002

 ーpipipiー

 あぁ、信じられない。

 今日からゴールデンウィークだと言うのに、つい習慣で、目覚まし時計を設定してしまっていた。

 しかも、今年のゴールデンウィークは、並びが良く、一週間も学校が休みなのだ。

 だから、ゆっくり朝寝坊をしようと、昨夜は夜更かしをしたのに……こんなにも早く、僕の計画が水の泡となって消えるなんて……。

 悲しすぎるではないか。

 学生にとって、この長期休暇と言うのが、どんなに大切な物か、どうか御理解頂きたい。

 この間も、目覚まし時計は鳴り続けている。

 早く止めなければ。

 そして、二度寝を思う存分する事にしよう。

 鳴り続ける目覚まし時計を止め、再び眠る事に意識を向けるも、何か妙な胸騒ぎがする。

 ーー気配を感じない。

 この時間であれば、母さんがいるはずなのに。

 買い物か?

 こんなに早くから?

 平日と同じ時間に、目覚まし時計を掛けているから、今は6時半過ぎ位のはず。

 リビングから聞こえてくるのは、テレビの音だけ。

 母さんが家事をしている音や、食事をする音、生活音が全くしないのだ。

 何かおかしい。

 いつもとは違う『何か』に、僕の眠気はすっかり飛んでしまっていた。

 「アマリアー、アマリアいるかー?」

 応答なし。

 全く、肝心な時にいないなんて。

 仕方なく、僕は一人部屋から出て、家の様子を探る事にした。

 僕の部屋は、玄関のすぐ傍だ。

 まず右側にある玄関を確認する。 

 鍵が閉まっていない。

 普段なら、外出する時は、必ず施錠はしているはずなのに。

 靴だって、僕と母さんの分が出ているし、出掛けた様子もない。

 正面の父さんの書斎の扉は、開いているけれど、この時間は既に出勤していて、いつも通りの部屋の有様だ。

 次は左側、リビング。

 廊下とリビングを遮るようにしてある扉が、半分開いている。

 道理で僕の部屋まで、テレビの音が漏れていた訳だ。

 朝食の準備がしてあるのか、トーストの焼けた、香ばしい匂いが微かにした。

 やはり、母さんがいないのは気のせいなんだろうか。

 「母さーん、いるー?」

 応答なし。

 アマリアが僕のことを無視するのは日常茶飯事なのだけれど、母さんは、気付けば必ず返答してくれる。

 本能的に、何かを察知した、僕の中に流れる『血』が、ざわざわとざわめき、次第に鼓動も早くなる。

 家の中に、人の気配がしないのが不安なのではない。

 そりゃあ、まぁそう言う時もあるさ。

 言っておくけれど、母さんの気配がしないからと言って、慌てふためく様な子供でもなければ、マザコンでもない。

 僕が不安で仕方がないのは、何気なく過ごしていたであろう日常から、まるでそこには、初めから『何も』存在しなかった様な、切り取られてしまった空間がある感覚に陥っている自分に、不安を感じているのだ。

