりに足を止める。気密性の高い頑健なシャッタードアの先は、中央艦から右弦艦への連絡通路だ。

 シャッタードア右脇の操作パネルでパスコードを打ち込むと、重々しい機械音を立ててシャッタードアが上部へ引き込まれてゆく。その先で更に左へ、右へと二重のシャッターが開き、長い回廊が姿を現した。

「EMドライブを知っておるか?」

「すみません。そういった事には不勉強で」

「まぁ、ええて。円錐型のケースの内側でマイクロ波を反射させることにより微弱な推力を発生させる推進機構なのじゃがな。これを駆動系に応用しておるんじゃ。フラッシュ・ムーバー使用時には、通常駆動系から関節部は切り離され、一種の力場で包まれた浮遊状態になっておる。そこにEMドライブによる推力を加えることで、関節部のダメージ無しに高速駆動ができるというわけじゃ」

「……よくわからないのですが」

「かいつまんどるからの。まぁ、フラッシュ・ムーバーによる駆動系への物理負荷は無いとだけ覚えてくれておればええ」

「は、はぁ」

「そしてパイロットへの負荷じゃがの。これも無い。全ての幻想機はコックピットユニットと胸郭空間内との隙間をリキッドセンサーで満たし、それを通じて電気的なコネクションをはかっておるのじゃが、9号機はこれを更に推し進め、完全なフローティング・ユニット化をしておるのじゃ。あの大柄な胸郭部は、そのためじゃな」

 回廊を進む先で、動態検知により左舷艦の入り口の自動扉が開く。

「長くなってしもうたが、ようするに9号機は、ノゥトがフラッシュム-バーという新機軸の駆動システムを発表することだけを目的に開発した―――いわば高速運動機能のみに先鋭化した機体なのじゃ。それを武装した結果として、近接戦闘特化機体になってしもうたようじゃがの」

 左舷艦の入口をくぐり、自動扉が背後で閉まる音を背に立ち止まる。左手に程近い部屋から、言い争う声が廊下へ漏れ聞こえてきていた。

「やはり……か」

 ため息を一つもらし、歩を向ける。部屋の扉上にある表札表示は、医務室となっていた。

 無言のまま自動扉右の操作パネルへ右手を伸ばし、OPEN開錠ボタンを押す。

 滑らかな機械音とともに開いた先では、声を荒げて暴れるレイジを医師とカトカが後ろから羽交い絞めにしていた。

「何をやっとるか!!」

 老人とは思えぬ声量で放たれたカジバの怒声に、三人の動きがはたと止まる。

「カジバ博士!? 良かった。この二人に言ってください。僕は行かなきゃならないのに、この二人が」

「馬鹿もの!!」

 言い募るレイジの左頬をカジバの右手のひらが打った。小気味良い音が医務室に響き渡り、走った左頬の痛みと熱にレイジの表情が驚きで止まる。

「何をやっとるのかとは、おまえに言っておるのじゃ。レイジ」

「カジバ博士……」

 目と顎先のジェスチャーで医師とカトカを下がらせ、へたり込んでただただ驚きを浮かべるレイジを睨みつける。

「行かねばならない? どこへじゃ? 行ってなにをするつもりなのじゃ?」

「き、決まっています。兄さんを追わなければ。中央の拠点ですよ? たった一機で支援に向かうなんて無茶だ」

「無茶は彼も承知しておる」

「それなら」

「レイジ。勘違いしてはいかん」

 レイジの言葉を遮り、カジバは片膝をついてレイジと目線を合わせた。まっすぐに視線を交わす瞳に怒りは無い。その冷静が、焦燥で曇ったレイジの瞳をとらえてゆく。

「彼は、それが己の責務だから向かったのじゃ。木星軍の将校であり、彼らの友軍だから向かったのじゃ。だが我々は違う。おまえさんは違う。そうじゃろう?」

「それは……」

 口惜しげにうつむき、言葉を探すレイジの両肩に手を置く。その細さに、まだ少年にすぎないレイジを利用している自身を強く感じながら、カジバは小さくかぶりを振った。

「かつて、ワシが言ったことを覚えておるか? 彼の名と遺志いしいで立つというのならば、覚悟をせねばならぬ、と」

 小さく肩を揺さぶり、顔を起こさせる。

 そらす事は許さぬと、動揺で揺れる少年の眼差しにカジバは己を映し込みながら言葉を続けてゆく。

「情を捨てろとは言わん。血縁を切り捨てろとも言わん。だが、あえて言うぞ。よいか。おまえは南風はえ柾人まさとであってはならない。おまえは……おまえの名は、レイジ・トライエフ。幻想機の11号機にして、父の憤怒ふんぬを継ぐ者。マイセルフ・フューリーのパイロットじゃ」

