【短編】ゲリラ豪雨

ボンゴレ☆ビガンゴ

第1話

「なんかよぉ、最近ゲリラ豪雨とかよくあんじゃん。あれ、なんで起こるか知ってっか?」


 汚く脱色した金髪を弄りながらアキノブが言った。


「知らないなぁ」


 突然、振られたそんな話題よりも、俺は目の前のマックシェイクとハンバーガーに夢中だった。

 渋谷のセンター街。学校をサボった俺たちはマクドナルドで暇をつぶしていた。


「なんかよぉ、マタドールだか、モスキートだか、そんな現象が原因らしいぜ」


 窓の外のドス黒い雲を見上げてアキノブは講釈を垂れていたが、バカ高でも屈指のバカのアキノブの言うことなので、俺は返事すら躊躇った。

 なにせ、俺はアキノブの馬鹿話より目の前のマックシェイクとハンバーガーに夢中だったのだから。


「おい、聞いてんのかよぉ」


 アキノブがこちらを睨んでいるが、答えはノーだ。奴のまずい面を見るよりも、なにより、目の前のマックシェイクとハンバーガーに夢中だったのだから。


「マタドールじゃねーよ。エルニーニョだろ。ともかくだ。こりゃ、ひと雨来そうだな」


 お情け程度の簡単なツッコミをいれ、俺はハンバーガーにかぶりついた。

 パサパサのバンズに挟まれた薄っぺらい肉を口に運びながら俺は空を見上げた。



 薄っぺらいハンバーガーを食っている俺たちは、薄っぺらい虚勢を張り、薄っぺらい能書きを垂れ、薄っぺらい自己主張で世間に背を向けていた。ついでに言うと、教科書も入っていない薄っぺらい鞄には折り畳み傘なども入っていなかった。


