第5話 就活生の鬱憤

 世知辛い世の中を生きていくならば、大なり小なり、ストレスは溜って来る。

 人間社会から隔絶された山奥なんかで、仙人のような暮らしをしていれば別だが、人間社会にどっぷりと浸かって生活していくならば、対人関係にも疲れてくるというのは避けがたい現実だ。

 そういう人生を過ごしていくと、「殺してやりたい」とは決して思わないけれど、「こんちくしょう」と思う相手が幾人かは出現するものである。

 そんなプチな怨みを抱いて日々を過ごす人間は、思っている以上に多いらしく、そのプチな怨みを晴らしてくれる篤志家が現れたのだ。

 人呼んで、筆殺仕事人。

 普段は、世間のありふれた人々と同じ生活を送りながら、しかし、それは世間を憚る表の顔であって、裏稼業は依頼人に変わって成敗してくれるのだ。

 ただ、成敗してくれるのは、現実世界ではなく、小説という仮想空間の中での話ではあったが・・・・・・。

 その筆殺仕事人。本人は歴としたペンネームを騙っていたが、噂が噂を呼び、いつしか、投稿サイトにおいて、『鐘木(べるぎ)もんど』と呼ばれるようになった。


 俺は、就職活動が真っ最中の大学生。

 かつての就職氷河期状態が薄れてきたとはいえ、有名大学とは決して言えない普通の大学に通っている俺に内定を出してくれた企業は、未だ無い。

 昨夜も、二次面接まで進んだ企業の人事部から、「今後の御活躍を心よりお祈り申し上げます」という断りの電子メールを受け取った。

 あんな短時間の面接だけで、どうして俺が駄目な人間だと判断できるんだ!