 まっすぐに見据える。

 本当は、カジバの言葉など必要は無い。少年の瞳には、最初から理解の色が浮かんでいた。つくづく、聡い少年だと思う。

 背負ったもの、駆け抜けてきた日々、少年が少年であることを許さない現実を、感情ではなく理性で捉え、受け入れてきた者の眼差し―――だが同時に、やはり少年なのだ。冷めることを知らない熱を内で燃やし、鋭い感情の矛先を突き出さずにはいられない、その矛盾が悲しいまでの懊悩となって少年を苦しめているのだろう。

(この子は、きっと兄になど再会できぬ方が幸せだったのじゃ)

 かつて少年を戦士とさせていたものの正体は孤独だ。

 父母を失った少年にとって、セシルという大切な知己ちきを救う使命は家族を取り戻すための戦いと同義だった。

 全ては彼が、失ったぬくもりを追い求め、取り返すための戦いだったのだ。

 かつて目的のため木星圏へ往く事を伝えた際も反応は淡白だった。木星圏は広く、行動は隠密で、おまけに目的地は戦場だ。生存の可能性は高くとも、兄との再会など微塵も期待してはいなかったことだろう。記憶もおぼろな兄を、もはや肉親と認識できていなかったふしもある。

 テンザネスが目覚める日は永遠にくることは無く、全ては自身とフューリーにかかっている。カジバたちがそうだったように、レイジもまたそういう認識で木星圏へ戻ってきたのだ。

(じゃがテンザネスは目覚め、思いもかけず果たした再会と、ふたたび触れた家族のぬくもりが、孤独と責任感で張り詰めていたこの子の緊張を断ち切ってしまった……レイジ・トライエフではなく一人の少年、南風はえ柾人まさとへと引き戻してしまった)

「わかっています。わかっているんです。カジバ博士。でも僕は……でも…僕は……」

 失いたくないのだ。失いたくないと、強く思う自分を止められないのだ。

 無くしてしまったと、二度と手に戻ることはないと、心の片隅へ押しやっていた肉親への未練が少年を惑わせている。

(苦しいじゃろう。息が詰まるほどに。やろうと思えば、おまえから彼を遠ざけることもできた。じゃがの。マサトや。それでは、いかんかったのじゃよ。おまえに、強くそれを自覚させるためには……かつてのおまえに立ち戻らせるためには)

 兄を追いたい。だが、それは許されない。

 誰よりもそれを理解しているが故の苦しみが、少年から吐き出すべき言葉を奪い続けている。

「レイジ……」

 罪悪感を、飲み込んで口をひらく。

 こうなることをカジバは承知していた。承知していて、あえてシルウィット大佐の要請に応えたのだ。

「エンパス・システムの封印処置は解かぬままとなるが……いけるな?」

 驚きが、少年の顔に広がってゆく。

「いっておくが想像以上にきつい道中じゃぞ? 何しろブースターをガン積みして、ソードフィッシュを後ろから追い抜いてゆくのじゃからの」

「カジバ博士……」

 戸惑う少年を抱きしめ、沈鬱な表情で天井を見上げる。

「本当はの。もっとおまえに時間をやりたかった。ゆっくりと考えさせて、自分で気づかせて、迷って転びながら乗り越えて、己が何者であらねばならぬのか。何を選び、ここまで進んできたのか思い出すのを、取り戻すのを、静かに見守っていてやりたかった」

 目頭が熱い。こぼれだしそうな熱を必死にこらえて続ける。

「すまん。じゃが、許して欲しい。我々にはあまりにも時間が無い。外れかけてしまった仮面を、おまえが自分の手で付け直すまで待っていてやるわけにはいかなかったのじゃ。そんなおまえのまま行かせるわけにはいかなかったのじゃ」

