第2話 お局の鬱憤

 世知辛い世の中を生きていくならば、大なり小なり、ストレスは溜って来る。

 人間社会から隔絶された山奥なんかで、仙人のような暮らしをしていれば別だが、人間社会にどっぷりと浸かって生活していくならば、対人関係にも疲れてくるというのは避けがたい現実だ。

 そういう人生を過ごしていくと、「殺してやりたい」とは決して思わないけれど、「こんちくしょう」と思う相手が幾人かは出現するものである。

 私は、そんなプチな怨みを抱いて日々を過ごしている。

 でも、私と同じように、プチな怨みを抱いて日々を過ごす人間は、思っている以上に多いらしく、そのプチな怨みを晴らしてくれる篤志家が現れたのだ。

 人呼んで、筆殺仕事人。

 普段は、世間のありふれた人々と同じ生活を送りながら、しかし、それは世間を憚る表の顔であって、裏稼業は依頼人に変わって成敗してくれるのだ。

 ただ、成敗してくれるのは、現実世界ではなく、小説という仮想空間の中での話ではあったが・・・・・・。

 その筆殺仕事人。本人は歴としたペンネームを騙っていたが、噂が噂を呼び、いつしか、投稿サイトにおいて、『鐘木(べるぎ)もんど』と呼ばれるようになった。


 私は、40歳を目前にした、しがないOL。

 入社した時は、同期入社の女の子が何人かいたし、先輩や後輩を含めれば、結構な人数の女性社員がいた。

 自慢じゃないが、そんな女性社員の中では、断トツに男性社員からの人気が有ったのだ。実際に、何人もの男性社員からデートの申し込みがあった。

 でも、悲しいかな。

 私は中高一貫の女子校に通い、果ては女子短大に進学したので、男の子と交際した経験に乏しかった。

 というか、交際経験はゼロだった。

 だから、デートの断り方も分からなかったので、全ての申し出を受けた。

 そして、上手な交際の断り方も想像できなかったので、ズルズルと同時に2人、3人の男性とデートを重ねてしまった。

 でも、デートと言っても、食事に付き合っただけ。

 食事だけで引き揚げるのも気が引けたので、男性が二次会に誘ってくれば、カウンター・バーやスカイ・ラウンジまで付き合った。一緒にグラスを重ねれば、男性の話す話題にも笑顔で応えた。

 だって、折角、誘ってくれているのに、仏頂面できるわけがない。

 そんな優柔不断な態度を取り続けているうちに、私には、男を手玉に取る悪女、という評判が付き纏うようになり、遂には誰も声を掛けてくれなくなった。

 私が悪いというのは自覚している。でも、どうしたら良かったの?

