03
「なぁ、何かおかしくないか?」
白銀の毛が、優雅に靡く。
その大きな背中に僕は跨がり、振り落とされない様に、手に力を込める。
「この辺りには、鬼がいないのか?」
「先程まであった気配がナイ。あんなに、たくさんしたのニ」
曾祖父が、いざという時の為に、アマリアに何かを預けているらしい。
その『何か』を、僕達はこれから取りに行く所だ。
人間の足よりも、狼の足で急いだ方が、間違いなく速いからと、アマリアは本来の姿になり、辺りに注意を払いながら、僕を乗せて駆けている。
いくら注意を払っていても、鬼に遭遇しないとは限らない。
もちろん、お互いに気配は消しているけれど、万が一の時に備えてーーと、いう意味でも、アマリアは狼の姿である方が、都合が良いらしい。
だが、その『鬼』自体が、今度は何処かへ行ってしまったのか。
辺りには姿は愚か、気配さえ感じない。
これを、意味するものは……。
「急いだ方がイイ。嫌ナ予感がする」
「やめろよ。野生の勘程、当たる物はないじゃないか……」
やはり、アマリアも同じ事を考えていたのだろう。
外に出ていなかった僕は、アマリアが実際にどれ程の気配を感じたのかは、分からないけれど、たくさんの気配を、ものの数十分で消せる程の力を持っている者が、既に存在している。と言う事なのだろう……か。
「先程した気配カラ察するに、鬼どもの力は、そう強くはなかっタ。私達の様な、半端者も多くいたのだろウ。あの程度ナラ、私一人でも、軽く殲滅は出来ル」
「そ、そうか」
きっと、僕を勇気づけてくれたのだろう。
さり気なく恐ろしい事を、さらりとアマリアは言うけれど、だとしら、その殲滅させた奴は、アマリアと同等の力か、それ以上の可能性もあるのでは……。
だとしてだ。
そいつの気配がしないのも、嫌な感じ。
僕達と同じように、気配を消しているのだとしたら、もしかしたら、すぐ側で僕達の存在を確認しているかもしれない。
兎に角、今は何事もなく、早くその場に着いてくれと、願わんばかりだ。
今の僕では、力だけあって、何も出来ないに等しいからな。
「もうすぐ着ク」
家から駆ける事、十分弱。
思いの外、近い場所にそれはあるらしい。
安堵する僕。
そこは、寂れた神社が一つ。
昔は、綺麗な朱色をしていたであろう鳥居は、今にも崩れそうな程、朽ち果てている。
鳥居の先には、少し長く続く階段が確認出来た。
階段の周りには、手入れを全くされていない草木が伸びきり、その蔓が鳥居に巻き付いているものだから、益々、ここが神社なんだと、確認するのが難しい。
知らない場所ではないのに、ここに神社が存在しているなんて、知らなかった位だ。
「この先ダ」
アマリアは、駆けていた足を、この神社の前で止め、僕を降ろす。
瞬間、僕は思いっきり振り向いたーー同時にアマリアが、僕の前に立ちはだかる。
「気配だ……」
グルルルと、唸り声を上げながらアマリアは、警戒する。
「この先の社ニ、大おじい様から預かってイル物がある。早く取りに行ケ」
「アマリアは!?」
「私はココに残って、鬼がお前に近づかナイ様に見張ってイル。心配するな、この気配は大シタ鬼ではない」
「で、でも、ここは神社だろ?僕みたいなのが、入れるかどうか……」
そう。
吸血鬼は、決して神様と仲が良い訳ではない。
むしろ、忌み嫌われている。
悪名高い神様とは、それなりに交流があったみたいなのだけれど、こうして祀られる様な神様には、間違っても良くは思われていないだろう。
故に、僕達家族は、一度も神社に足を踏み入れた事がないのだ。
「この先の社にハ、私が入れたんダ。だから大丈夫」
「いや、お前は吸血鬼の血が流れているとは言え、狼は元々ら神様の眷属だったり、化身だったりするから、大丈夫だったんじゃないのか!?」
「……だからダ。本来ならば、私の様な汚れた血の狼ハ、神様には許してもらえない。でも、ここの神様は違ウ。私ヲ受け入れてくれた。ここの神様ハ、もうすぐ消えてしまう。だから、その前に早く行ケ!!私の友人でアルお前の事は、以前に伝えてある!!他の鬼は入れナイが、私とお前は大丈夫だ。いざとなったら、私もココへ駆け込むカラ!!」
アマリアと、ここの神様に何があったのかは分からないし、今は聞いている場合でもなさそうだ。
とりあえず、アマリアが大丈夫だと言うのなら、その言葉を信じよう。
「分かった」
恐る恐る、一歩足を踏み出し、鳥居を潜る。
唇を噛み締め、手には汗をかいていた。
吸血鬼にとって、神聖な場に足を踏み入れると言うのが、どれ程の危険を犯す事なのか。
それは─命を失う事を意味する。
心臓の鼓動が、周りに聞こえてしまうのではないだろうか。
それ位、耳障りだ。
額から流れ出した汗が、ポタリと足元の階段を濡らす。
「……入れた!?」
「由生!急げ!!」