 「何なんだ、この感覚……」

 取り敢えず、リビングの中を覗いてみよう。

 妙な感覚のせいで、ついつい忘れそうになるが、扉の取っ手を持つ手に、力を入れすぎないように注意を払う。

 寝起きや、無意識な時に限って、僕の怪力が発動してしまい、何度となく壊しては直しているこの扉を、労る様にそっと開ける。

 リビングの真ん中に置かれているテーブルには、やはり母さんが作ってくれていた朝食が用意されていた。

 テレビからは、最近の芸能界での不祥事を、報道している所だった。

 テーブルに朝食が二人分。

 食べ終えた父さんの分の皿は、まだ流しにある。

 朝食と一緒に用意されている、母さんが飲もうとしていたコーヒーからは、まだ湯気が立っていた。

 「母さーん!」

 僕の家は、マンションの一室である為、室内に二階や三階が存在する訳ではない。

 部屋の数は三つ。

 リビングから大声で叫べば、薄らとでも声が聞こえるはずだ。

 リビングと隣接している和室にも、誰もいない。

 僕の足は、床に根っこが生えてしまったのだろうか。

 何故か、今いる場所から、一歩も踏み出すことが出来ないでいる。

 背中に冷や汗が伝う。

 やっぱり、何かがおかしい。

 これでは、まるで神隠しにでもあったみたいではないか。

 前述でも述べた通り、僕は普通の人間ではない。

 吸血鬼の血を継ぐ人間ーーダンピールだ。

 もしかしたら、普通の人間ならば、どこかに出掛けたのだろうか?朝早いけど。

 と、そこまで気に掛けないのかもしれない。

 けれど、僕の中に流れる『血』が、確実にこれは異常事態だと、警報を鳴らしている。

 とにかく、アマリアに知らせないと!

 もしや、あいつもどこかに!?

 いや、万が一何かあったとしても、あいつは早々やられる玉ではないだろう。

 どちらかと言うと、自ら消えた。

 こちらの方がしっくりくる。

 今まさに、アマリアの名を発しようとした瞬間だった。

 「由生」

 不意に自分の名前を、背後から呼ばれ、思わず大げさに身を竦める。

 「ダンピールが、呆レル」

 振り向けば、いつも通りの不機嫌そうな顔が、そこにはあった。

 透き通ったアイスブルーの双眼に、腰まで真っ直ぐに伸びている銀髪。

 すらっと伸びた手足に、肌の色は、恐らく女子なら誰もが羨むような白。

 背は僕より少し低いくらい。

 ちなみに、僕は高校二年生にして、一八〇㎝はある。

 運動は特に、何もしていない。

 出来ない……と言うのが本音だ。

 運動程、僕のダンピールの力を制御するのに、苦労することはないから。

 アマリアは、女性からしたら、背の高い部類に入るのだろうな。

 間違いなくどこかの国の、モデルの様な外見なのだけれど……。  

 彼女の事は、えーと、何と説明しようか。

 「アマリア、お前驚かせるなよ!」

 「お前の大おじいサマは、そんな柔じゃなカッタ」

 「んな事知るかっ!!」

 アマリア=ドミニオン・ラインハート。

 狼で吸血鬼……の様なもの。

 昔、自分の不注意で瀕死の重傷を負っていた彼女は、異常回復の力を持つ曾祖父の血によって、命を救われている。

 曾祖父は、決して眷属を作ろうと思って、彼女を助けたのではなく、その時には既に曾祖母と出会っていた影響なのか、単純にアマリアを助けてあげたくて、自分の血を分けたそうだ。

 結果として、彼女には、吸血鬼の血が混ざり、その力が少し備わってしまった。

 彼女の一族は、魔神と言われるマルコシアスの末裔とも言われている。

 誇り高き狼の一族の長だった彼女は、自分の不注意とは言え、不本意で忌まわしき吸血鬼の血が混ざってしまった事に、酷く憤慨し、曾祖父に復讐をしようとした所、一緒にいた曾祖母の人柄に惚れ、それ以来、自らを受け入れ、曾祖父母の傍で仕え、曾祖父母亡き後も、こうして僕達の傍で共に暮らしている。

 「そうは言っテモ、一族を離れる時は、とても寂しかったヨ」

 以前、そう言っていったっけ……。

 日本暮らしが長いはずなのに、未だに少し片言なのは、わざとなのか、本気なのかは、僕には分からない……。

 僕同様、吸血欲はないものの、変身能力や異常回復の力が備わっている。 

 おまけに、元々は狼ーーそれも、最強と言われる一族の長だったのだから、身体能力も非常に高いし、本人曰く、相当強いらしい。

 そんな彼女が、どうしてそんな瀕死の重症を負わなければならなかったのか……それは、未だに教えてはくれないんだ。

 普段は、人間の姿で過ごしているけれど、誰も見ていない時は、狼の姿で過ごす時もある。

 主に、家にいる時だ。

 でかい身体で、十五畳あるリビングを占領する物だから、僕としては人間の姿のままでいて欲しい物なのだけれど、母さんはアマリアのモフモフ感が堪らないらしくて……。

 そうだ!母さん!!