 そう心の中で叫んでみるが、栓無いことであった。

 それに、こちらも接触した企業の事を熟知しているわけでもない。

 数打ちゃぁ当るかも、と散弾銃のように数多接触を試みた企業の1つに過ぎない。

 良い企業かどうかは二の次だ。

 それに、社会で働いた経験はアルバイトでしかなく、組織の歯車になって働くという事が、どういう事なのか、今の俺にはサッパリ分からない。

 ただ、この点は他の就活生にとっても同じ事なんだろう。

 一方で、そんなに冷静に自己分析をしていても、解決の道は見付からない。

 大学を卒業すれば働かざるを得ず、そのためにも内定は必須の登竜門なのだから。

 昼間は靴底を摺り減らして企業訪問を重ね、夜は自宅アパートに戻って悶々とする。

 この現実社会に入るための高い城門の前で、俺は茫然と立ち竦んでいた。

 これは結構ストレスが溜ってしまう。

 だから、ネット上で、『鐘木もんど』を探し回った。

 恨む相手は個人ではなくて不特定の組織だったけれど、是非、この恨みを晴らしてもらいたいと思ったからだ。


 そして、依頼に応えて執筆してもらった作品が、『枠煉獄』という作品である。


『今年30歳になる夏木は東亜製造という会社の人事部で働いている。

 春の社内大異動の繁忙期を過ぎると、採用活動という次の波が押し寄せてくる。

 夏の日差しが容赦なく照りつけるようになった今、その採用活動は佳境を迎えていた。

 これはと目を付けた学生には1人また1人と内定を出し始めていた。

 来年にでも管理職になろうかという入社年次の夏木は、その採用活動の実働部隊のリーダーとして働いていた。

 具体的には、候補学生を自ら面接して品定めし、実質的な採用合否を判断していた。

 その際、常に念頭に置いているのは採用枠である。


 採用枠を上回ってもいけないし、下回ってもいけない。


 幸い、夏木が入社して以降、企業側に有利な買手市場は続いている。

 だから、採用枠に未達となる心配は全く無い。だから、夏木の首が絞まることは考え難い。

 一方、買手市場ということは、就職活動中の学生にとっては辛い現実だ。

 面接を受けた誰かが落選する。

 合格を決めた学生と話すのは楽だ。「これからは仲間だ。一緒に頑張ろう!」と肩を叩いていれば良い。

 荷が重いのは、落選と決めた時だ。

 夏木だって、相手の人生を狂わす判断かもしれないと、いつも自戒している。好きで落選にしているのではない。

 会社組織の歯車の1つに過ぎない夏木には、採用枠を無視する事が出来ないのだ。

 昔は、「残念ながら・・・・・・」と本人に直接伝えていたそうだ。

 昔の人事担当者は本当に辛かっただろうなと思う。

 今は学生のスマホに電子メールを打てば済む。相手の落胆した顔を見なくて済むのは大助かりだが、メール発信のボタンを押す時は、どうしても指が震えてしまう。

 学生の悲しそうな顔が思い浮かぶのだ。

 今日も、これから2人の学生に落選を告げるメールを打つところだ。


 久しぶりに同期が集まり、会社近くの居酒屋で酒を酌み交わした。

 10人弱の同期の誰もが管理職を目前にした中堅担当者だ。

 社内の色々な職場に配属され、日々の業務に取り組んでいる。

 管理職目前なので、ただ頑張るだけじゃなくて、会社の都合ということを絶えず念頭に置く習慣が身に着いた世代である。

 そういう同期が集まると、当然ながら、仕事の愚痴も出てくる。

 愚痴の最たるものは、身動きとれない不自由さを訴えるもの。


 同期の誰もが足枷と感じているのが、“枠”であった。


 営業に配属された同期が口火を切る。

「日本マーケットはどうしようもないけど、今、輸出の商売なら幾らでも売れるんだよなあ。

 もっと“販売枠”を増やしてくれれば、会社の収益向上に貢献できるのに・・・・・・」

 本社の技術統括部門の同期が、半分同情したような顔で宥めに掛かる。

「俺達も営業の鼻息の荒さは認識しているよ。

 販路開拓のチャンスを逃がす手は無いって、技術屋の俺達だって分かるさあ。

 だから、“販売枠”に見合う“生産枠”にしようと色々と工場にプレッシャーを掛けているんだけどさ、実際問題、生産能力が足りないのよ!」

 偶々出張していて宴会に参加した工場勤務の同期も、相槌を打って加勢した。

「そうだよ。

 俺達だって、少しでも生産能力が上がるように知恵を絞っているけどさあ。

 やっぱり、ちゃんと設備投資をしないと抜本的には解決しないのさ。

 でも、設備投資額にも“枠“が有るからさ。

 一方で、既存設備の修理は優先しなくちゃいけないから、設備投資なんて無理なんだよな。

 おい、財務部がもっと”枠“を増やしてくれれば、問題は解決するんだぞ!」

 技術屋2人に財務部の同期が反論する。

「無理言うなよ。今までの赤字続きで借金が膨らんでいるんだからさあ。その返済を優先するのが筋だよ。

 お前らが頑張ったって、銀行に金利で持っていかれたら、面白くないだろう?」

 夏木の所属する人事部もそうだが、それ以外の職場にも、様々な“枠”が有った。

 皆一様に窮屈さを感じていたのだ。


 同期の宴会から数カ月後。

 早めの忘年会ということで、職場の宴会が催された。催されたと言っても、安酒場だが・・・・・・。

 人事の人間は、仕事の悩みとか夢を語るのが好きである。

 生来好きということではなく、それが仕事の1要素なので身に染み着いているという方が正しいかもしれない。

 職場同僚を相手にした時も、それは同じである。

 夏木は上司の課長に、「同期は皆、“枠”に辟易していますよ」と、同期会での遣り取りを紹介した。

「なあ、夏木。俺は思うんだよ。

 組織を円滑に動かすためには、社員同士の辻褄を取るしかない。そのためには、”枠“って必要悪なんだろうなって。

 ”枠“を窮屈に考えているのは、お前らの年次に限らないぞ。俺だってそうだ。

 サラリーマンという歯車として生きて行くんなら、”枠“との付き合いは諦めなくちゃ。

 “枠”っていうのは、歯車同士がお互いに噛み合う、その相手の歯車の山なんだよ」

「確かに、課長のおっしゃる通りなんでしょうね。

 別に“枠”の存在を否定するつもりは無いんですよ。ただ、窮屈っていうだけで・・・・・・」

「なあ、夏木。"枠“の反対の意味の言葉って、何だと思う?」

 しばらく夏木は考えていたが、答えは分からない。

 そんな思案顔の夏木を横目に、課長はビールジョッキを傾けた。

「夏木。“枠”って、何度も続けて、早口言葉みたいに言ってみろ」

 課長の言いたいことが分からず怪訝な表情を浮かべる夏木であったが、酒場とはいえ上司命令だ。

「ワク、ワク、ワク、ワク」

「もっと早く」

「ワクワクワクワクワクワクワクワ、クワ、クワ、クワ、クワ、クワ」

「そうだ。“枠”の対義語は“鍬”なんだよ」

「何かの頓知ですか?」

「例えば、工場を新しく建設しようっていう時は、地鎮祭で鍬入れ式を遣るだろう?

