第4話 女子高生の悩み

 世知辛い世の中を生きていくならば、大なり小なり、ストレスは溜って来る。

 人間社会から隔絶された山奥なんかで、仙人のような暮らしをしていれば別だが、人間社会にどっぷりと浸かって生活していくならば、対人関係にも疲れてくるというのは避けがたい現実だ。

 そういう人生を過ごしていくと、「殺してやりたい」とは決して思わないけれど、「こんちくしょう」と思う相手が幾人かは出現するものである。

 そんなプチな怨みを抱いて日々を過ごす人間は、思っている以上に多いらしく、そのプチな怨みを晴らしてくれる篤志家が現れたのだ。

 人呼んで、筆殺仕事人。

 普段は、世間のありふれた人々と同じ生活を送りながら、しかし、それは世間を憚る表の顔であって、裏稼業は依頼人に変わって成敗してくれるのだ。

 ただ、成敗してくれるのは、現実世界ではなく、小説という仮想空間の中での話ではあったが・・・・・・。

 その筆殺仕事人。本人は歴としたペンネームを騙っていたが、噂が噂を呼び、いつしか、投稿サイトにおいて、『鐘木(べるぎ)もんど』と呼ばれるようになった。


 私は、クラスの中でも存在感の薄い女子高生。

 浮いているわけではない。無視されているわけでもない。単に、クラスメイト達に私の存在を気付かれていない、というのが正確な表現だった。

 昼間に出てきた幽霊みたいな存在。

 私は、人見知りが激しく、会話の輪に入るのが苦手だ。

 だから、授業でも挙手して目立つような行動を取ったこともないし、クラブ活動もしていない。

 何処にでもいそうな平均的で没個性の顔付きをしている。髪型も校則通りだ。

 身体だって、身長が高かったり低かったりもせず、胸が出ていたり、お尻が大きかったりもしない。

 学校の授業が終わると、一目散に自宅に帰って、読書に没頭する。

 本の世界を彷徨うことは、本当に楽しい。

 好きな時に入って、好きな時に出てくればいい。気が楽だった。

 こんな感じだから、クラスメイトとも共通の話題を持てない。会話の輪に飛び込むのが、いよいよ億劫になってしまう。

 体育祭や文化祭の時も、クラスで役割分担を決めるホームルームの時間になると、伏し目がちに座ったまま。

 誰かに振り当てそびれた裏方の地味な仕事が私に回ってくる。それが、私にとっても気楽だった。

 でも、社交性のない人間のままに成人してはいけない、という危機感も多少は抱いている。

 もう、女子高生なのだから。

 成人式まで間もないのだから。踏み出さないといけないと頭では理解しているけれど、どうしても足が動かずに、モジモジしている。

 そんな毎日を送っていた。

 これは結構ストレスが溜ってしまう。

 だから、ネット上で、『鐘木もんど』を探し回った。

 最近は、恨みを晴らしてやりたい相手がいなくても作品を書いてくれる、という風聞が立っていたからだ。


 そして、依頼に応えて執筆してもらった作品が、『葛餅虫2』という作品である。


『単細胞生物の葛餅虫は、東南アジアの奥地で、日本の昆虫学者によって発見された。

 正確には昆虫ではないが、ミドリムシが虫ではないのと同じように、その大きさがウズラの卵ほどもあるので虫と命名された。

 その外観は葛餅そっくりで透明だ。弾力性のある細胞膜が水分を蓄えている。

 生態は詳しく分かっていないが、熱帯雨林の地面の隙間などに転がっている。

 まさに転がっているという表現が適切で、鞭毛の類は一切なく、動く能力は全く無い。

 自発的な生殖活動は観察されておらず、何かの衝撃で細胞が割れると、細胞膜の裂け目が癒着し、2つに分裂する。

 そして、水分を改めて蓄積していってウズラ卵の大きさに復元する。

 細胞を乱暴に破裂させると、2つではなく、もっと多くの葛餅虫となって再生する。

 葛餅虫の細胞膜は不思議な構造をしているようで、海水なんかに入れると浸透圧の作用で徐々に小さくなる。

 塩を掛けても小さくなる。でも、ナメクジのように死に至ることはない。

 一方で、乾燥には強い耐性を示す。蒸発によって葛餅虫が小さくなる事は無さそうだった。

 厳しい環境に強いからと言っても、生物なのだから寿命はありそうだ。

 ただ、発見されてからの日が浅く、その寿命を観察するには至っていない。

 一方で、仮に寿命が長かったとしても、生殖活動が他人任せなので、これまで劇的に繁殖する事も無く、ひっそりと生きてきたようだった。


 日本の昆虫学者がアメリカの科学雑誌で葛餅虫の存在を発表すると、さっそく、中東の富裕国が着目した。

 原産地国の政府に接触を試み、その活用策を打診した。

 葛餅虫を砂漠の緑化に活用するのだ。

 東南アジアで水分を蓄積した葛餅虫を中東の砂漠に埋める。植物が根を延ばし、葛餅虫から水分を得ることは可能なようだった。

 砂漠地帯といえども降水量はゼロではない。その僅かな雨水を葛餅虫はまた備蓄するだろう。

 つまり、砂漠の保水能力を高める機能を葛餅虫に期待したのだ。

 最初、中東の富裕国は、ウズラ卵の大きさになった葛餅虫をそのまま、緑化予定の砂漠までコンテナ輸送しようと試みた。

 でも、葛餅虫が破水する確率が高いのが難点であった。

 別に破水しても葛餅虫は死ななかったが、搬送先の中東が乾燥地帯なので、ウズラ卵の大きさに回復する事は期待できない。