 職場の男性社員から私が見放される一方で、他の女の子は結婚相手を次々にゲットしていった。

 残り物に福が有るなんて諺は嘘。

 気が付くと、私の身の周りには、私と釣り合う年齢の男性社員が1人もいなくなっていた。私は1人ぼっちになってしまった。

 勿論、男性社員も女性社員も毎年きまったように入社してくる。

 でも、私はもう、入社してきた男性社員からは、結婚相手と見做されなくなっていた。

 私に声を掛けるよりは、年齢の近い女の子に声を掛ける方が話題も合うし、気が楽なので楽しいに決まっている。

 仕方なく、私は婚活に本腰を入れ、社外に出会いを求めたりもしたけれど、異性に対する優柔不断さは変わらなかった。

 だから、今も独身だ。

 それは仕方ない。

 でも、職場のみんなが、私の事を、ちょっと冷たい感じのするお局、近づくのに身構えてしまう、という態度を取り始めたのには参ってしまう。

 私は、本当は、声を大にして訴えたいの。

 私を仲間外れにしないで!40歳直前の大人が口にするセリフじゃないけれど・・・・・・。

 これは結構ストレスが溜ってしまう。

 だから、ネット上で、『鐘木もんど』を探し回った。


 そして、依頼に応えて執筆してもらった作品が、『遠回りの幸せ』という作品である。


『ヨーロッパの或る国に、白雪姫というお姫様がおりました。

 白雪姫は、かわいそうに、幼少期に母親を亡くし、母親のことを朧気にしか憶えていません。

 でも、それを寂しいとは、王様の前では一言も漏らしませんでした。そんな事を言えば、父親の王様が悲しむだけだと、幼心に分かっていたからです。

 でも、白雪姫は女の子です。

 王様のいない時には、窓辺のカーテンの端を握りしめて、寂しいと漏らすこともあります。

 その様子は、侍従達を通して、王様の耳にも入っていました。不憫に思った王様は、できるかぎり白雪姫と遊んでやり、寂しさを紛わせてやろう気を配りました。

 でも、所詮は男親ですから、王様が一緒に遊んでやるといったら、チャンバラごっこや狩りに連れて行くこと。

 お転婆娘にしかなりません。

 勉強の方は侍従達が面倒を見ているので大丈夫ですが、雰囲気というかオーラが男勝りなのです。


 何年もの歳月が流れ、白雪姫は、とても綺麗で、そして心優しい少女に育ちました。

 そろそろ、結婚という事も考えなくてはなりません。

 他の国にお嫁に行くにしろ、婿養子を取るにしろ、今のお転婆娘のままでは、王子様にそっぽを向かれそうです。

 王様は、このままでは白雪姫の教育に良くない。やっぱり、自分は再婚することにしよう、と決心しました。

 そして、遠い国から、白雪姫の母親と同じくらいの年齢の御妃様を迎えました。

 この御妃様は、非常に綺麗な女性だったのですが、父親が政略結婚の宛がい先に逡巡している内に婚期を逃し、その年齢になるまで結婚したことが有りませんでした。

 この御妃様もまた、1人の女性です。

 当然ながら、結婚生活に夢を抱いていました。

 幸い、白雪姫の父親は、子煩悩で家族想いの心優しい王様だという評判が近隣諸国に流れ、その噂は御妃様の耳にも入っていました。

 だから、これで自分も幸せになれると期待に胸を膨らませて、この国に嫁いできたのです。

 王様と御妃様は、盛大な結婚式を挙げ、初夜を共にします。

 ですが、読者の世界とは違って、平均寿命の短い昔話の童話の世界です。

高齢者出産なんて想像すらできません。

 王様と御妃様の間に子供が生まれることは有りませんでした。

 それでも、御妃様としては、王様が自分の事を愛してくれさえすれば、不満は有りませんでした。


 実際、王様は、世間一般の基準からすれば、御妃様を大事にしてくれました。

 一方で、白雪姫の方が大事だというのは、親として当然の事でした。

 もし、前の妃が病気で亡くならずに生きていたとしても、やっぱり最優先に愛情を注ぐ相手は娘の白雪姫だったでしょう。

 でも、子供を産んだことのない御妃様には、心の奥底で納得がいきません。

 とはいえ、御妃様は、そんな感情を封印し、白雪姫を女性らしくするために、一生懸命に教育しました。愛する王様からも頼まれていましたから。

 ところが、白雪姫が適齢期を迎えるまでには、僅かな時間しか残されていません。しかも、今現在は、お転婆娘なのです。

 御妃様は、目尻を釣り上げ、心を鬼にして、白雪姫を教育しました。

 白雪姫には、そのスパルタ教育が苦痛でした。

 だって、初恋すら未経験の少女に過ぎないのですから。

 しかも、生まれてから今まで、或る意味、自由奔放に育ってきたのですから。

 堅苦しい行儀作法や女らしい仕草なんて気にした事がなかったのですから、無理も有りません。

 いくら心優しい白雪姫だって、御妃様のいない時には、ウンザリした表情を浮かべたり、不満を零したりもします。

 その様子を目にした侍従や家来達は、白雪姫に同情しました。そんな話を耳にした王様も、少しだけ御妃様に冷たい目を向けたりもしました。


 御妃様は困ってしまいました。

 困った御妃様は、魔法の鏡に相談します。御妃様の部屋に掛かった魔法の鏡は、第三者の誰かに内諸話をするはずがありませんから、安心して自分の気持ちを吐き出せる相手でした。