 震える腕に抱きしめられる中で、戸惑う少年は冷えてゆく自身を感じていた。

 悪寒が背筋を走り、ぶるりと全身が震える。

 無数の孤影が胸裏をよぎり、自身の中で二人の己がせめぎ合う。だがそれは衝突ではない。あまりにも静かすぎる対峙だった。

「ごめんなさい。カジバ博士……」

 心の底の暗がりへ南風柾人が消えてゆき、残されたレイジ・トライエフが踵を返して向きなおる。

 出ている答えを心の中でなぞる少年の目元から、涙がこぼれて無重力の宙を流れてゆくのだった。



   四

「―――いいか。ステルスが有効なのは敵艦の後方500メートルまでだ。それ以上は、いくら慣性飛行でも光学監視システムにつかまっちまう。推進器の点火と、チャフグレネードの発射、どっちのタイミングも間違えるなよ? 接近から推進器点火と同時に2発、追い越し後に2発だ。ついでにステルスシールドも切り離して投げちまえ。どのみち基地クラスの索敵システムが相手じゃ、ブースターユニット程度のステルスシールドじゃ誤魔化せねぇ。少しでも軽くして燃料消費の負担を減らすんだ。わかったな?」

 トリニティ・ウィーセルの艦橋にカトカの声が響き続けている。

 迷惑顔の通信士の隣へパイプ椅子を持ち込み、割り込むようにマイクへ続ける先は、フューリーのコックピットで発艦準備を進めるレイジだ。

「チャフグレネードの初弾を撃ったら、即フルスロットルだ。プロペラントタンクの燃料は使い切ってかまわねぇ。敵艦を振り切って、空になったタンクを切り離したらすぐに自動航法システムに切り替えろ。俺の組んだ航法計画通りいけば、慣性速度とフューリー単体の積載分で十分に到達できるはずだ」

 通信のかたわら、片手でA3サイズのタブレットを操作してフューリーの武装の最終チェックを進めてゆく。

「絶対に忘れるなよ。たとえ計算どおりにいっても、現着先での限界稼働時間は72分だ。それ以上は復路がもたねぇ。マイセルフには相克そうこく型空間駆動エンジンを利用した無燃料推進機能もあるが、エンパス・システムなしじゃ出力が低すぎて姿勢制御にすら使えねぇ。復路で敵を振り切るためにも、燃料の配分を読み違えるな。それと―――」

 指示を飛ばすカトカの背から目を離し、カジバは艦長席の正面で立体投影された航宙図を睨んだ。

 そこには、ワン・ハンズ基地への帰路を進むソード・フィッシュの後方50kmを、同速で追走するトリニティ・ウィーセルが表示されている。

 距離があるとはいえ敵艦もこちらを捕捉しているはずだが迎撃の気配は皆無だ。単艦による行軍なだけに、敵方も燃料や弾薬に余裕があるわけではないからだろう。

「あとは9号機が待ち構えていないことを祈るばかりか」

「警戒しすぎでは? いくら幻想機とはいえ戦闘直後です。被弾ゼロとはいえ再出撃には時間がかかるはず、出てくるとするのなら、コールド・アイなのではないでしょうか」

 背後からかかる艦長の声音にかぶりを振って、カジバは思案げにうなった。

「恐らく、それは無い。理由はわからんが、ライトニング・ヒュエルは艦を降りておるようだの」

「……何故そんなことがわかるのです?」

「あちらに動きがなさすぎる。コールド・アイの本領は長距離狙撃じゃ。その気になれば50kmの距離など無いに等しい。これまではテンザネスがあったが故に本艦への直接攻撃をしてきたことは一度もなかった。じゃが、すでにテンザネスは艦を発ち、残るは因縁深きフューリーときておる。あの男がいるのであれば、とうに何らかのアクションを起こしておるはず」

「この状況で、あちらから仕掛けるメリットは皆無です。下手につついてフューリーのシステム誘発を招けば、あちらこそタダでは済みません。これまでの観測からも、コールド・アイと9号機のエンパス・システムが十全でないことは明白です。私があちら側の指揮官であれば、余計なことはせず、逃げにてっしますがね」

「まぁ、普通ならの」

 訝しげな声音に苦笑して、カジバは手元の携帯端末を起動させた。画面操作でフォルダーツリーをたどりながら、通信連絡が一段落した様子のカトカを見やる。

「カトカ。レイジに伝えてくれんか。9号機に気をつけろと。仮にソードフィッシュから9号機が出てきたなら距離を取れ。そうすれば9号機に攻撃手段はなくなる。高速航行中の艦からは離れられんからの」

