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カレンダーは九月を示していた。ジイジイとうるさかった蝉も、今はすべて死に果てたのか、藪から鈴虫の歌が聞こえるようになった。東北帝国大学へ導く並木道では、烏が上から木の実を落としては自転車に轢かせ、中の種を咥えて我が物顔で飛び去っていく。

九月の初日に東京で酷い大地震があったらしかった。電報だの新聞だのの情報をかき集めると、とりわけ中心部は地獄のような有様で、「殆ど壊滅」という見出しが踊っていた。地面が波打つようだったとか、炎の竜巻が何本も家を飲み込んだとか、そういったことがこちらの新聞でも長いこと書かれていた。一度写真付きで掲載されていたが、幼いころに行った町並みは皆瓦礫で黒く塗りつぶされているようだった。

その大地震の前週から、Nが受験のため東京に行っていたため、彼の安否を案じていたが、どうやら地震の起きる前日の夜には東京を発っていたらしく、地震の翌日にはヤアヤアと、いつもの調子で私の前に現れた。

「アア、生きていたか、昨日の大地震を知っているかい。東京が壊滅したと聞いて、よもや君と会うことも叶わぬと思ってしまったよ」

「アハハハハ、何をソンナ大げさな、僕は前日には受験を終えて、その夜に東京を発っていたよ。昨日は荷解きだのなんだので忙しくてね、大学には来れなんだ。地震のことはその夜には噂になっていたよ、まるで僕が中心街に大量のダイナマイトをばらまいて帰ってきたようにいいときに大地震が起きたみたいだナ、と不謹慎にも思ってしまった、一応世話になった宿や東京帝国大学サマには、安否の電報を伝え送ってもらったが、それが返ってくるかこそ神サマのみぞ知るってところだね」

相変わらずで安心というべきか、友として言葉を慎むよう諌めるべきか迷いながらも、ともあれ首都を壊滅せしめた大地震の犠牲になることなく、学友が帰ってきたことを歓ぶべきと、食堂へ誘ったのだった。


初夏のジメジメとした空気は秋の涼しい風が何処かへ吹き飛ばしたかのように、食堂は涼しく快適な様子だった。私とNは席につくと、会っていなかっただけの近況を報せ合った。私はキヤンパスに熊が現れただの、講義棟に猫が棲み着いて、赤子を産んだからニャアニャアとうるさいけれども、無下に追い払うことも出来ぬと学部で世話をしてやっていることなどを伝えた。Nはいつもの様にケラケラと笑って、その先生は片平の某という教授なんぢゃあないのかだの、猫は講義を聞いて猫又か何かになれたのかだの、他愛もない冗談を返してくれた。

「して、君はどうだったんだ。東京帝国大学は、どんなだった、試験の手応えはどうだったんだ、教えてくれたまえよ」

「マアマア落ち着けって、一つひとつ答えてやるからサ」

ほんの十二年前に完成した立派な正門のこと、幕府の時代から在る真っ赤な門のこと、煉瓦造りの立派な図書館のこと、その中、建築途中の新しい講堂のこと……彼はまるで東大の学生のような雰囲気であった。近いうちにここを離れるのだな、と察した。

「いやしかし、次はどうも、大阪に行かなければならないようだ」

Nは顔に影を落としてそう口にした。

「エッ……今なんと言った。大阪……」

「アア、東大での受験でナア、自分なりには頑張ったのだが、そこの先生たちに、君は英語を話せるのか、英語ができるなら仏蘭西語は、独逸語、羅甸語はどうだ。英語すらまともに話せない上、その他の言語もカラッキシ駄目ときちゃア、うちに来ても何も学べまい。出直しなさい、と言われちまってサ、羅甸語は読める、と反論したが、読めるだけぢゃあ駄目だ、我々と羅甸語で会話ができるかい、なアんて、田舎者と小馬鹿にされてしまったのサ」

私は口をポッカリと開けたまま何も言えなかった。彼はよく勉強をしていたことを知っているし、私は彼に仏蘭西語を教えたこともあった。彼は立処に日常会話程度は仏蘭西語で話せるまで上達したらしく、私が教授からもらった仏蘭西語の書(デユルケイムの社会分業論だったか知らん)を共にヒイヒイと和訳したことさえあった。独逸語は如何様か知らんが、印度の仏教を学ぶ友人から時折教わっていたらしい。

詰まるところ、東京帝国大学は、彼が片田舎から門を叩いたというだけで彼の在籍を拒絶したらしく私には思われた。

「僕は悔しいし、腹も立つのだけれども、それは君らの教え方にではなく、君や友人の時間を割いてまで学んだ語学を、肝心な場で、活用できなかった自分に対して腹が立つのだよ、だから君が悪いわけぢゃあないんだ、気にしないでくれたまえよ」

