第3話 社長の懸念

 世知辛い世の中を生きていくならば、大なり小なり、ストレスは溜って来る。

 人間社会から隔絶された山奥なんかで、仙人のような暮らしをしていれば別だが、人間社会にどっぷりと浸かって生活していくならば、対人関係にも疲れてくるというのは避けがたい現実だ。

 そういう人生を過ごしていくと、「殺してやりたい」とは決して思わないけれど、「こんちくしょう」と思う相手が幾人かは出現するものである。

 そんなプチな怨みを抱いて日々を過ごす人間は、思っている以上に多いらしく、そのプチな怨みを晴らしてくれる篤志家が現れたのだ。

 人呼んで、筆殺仕事人。

 普段は、世間のありふれた人々と同じ生活を送りながら、しかし、それは世間を憚る表の顔であって、裏稼業は依頼人に変わって成敗してくれるのだ。

 ただ、成敗してくれるのは、現実世界ではなく、小説という仮想空間の中での話ではあったが・・・・・・。

 その筆殺仕事人。本人は歴としたペンネームを騙っていたが、噂が噂を呼び、いつしか、投稿サイトにおいて、『鐘木(べるぎ)もんど』と呼ばれるようになった。


 私は、大企業の社長。

 大企業の社長まで上り詰めれば、「こんちくしょう」と思う相手よりも、私のことを「こんちくしょう」と思っている相手の方が、圧倒的に数が多いだろう。

 だから、本来ならば、私が『鐘木もんど』に接触を図るのは、ルール違反というものだろう。

 虐げられた庶民ではなく、悪役の方が仕事人に依頼するようなものだからだ。

 だが、社長を遣っていると、色々と他人を試したくなる習性が身に付いてしまう。

 まして、ネット小説界で評判の立ち始めた『鐘木もんど』である。ちょっかいを出してみようと考えるのは、人の情というものである。

 私が『鐘木もんど』に相談したい事そのものは、私にとっても会社にとっても深刻な問題なのだ。

 私の下では何人かの重役が働いている。

 皆、私に従順だ。ただ誰もが頼りにならないと、私は感じていた。

 特に、社長ポストを譲る相手ならば、私に従順であってはいけないのだ。

 私にだって寿命がある。会長として院政を敷き続けることもできない。

 自分で会社の進むべき道を判断し選択していく人物でないと、安心して社長ポストを譲れないのだ。

 私は、手にしたブタ札のみでポーカーを制しようとする無謀な、そして無意味なイメージ・トレーニングを、社長ポスト禅譲の日まで連日続けていた。

 これは結構ストレスが溜ってしまう。

 だから、ネット上で、『鐘木もんど』を探し回った。


 そして、依頼に応えて執筆してもらった作品が、『椎茸は何色?』という作品である。


『宗田は、毎週日曜日、自宅に近い雲閣寺で催されている座禅の会に参加している。

 心を落ち着け無心になると、不思議と、翌日からの社長業に全身全霊を傾けることができる。

 接待ゴルフは土曜日だけとし、日曜日は身体と精神を休めるのだ。

 そうでなければ、社長としての重圧に打ち勝てるものではない。


 今朝も1時間、座禅を組んで心を穏やかなものにした。

 座禅を終え、大半の参加者は雲閣寺を去る。家族サービスなり、それぞれの個人の事情がある。

 宗田は、いつも、小一時間、雲閣寺に居座る。

 仏殿の広間に座り、微風に当りながら、枯山水の庭を眺めるのもまた、心を落ち着けるものであった。

 和尚も慣れたもので、声を掛けるでもなく、放っておいてくれる。

 そんな和尚であるが、今日は宗田に近寄ってきた。

 板間に胡坐をかき、いつも通りに庭を眺めていた宗田の近くに膝を折ると、禅問答のような問い掛けをしてくる。

「宗田さん。庭の木々も色づいてきましたな」

「おっしゃる通りです。

 夏の暑さで参った身体が、その火照りを冷ますようで、この微風は心地良いです」

「そうですね。

 秋と言えば、キノコだが、宗田さん。椎茸は何色か、知っておいでかな?」

 椎茸の色を知らぬ者はいない。

「禅問答ですか?

 何が正解かは存じませんが、傘の表面は濃い茶色、傘の裏と柄の部分は白でしょう?」

「その通り。

 ただ、それは宗田さんが椎茸の全体像を知っておられるからじゃ。

 上からしか見ない鳥なんかは、椎茸は全体が濃い茶色だと思い込んでいるかもしれんのう・・・・・・」

 宗田は和尚の問い掛けに考え込んだ。

 和尚の禅問答にはハッとさせられることが多々あり、宗田が毎週のように座禅会に参加している理由でもある。


 取締役会に諮る案件を、事業部長Aが宗田に事前説明した。

 或る会社と互角の立場で合弁事業を開始しようというものであった。

 社長としては、フランクな意見を言うことができる。

 経営者としては、どのようなメッセージを世間に与えるかも考えないといけない。

 宗田は、

「社格を考えた場合、この合弁事業の出資比率が50対50というのは妥当なのかね?」

「はっ。社長の御懸念は御尤もです。もう一度、検討してみましょう」

 後日、この案件は先方との交渉が難儀していると、事業部長Aは経過報告してきた。

 更にその後、合弁相手が断ってきたとの報告を受けた。


 取締役会に諮る案件を、事業部長Bが宗田に事前説明した。

 中国に事業拠点を構えようとする事案であるが、経営者としては、海外事業のリスクは絶えず考慮せねばならない。

 宗田は、

「中国経済は大丈夫かね?