そう言われて、肝心な事を思い出した僕は、一目散に、その階段を駆け上がった。
足は速いと自負している。
数十段はある階段を、二段飛ばしで、跳ねるように駆け上がると、突然視界が開けた。
小高い丘の上にある神社。
巨大なご神木の隣に、ひっそりと寄り添う様に、小さなお社があった。
「……あれか」
恐らく、もう誰も参拝はしていないのだろう。
長い事、手入れをされた形跡がないお社は、朽ち果てるのを今か今かと待たんばかりに、あちこちに腐敗が進んでいる。
そんなお社の前に、まだ少し新しい供物があった。
「これは……アマリアだな」
三個入りのプリンと、缶コーヒーが一本。
間違いなく、僕の家にあった物で、僕が夕飯後に頂こうと、先週の金曜日に購入したものだった。
僕は大のプリンと、コーヒー好きなのだ。
アマリアは、自分で食べたと言っていたが、まさか、神様のお供え物になっているとは。
神社に祀られる神様だろ?
プリンに、缶コーヒーと言う、思いっきり洋物の組み合わせで良いのか!?
「それが好きなんダ」
振り向くと、いつの間にか、人間の姿に戻っていたアマリアが言った。
「アマリア!鬼は!?」
「こちらに来るかと思ったガ、急ニ方向を変えて行ってしまった。もう大丈夫ダ」
「そ、そうなのか?」
「縁様ガ、追い払ってくれタのだろう?」
「えにし、さま?」
「ココにいる、神様だ」
そう言って、アマリアは、今にも壊れそうなお社に、優しく手を翳す。
それは……不思議な光景だった。
アマリアの手から、光の様な物が発せられ、それを浴びたお社の中から、小さな好好爺が現れたのだ。
「えぇっ!?人!?!?てか、何それ!魔法!?アマリア、魔法使えたの!?!?」
突然の出来事に、僕ら捲し立てるように、アマリアに問う。
その好好爺の見た目は、本当に人間の様で、身に付けている衣服だって、昔祖父が着ていた様な、ポロシャツとステテコと言った格好で……。
それに、ワインレッド色のベレー帽。
何故、ここでベレー帽?
ただ、アマリアの手の平の上に乗ってしまう程、小さな身体を見ると、やはり人間ではないのだと分かる。
「魔法とハ、少し違う。狼であれば、多かれ少なかれ、神様と共鳴する力が備わってイル」
「特にアマリアの先祖は、元々狼の神だからね」
まぁ、なかなかのやんちゃ者だったがのう。
と言い、ハハハ!と豪快に、その好好爺は笑う。
「ところで、君がアマリアの友人の、由生君だね?」
「は、はい!!」
いきなり名前を呼ばれ、思わず声が上擦った。
「ははは、そう堅くならんで良いよ。驚いただろう?」
「え、えぇまぁ……」
この状況で、驚かない奴などいるのだろうか。
それに、僕なんか聖域に入れて、この神様は、大丈夫なんだろうか?
「安心しなさい。儂はもうすぐ消える身だ。今更、規律やら何やらを守っていても、仕方があるまい。まぁ、元々儂は、そんな下らん規律を、守る神ではないのだけれどな」
「縁様……」
「……えっと」
明るく言ってはみせるものの、少し寂しそうな笑顔を浮かべ、その神様は、そう言った。
「縁様は、縁結びの神様デナ、昔は信仰も厚かったみたいなんダガ……」
「今では、丸っきりさ。そうさねぇ、ここ五十年以上になるかのう」
「五十年……」
僕が産まれる、ずっと前からだ。
「我々神は、信仰されないと生きていけない。私も、昔は大黒天に次ぐ、高天原でも有名な縁結びの神だったのだがねぇ。まぁ、時代の流れと言うのかの、縁結びの神は、何も儂らだけではなくなった。古今東西、ありとあらゆる場所に、縁結びの神が産まれ、信仰者は散り散りに。儂も昔は分社もあったものじゃが……今では、ここだけじゃ。人から願ってもらってなんぼの儂らは、願う者がいなければ、後は消えるだけさね」
「……でも、私がイル」
「あぁ、アマリアには感謝しているよ。お前がいてくれたから、儂もギリギリこうして存在していられた」
ーーいられた。
過去形。
それが、何を意味するのかは、僕でも分かる。
それは、初めて。
初めて、彼女の涙を見た瞬間でもあった。
透き通る程、白いその肌の上を、一筋の雫が、ツーと流れ落ちた。
「泣くでない、アマリア。お前も分かっていた事じゃろう?」
「……縁様ハ、私の恩人デモあるから」
「恩人だなんて、そんな大それたものでもないよ」
「私ハ、半端者だ。覚悟を決めて一族を離れタけれど、私ヲ受け入れようとしてくれた神様は、縁様だけだった。居なくなるのハ、悲しい。それにあの時……」
そう言うアマリアの瞳からは、次々と涙が零れ出す。
「なぁに。消えると言っても、今日明日と言う訳ではない。まだ、共に過ごせる日々はある。その為にも、お前は自分を恐れず、真の力を出しなさい。大丈夫、今のお前には、由生君がいるだろう?先祖の様には、ならないさ。あの時の様にもな」
そうでなければ、由生君を守れないよ?