 中東の富裕国としては、何のために輸入したのか分からない。


 輸送の実現には、葛餅虫を衝撃から守る緩衝材が必要だった。

 だから、東南アジアでは、掘り便タイプの浄化槽から回収した糞尿をドラム缶に詰め、その中に乾燥した葛餅虫を放り込んだ状態で輸出するようになった。

 手っ取り早いからである。下水処理の解決策にもなる。

 実は、この方法は受入側の中東でも利便性があった。

 葛餅虫は糞尿から水分だけを取り出してウズラ卵の状態になる。

 水分を吸い取られた、つまり半ば乾燥した糞尿は良い肥料となった。

 寄生虫の類は、運搬船が赤道付近を航行する間に、糞尿が乾燥する影響もあり、駆除された。


 こうやって、中東の富裕国では、徐々に砂漠の緑化が進み始めたのだ。

 中東の富裕国では、まず市街地の周りを緑化することでオアシスを形成した。乾燥に強い植物、例えばオリーブなんかを植林した。

 徐々に緑化面積が広がると、富裕国にも欲が出てくる。

 オリーブやナツメの植林だけに満足できず、麦や蕎麦の栽培もやってみたくなる。

 食糧自給率を少しでも上げたいと思うのは当然だ。


 また、中東の富裕国の成功例に続きたいと考える国が相次いだ。

 砂漠化に悩む国は中東に限ったことではないからだ。

 そのためには、葛餅虫を大量に繁殖させる必要がある。

 その繁殖事業を国際連合が担うことになった。

 そして、新たに設立された機関が、Kuzumochi Ball Aquafarming Organization、略称KBAO。葛餅虫養殖機関である。

 KBAOは、雨量の多い地域で養殖事業を始めた。

 最初は、既存のインフラを活用できるということで、タイのエビ養殖業者の事業転換を促した。

 エビ養殖業者としても、病気に弱いエビよりも葛餅虫の方が、売上高が安定するという魅力があった。

 もっとも、事業転換が進むと需給タイトとなったエビの値段が上がり、逆にエビ養殖を再開する業者も現れたので、タイからエビ養殖産業が消えることはなかった。

 替りに、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー等の周辺国に、葛餅虫の養殖産業が広がった。

 大した養殖技術を必要としなかったからだ。

 池に放り込み、人力作業でも構わないので定期的に粉砕を怠らなければ、葛餅虫は個体数を順調に増やしていく。

 これらの国の下水道インフラは未整備なので、その点でも葛餅虫の輸出事業は都合が良かった。

 それまで垂れ流されていた糞尿は、葛餅虫の梱包材としてリサイクルされ始めた。

 タイは、周辺国への葛餅虫輸出用のドラム缶の供給基地として発展していった。

 KBAOは、雨量の多い発展途上国ならば、東南アジアに限らず、養殖事業を展開していった。アマゾン川流域の南米諸国が、その代表例だ。

 消費国の方も、中東全域に止まらず、アフリカの国々も、葛餅虫を砂漠緑化に活かし始めた。

 葛餅虫の購入費用は、KBAOが無償なり有償なりの資金援助をすることで賄った。

 農業が始まれば、次第に国は豊かになる。豊かになる数十年後に有償の援助資金を返済すれば良い。

 それに、国が豊かになれば、テロの脅威も減ってくる。

 自暴自棄にならざるを得ない状況から解放され、将来に希望を持てるようになれば、人々は殺人なんかに手を染めない。

 こうして、余りに目立たないが故に人類に発見されなかった葛餅虫であったが、その秘めた能力は人類社会全体を良い方向に変え始めたのだ』


 勿論、登場人物、団体名は全てフィクションであり、この作品だけを読んだ読者が、その裏に隠された真意を推し量ることは不可能だ。

 依頼者の私が、ほくそ笑むだけである。

 私は、この作品が送られてきた時、「何故、小説タイトルに”2”が付いているのだろう?」と訝しんだ。

 でも、直ぐに鐘木もんど先生の別の短編集に『葛餅虫』という作品が収蔵されていることに気付いた。

 わざわざ私のために手直ししてくれたのだ。その行為が、ちょっと嬉しい。

 と同時に、短編集に収蔵された『葛餅虫』はゼウス神が登場したりして、他の短編作品からは浮いている。鐘木もんど先生もこういう再利用のチャンスを窺っていたのでは? なんて、意地の悪い、うがった見方もしてみる。

 読書好きの私の目は誤魔化されないぞ。そう考えると、鐘木もんど先生の事が、可愛く思えてきた。

 もしかして、そう指摘させることで、私をリラックスさせようとしたのかしら?

 いずれにしろ、鐘木もんど先生が私に伝えたかったことは、分かったような気がした。

 私にも、そのうち、葛餅虫を発見した昆虫学者の様な人が現れるかもしれない。

 そういう脚光を浴びた時に、直ぐにでも社会のために働けるように、自分の能力や実力を磨いておこうと思う。

 人見知りの性格に悩んでいたことが、馬鹿らしくなった。

 私が今やらなければならないことは、自分の将来を信じて、自分を磨くことだ。

 ただ、そう感じる人間は私だけだろう。

 なにせ、この作品は私のためだけに生まれてきたのだから。

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