「アア、ウン……然し何故又大阪に行くのだ。あそこには大学なぞ無いだろう、京都の間違いぢゃあないのか」

「前にも言ったろう、彼処には外国の大学で博士をとった先生が居ると、平日は京都に行くらしいのだが、休日は大阪の高校で教鞭を振るうているのだよ。一度手紙を交わしたことがあってね、東大が拒んだ時は私の元で私の助手をしながら勉学に励むといい、なアんて言われてしまってな。その上昨日の東京の地震だ。なんでも東京から逃げる輩は関西へ向かっているらしくてな、大阪や名古屋にも大学ができるやもしれんなど、先刻から教授先生たちが大騒ぎサ、我々も大阪へ向かわんか、とも仰る先生も居ったぞ」

「フウン……」

「確かに大学という体では、ここはとても恵まれた場所に違いない。君の周りは素晴らしいぢゃあないか。君のおかげで語学に長ける学友が増えたのだ、嬉しいよ」

然しだね、とNは区切る。

「然しだね、私はもっと刺激が欲しいのだ、四六時中常に社会を経済を考え続けたいのだ、ここでそれが出来ぬとは云わぬが、ドウモ周りとの意識の差を感じずにはいられぬ。ならばいっそのこと、常に先生の側に仕え、先生の身の回りのお手伝いをしながら、ヒトリ孤独であってでも、そういった場のほうが、僕には合うんぢゃあなかろうかと、思うのだ」

「……」

「そういうことだから今度は大阪へ向かうよ、早くて来週には仙台を発つ。しばらく会えなくなるが、ナアニすぐに帰ってくるさ、挨拶をするだけだからね」

彼はどうやら必死に悔しさと不甲斐なさを隠しているらしかった。私にはそれらの理不尽さをぶつけてくれても良かったものをと、口から出かかったが、彼はそれだけ優しい人間なのだ、そんなことを云っても何かしら尤もらしい理由をつけて、結局そんなものを私にはぶつけてくれないのだろう。


Nはその次の週には大阪へ旅だった。一月ほど滞在したらしく、次に顔を見せたのは十一月に入ってからであった。

「どうにか春には大阪で勉学に励めそうだ」

今度は隠し事のない笑顔でNは云うのであった。自分のことのように喜んだことを覚えている。

十一月になると、食堂も冷え込むようであった。初夏には新緑を小窓いっぱいに広げていた木も、葉を散らし、寒さに凍えるように揺れていたのだった。

私も大学院への内部進学のかかった試験をどうにか乗り越えることが出来た。Nに久々に会うと、

「かなり遅かったぢゃあないか。何処で道草をくって居たのだい」

と訊いた。

「イヤア、大阪から仙台まで真直ぐに帰るのも考えたんだがね、矢っ張りどうしたって東京は気になるものサ。結局電報は返ってこなかったし、せめて安否でも知りたくてね」

Nは東京に一度寄り、世話になった宿だの、東大だのに見舞いに行っていたらしかった。

「宿の人たちは皆無事であったよ。僕のことも覚えていたらしく、女将さんや娘さんは涙を流して喜んでくれたサ。残念ながら宿はやはり倒壊してしまっていたがね、あの宿は良かった、君にも紹介したいくらいだったんだがな……そこの風呂に入るときに、偶然娘さんと……アレ、ここの娘の話を君にはしたのだったかな」

「イヤイヤ、聞いていない」

「そうだったか、それぢゃあ続けないとな。コレはもちろん地震の前の話だがね、夜僕が風呂に入っていると、娘さんが一緒に入ってきたのサ。自分で云うのもなんでは在るんだが、娘さんはどうやら僕に惚れてしまったらしく、お背中流しましょうか、ナアんて、僕に云うのだよ。僕もホラ、童貞だからサ、時が来れば狼に成れるとすら息巻いていたのに、いざその時が来てみれば、本当に背中を流してもらうだけになっちまった」

「アッハッハッハッハ、それは面白い、其れで、湯船には一緒に入ったのかい」

「アア、茫然自失とはあんなことを云うのだな、ただ前に女の肌が在り、その背中が僕の胸に当たり、時折髪が僕の肩を擽るのさ。彼女も彼女で処女らしく、このことは母さまにはお伝えしないでくださいまし、ナアんて顔を真赤にして云うものだから、生きた心地なんてしなかったものだよ」

Nは私がこれまで見ないような、気恥ずかしそうな表情でそんな話をした。余程大阪での生活が楽しみなのだろう、と、思いながら笑ってやった。


一月に入ると、私は卒論に追われるようになり、Nも卒論や引っ越しの準備などで、会う機会は自然と減っていった。時折降る雪が地面や屋根を覆う。その度革靴で雪をかき分けつつキヤンパスを歩いて往くのだった。

