生命活動として極めて正常

オジョンボンX/八潮久道

生命活動として極めて正常

 課長はPC社外持出し許可申請書に素早く目を通すと、机の引き出しから拳銃を取り出して脇に立っていた課員の眉間を撃ち抜いた。課員は課長の手が当然印鑑を取り出すものと信じて疑う暇もないまま死んだ。居室にいた私たちは射撃音と同僚の死に動揺したものの、しいてパソコンや書類に向かい続けた。課長は内線4650をダイアルした。

「生産管理課長の磯崎でございます。総務課の押上様をお願い致します。押上様。お世話になっております。さて、当課の課員が一名死亡しましたので遺体処置申請書を回送しますのでよろしく処理のほどお願い致します。」

 次に課長は内線3800をダイアルした。

「生産管理課長の磯崎でございます。工務課の田無様。お世話になっております。死体引取りの依頼です。一名です。場所は122号館3階の生産部生産管理課居室です。急ぎではありませんが。総務へは連絡済みです。明日の13時。承知しました。よろしくお願い致します。」

 一人残らず聞き耳を立てていた私たちは密かにため息をついた。ゆっくり物へと変わっていく同僚と明日の昼まで同じ部屋にいなければならないとわかったからだった。トイレから戻ってきた課員が死体に気付いて足を止めかけたが、速度を緩めないよう注意して自席についた。持ち出し許可申請も夕方に出していれば今日一日分の彼の仕事を埋め合わせずに済んだものをと私たちはふと思ったが、いずれ死ぬことには変わりないと思って冥福を祈った。明日は我が身と諦念に似た思いで私たちはめいめい、ワードやエクセル、アウトルックに向かい合っていた。


 課長はもはや不要になった部下のPC社外持出し許可申請書をシュレッダーにかけた。それは1年半前、第四開発課長から生産管理課長へと異動した直後に職場予算で購入した物だった。短冊状に切るだけでなく細かな三角形に裁断されるセキュリティレベルの高い製品だった。課長自らが購入手配をしたが当初、購買課は難色を示した。標準カタログにある機種を選ぶようにと指示された。しかし課長は拒絶、当課は機密文書取扱いの多い部門でありカタログ記載の製品では能力として不十分だと答えた。しばらく経って希望した型番の製品が工務課物流係の者によって生産管理課へと届けられた。担当者から相談を受けた購買課長の中で結局、コスト削減のためカタログ品の購入を推進している手前例外を極力減らしたいという判断よりも、よその課長と無闇に対立などしたくないという感情が上回った結果だった。本日4度目の煙草休憩に立った課員が課長の背後を通りすぎたとき、50代の体臭と強い煙草の臭いが混じりあった空気が鼻について、課長は憎しみを込めた視線を課員の背に投げ掛けたが、すぐに視線を外して席に戻った。


 誰それが死んだと一言告げさえすればすみやかに、アンオフィシャルなくせに厳然と揺るぎない課内プロトコルに従って総務課が手続きを進めてゆく。遺族への連絡、葬儀の打ち合わせ、社内システムからのユーザー削除に関するシステム部への依頼、その他。同時に死者を抱えた課もまた書類仕事を進めねばならない。発砲及び射殺通達書、遺体処置申請書、慶弔金申請書、リースPC移管申請書、ソフトウェアライセンス使用中止通知書、ロッカー使用中止通知書、その他。課長は自らイントラネットのポータルサイトからそれらのフォーマットをダウンロードし、印刷して手書きで記入していった。几帳面な字でわずかでも書き損じたらシュレッダーで廃棄して書き直す。そんなつまらない場面で隙を見せたくないという。

 慶弔金申請書に手をつける際に、課長は就業規則の第7章「慶弔見舞金」を確認した。



第4条 ①従業員が業務上の事由により死亡した場合は、次により香奠、供物及び弔慰金を贈与し、葬儀費用は会社が負担する。

名目 贈与額

香奠 50,000円(各所属長名義に分割して贈与)

供物(社長、従業員一同) その時の状況により適宜のものを供える

弔慰金 7,500,000円



 それから「②従業員が業務外の事由により死亡した場合」の項に目を移して、その弔慰金が120万円であることも確認した。課長は受話器を取って内線4650を押しかけてやめた。総務課に確かめるまでもなくこれは「業務上の事由により死亡した場合」であった。部門予算ではなく全社予算から賄われる費用だから、部門長としては与り知らぬ金額だとしても、会社の一員として、会社に無益な出費が発生したことに胸を痛めていた。課長の席は一人壁を背にしているので私たちには課長のディスプレイに何が表示されていて何の作業をしているのかはわからない。ただ、次の月の社内報の最終ページに訃報と追悼文が掲載されており、私たちの誰も手がけていないことから、少なくとも課長がいつかパソコンに向かってこれを書いたことは確かだった。