そう続けた縁様の言葉が、僕の胸に突き刺さる。
僕を守る?
アマリアが?
確かに、僕より強いのは間違いないけれど、何故、アマリアが僕を守るのだろう。
それに、あの時って……。
「おや?君はアマリアの存在意義を、知らされていないのかい?」
「えぇ、まぁ」
「全く、素直じゃないにも程がある」
「恥ずかしいンダ」
今、あなたが僕を見られたとしたならば、きっと、僕の頭の上に、いくつもの?マークが見えただろう。
「彼女はね、君の曾おじいさんに、自分の子孫を守るように、言われているんだよ」
「え?」
「君の曾おじいさんは、産まれてくる子が、自分の子孫が、ダンピールである事を、常に心配していたんだ。自分の様な力を、全て受け継いで産まれてこない子供達。力のある自分には、それは未知の世界だった。未知の世界と言うのは……怖いものじゃよ。だから、アマリアに力を持たない君達を、守るように願ったんだ。狼である、彼女にね」
「あ」
狼ーー大神。
先でも少し触れたけれど、狼は良く神様の化身や、眷属として扱われる事が多い。
時代の中には狼を、大口之真神(おおくちのまがみ)と神名で呼び、大神として独自の神犬信仰に発展してきたのだ。
現に、今もそう言い伝えられている。
それが、僕の住む、この場所だ。
「曾おじいさんは、アマリアに吸血鬼の血を与えてしまった事を、酷く後悔していたよ。名前は確か、ジョージアと言ったかね?」
「曾じいちゃんを、知ってるんですか!?」
「知ってるも何も、良く酒を飲み交わしたよ。まぁ、その都度、儂は天界から、きつい灸を据えられたがね」
僕はてっきり、父さん達の代から、この場所に住んでいるものだと思い込んでいた。
「あいつは……吸血を止めてしまったから、死ぬのも早かったのう。あいつが死んだ後は、密かに、エリカさんを見守ったものだ」
吸血鬼は、吸血をする事で生命を維持出来る。
その生命線を経てば、どうなるかは火を見るより明らかだ。
勘当されて、故郷を捨てた二人。
まさか、そんな昔から、ここに住んでいたなんて……。
そして、恐らくここに来て割とすぐに、曾祖父は亡くなったのかもしれない。
「大おじい様ガいなければ、私ハ死んでいた。本来ナラば、汚れた血だと言って、命を絶たねばならナイのだけれど、私はそれでも、生きる道を選んダ。これは、私ノ意思」
「アマリア……」
僕の知らない、彼女の覚悟。
いや、知ってはいたけれど、重く……深く捉えていなかった。
今の僕には、当時のーー当人達の思いを、理解する事は出来ない。
だって、生きてきた時代が、あまりにも違いすぎる。
こんな、平和な日本に生まれ育った僕には、安易に気持ちが分かる。なんて言葉、口にしては駄目なんだ。
「そろそろ、本題を戻すとしようかの。先程の者を追っ払って、今日はもう儂、力使えんから」
「そう言えば、さっきの鬼は!?」
「アマリアの言うとおり、儂じゃよ。じゃが、儂も歳だからのう。力は一日に一度しか、発動せん事にしとる。そうでないと、予定よりも、早く消えてしまうし」
そ、そうなのか。
どうやって、追っ払ってくれたのだろう。
すごく気にはなったけれど、あまり時間がない事を思い出し、僕は縁様の話しに耳を傾ける事にした。
鬼の僕と彼女と鬼ごっこ 深咲 柊梨 @mashusaki0713
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