【2日目】
僕の体に黒い影がまとわりつく。いくら振り払っても取れない。
隙あらば僕を深淵へと引きずり込もうとする。やめて、やめてくれ。落ちたら帰れなくなる。
助けて、マリーナ。
そこで目が覚めた。すかさず起き上がって、自分の体を確認するが、黒い影なんて無かったし、身体的特徴は昨日の時は変わっていなかった。おそらく、あの不味い薬が効いたのだろう。
「良かった……ん?」
自分の声に違和感を覚えた。明らかに高音になってる……。女性らしい声。
「き、キャーーーーーーーーー!」
体に変化は無くても、声が変わってしまって、僕は悲鳴を上げてしまった。
「ど、どうした! 悲鳴が聞こえたが」
マリーナが男の姿で僕の部屋を飛び込んできた。
「僕、こ、声が……」
「胸の次は声が変わるのか、興味深いな。大丈夫、薬が効いているはずだから、変化は緩やかになっているハズだ」
「それはそうなんだけど……」
それでも、慣れ親しんだ声がいきなり変わってしまったことに戸惑いを隠せない僕。
「声が変わったことは逆に好都合だ。ユウ、出掛けるぞ。服は、この部屋のクローゼットにあるものを自由に着るといい」
彼女はそう言って、クローゼットを開けて見せた。色とりどりの服たちが僕の目を奪う。
「出掛けるって、何処に?」
「この地区の魔女収容施設。ユウを捕らえたことを地区長に報告する為にね」
「え?」
マリーナは僕を施設に連れて行くのか? 僕を治してあげると嘘をついて、騙していたのか……?
「収容されるんですか? 僕を、騙していたんですか? 魔女ってそんなに汚い手を使うんですか! 信じていたのに!」
「違う違う。俺に任せてくれたら、収容されずに済む。ユウは黙っていればいいだけ。くれぐれも、施設内でマリーナの名は出すなよ。呼ぶならそうだな……、カトル様って読んでもらおうか?」
マリーナが呼んだ馬車に揺られて二十分。真っ黒い建物にたどり着いた。魔女の収容施設だ。
中に入ると、そこは目を背けたくなるような光景が広がっていた。
施設の職員に鞭で叩かれ倒れる初老の女性、壁では正座を強要され説教を受けている少女達がいた。
そんな光景を出来るだけ見ないようにする僕。
しかし、そんな僕を彼女達の視線が突き刺さる。耐え切れず、チラッと見ると、皆哀れみの表情を浮かべていた。
きっと、仲間が来たと思っているのだろう。
「これが今の女性の有り方だ。目に焼き付けろ」
そういうマリーナの表情は、何処かしら悲しげだった。
施設内の広場を抜けて、区長室へと向かう道中、マリーナと同じ様な服を身に纏っている青年に遭遇した。
「よう、ミケイス。調子はどうかな?」
「カトル、また手柄を上げたようだな。姑息な手を使って」
ミケイスと呼ばれた青年は、男装したマリーナ否、カトルに悪態をつく。どうやら、この二人、仲が悪いみたいだ。
「姑息とは失礼だな。そんなに俺が活躍するのが気に入らないのか?」
「気に入らないに決まっているだろ。次々と手柄を横取りする。まるでハイエナだな」
「そりゃ、どうも。せいぜい、俺に横取りされないように気をつけろよ。では、失礼する。おい、行くぞ」
冷ややかな視線で僕に合図を送るカトル。男のスイッチを入るとまるで別人みたいだな。
「カトル・リーストン、入ります」
区長室。カトルはノックを数回して入る。
「待っていたよ。カトル」
区長室の中央に、この地区の区長である、ロジー・ミュンダーが待ちわびたような表情でカトルを待っていた。
「昨日未明に捉えた魔女を連れてきました」
「おー、これが呪われた魔女か。噂に聞いていたが、実に珍しい!」
区長は席から立って、僕の体をジロジロ見る。余りにもねちっこいオッサンの視線に僕は嫌悪感しか覚えない。
「ほうほう、男の部分も残しながら女性の部分も出てきている。実に歪な呪いだな。どれ、身体的特徴は……」
そう言って、区長は俺の着ていた藍色のワンピースの下から手を侵入させようとしていた。その時、
「区長、まだこの呪いは解明がされてないのですから、触ると呪いが映るかもしれませんよ?」
カトル区長の手首をそう言って掴んだのだ。
「そ、そうだったな。私まで女になってしまったら大変だ」
区長は急いで手を引っ込めた。なんとか、貞操は守られたらしい。
「さて、この魔女の収容エリアは、実験棟の……」
「区長、そのことについて一つご提案があります。この魔女を俺が引き取ることが出来ませんかね? 嫁として」
カトルはそう区長に攻め寄る。え、今、なんて言ったか、頭の中で理解できない僕。
「確か、エリアの幹部クラスの者は自由に魔女を選んで強制婚姻出来たハズですよね? 是非、実験したいんですよ、呪いの魔女というものを。この機会を逃すと一生お目にかかれないかもしれませんからね」
「そうかもしれないが、いきなり嫁にすると言われてもなぁ……」
「むしろ、タダでとは言いません。これを……」
そう言って、カトルは麻袋を区長に差し出します。その中身は大量の金貨。つまりは賄賂。
「おー、いつも済まないね。あと、明日の例の件も待っているよ」
「もちろんですとも、区長がご満足して頂けるのでしたら、俺も満足なので」
「そう言ってくれるのなら、強制婚姻を認めようじゃないか。そこの魔女も良かったな、施設のモルモットでは無く、カトルの実験台として散れるのなら本望だろ」