故 吉岡英知さんの逝去を悼む

(生産部生産管理課)

7月28日の朝、突然の吉岡さんの悲報に接し課員一同愕然としました。吉岡さんは2002年の入社以来、外注取引先への発注・納入管理の業務に一貫して携わってこられました。入社当初よりとても高い意欲で能力を発揮され、さらなる活躍を私たちも期待しておりました。またとても和やかな人柄で周囲を明るくするような方で、関係職場だけでなく社外の方々からも大変好かれていました。まだ若くこれから仕事もプライベートもますます充実されていく矢先のことで、ご家族の失意を思うと悔しくてなりません。吉岡さんのご冥福をお祈り申し上げます。

生産部生産管理課 一同



 吉岡さんはP職2級で昇格試験に合格し先日L職5級になったばかりだった。課長はその点にも追悼文で触れようかと思ったがやめ、弔辞で触れようかとも思ったがそれもやめ、ただ「優秀な人材を失い、慙愧に堪えません」としかけたが念のため電子辞書を取り出して意味を調べたところ<ざん-き【慙愧・慚愧】①恥じ入ること。「―に堪えない」>(広辞苑第5版)とあったため、「遺憾の極みです」と修正して葬儀をつつがなくやり過ごした。工務課が手配した業者による清掃も済み、これで課長の気掛かりは自身のM職1級からG職への昇格試験のみとなった。部長職を熱望しているつもりはなかったが試験を受けさせられて落ちれば受かった者と比べて惨めさを味わうし、どうせなら受かりたいというのは階級社会に投げ込まれれば多くが巻き込まれる思考だった。



宮島様

お久しぶりです。磯崎です。

前回の同期会から半年ほど経ちましたので

そろそろまた開いてはどうでしょうか。

いつも宮島君に幹事を務めてもらって申し訳ないけど

もしできればまた開催案内を出してくれないかな。

忙しいようなら僕の方から案内しても構いません。

検討してもらえると嬉しいです。

磯崎



 傲慢な気がして開催通知を自分が出してもよいと書き加えたものの、実のところ宮島から発信してほしいと課長は考えていた。従前宮島が企画してくれていたのに突然自分が幹事をかってでるのは奇異に思われるだろうし、意図を勘繰られるのも癪だった。課内に死者を出した件が昇格に影響を与えるのかどうか、情報を集めようとしていると思われるのは耐えがたかった。

 メンバーは3年前の25年次研修で再会した同期入社の者たちだった。早い者はすでに部長に昇格し、一方でP職に留まって一担当者として過ごしている者もいた。あるいは労働組合で専従の後課長として復職した者、あるいは現在子会社役員の者。課長にとって意外だったのは、初年度に一緒に研修を受けていた頃の優秀/無能の印象と、25年経った現実の昇進とがほとんど無関係であったことと、さらに昇進の度合いと幸福度にさほど相関がなさそうに見えたことだった。ただ、平社員の者が、あえて自分を卑下したり、もしくは自ら望んだ仕事なのだと言い立てたり、会社組織への恨み言を繰ったりする様はかえって、昇進の差に恥辱を感じていると暴き立てて痛々しかった。残酷な研修だと思う一方で、この場で課長としての自身がそうした階級社会からくる無益な劣等感と無縁でいられることに内心で安堵していた。

 25年次研修で再会した同期のうちで当日同じ班になった者を中心に他に個別の知り合いを加えて同期会と称して半年程度の間隔で飲み会を開くようになった。今回も首尾よく宮島が幹事を務めて、まるで何でもない風に昇格試験の話を切り出したところ周りがその話題でひとしきり盛り上がって、課長が何も言わないうちに、死者を出すことはあまり関係がなく周囲の部長連中の覚えが主要因だとわかって安心した。