 工場が建設されれば、生産能力が上がる。会社の規模も大きくなる。色んな“枠”も大きくなる。

 “鍬”っていうのは、そういう“枠”を大きくするための打ち出の小槌みたいな物さ。

 何でも、その境界線を広げないと、窮屈さは解消しない。

 そういう境界線を広げるような仕事をしようじゃないか、俺達は!」

 課長は、ガハハっと笑うと、夏木の肩を強く叩いた。

 何となく、はぐらかされた気がしないでもない。


 それから更に20年以上の月日が経った。

 夏木も人事部でそれなりの役職を占めるようになっていた。

 だが、会社の状況は悪かった。寧ろ、悲惨と言った方が正しいかもしれなかった。

 この20年、世界中で保護貿易の動きが広がった。或る国の保護貿易政策に対して報復的に他国が保護貿易政策を採用し、その連鎖反応が進んだのだ。

 最盛期の東亜製造の売上高は、その半分近くを輸出に依っていたが、それが今や壊滅状態だった。

 工場の稼働率は低迷し、従業員の人員合理化も始まっていた。


 人員合理化にもまた、“枠”が設定されていた。


 今、個室で、夏木は役員と2人っきりで向かい合っていた。

「夏木君。

 君が人員合理化計画に邁進してくれたことには感謝しているよ。よくやっている」

「ありがとうございます」

「だがな・・・・・・。

 未だ人員合理化の“枠”を埋め切っていないのだよ。今後の達成見通しはどうなのかね?」

「正直言うと、もう限界ではないかと思います。

 特に、現場の方は・・・・・・。

 これからは採用を抑制し、時間を掛けて軟着陸させるしかないのではないでしょうか」

「単価の安い若い従業員の数を抑えても、高が知れているよ。

 そんな腑抜けなことを言うとは、君らしくない。

 そんなことでは倒産してしまうよ、我が社は」

 夏木としては項垂れているしかない。

 一方の役員は、席を立って窓際まで歩くと、外の景色に目を遣った。おもむろに役員が口を開く。

「人員合理化が“枠”未達となれば、銀行は貸し剥がしに動くだろう。

 そうなると資金繰り倒産は免れん。

 夏木君。早期退職に応じてはくれんかね?

 人事部門の重鎮として、ケジメを付ける必要もあるだろう。

 それに・・・・・・単価の高い君が早期退職に応じてくれれば、若い社員の数人分の効果がある」

 役員の視線は窓の外を向いたままである。夏木を振り返ろうともしない。

 これまで心労を重ね、夏木も疲れ果てていた。

「わかりました」


 出社最後の日を迎え、私物を小脇に抱えて小さな本社ビルを出る。夏木は振り返って、長く勤めてきた会社ビルを眺めた。

 会社の発展に貢献してきたつもりだったが、最後は追い出されるように退社する羽目になった。

――自分のサラリーマン生活とは何だったのだろう・・・・・・

 夏木は憔悴した頭で、ぼんやり考えた』


 勿論、登場人物、団体名は全てフィクションであり、この作品だけを読んだ読者が、その裏に隠された真意を推し量ることは不可能だ。

 依頼者の俺が、ほくそ笑むだけである。だが・・・・・・。

 この作品を読み終えた時、俺のモヤモヤした気持ちが晴れることは無かった。

 確かに、人事部所属の主人公は、不幸な結末を迎えている。

 でも、この主人公が不幸な境遇に甘んじるべき人間だとは思えなかった。一方で、人それぞれに事情があるのだということは、朧気ながら分かった。

 反面、現実社会への登竜門を閉ざされたままの自分がいる。

 最もリアルに不遇な状況で足掻いているのは自分だ。だが、自分を不採用とした人事部の人間を恨むのは筋違いだ、ということも理解した。

 では、自分は何をすれば良いのだろう?

 作品中の人事課長のセリフじゃないが、境界線を広げる“鍬”のような仕事って何だろう?

 会社組織で働いた経験の無い俺には分からない。

 でも、何かに寄り掛かっていちゃ駄目なんだろうな、とは思う。兎に角、行く行くは自立しなくちゃ。

 よく考えると、人口が減少し始めた日本にしがみ付いていても、境界線は広がらないんじゃないだろうか?

 だったら、海外? でも、俺には語学力が無いぞ。

 それに、海外で通用する人間になるためには、語学以外にも自分を磨く必要がある。

 でも、自分を磨く仕事って何だろう?

 答えは1つも見付からない。

 この作品が送られてきて以降、そんな事を考えて夜を悶々と過ごすようになった。

 悶々と悩むこと自体は以前と全く変わらないが、自分でも、何処か前向きのような気がする。

 履歴書を淡々と読み上げるような、起承転結も無く詰らない短篇小説だけれど、この作品を読んで良かったと思った。

 ただ、そう感じる人間は俺だけだろう。

 なにせ、この作品は俺のためだけに生まれてきたのだから。

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