「鏡よ、鏡、鏡さん。

 この世で一番美しいのは誰かしら? 王様の心を最も掴んでいるのは誰かしら?」

 鏡の中央部から煙のような映像が湧き起こり、鏡の精が顔を見せました。

「その質問は大雑把過ぎますよ。大概のスポーツだって、重量級、軽量級と分かれているでしょ。

 既婚女性の部門だったら、御妃様が断トツです。

 未婚女性の部門だったら、白雪姫です。

 王様の寵愛は、お二人とも受けていらっしゃいます」

――そういう事じゃないのよねえ。無粋な鏡だから、優等生っぽい回答しか寄こしやしない。

「はっきり言うわ。

 私は、王様の愛を独占したいの。どうしたいいと思う? 知恵を貸してちょうだい!」

 鏡の精は黙り込んでしまいました。

 それは無理難題というもの。

 でも、返事をしないでいれば、普通の鏡と変わりません。普通の鏡と同じ扱いを受けるのは、鏡の精のプライドが許しませんでした。

 だから、こう答えたのです。

「王様の目の前から、白雪姫がいなくなれば良いのです。

 そうすれば、王様の愛は御妃様だけに向かいます」

 御妃様は、ほっそりとした人差し指を頬に当てると、鏡の精の提案を吟味しました。

「考えてみると、あなたの言う通りだわ」


 翌日、御妃様は、学習机の前にちょこんと座る白雪姫に向かって、言いました。

「白雪姫。

 私は、あなたが淑女となるように一生懸命に教えてきました。あなたにとっては苦痛だったでしょう。

 だから、遣り方を少し変えます。

 私が与えた課題をクリアしたら、森の中に泊まりがけで遊びに行っても構いません。

 野宿を許可する日数は、課題の難易度に応じて決めます。難しい課題をクリアしたら、長く野宿していて構いません」

 ずうっと勉強しろと言われればウンザリですが、息抜きを間に挟めば集中力も続きます。

 白雪姫は嬉しくなりました。

 御妃様だって、白雪姫の教育効果も確保でき、王様と2人っきりの暮らしも手に入る一挙両得の学習プランでした。

 御妃様は、アルプスの少女ハイジを教育するロッテンハイム女史のような形相で、今まで以上に厳しく教育しました。

 そうしないと、学習のべ日数は減るのですから、教育効果を期待できません。

 でも、白雪姫も森での息抜きを希望に、頑張って勉強に励みました。


 森に行く時は、侍従と家来と下男達が7人、付き添います。小人ではなく、普通の大人です。

 彼らが、テントを張り、火を焚き、食事を作るのです。白雪姫が眠る時は、兵士が寝ずの番をします。

 白雪姫は、昼間は森の中を走り回り、たらふく料理を食べ、輝く星空を見上げながら眠ります。

 大自然の中の幸せな時間が過ぎていきました。

 一方の御城の中では、王様と御妃様が、夫婦水入らずの食卓を囲みます。

 でも、王様は「白雪姫は大丈夫かなあ」と言って、気も漫ろです。これには御妃様もガッカリしました。

 挙句の果ては、「ちょっと様子を見て来るから」と言って、王様も森に行く始末。

 御妃様は何日も1人ぼっちで食事をする羽目になりました。

 大誤算でした。


「いよいよ最終手段を執らなければ、私の幸せは永久に来ないわ」とノイローゼ気味になった御妃様は、御城付きの魔女に相談しました。

 それも直截的な言い方で。

「魔女さま。白雪姫を殺す為の毒林檎を、私にちょうだい」

 魔女はビックリ仰天しました。

 魔女は御城付きですから、そんな要請には答えられません。でも、目の前の御妃様を拒絶することもできません。宮仕えの辛いところです。

 だから、殿方がキスする時まで眠り続ける魔法をかけた林檎を、替わりに手渡しました。見た目は只の林檎です。

 御妃様は、みすぼらしい服を初めて身に着け、農家の婦人に変装して森に出掛けました。

 そして、白雪姫が1人になるチャンスを伺いました。

 お転婆娘の白雪姫が1人で森を出歩くことは何度もあります。それに、排便時は1人です。

 そんなに待たずに、御妃様は白雪姫と1対1で話すチャンスを手にしました。

「あら、御姫様。

 王様が善政を敷いてくれるので、私達、領民は農作業に励めます。

 これは、そのお礼の林檎です。是非、召し上がれ」

 炭で顔に黒い汚れを付け、日傘帽子を目深に被った御妃様に、白雪姫は気が付きません。

 白雪姫は、何の疑問も抱かずに林檎を受け取ると、豪快に噛み付きました。

 そして、スローモーションのように膝を落し、その場に崩れ落ちました。

 それを見た御妃様は、ちょっとだけ狂気じみた笑い声を上げました。


 その笑い声を不審に思った王様と7人の従者達は、横たわった白雪姫を見付け、茫然自失となりました。

 取敢えず、王様は、家来の1人に、御妃様を御城に連れ帰って軟禁しておくように命令しました。

 王様は白雪姫を抱き上げます。掌を白雪姫の顔に翳すと、その息遣いが感じられます。

 死んではいない。

 家来に命じて、急いで白雪姫を御城まで運ぶと、医者替わりの魔女に診てもらいました。

 この時代、近代医学は無いので、魔女が医者なのです。

 担ぎ込まれた白雪姫を見て、魔女は、診察もせずに言いました。

「これは、御妃様の深慮遠望なのです。

 中々お淑やかにならない白雪姫に絶望した御妃様は、寧ろ眠った状態で殿方の目に留まるようにした方が、婿殿を探し易いと御判断なさったのです。

 御妃様は、悩みに悩まれて心労が溜り、心が不安定な状態になっていらっしゃいます。

 王様、御妃様を大事になさってください」

 それを聞いた王様は、多いに驚いて言いました。

「御妃は、そこまで白雪姫の事を考えていてくれたのか!