金貨を数えながら区長はニヤニヤと呟きました。
「それでは、失礼します」
区長室から出た僕らに、またミケイスが突っかかります。
「カトル。お前が何を考えているのかは知らんが、このままでは済まされないからな。絶対にお前の化けの皮を剥がしてやる」
「なかなか威勢がいいねぇ。やれるものならやってみろ」
「なんだと……」
両者が睨み合い、一触即発の勢い。僕は急いでカトルの袖を引っ張っぱります。
「おっと、すまないねぇ。この魔女が早くこの場を去りたいらしくてねぇ。喧嘩なら、また今度受け付けるよ」
「喧嘩ではない、私は!」
「はいはい、またねー」
カトルは僕の手を握って、ピリピリとしたこの空間を脱出しました。
僕は、ミケイスの姿が見えなくなったことを確認して、小声で話しかけます。
「マ……カトル……様? あの人、もしかして、カトル……様の正体を」
「知らないと思うが、ミケイスの奴は変なところで勘がいいからな。ココではヘマをするんじゃないぞ。折角の婚姻が白紙になって、お前は見事施設送りだ」
「ヒッ」
「声が大きいぞ。静かにしろ」
カトルは僕の口を塞ぎつつ、広場へと戻ります。すると、カトルのもとへ複数の女性が駆け込んできました。
「お願いします、カトル様。私とも婚姻してください」
「いや、私と!」
「ここは私が先なの!」
老いも若きも問わず、カトルに擦り寄ってくる女性達。恐らく、僕と強制婚姻したという噂を聞きつけたのだろう。この国では上位階級のみ重婚が認められている。だから、カトルもここにいる女性と婚姻できるのだが、
「お前達と婚姻する気はない。お前らはココから出たいだけだろう」
カトルの問いに女性達は目を背ける。図星だ。
「職員達、何をしている。コイツらを連れて行け」
「そんなっ! カトル様」
擦り寄って女性達は施設職員によって引き剥がされ、奥の方へと連れて行かれる。その光景を見たほかの女性達は逃げるようにして広場を去っていった。
「これでいいんだ……」
ボソッとカトルがそう呟いたような気がした。
森の住処へと戻ってきた僕たちは、余りの疲れからか、ダイニングでうな垂れていた。
「危なかったわねぇー。もう少しでユウが、区長のお手つきになりそうだった」
「アレは本当にヒヤヒヤした。マリーナが止めてくれなかったらと思うと……」
僕がそれから先のことを想像すると、全身に鳥肌が立った。
「区長は施設の女にも手を出したりしてるから、注意していて正解だったわね。それにしても……、似合っているわねぇー、そのワンピース。このまま女になったら好きなだけそういう服が着られるわよ」
「却下します」
「なら、私がときめくような言葉に一つでも言ってみたら? 時間は限られているわけだし」
マリーナはそう言って、僕の鼻を突きます。そんないきなり言われましても、
「……す、好きだよ?」
「なぜ、疑問系なのよ。まぁ、直ぐには思いつかないわよね。あと三日で考えなさい。さもないと、二度と戻れなくなるわよ」
マリーナは僕にそう忠告をする。んー、三日でかぁ……、なかなか厳しいよ。
「それは宿題にするとして、ご飯にしましょうか?」
マリーナはそう言って立ち上がった。
夜。目を瞑るとまた例の夢を見るんじゃないかという恐怖心で、なかなか寝付けない僕。
ちょっと、水でも飲んで落ち着こうかと思って部屋を出ると、そこには何やら書き物をしているマリーナの姿があった。
「あら、起こしちゃった?」
彼女は眼鏡を外して、僕のほうを見る。
「ううん、今朝怖い夢を見ちゃってさ、それが怖くて寝付けないだけ」
「そう。きっと不安なのね。ちょっと待ってて、もう少ししたら仕事を片付けられるから。そうしたら、ユウが寝るまで傍に居てあげる。そうしたら怖くないでしょう?」
「うん、ありがとう。でも、そんなことをしたらマリーナが迷惑なんじゃ……」
「いいのよ。今日いろいろ意地悪なところを見せてしまったし、そのせいで更に夢見が悪くなってしまったら、私の心が痛いし。さ、仕事が片付いたから、行きましょう」
僕とマリーナは僕の寝室へと向かう。
僕がベッドへ入り、横でマリーナが僕の頭を優しく撫でた。まるで、母親が子どもを寝かしつけるような光景に、少しくすぐったいような感情が湧く。
「一つ、私の秘密を教えてあげる」
彼女はそう口を開いた。
「え、秘密って?」
「王様と魔女っていう昔話知ってる?」
『王様と魔女』といえば、この国の人なら小さいときによく聞かされた、この国の昔話である。
「私は、その話で処刑された魔女の子孫なの。だから、私は本物の魔女なの」
「え、そうなの?」
処刑された魔女は、凄い力で皆から恐れられていたと昔、じいちゃんに聞いたことがあった。その力を受け継ぐ人が目の前に居るだなんて……、
「私のことが怖い?」
彼女は少し寂しそうに尋ねる。僕はその答えに首を振った。
「最初に出会ったときは、何をされるか分からなかったから怖かったけど、今は大丈夫。それに、施設に行ったときに冷たいような装いをしてたけど、本当は苦しかったこと理解しているから。マリーナは心優しい人なのは知ってるよ」
僕の言葉に彼女が少し驚いた後、
「そう。これで私の話は終わり。お休み、ユウ」
と優しく笑いかけました。
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