【1日目】
「はぁ、はぁ」
鬱そうと茂った雑木林を、僕は脇目も振らずに走っていた。
夜。一面の黒に、まるで手招かれるように僕は進んでいく。
「待てっ! 逃がすか!」
正直な話、僕は今、追っ手に追われている。
「はぁ、はあっ」
息が乱れる。呼吸が苦しい。さっきから整備されていない森を走っている為、足も限界である。
「どうして、こんな」
どうしてこんなことになったか。答えは至極簡単だ。
僕が、『女』になってしまったから。それで追われているのだ。
正確には、胸が膨らんでいるだけで、女になりかけているというのが正解なのだが、そんな細かいこと、今はどうでもいい。
この国では、女は収容施設に隔離されるという法律がある。通称、“魔女狩り”。僕は今、その魔女狩りに遭っている真っ最中なのだ。
嗚呼、早く逃げないと、つかまってしまう。でも、女に変わりつつある体は、なかなか思い通りには動かず、時々、足がもつれて転びそうになる。
早く、すばやく隠れられる場所を見つけなければ。
「はぁ、はぁ」
かれこれ十分ほど走り続けて、口の中は鉄分の味がしている。きっと、口呼吸しかしていなくて、喉に炎症が起こったのだろう。いやいや、そんな事を考えている余裕は無い。今は隠れ場所を探さないと。
僕は、キョロキョロと辺りを見回りながら走る。すると、上手く身を潜められそうな場所を発見、後ろをチラッと振り向き、追っ手が近くまで来ていないことを確認すると、サッと物陰に隠れた。
「何処だ、ここら辺にいることは確かだぞ」
大柄の男が松明をブンブン降りまわり、辺りを照らしていく。
「隠れてないで大人しく出てこい。早く出てきたほうが身のためだぞ」
もう一人の小柄の男は、大柄の男が照らしている付近を丹念に探していた。
早く出てきたほうが身のためだと言っているが、隔離施設へ収容された人たちは、そこで酷い扱いを受けながら、一生を終えると噂で聞いたことがある。そんな所へ送られるだなんて御免だ。
そんな事を考えている内に、小柄の男が僕へとどんどん近づいてくる。今から飛び出しても、すぐに捕まってしまうだろう。どうしよう、と目を瞑っていると、
「おい」
大柄の男と小柄の男の前に、月明かりでキレイに反射した銀髪姿の男が現れたのです。
「ここで何をしている」
銀髪の男は二人の男達の方へと近づいていきます。
「お前こそ誰だ」
「俺達は要請を受けて魔女を探しているんだ」
「ほぅ……魔女とな」
銀髪の男はキョロキョロと森の中を見回ります。
一瞬目が合ったような気がして、僕は急いで身を潜めて、息を殺しながら見守ります。
「この森に魔女が迷い込んだのか、面白い」
銀髪の男はクスクスと笑い出しました。
「まさか、俺達の手柄を横取りするつもりじゃないだろうな」
大柄の男の問いに、銀髪の男はフンと鼻で笑いました。
「手柄を横取り? 悪いな、ここは俺のテリトリーだ」
「何様だ、貴様」
小柄の男が、銀髪の男に飛び掛りますが、それを華麗に避けていきます。
「お前達、俺の顔を知らないのか? トンだ田舎モノなんだな。いいぜ特別に教えてやるよ。俺の名前は、カトル・リーストン、この森を守護している警備隊長だ。よーく覚えておけ」
カトルと名乗った銀髪の男は、ポケットから何やら取り出し、男達に見せます。
すると、男達の表情が段々と強張って、終には土下座までしています。
「やべぇよ。隊長クラスの奴に喧嘩売っちまったよ」
「やべぇよ、やべぇよ」
男達はペコペコと頭を下げ続けます。
「これで分かったか?」
カトルという男は、ニヤニヤとしながら、土下座をする男達を見下していました。