 「アマリア!大変なんだ。上手く言えないけれど、様子がおかしい!母さんもどこかへ行ってしまってるんだよ!」

 「分かっていル。私も、妙な気配で目が覚めた。今、外の様子ヲ見てきたのだけれど、やはり、思った通り、おかしカッタ」

 やはり、何かあったんだ。

 「おかしいって何が!?」

 「誰もいないんダ」

 「……へ?」

 僕の聞き間違いでなければ、今アマリアは、誰もいないと言った。

 「どういう意味!?」

 「誰の……人間の気配がしナイ。するのは……」

 瞬間、僕の身体の毛が逆立つのが分かった。 

 「鳥肌……」

 やばい!やばい!やばい!

 何がやばいのか、全く見当も付かないのだけれど、とにかく、僕の血が『何か』を察知して、一刻も早く逃げるように警告してきている。

 「由生の部屋のテーブルに、これガ置かれていタ」

 「何だこれ?」

 さっきは、妙な胸騒ぎがして部屋を出たから、この手紙には全く気付かなかった。

 一見して分かる。

 真っ黒な封筒に、血のような文字で、僕の名前が書かれていた。

 差出人は、記載されていない。

 そもそも、個人の部屋にその手紙があるという事は、僕宛の物だと誰かが判断して、テーブルに置いた事になる。

 この場合、当てはまるとしたら、母さんかアマリアなのだけれど、気配に敏感な僕が、いくら寝ている間とは言え、部屋の侵入に何も気付かない筈がない。

 まぁつい先程、アマリアに背後に立たれた事に、全く気付かなかった僕がそう言っても、説得力はないのかもしれないが。

 「開けナイのか?」

 「今開けるよ」

 急かすように言われ、その不気味な封筒を開ける。

 便箋も同じく黒いものであったが、こちらの文字の色は白だった。

 ただ、この黒と白。というコントラストが、この手紙の不気味さを、更に増しているのであろう。

 深い闇の様な黒に、はっきりと分かる白。

 白は、背景が黒である事によって、こんなにも映える物なのだなと、僕は改めて思った。

 まさに、これからの僕達を物語る様な、明確な陰と陽の様に。

 「……なんだよ、これ」

 「何て書いテある?」

 「何って……益々意味が分からない」

 「貸してみロ」

 僕から手紙を奪い、その内容に目を通しているアマリアの顔は、僕とは違い、何となく怒りに満ちている、そんな顔だ。

 ただ、動揺している僕よりかは、この手紙の意味を噛み砕いているに違いない。

 「ヨし、行こう」

 「いやいやいや、ちょっと待て!お前、その手紙の意味が分かっているのか!?」

 「ああ、ごく単純な事ダ。他意はないのデあろう?」

 「他意はないって!ないと逆にこの場合困るだろう!!」

 「何故?」

 おいおい、マジかよ……。

 お前、自分がーー僕が何者か忘れてはいないか?

 「僕達も、鬼みたいな物だろ……」

 「あ」

 嘘だろ……。

 まぁ、アマリアの場合は、無理もないか。

 吸血鬼の血が流れているとは言え、ダンピールの僕に比べたら僅かな物だし、そもそも、自分は狼だという認識の方が強いのだろう。

 「だとしたら、僕達だって危ないんだぞ?」

 「……だからカ」

 「何が?」

 「さっき、人間の気配がしナイと言っただろ?」

 「あぁ……そう言えば、お前あの時何か言いかけていたよな?」

 「うむ、人間の気配がしナイ代わりに、鬼の気配がたくさんシタ」

 「それを早く言えよ!!」

 「すまない」

 今更謝られてもだよ!!