 空を睨むが天候など左右できるはずも無い。せっかく香水をつけて来たってのに、雨なんかに振られたら全部落ちちまう。貧乏性の俺はそんなことを考えていた。

 ほぼ空気しか残っていないマックシェイクを汚らしく啜っていると、ついに雷が鳴り音を立てて大粒の雨が降り始めた。


「ついに降ってきやがったか」


 俺は心底ムカついて舌打ちをした。しかし、横のアキノブは何故か嬉しそうに叫んだ。


「よっしゃ、行こうぜ、ケンゾー!」


 言っている意味がわからなかった。何故豪雨の中を出て行かなければならないのだ。


「こんなチャンス滅多にねーぜ!女子高生の透けブラ見に行くしかねーっしょ!」


 鼻を膨らませてアキノブが言った。俺は呆れながらも立ち上がった。

 だけど、俺はそんなアキノブが好きだったのだ。




    〇 〇 ◯




 俺がこんな十年も昔のくだらないやりとりを思い出したのは、山手線が渋谷に着いた時に空が分厚い雲に支配されていたからだろう。

 大気の状態が不安定、そんな天気予報は聞いていたのに折り畳み傘を持ってこなかった自分を恨んだ。

 先週仕立てたばかりのスーツなのに、雨にやられるのはまっぴらごめんだ。


 あの夏から、もう十年。


 今のようにSNSなどなかった時代。携帯がバグれば友人の連絡先さえも永久に消える時代だった。今、アキノブがどこで何をしているのか、俺は知らない。


 高校の頃は毎日一緒にいたと言うのに、大学に進学した俺と就職したアキノブは、たったそれだけのことで埋められない溝を作った。思えば本当にくだらない喧嘩だった。

 だが、運悪く連絡先を消失した俺たちの時間は、あの時に止まったのだ。

 渋谷に来るたびに思う。このスクランブル交差点の中ですれ違う人達に、また会う事はあるのだろうか、と。


 毎日これだけの人数の人が行き交っているのに、二度と会わない人もいるのだろうし、この中には明日、死んでしまう人もいるのだろう。

 そんな事を考えながら、ハチ公前を通り過ぎる。その時だった。


「ケンゾー? ケンゾーじゃねーか」


 突如肩を掴まれて、驚きながら顔を上げた。皺のないビシッとしたスーツ姿の男がそこに立っていた。


「久しぶりじゃん、ケンゾー」


 照れたように黒の短髪を弄るその男の仕草で分かった。

 アキノブだ。ピアスの穴もふさがり、汚い金髪をやめ、少し恰幅の良くなったアキノブだった。


「アキノブか? 久しぶりだな!」


 喧嘩して疎遠になった仲にしては、自然に口を開くことができた。それは十年という年月のおかげなのかもしれない。


「十年ぶりだなぁ。元気にやってるかぁ? 時間あるなら昼飯どうだ?」


 アキノブの提案に俺は時計を確認する。少し遅い昼。サボリーマンが板についてきた俺には時間などいくらでも作ることができる。


 それに、積もるくらいには話はあった。


 俺たちは道玄坂にある定食屋に入った。焼き魚が旨いと有名な店だった。


「昔はマックしか行かなかったのに、お互い変わったもんだなぁ」


 自嘲気味に話すアキノブの薬指には年季の入った指輪が光っていた。


「結婚したのか?」


「ん? ああ、もう七年も前にな。出来婚だよ」


 聞けば小学生の娘がいるらしい。

 少女向けアニメの着せ替えセットを誕生日プレゼントにねだられ、買ったはいいがすぐに新しいシリーズが始まったせいで、新しい方をすぐにねだられて困っているらしい。


「まったく、親父の給料も知らねえで『あれ買えこれ買え』って言うんだから、参っちまうよ。嫁もパートの日数増やしゃいいのに、なんだかんだ理由つけて働かねえんだよ」


 近況報告しながら焼き魚をつつくが、お互い口から出るのは愚痴ばかりだった。時の流れは人を変える。アキノブも、俺も。

 久しぶりに会い、話すと予想以上に会話が噛み合わない。共通の話題や、同じ感想を持つであろう事柄を選んで言葉を投げるのに、それすら微妙にニュアンスが伝わらない。笑いのポイントも、怒りのポイントもこんなにずれてしまっているのか。

 俺たちは同じ空間で時を過ごしたからこそ、同じ感覚を持ち同じ方向を向いて笑えたのかもしれない。

 せっかく、十年ぶりに会ったというのに、あの頃のように馬鹿をやって笑えることなど、もうないのだ。

 そして、お互い多少は利口になったせいで、そのことにすら気づいてしまっていた。

 骨になった魚を無意味につつく。

 昔なら「つまんねーから帰ろう」と遠慮なく言えたのに、奥さんの愚痴を遮ることも出来ず、愛想笑いでアキノブの言葉を俺は聞いていた。

 だが、それはお互い様だった。

 俺が上司の愚痴を口にした時のアキノブの表情も同じようなものだった。


 変わってしまったのは、どちらかではない。二人ともだった。

 時の流れは二人の溝を埋めたが、それどころか壁すら築き上げていた。


 その時だ。

 二人の意味をなさない会話を遮るように、けたたましい音を立て雨が降り出した。


「ついに降ってきたか」


空を見上げアキノブが悔しそうに言う。


「もうすこし、雨宿りしていこうか?」


 そう提案はしたものの、俺は正直、足止めされるのは苦痛だった。弾まない会話を昔の親友とする事が悲しかったからだ。

 こんなにつまらないなら、会わなければ良かった。そこまで思った。だけど、ゲリラ豪雨なんて何時間も続くものではない。すぐに止むだろう。

 もう少しの辛抱だ、と半ば諦めた時、アキノブが突然、勢いよく立ち上がった。


「どうした? トイレか?」


 アキノブの随分肉のついた顔を見上げて尋ねる。


「いや」とアキノブは唇の端を歪めて笑った。


「行こうぜ、ケンゾー」


「は? この雨の中を?」


 眉間に皺を寄せる俺にアキノブは大きく頷いた。

 

「こんなチャンス滅多にねーぜ! OLの透けブラ見に行くしかねーっしょ」


 鼻を膨らませるアキノブの姿が一気に十歳若返った気がした。

 呆れながらも、思わず笑う。


「スーツ仕立てたばっかなんだけどよ」


「ケンゾー、俺もだよ」


 親指を立ててアキノブが笑った。


 もうすぐ三十歳になるおっさんが二人、馬鹿な叫び声をあげながら豪雨の渋谷へ駆け出した。

 その一瞬、ほんの一瞬だけ、俺たちは親友同士に戻ったのだ。

 




終。

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