 首肯したカトカが通信マイクへ再び口を開きだしたのを横目に、カジバは一つの資料データを表示した携帯端末を右手で差し上げた。

「これは?」

 艦長席の後ろから伸びた白手袋の手が携帯端末を受け取り、次いで怪訝な声がかかる。

「9号機とフューリーの設計資料の一部じゃ。それを見れば、ワシが9号機を警戒する理由もわかるじゃろ」

「これは……どういうことなのです? 両機の基礎設計者が、同じ二人による連名とは。しかも同姓?」

 ノゥト・アステリオス。

 ユリア・アステリオス

 指揮下の開発スタッフや部署こそ異なるものの、両機それぞれの開発プロジェクトリーダー名が、基礎設計者欄に連名として記載されていたのだ。

「……ワシの天敵どもじゃよ。若い頃から場所を選ばずイチャイチャ、イチャイチャと……奴らのせいでワシと生涯独身を誓い合った朋友ロランの血圧は常に限界ギリギリを強いられとった。しかも―――」

 溢れ出しかけた記憶を咳払いで押しとどめ、カジバは言葉を切った。

「アステリオス夫妻は頻繁に互いの研究をシェアしあっておっての。それは幻想機の開発でも一緒だったのじゃよ。ユリアの研究テーマはマンマシーン・インターフェース―――つまりは機械の操縦機器じゃったからの。ノゥトの研究テーマである機械駆動システムとは相性が良かったんじゃ。おまけに北欧でも有数の名家出身同士で幼馴染み同士とあっての。なんなんだ、この“選ばれし者たち”はよ! と、ワシと貧乏学生仲間だった元朋友メーヴェと幾度、ヤケ酒をあおったことか……まぁ、その後にワシを差し置いてユリアから彼女を紹介してもらいやがったメーヴェとは絶交してやったがの―――と、ま、まぁ、とそういうわけで設計段階から9号機とフューリーには兄弟機とでも呼ぶべきものがあったのじゃ」

「それで同様の近接戦闘型に?」

 もはや馴れた調子でカジバの独白を流し、問う艦長にカジバはかぶりを振った。

「いいや。それは結果じゃ。フューリー本来の開発コンセプトは、パイロットに対する高い追従性と、それを実現する高性能なコックピット・システムにあった。高い操縦性を活かすための器として、高い運動性能をもつ躯体が必要となった結果なのじゃ」

「なるほど。私にも見えてきました。高すぎる運動性能を活かすため、高度なコックピット・システムを必要とした9号機。高度なコックピット・システムを活かすため、高い運動性能を必要としたフューリー。両者の最終形が近い形で終着した事にも合点がいきます」

「そう。そして、だからこそ両者は決定的に真逆となり、同時に真価を発揮するため同じものを必要とする。究極的な精度で瞬間的な操縦操作をやり遂げうる感覚型の天才パイロットを、な」

 苦虫を噛み潰した表情でカジバが艦長席の右アームレストへ立てた五指を震わせる。

「初めて9号機が動いている姿を見たあのとき、ワシは確信した。最も恐れていた敵が現れてしまったとな。レイジと同じ才能の持ち主―――じゃがレイジより圧倒的に完成された操縦技術を持つパイロットが9号機を得てしまったのじゃと。幻想機のパイロット条件の厳しさを鑑みれば、奇跡でも起きない限りありえんと思っていた敵が現れてしまったのじゃ」

「危険極まる隠密行軍を引き受けてきた辺りから奇妙に思ってはおりましたが、それではここ最近の一連は……」

「そうじゃ。今のままでは確実にレイジは死ぬ。特に、兄との再会によって切れ味を鈍らせてしまった今の状態で戦線へ赴かせるわけにはいかんかった。何としてもかつての自分を取り戻させ、出来うることなら操縦技術のレベルアップをはかる必要があった。これが吉と出るか凶と出るかは、まだまだ時間がかかるじゃろうが……」

「大丈夫ですよ。きっと……」

 艦橋に微震が響き渡る。

 右舷艦のカタパルトによってフューリーが打ち出されたのだ。

 トリニティ・ウィーセルのレーダーからフューリーの姿が消える。敵艦の熱源検知をかいくぐるため、発進直後の姿勢制御以降は推進器を停止させ、エンジンも稼動を落とした状態となったためだ。

 事実上、周辺を漂う石くれと変わらない状態となっての進軍は運頼みとなる。

「レイジは―――あの少年こそは、我々の希望です。希望を信じなくてどうします。あなたも本当はそう思っているから許したのでしょう? この単独行を」

「……そうじゃの。その通りじゃ」

 表情を緩め、顔を上げる。そうすると幾つもの微笑みがあった。カジバへの信頼、そして茨の道行きを共に歩む意志をたたえた眼差したちへ応える義務がカジバにはある。

「艦を回頭させろ。グローリー・シリウスと合流後、目標ポイントでレイジたちを待つ!」

 艦長席を立ち上がり発した言葉に力強く首肯し、慌ただしく動き出した面々たちから航宙図へと目を戻す。

(アンディ・ハレー。この奇しき才もまた、おまえの導きなのか。セシルよ……)