二月になると他の研究室でも卒論が佳境に入るらしく、Nを図書館や食堂で見かけるようになったが、卒論は卒業もかかっているし、なんでも大阪の某という先生にも送らねばならぬと、Nは二枚目を書いている途中らしかった。流石に長話も気が引けるので、時折声をかけては、身体を壊すことをないよう伝える程度であった。

二月の半ばを過ぎた頃だったか、Nが私を食堂へ呼んだ。

小窓の枝は未だ裸だったが、よくよく見れば、新たな芽が膨らみ始めているようであった。

Nはもはや私達の指定席とすらなり始めていた、入り口に一番近いテーブルに座るなり、こう言い出したのだった。

「濠太剌利亜へ往く」

「エッ……」

「濠太剌利亜だ。そこにしか居ない動物や、そこにしかない文化を得てくる。明日には日本を発つ」

「そんなイキナリ……卒業論文はどうなのだ、終わったのか」

「アア、すでに完成した。先生のところへも送ったよ。同時にコンナ手紙も差し込んでおいた、先生がこれを読まれる頃、私は豪州の某というホテルに居ることでしょう、何かありましたらそちらへ電報をばくださいまし。ナアニ、英国領ですゆえ、どうにか届きますでせう、とね。今のところはなんの問題もないサ、問題が有るとすれば、大阪での研究がうまくいかないかもしれないことくらいだよ、アッハッハッハッハ」

Nが優秀な人間であることはよく知っていた。一月に二つ、論文を執筆するなんてことは、並大抵のことではないのだ、それをやってのけて、その上濠太剌利亜などと云う、南半球の大きな島へ向かうというのだ。

私はそう云いながら笑うNを、真に喜ばしく思われることが出来なかった。それが彼の才能への嫉妬であるのか、其れ共彼がどこかで泣きを見ることになるのではないかという一抹の不安からくるものであるのか、その頃は判然としなかったのだった。

翌朝私は彼を見送りに港へ出た。大きな客船へNが乗り込み、皆と同じ様に手を振る様を眺めていた。私は手を振り返したが、どこか不安な心地を拭い去れずにいたのであった。


三月に入った。街では女学校や師範学校の卒業式が有るらしく、晴れ着を着た若い男女が互いの門出を祝っていた。

私も一度帝国大学を卒業し、再び大学院生として入学するのであった。諸々の手続きを済ませ、ふと、Nの事が気になった。今頃は南の大きな島での生活を愉しんで居る事だろう、と。

「アア、君。Nという人から手紙が来ているよ」

教授にそう呼び止められ、私はハッとした。まさか私の抱く一抹の不安が、それそのものがまさか的中したのではないか、或いは彼の身になんらかの危険があったのではないかと。

私は手紙を受け取ると、直ぐ様自宅へ戻った。自室のふすまをピシャリと閉め、恐る恐る封筒を開き、手紙に目を通すのだった。


親愛なる我が学友へ

ヤアヤア、日本の季節はもうすぐ春だね。豪州は今、秋なのだ、知っていたかな、南半球は、日本の有る北半球とは、季節が逆転するのだそうだ、それだけでも面白いぢゃあないか。

さて、私は今この手紙を、或る手紙が届き、それに返信したまま音信不通となっているところに、気晴らしに書いているものだ、手紙なんぞまともに書いたことがないからな、多少の無礼は学友の好だ、許してくれたまえよ。

ナアニ、その或る手紙と言うのは、件の大阪の先生からだったのさ。なんでも僕の論文に目を通したらしい言を書いてあったが、その論文の添削と同時にこう書いてあったのさ。


秋口に態々来てくれた程に余を慕ってくれていることに感謝し、同時に申し訳無さを感じるが、この論文を読みながら、実は別の学生の論文も読んで居るのだ。余の腕で抱えられる学生は一人が限界だ。だから余は君と、その別の学生各々に、自分の論文を書くように命じた。

君の論文は非常によく勉強している様が見て取れた。古今東西の文献を読み解き、そこから新たな知見を見出そうという気概が感じられた。然し、その見出された知見の大きさは、件の学生には及ばなかったのだ。

従って、急な話で悪いのだが、君を迎え入れることは叶わなくなってしまった。君には才能がある。近いうちに大阪にも大学ができるであろう。その折にはキット君を探し出し、迎え入れようという覚悟だ。

だからそれまでの間、勉学を怠ることなく研鑽していただきたい


――ドウダイ、笑える話だろう。大阪で新しい生活が待っていると思ったら此れだ。僕は情けなくも、せめてお部屋だけでも貸していただけませんかと、必死になって電報を送ったノサ。然し同じ日数待っても音沙汰はない。どうやら完全に見捨てられてしまったらしい。