 一課員であれば何かのついでに、もしくはいっそ特段の用事がなくともよその職場を訪れて世間話を交わすこともできる。しかし課長には自ら別の職場に赴く用もあまりなく、用もないのに訪れるのはあまりに目立つ。あるいは喫煙者であれば喫煙所で世間話を交わせても課長は非喫煙者だった。それで噂にはめっきり疎く法務部が動いているという話を課長が知ったのも遅く、課内定例の前に私たちが雑談しているのをたまたま耳にして知った次第だった。遺族が会社に調査報告を要求していた。噂に聞いて以降は課長は同期その他のツテを頼って情報を集めた。調査は法務部コンプライアンス推進室が当初単独で進めていたが、総務部労務管理課も加わり、さらに法務部法務課が主導するに至って訴訟の近さを予感させた。肝心のPC社外持出し許可申請書の内容はもはや、原紙は高性能のシュレッダーにかけられ、元データは死亡した課員のリースパソコンが既にハードディスクを消去された上で情報戦略部第四技術課リース管理係へと返却されており、まるで失われていた。法務課による調査の過程で生産管理課員へのヒアリングや、書類や電子データのコピーが行われたりして経験のない事態に私たちも浮き足立っていたが、できる限り何食わぬ顔でワードやエクセル、アウトルックに向かい合っていた。

 課長への処分の見通しは立たなかった。それは不正の所在にのみ関わる話ではなかった。第一に社としての決定がどちらに転ぶかによるところが大きかった。この射殺を是と決めれば課長への処分を下すのは筋が通らないし、非と決めれば苛烈な処分を下さなければ筋が通らない。いずれ日本企業が世間を内面化した末に個人へ責任をとらせるあり方としては両極端しかあり得なかった。かてて加えて、現法務課長がつい2ヶ月前に契約支援室長から部内で横滑りしたばかりである点も隠微な影響を与えていた。新任の課長として初めてのルーチンとは異なるトピックだったから、新しい部下たちに自身の存在感をこの際示そうとしていたし、ついでに法務部長への昇進にも上手くすれば有利に働くかもしれないと思われていた。法務部内では知的財産課長と法務課長が目に見えて優秀で、内部昇格があるとすれば二人のいずれかだと自他ともに認めていたところだった。ここは法務課長にとってのアピールポイントであることは間違いなかった。法務課長当人は昇進に執着する人物でなくとも、意識から追い出すのは困難だった。こうした見立ては私たちも、課長も、それぞれ別のルートから感触を得た上で同様に持っていた。


 もはや法務課長個人が、揃った材料からどのようなストーリーを組み立てるかだけだった。法務部長も本部長も仮に話が上がったところで細かな穴を埋めるよう指示するだけで話の方向を決めはしないからだ。課長はふいに席を立って居室を通りながら、

「じゃあ、いってきます」

と私たちに言った。私たちは

「あ、いってらっしゃい」

と言った。どこへ行くかは聞いていなかった。課長はホワイトボードの所在掲示板の最上段、「磯崎」のマグネットの隣に、「外出」のマグネットを貼って「国際展示場」と書き入れた。課長が居室を後にしたのを視界の端で見届けてから私たちは素早くブラウザを立ち上げ、国際展示場のイベント開催予定を見た。しかしどの会場でも今日は業務に関係するような展示会は行われていなかった。課長は守衛所で社員証を提示し外出届を提出した。徒歩で駅へ向かった。昼すぎは日がまだ高く汗ばむ陽気だった。通勤/退社時間帯ではないホームに人はまばらだった。電車が到着し、開いたドアをくぐった直後に背後から「磯崎」と呼ばれて課長は振り返った。後ろに人が並んでいたとは気づかなかったし、名前まで呼ばれて意外だった。名前を呼んだ男はまだホームに立っていた。その男の顔に課長は心当たりがなかった。眼は窪んで洞穴のように黒く、彫刻刀で削り込んだように深く固い皺がいくつも走っているその顔を見て、単純作業労働者の愚鈍な男と推断して軽蔑した。課長はいつでもそうやって無自覚に人を二分しているのだ。課長は男に眉間を撃ち抜かれて死んでいた。男が同期だと気づかないまま磯崎さんは絶命した。工務課処置係のその顔は、磯崎さんと同じ日に入社してからまるで別の道を辿った四半世紀を越える「処置」業務の積層そのものだった。男はこの後帰社して処置依頼申請書に処置完了日を記入し、工務課長印の捺されたところで発行元部門へと原紙を返送、写しは工務課にて保管されることになるだろう。ドアが閉まり電車は時刻表を正確に反映して発進した。開発部付となっていた元第二開発課長が新たな私たちの生産管理課長に着任する人事異動が、既に発令されていた。

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