 今度は、私が御妃の事を考えてやる番だ」

 魔女の受け答えは、宮仕えをする者としては、パーフェクトでした。


 さて、公開の場所に据えられたベッドに横たわる白雪姫ですが、当然ながら、怖い顔をした兵士達がぐるりと警護しています。近づける殿方が現れようがありません。

 たった1人を除いて。

 その1人が、絨毯に乗って空から白雪姫を見付けたアラジンでした。

 中東の殿方は、愛に積極的です。一夫多妻制のお国柄ですから。

 アラジンは、白雪姫の元に舞い降りると、慌てた兵士達が止める前に、白雪姫にキスしたのです。

 すると、どうでしょう!

 白雪姫はパッチリと目を覚ましました。

 当然です。白雪姫を愛する王子様でなくても、殿方であれば誰でもよい魔法なのですから。

 これを機会に、白雪姫とアラジンは結婚します。

 王様は2人の結婚に反対しませんでした。眠りの呪いを解くぐらいなのだから、アラジンが白雪姫に注ぐ愛情は比類なきものだろうと、王様は考えたのです。

 御妃様だって反対しません。白雪姫が中東に嫁げば、王様と水入らずの暮らしが実現します。鏡の精の提言は、これだったのだと納得しました。

 結論を言えば、白雪姫も幸せでした。

 今まで見たことも無い異国で生活できるのですから、ウキウキするのは自然な事です。

 それに、白雪姫の淑女になる教育は、途中で打ち切りとなっていました。でも、中東に嫁ぐのであれば、外国人だからと大目に見てもらえます。

 加えて、例えばテーブルマナーですが、ヨーロッパでも、4本歯で弓なりのフォークの使用が一般的になったのは、スパゲティーが広く普及した19世紀になってからの事。

 中東では依然として手食文化でした。白雪姫の拙いテーブルマナーが問題になることはありませんでした。

 アラジンが、側室を囲ったことは想定外でしたが、白雪姫は正室です。

 血気盛んなアラジンの相手を1人でする方が、寧ろ大変な事なのだと後で気付きました。

 白雪姫は、側室の存在を、故郷の王様には伏せていました。時代遅れの十字軍遠征を再現されては、元も子もありませんから。

 実際、ヨーロッパの常識に基づけば合格点をもらえるだけの夫婦生活を送り、何人もの子宝に恵まれました。

 アラジンだって、異国の女性が相手となれば、滅多なことでは並み居る側室に振り向きません。

 偶に里帰りする時も、空飛ぶ絨毯に乗れば一っ飛びです。大したホームシックにも罹らず、白雪姫は幸せに暮らしました。

 里帰りした白雪姫と御妃様を見比べると、妊娠しなかった御妃様は体型も崩れてはいません。

 歳は取ったけれど、美人のままでした。有り体に言えば、御妃様の方が白雪姫より美人だったのです。

 そういう御妃様を見るにつけ、王様の愛情は冷めることが有りませんでした。

 全員が幸せになりました、とさ』


 幾つもの童話がパッチワークとなって切り貼りされており、フランケンシュタインのように醜い作品である。パロディにすらなっていない作品だけを読んだ読者が、その裏に隠された真意を推し量ることは不可能だ。

 私は、この作品が送られてきた時、ジックリと、何度も読み返した。

 そして、鐘木もんど先生の励ましに涙を流した。

 日々の暮らしに腐るのではなく、前向きに、私の事を愛してくれる男性を探し続けよう。

 バツイチ子持ちの男性は、これまで結婚相手として門前払いだったけど、それも有りかもしれない。

 外人男性だって良いかもしれない。さすがに、アラブの富豪の第2婦人という選択肢には二の足を踏んでしまうけれど・・・・・・。

 ただ、そう感じる人間は私だけだろう。

 なにせ、私だけのために生まれてきた作品なのだから。

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