第14話 ケガの功名
登場人物
木下
岡野
熱い日がこうも続くと、会話をする気も失せてくる。猫が自然と涼める場所を探して動くように、僕も同じように動けばいいのかもしれないが、残念な事にこの校舎の中には涼める場所が無いことを知っている。もちろん僕以外の生徒も皆それを理解しているからこそ、誰も涼める場所を探そうとしていない。つい先日、空調機が壊れてしまったからだ。
「クーラー潰れてるんだから、せめて学校に冷蔵庫かアイスぐらい用意させてほしんだけど……」
既に4限目が終わっていたが、空調機はまだ修理出来ておらず、教室は蒸し風呂のようになっていた。アイスを強請っている彼女は、気怠そうに机の上に突っ伏している。机の横に掛けられている通学カバンの持ち手の部分も、片側だけがだらんと垂れ落ちてており、彼女の姿勢と相まって余計に気怠さが増して見えてしまう。それを目に入れてしまうと余計に暑苦しく感じそうだったので、僕は目を閉じ、机に肩肘を付きながら彼女に声を掛けた。
「木下は何のアイスが好きなの」
「今はピノコにハマってるかなー。この前買ったアイスの中に珍しい形した奴が入ってたんだけど、それがなんかさー、溶けちゃってて微妙な形になってたのよ。当たりなんだかハズレなんだか分からないよね」
「好きだねそれ。前も食べてなかった?」
「だって他においしい奴ないんだもん。ダッツは高いしさー」
少し間があってから、会話は途切れた。アンタは何か好きなアイス無いの? なんて聞き返してくれることを期待していたのだが、彼女は僕に何一つ興味を持っていないため、聞き返してくることなどありえなかった。分かっていたことだが、少しぐらい期待してもいいじゃないか。期待ぐらいはね。期待することを諦めることに納得した後、僕は木下に話題を振った。
「ダッツって海外だとさ、日本と同じ値段で10倍の量で買えるんだってさ」
「何それ、日本絞りすぎじゃん。ありえないわー。あーでも、食べすぎると太るからそんなには要らないわー。でも高いの嫌だわー」
「ちょっとずつ食べればいいんじゃないの」
「手元にあったら食べる。それが女子の流儀なのよ分かってないわね」
「女子じゃなくて木下の流儀でしょそれ」
彼女はほとんど自分の事しか話さない。よくある言葉で例えるならば、自己中心的とか自分語りが多いと言われる人種だと思う。世間的には嫌われるタイプに入るかもしれないが、僕にとっては都合が良い相手だ。理由は2つある。1つは聞き専に徹することができるということ。毎日のように顔を合わせていると、どうしても話題を考えるのに疲れるてしまうため勝手に話してくれる人だと助かるからだ。そしてもう1つは、自分の事ばかり語るせいで他人の事をべらべらと語らないこと。つまり口が堅いということになる。この2つは、僕にとって都合がよかった。でも、ほんのちょっとぐらいは興味を持って欲しい。
「アイスの話してたら余計に熱くなってきたじゃない。早くクーラー治してよ……」
「僕に言われても治せないから。プールの授業でもあったらいいんだろうけどね」
「何? なんでいきなりプールの話? 水着姿でも見たいの?」
「いや、多少は涼めるだろうかなって」
「見たいなら素直に見たいって言いなさいよ変態。今でも水着姿想像してるんでしょ?」
「見たいって言っても、そもそも僕らの学校は男女別々の水泳授業じゃん」
「だからこのクーラーの故障に合わせて無理やり授業に持っていって水着姿を拝もうって魂胆なんでしょ、変態」
「じゃあ見たいってことでいいですよもう」
「あんたなんかに見せるわけないからね。残念でしたー。はいおしまいこの話題。暑いから辞め辞め。」
うちわで扇げばまだ涼めるだろうが、うちの高校はクーラーがあることが当たり前だったため、そんなものを準備しているのは体育会系の部活に所属している奴ぐらいだった。僕はといえば、中学以来下敷きも使わなくなったため、扇ぐのに適した物が全くなくノートで涼んでる状態である。他の人も似たような感じだ。
「ねえ、ちょっと岡野。それで扇いでよ」
「いやだよ、みんな見てるし。もしやったとしてもノートじゃ扇ぎ辛いからやりたくないよ」
「じゃあ私の下敷き貸してあげるからやってよ」
「僕も暑いんですけど……」
「アンタが汗をかこうが暑かろうが私には関係無いのよ! 私が汗だくになったらシャツ透けちゃうじゃない、大問題でしょ」
扇がないほうが僕にとってメリットが多いじゃないか。なんて突っ込みをいれたかったが、また変態呼ばわりに逆戻りしそうだったため、ぐっと堪えた。
「ねえ、岡野って今年海かプール行った?」
「行ってないよ。なんで?」
「さっきプールの話してたから聞いただけよ。いちいち理由なんて聞かないでよ暑くるしいから」
珍しく、木下のほうから興味を持ってくれたことに驚いた。驚いたというよりは、嬉しかったというほうが合ってるかもしれない。それぐらい、彼女は普段全くといっていいほど僕に興味を持っていくれなかったのだ。
「海もプールも滅多に行かないしあんまり行きたいとは思わないかな」
「あんた泳げなさそうだもんね」
「泳げるよ、一応。でもプールに入ってるとすぐに唇紫になるし。木下はよく行くの?」
「私は毎年行ってるかなー。水着選ぶのも楽しいし、水に入るのも気持ちいいし。てことはさ、岡野は水着も持ってないの?」
「そういえば買ったことないや」
「じゃあ一緒に買いに行こうよ! あたしも今年の水着選びたかったし」
「え、でもそれって」
「何? デートだとでも思ってるの? 意識しすぎでしょただの買い物じゃん。それにアンタの水着選ぶのってすっごく楽しそうじゃん」
「……なんか変なの買わせようとしてない?」
「どうせ着る機会無いんだったら何買ってもいいんでしょ? なら派手なの買っちゃおうよ面白いし」
「河原で遊ぶ時に着たいから、そういうのはちょっと」
「どうせ誰も見ないから気にしなくていいって! この前すっごい柄のやつ見かけたから、それ置いてあるお店行こう。決定だからね」
「なら、いつ行くか決めておかないと」
「何いってんの、今日みたいな暑い日に行くのがいいんでしょ。お店すっごい涼しいだろうし今日いくよ」
「帰る時まで気力が残ってたらね……」
──その後、6限目の授業中に空調機の修理が完了したのか、整備士の人作業を終えてどこかへ移動していく姿が窓から覗くことができた。クラスで一番の賑やかし野郎が空調機の電源を入れたところ起動が確認され、教室中が歓喜の声に包まれた。その歓声の直後、隣のクラスでもまた同様の歓声があがっていた。きっと僕たちと同様に空調機のスイッチが入った事への歓声だろう。帰宅時間になると、学校中の生徒が今日は1日ほんと最悪な日だったと口々に文句を言い合っていたが、僕にとってはそう悪いものではなかった。
「おい岡野、早くいくよ」
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