 手紙の差出人は不明だが、手紙には、こう記されている。

 『憎き鬼を殲滅する為、今から鬼ごっこをスタートする。見つけた鬼を一匹残らず殺せ。最後に残った者には、私から、心を込めて、願いを一つ叶えてやろう。大切な者を守りたくば、鬼を殲滅せよ!!開封した瞬間から、君の鬼ごっこを開始する。せいぜい精進してくれたまえ。検討を祈る。さぁ、ゲームスタート!!』

 何の為にこんな……。

 僕は、ここで一つの疑問を抱いた。

 アマリアは、人間の気配がしない代わりに、鬼の気配がたくさんした。

 そう言っていた。

 だとしたら、この手紙の内容を紐解くに、どうやら、この差出人は、人が人を殺すのではなく、鬼が鬼を殺す。

 所謂、鬼殺しをさせたいのだ。

 「なぁ、アマリア!人間の気配がしないと言ったな?じゃあ、母さんはどこに?母さんには、鬼の血は流れていない!!」

 「恐らく、手紙にアル『大切な者』を指している思う。人質ダ」

 「……そんな」

 「安心シロ。人質と言う事ハ、今の所命の心配はナイ。ただ、母様を救う為にハ、私達は何が何でも生き残らなければならナイ」

 「生き残るって……どうやって」

 「戦えばイイ」

 簡単に言ってくれる。

 そりゃあ、狼は狩猟民族だから、戦いには慣れているのかもしれないよ。 

 でも、僕はただの高校生で……。

 ダンピールとは言え、この平和ボケしている僕に、戦いなんか出来る筈がない。

 「私達がやらなけれバ、母様は助からナイ」

 僕を見透かした様に、アマリアは言う。

 そんなの分かっているけれど!

 だいたい、何でお前はこうもすぐに状況が飲み込めるんだよ!  

 普通、こんな訳分からない手紙が来て、母親の身に危険が迫っていて、戦いをしなければならないなんて、どう考えても動揺するし 、はい、そうですか。って簡単に言える訳がないだろう!!

 ましてや、信じる事なんて……。

 なのに、何で!!

 「良く聞ケ、由生」

 「……何だよ」

 「お前ハ、まだ良い。大おじい様の血を濃く受け継いでいるシ、私がイル。だけど、父様ハ?父様の血は、ほとんど人間の血ダ。けれど、僅カに鬼の血が流れてイル以上、この下らんゲームに、参加させられている可能性は充分にあル……私の様にナ。だから、先ずは狼狽える前ニ、父様と合流するベキなのではないのカ?」

 まさにその通りだった。

 祖母は去年亡くなっているから、その心配はないが、父さんは僕と同じダンピールだ。

 でも、ほとんど人間と変わらない。

 血は苦手だし、回復力だって、大した事はなければ、飛び出た運動能力もない。

 聴覚は、異常に良いけれど……その程度だ。

 とても、戦う力を持っているとは思えない。

 「それも……そうか。とりあえず、父さんを探さなきゃか」

 僕達が守ってあげないと。

 「そうと来れバ、お前に渡したい物があル」

 「何だよ、今はそれ所じゃあないだろ」

 「お前は、本当にバカだな。力だけで戦が出来るとでモ、思っているのカ?」

 「お前が戦えって言ったんだろう!?」

 何で、今この場で罵られなければならないのだ!

 「だから、渡したい物があると言っていル。大おじい様から預かってイル物だ。いざと言う時ニ、役立ててくれと言われタ。それが今であると、私は思うのだガ」

 「そ、そうなのか……」

 曾祖父からの預かり物であると言うのなら、心強い事この上ない。

 「とにかく、ここを出るゾ」

 いつの間にか、主導権はアマリアに……。

 まぁ、いつもの事だけれど。

 ただ、今日程アマリアを頼もしく思った事は、きっとないだろう。 

 僕一人では、ただ狼狽えて、やられていただけだ。

 母さんも、父さんも助け出す事が出来ずに、訳も分からぬまま、短い人生に終止符を打っていたに違いない。

 でも、アマリアがいてくれてから、僕はこの時、前を向けたんだ。

 

 

 

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