 全ての契機となった顔も知らない少女を思う。

 神か悪魔もかくやと思わされる少女の真実を思う。

 この眩暈めまいすら覚える出来すぎた現実の連鎖に、カジバは何者かの作為を覚えてやまないのだ。

 カジバが希望とする少年はきっと否定するのだろうセシルへの疑惑がカジバの胸裏から離れない。

(まるで伝説に言う、パンドラじゃな。人類に災いをもたらすため、厄災を封じた箱とともに神々から送り込まれたという美しき女性にょしょう

 だからこそ、祈らずにはいられない。

(祈るぞセシル。おまえがパンドラだというのなら、どうか無垢であっておくれ。たとえ全ての災厄がおまえによるものだったのだとしても、どうかおまえ自身は、マサトが信じるセシルであっておくれ。神などではなく、ただの少女であっておくれ。どうか。どうか……)



   五

 高速で左を行過ぎた流星が彼方へと駆けてゆく。

 追い抜きしなに巻いていった電波撹乱用アルミニュウム片のきらめきを雪のようだと胸中で形容しながら、ローレルは右手のグスタフへ向き直った。

「これで良かったのでしょうか? 艦砲の一つも撃たずに見逃すなんて……」

「かまわんよ。艦砲の反動吸収による推進剤消費もバカにならんしな。あの速度と、この電波撹乱ジャミング状況じゃ照準も無意味だ。当たらないとわかっているものを撃つ余裕は無い。特に、補給もままならない宇宙ではな」

 鷹揚おうように首肯するグスタフの傍らで、管制官がトリニティ・ウィーセルの回頭を告げる。

「こう来るのはわかっていたのに……」

 悔しげに吐き捨てるローレルへ肩をすくめ、グスタフは管制官へ小声で命令を伝えた。艦内放送が響き渡り、第一種戦闘配備解除を告げる命令に艦橋の各員もシートベルトを緩めて息をつく。

「コールド・アイなら狙撃する目もあったがな。無いものねだりをしても仕方が無い。なぁに、いくらテンザネスとフューリーでも、たったの二機でワン・ハンズ基地をどうこうは出来まい。少佐や8号機もあるしな。捨て駒どもに対して不合理だが、撤退支援を少しして逃げ帰るくらいが関の山だろうよ」

「そんな適当な事を言って……両機がエンパス・システムを発動させてきたらどうするのです」

「そりゃあ、基地も遠征軍も壊滅的なダメージを受けることになるだろう。だが、それならばそれで、こちらに損は無い。いや、むしろ好都合だ」

 睨むローレルへ口端を吊り上げ、グスタフは愉快げに肩を揺らした。顎周りの発達したいかめしい肉食獣的な顔が浮かべる笑みに獰猛どうもうさを覚えて、我知らずローレルの右足が一歩を引く。

「8号機による迎撃を受ければ、エンパス・システムを発動したとしてもテンザネスとフューリーも戦闘後に離脱する力は残ってはいまい。そこへヒーローよろしく現れるのが、我々と少佐の駆るコールド・アイというわけだ。基地を救い、二機もの幻想機を拿捕、ついでに流れ弾の一つも装って中将をき者にできていれば、8号機さえもが我々の傘下となる。ある意味で、理想のシナリオだと思わないか?」

 クツクツと含み笑いを漏らす中、蒼白となったローレルに気づく。

「あ、あなたは……あなたたちは、そんな事を考えて……」

 震え声に、グスタフは吹きだした。

 強面には似合わぬ朗らかとさえ言える笑い声を上げ、腹を抱える姿に他の艦橋員たちが振り返る。

「いやいや、すまん。すまん」

 目じりに涙すら浮かべてひとしきり笑うと、グスタフはローレルの左肩を軽く叩いて肩をすくめた。

「冗談だ。あんまり深刻な顔をしているものでな。合いの手の一つも入れさせて笑いの一つでもと思ったのだが、どうやら俺に冗談を振る才能は無いらしい」

 唖然あぜんとした表情のまま立ち尽くすローレルに苦笑して、グスタフはきびすを返した。

「あとの指揮は任せる。俺は少し、ハレー少尉と話がある」

 幅広の巨体が自動扉の先へと消えてゆく。

 だがローレルの顔色は青白いまま、畏怖いふで凍りついた表情が解けることはなかった。

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