君はここまで読んでどんな顔をしているだろうか。僕にはよく想像もできないが、今から書く文章はキット君を失望させるに違いないのだ。

然し僕は、君に宛てる手紙だからこそ、この文章を書くべきであると思っているのだ、これまでの間ともに勉学に励み、学問を究めることを志すを共にした君にだからこそ、告白せねばならぬことなのだ。


豪州の秋の海を眺めながら、僕は今までを振り返った。自分は本当に勉学に、学問の探究に向いている人間なのだろうかと。そして思い至ったのだ、否、思い至って仕舞ったと云うべきか、私は別段、学問を究めようという意思がないのだ、と、そう思ってしまったのだ。結局のところ、僕はただ社会の歯車になるのは厭なんだ、何か学問を究めたいのだ、等と、夏に声高に語らったことは、単なる僕のわがままだったわけだ。僕はただ、彼らと同じザマで見られたくなかっただけだった、自尊心を護るために、ただそのために学問を利用したのだよ。

失望したかい、失望するだけしてくれたまえ、僕は君すら裏切ってしまったのだ。君が教える仏蘭西語を、結局僕は忘れてしまった。それどころか、今となっては思い出そうという気力すらも沸かないのだ。嘲笑ってくれ。僕はキット最初から、君の同胞なんかぢゃあなかったのさ。ただ東京帝国大学に拒まれこそすれ、そこへ挑む志が有るだけアノ大学の他の奴らとは違うと、そう思い込みたかっただけなのサ……

日本に帰ったら、仕事を探そうと思っている。親も若いわけじゃないから、流石にこれ以上金持ちの道楽を続けるわけにもいかなくなってしまった。

もし君がまだ僕を見捨てないというのなら、何かしら仕事があれば、是非とも教えてほしいのだ、コンナおこがましい事この上ないのだが、僕は君を信じて頼んでいる。

無論、君を裏切った僕だ、君が僕を裏切っても、僕は何も文句をいうことは叶わない。然し、志半ば、否、志す以前に折れてしまった僕の本心としては、君には学問を、君の学問を究めて欲しいと思っている。これだけは真に思っていることだ、これだけを信じてくれれば、他はもう信ぜなくてもよろしい。


――長い上に君に初めて会った日のような湿っぽい文をしたためてしまったナ。四月には仙台に戻ることだろう、実はしばらく宿がないのだ、もし君の下宿先に空き部屋が有るのならば、相談を入れてはくれないだろうか、よろしく頼むよ。

人生二十幾年生きてきて、ここたった五年で、ここまで学問に打ちひしがれるとは、矢っ張りドウモ、僕には学問よりも、アイツラと同じ、歯車のほうがお似合いらしいネ。


P. S.

東京の宿の娘さんだが、婿が決まったらしい。実は東京のよりどころすら失ってしまったのだ、嬉しいかな悲しいかな、なんてね。



――私は手紙を読み終えると、身体が非道く震えていることをようやく認識した。私の知っているNがすべて、一気に、まるで砂のように崩れ去ったのだった。

人はその臨む学の門を敲き、その尽くに拒まれたとき、ここまで心を弱らせてしまうのかと。同時に、いわば彼が記した通りに、私は彼に失望した。裏切られたのは唯の二度ばかりぢゃあないか、仕事をしながらでも学は修められるぢゃあないか、何が学を志す前に心が折れた、だ、バカバカシイ……

……とは云え、彼が私を裏切ったはこの一度だけだ、せめて仙台での宿を工面してやろう、暫く働きながら、Nが考えを整理する事ができる場所を探しておいてやろう。

私はフラリフラリと手紙を持って立ち上がったが、沸々と怒りがこみ上げた。手紙を持つ手が震え、終いには手紙をくしゃくしゃに丸めて床に叩きつけた。

――バカヤロウ

私は非道く失望したらしかった。そんな言葉が部屋を反射した。私は驚いた、かような罵声をあのNに向かって発したのかと思うと、何処からか物悲しさがこみあげるのだった。

下宿先の奥方が何事かと上がってきて、漸く正気に戻ったのだった。軽く弁明をして、

「この辺の下宿で、部屋の空いている処はありませんでしたか」

と訊いた。


Nとはそれ以来、ただ一度、部屋の空いている下宿の住所を伝えるために手紙をかわして以来、連絡を取っていない。風の聞く所によれば、新聞屋や小説家の秘書をこなして小金を貯め、東京にて出版社に就いたらしい。この頃には政府が文書の検閲を強化し始めていたらしかったが、ともあれ歯車となることが出来ただけ良かろう、と思いながら、私は一人、再び湿り気が肌を包み始めた四月の食堂の、あのNの座っていた向かいの席に座り、デユルケイムの書を眺めながら、チラチラと咲く小窓の桜に目をやるのであった。

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N きぬいと @0u0-1u1

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