「はい、承知しましたー!」
男達が先ほどまでの態度を改まって、敬語で男に接し始めた。
「分かったのなら、この森から出て行くんだ」
「はいー!」
男達は我先と、カトルという男のもとから立ち去った。
男達が立ち去った後、銀髪の男は執拗に、僕の隠れている方向を見回していた。
「おい、そこにいるのは分かっているんだぞ。出て来い」
ドスの効いた声で銀髪の男が喋ります。ば、バレてる。
「出てこないと、こちらから参るぞ」
ガサッガサッと足音が近づいてきます。このままじゃ、ヤバイ。
「ご、ごめんなさい。大人しく投降するので許して下さい!」
僕は、恐怖心に押しつぶされて、木の陰から飛び出ます。すると銀髪の男は、僕の体を一通り見るなり、僕の右腕をいきなり掴み、
「来い!」
と勢いよく引っ張って、何処かへと連れて行くではありませんか。
これは、僕の人生が終わったな。思えば短くも長い人生だった。と僕は脳内で走馬灯を思い描きます。まだまだ、やりたいことあったなぁ。
そんな事を考えている内に、古びれた一軒家へと辿り着き、そこへいきなり連れ込まれました。
「ココまで来れば一安心か」
銀髪の男はニヤニヤとコチラを見て笑います。
も、もしかして。僕は、女として晩のオカズにされてしまうのでしょうか。
「い、嫌です。女として散るだなんて」
僕は家の中にあった箪笥の隅に姿を隠します。
「あ、もしかして家に連れてきたのをそう解釈したか……。まぁ、そう解釈してくれたのなら、そうするしかないけどな」
銀髪の男はそう言ってロングコートを脱ぎます。
わ、マジでそういうことになっちゃうんですか。やめて下さい。
僕の焦る様子を楽しみながら、服を脱いでいく男。
しかし突然、男は金髪のキレイな女へと変貌したのでした。しかも、裸で。
「え?」
「この姿なら警戒心は解けるかい?」
声も先ほどの低音とは違い、きれいな高音で、女は裸のままコチラへ近づきます。
「や、やめ」
「なんだ? まだ警戒心が解けないのか? 怖くないからこっちへおいで?」
女は両手を広げてコチラへと更に近づいてきます。やっぱり裸で。
「いいから、服を着てください!」
それが、僕、ユウ・ニュートラスと、魔女、マリーナ・フーリュの出会いでした。
「私の名前は、マリーナ・フーリュ。この森の魔女だ。訳あって、男装で警備隊の隊長も勤めているが、君に害を与えるつもりは無い。それにしても、初めて見たよ。【魔女への誘い】を発症している奴だなんて」
黒いローブのようなものをようやく纏ったマリーナと名乗った彼女は、僕を嘗め回すように見ます。
【魔女への誘い】。それは、この国にかかっている呪いである。この国の男性の何万かの一の確率で、ある日突然、性別が女性に入れ替わるというものなのだ。一説には、処刑された魔女が最期にかけた災厄だと言われている。
そして現在、この呪いを解く方法は見つかっていない。呪いが発動したら、施設へと送還されてしまうのだ。
「それにしても、本当に女性になっているんだな」
「まだ完全にはなっていません。なりかけなんです」
僕は、あえて“なりかけ”という部分を強調してマリーナに説明する。そう、まだ完全に女性になってはいない。男の部分も残っている、『なりかけ』なのだ。
「そういえば、声も低いね。発症して一日くらいしか経っていない、という所だな」
「よく分かりますね」
彼女は、僕がこの呪いにかかってから一日ほどしか経っていないということを見事に言い当てた。
「そりゃ、魔女だからな」
彼女はそうドヤ顔で返す。へぇ、なるほど、魔女だから……。ん?