 人口が10億人余りの大国なので長期的には成長していくだろうが、今は苦戦しているようだが・・・・・・」

「はっ。社長の御懸念は御尤もです。もう一度、精査してみましょう」

 その後、この案件は立ち消えになったと、事業部長Bは報告してきた。


 宗田は、座禅会の折、この2件の顛末を和尚に伝えた。

「和尚。

 椎茸の講話以降、私も考えるところがありまして・・・・・・。

 私は、上からの目線で部下を評価するだけで、その人物の全体像を把握しているのだろうか、と疑問に思い始めたのです。

 確かめるための妙案が何かないでしょうか?」

「宗田さん。

 宗田さんは、時代劇の水戸黄門は、お好きかの?」

「好きな方です」

「あの黄門様は、毎回のように悪事に遭遇するが、それは偶然と思われますかな?」

「偶然というか、テレビ番組のお約束事でしょう?」

「実は、弥七の存在が重要なんじゃ。最近では、疾風のお娟かの。

 お忍びがまず庶民の目線で調べ、怪しいと踏んだ場所に黄門様が出向く」

 宗田は、はあ、と返事する。

「宗田さんも弥七を囲われては如何かな? 椎茸を下から見る者を放つのじゃよ」

 宗田は、ははあ、と印籠を目にした代官のように納得した。


 出社した宗田は、早速、秘書課長を呼んだ。

 それぞれの事業部の職場の雰囲気はどうかと探りを入れるためである。

 秘書課長は、事業部長Aの部下の栄田課長と、事業部長Bの豊後課長に打診した。

 その栄田と豊後は、秘書課長と話す前に各々の事業部長に耳打ちした。

そして、うまく言っておきますから、と揉み手した。

 それぞれの事業部長は、頼んだぞ、と言ってニヤリとした。

 悪代官と越前屋が小料理屋で密談するシーンそっくりである。


 宗田は、自由闊達な議論が絶えず風通しの良い職場だという秘書課長の報告を聞いても、釈然としなかった。

 宗田としては、自ら判断しない人材は排除するつもりである。

 是が非でも、部下が自分におもねっているのか否かを確認したかった。

 だから、もう一度、和尚に意見を求めた。和尚は、そうですか、と静かに言った。

 そして、おもむろに口を開く。

「宗田さん。

 椎茸は弱りかけた木に生える物です。

 いかに大木といえども、椎茸だらけになるということは、もう末期やもしれぬ。

 早めに身を引かれた方が、社長としての晩節を汚さずに済むかもしれんぞ」

 宗田は愕然とした。

 和尚は、言葉を失った宗田の顔を見つめ、或いは・・・・・・、と言って口ごもった。

「或いは?」

「あなた御自身の強烈な個性が、社員の方々を椎茸にしているのかもしれぬ。

 俗に言う、ヒラメ社員の事ですが・・・・・・」』


 勿論、登場人物、団体名は全てフィクションであり、この作品だけを読んだ読者が、その裏に隠された真意を推し量ることは不可能だ。

 依頼者の私が、ほくそ笑むだけである。

 この作品が送られてきた時の私の素直な感想は、「やはり、『鐘木もんど』も凡庸な人材だったな」というものだった。

 少々侮蔑の気持ちを含んだ笑みを浮かべたのだ。

 社長を引け・・・・・・、だと?

 リーダーシップを発揮すべき社長が、或る日、突然いなくなったらどうする?

 社員達は戸惑い、社業は混乱してしまう。

 そんな無責任な選択を、この私に出来るはずが無かろう・・・・・・。

 責任ある地位に就いたことのない文筆家の戯言だったな・・・・・・。


 あれから十年弱。

 私は、何期も社長ポストに留まった挙句、頼りない社長の指導を会長になってからも続けてきた。

 最近、よく思う。

『鐘木もんど』の小説を読んだ時に、直ぐに社長ポストを譲っておけば良かった・・・・・・と。

 あれから、次期社長となるべき世代の人間は育たないままだった。

 だったら、更に下の世代から一挙に若返り人事を図ろうと考えたのだが、やっぱり私のお眼鏡に適うような人材は見当たらなかった。

 どうやら、詰まらぬ人材というのは、自分に楯突こうとするガッツの有る部下を、閑職に追いやり、果ては辞めさせたりと、徹底的にスポイルするようだった。

 もし、私が即座に引退していれば、多少の混乱は生じたであろうが、その逆境をバネにして、社内に気骨のある人間が育ったことだろう。

 そういう気骨のある人間が行く行くは社長に就任しただろう。

 だが、そうはならなかった。

 社内では前例主義が蔓延り、激動する世界経済の海原で単に漂流する会社と為り果てたのだ。

 その結果、我が社は、外資に買収されようとしていた。

 明日の株主総会で、その外資からの買収提案が可決されれば、私を始めとする役員全員はクビとなる。

 替りに、投資会社が送り込んでくる人材が会社経営に当るのだ。

 でも・・・・・・と、私は思う。

 大半の従業員にとって、役員が、生え抜き社員だろうが、他から送り込まれた人材だろうが、そんなことは関係ないはずだ。

 真っ当に会社を経営してくれさえすれば良い。

 そう考えると、人材育成に失敗した私なんかは、早急に立ち去った方が組織のためなんだろう。

 私の不純な動機が元になって誕生した作品だったが、『鐘木もんど』は誠心誠意を注いで、横柄な私に作品を書いてくれたのだ。

 それを鼻であしらうような真似をして無視した自分を、なんと詰まらぬ人間であったかと、反省するのだった。

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