「って、魔女ぉ?」
「君、反応遅いなぁ。さっきからそう言っているだろ?」
そういえば、彼女は自分をそう言っているような気がした。
「どうして魔女がこんな所に。施設に収容されているんじゃ」
「収容されない為に、男装しているに決まっているじゃないか。いろいろと根回ししてたら、警備隊隊長という階級を貰っちゃったわけだけど。ところで、君、名前は」
「……ユウ・ニュートラスですけど」
僕は恐る恐るマリーナに名前を教えた。
「ユウね。ねぇ、ユウ? その病気、治せるって言ったらどうする?」
「え、治せるって、これは呪いだし、なった人は一生直らないって言われてて……」
僕が話しているのを、彼女が僕の口に手を当てて遮る。
「これは呪いじゃない。遺伝子が起因の病気なの。医療に詳しい魔女たちがそう声を挙げてきたのに、認められず、処刑されてしまったのだけれど。この国の男性にはね、何故かは分からないけど、性別を分ける遺伝子染色体が“揺らぐ”人がいるの。その揺らぎが性別転換を引き起こしてしまう。ユウみたいにね」
「でも、それじゃ、今まで完治して戻ってきたという人が報告されていないのは何故?」
「そんなの、施設送りになったら貴重な検体として実験に使われるからに決まってるじゃないか。最悪の場合は死、助かっても薬漬けの廃人になるのよ」
僕は彼女の言葉に震え上がる。良かった。連れて行かれなくて。
「あと、治せるとは言ったけど、ちょっと治療法が荒業でね。成功例は今のところ一例なんだけど……」
そ、そんなに低い成功例。と僕はやや不安になってしまったけど、ここで引いたら男が廃る。
「どんな痛い治療でも受けます。どんな治療法なんですか」
やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい。そんな僕に、彼女はニヤリと笑った。
「魔女、つまり私ね。私を本気で惚れさせて、私から本気のキスをもぎ取りなさい。そうしたら、元に戻るわ。ただし、完全に女性になる前にね」
「な、なんでキス!」
思いもしなかった治療法を提示され、僕は驚きの余り、後ろに倒れそうになった。
よりにもよってキス。まだ、僕、女性とファーストキスなんてしたこと無いのに。まぁ、男しか居ないこの世界で、女性とキスするだなんて夢のまた夢なんだけど。
「文献にそう書いてあるのよ。見る?」
そう言って彼女は大きい本棚から一冊の本を取り出して僕に該当の箇所を指差して見せる。その本には、『キスをすることによって、魔女の魔力が揺らぎを修正してくれる』と確かに書いてあった。
「確かに、書いてある。僕が完全に女性になるまで、あとどれ位ありますかね?」
僕の質問に彼女は少し考え、
「大体の変化スピードを考えると、あと数時間って所じゃないかしらねぇ?」
「す、数時間!」
そんなに、早いのかと再び眩暈が襲う。
「数時間の内に私を惚れさせられるかなぁ?」
彼女は悪戯っぽく笑った。いや、ムリですよ、絶対ムリ!
「マリーナさぁん、そんなの……」
「まぁ、無理なのが普通よね。いいわ、ちょっと待ってて」
彼女は、突然ある部屋に入っていきました。何をする気なんだろ。
「おまたせー」
十分後、彼女が出てきました。手には表現するのも恐ろしいほどの液体を持って。
「飲んで?」
僕にその禍々しい液体を差し出す彼女。え、これを飲めと?
「いやいや、そんな液体、飲めるわけないでしょう」
「明日、目が覚めたら、男性のシンボルが取れていましたー。なんて洒落にならないでしょ? これは、症状の進行を抑える薬よ。文句を言わずに飲みなさい。男を見せなさい」
そう言って、液体を押し付けるマリーナ。僕は覚悟を決めて、それを飲んだ。
「ううっ。胃の中で戦ってるぅ……」
胃の中で、禍々しい液体が混ぜられていっているような気がした。不味い。
「昔から、良薬口に苦しって言うからね。だいたいそんなものよ」
彼女はそう淡々と言いながら、僕が飲んだ後の容器を回収して、シンクに置いた。
「さぁ、ユウはもう疲れたでしょう? 寝なさい。そっちの部屋を自由に使うといいわ」
マリーナは僕から向かって左側の部屋を指差した。
「薬が効いているとは言え、ユウに残されている期間は残り四日間くらいって所かしら? 精々頑張って、私を惚れさせてね?」
「……う、がんばります。おやすみなさい」
彼女がそう笑うのを横目に、僕は部屋に入った。
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