⑤会釈
生まれてこのかた道行く人に会釈されることが多かった。
相手は知らない人ばかり。
他人の空似にしては多いと感じていた。
そんなによくある顔だろうかとコンプレックスになりかけてもいる。
とはいえ特に話しかけられるでもなく、生活に支障があるわけでもない。
相手を問いただす理由も度胸もない。
とりあえず会釈を返し続ける日々。
そしてこの謎が解けたのはごく最近のことだ。
きっかけは人生を終えたこと。
病院のベッドで誰に見守られるでもなく、自分の心音が聞こえなくなった頃。
世界は真っ白になった。
肩を叩かれて振り向くと、そこには真っ白な人間がいた。
「お勤めご苦労様でした。」
「はぁ。どうも。」
「お帰りが遅いので心配していたのです。何か問題でもありましたか?」
これは確かに死の世界だ。
それだけは本能的に分かる。
だが、彼が何を示しているのか分からなかった。
「すいません。あなたのおっしゃっていることがよく分からないのですが、もう少し噛み砕いて説明いただいてもよろしいですか?」
白い人間は不思議そうな顔をした。
少しばかり考え込んだ後、ひとり頷いた彼はその場に座るように言った。
「戻ったばかりで混乱しているのかもしれません。これからはまたここで活動するのですから、いち早く記憶を戻してもらわないと。」
気づくと2人分のイスが用意されている。
座った瞬間、自分に体があることを思い出した。
「あなたは天使の勤めを終えました。天使の仕事は下界で人間に混ざって暮らし、その様子を神に報告する仕事です。」
「天使の勤め…。ということは、私は天使なのですか?」
「はい。もちろん私も。」
良く見れば頭に白い輪が浮いている。
「あちらでも同胞から交信があったでしょう?」
「交信とは?」
「天使の輪を見せ合うことです。」
ほら、という風に示され、つられて見上げると自分の頭上にも白の輪が浮いている。
「天使は定期的にデータを交信し、情報をアップデートすると共に、神からの意向を伝えあいます。あなたには何度も勤めを終えるようにと指示していました。」
「勤めを終えるとは…」
「人間としての生を終えることです。あまりにも帰りが遅いので病死していただきました。」
ということは、私は天からの意向で死んだ…もとい殺されたのだ。
「世の中の突発的な死は全て神の意向です。認知力の高い若い頃の方が多くの情報を得られますから、最近は太く短く生きていただく方が多いですね。」
背筋を冷たいものが走った。
青ざめていると、彼は首を傾げた。
「おかしな人ですね。もう死んでいるから関係ないというのに。まだ人間でいた名残があるのでしょうか。」
「そうかもしれませんね。全然実感がわきませんよ。」
から笑いをひとつ。
しかし相手は全く合わせてくれなかった。
「おかしいなぁ。これでも何も思い出せませんか?」
「はい。初めて聞く話ばかりで。」
「うーん…。ちょっと失礼します。」
彼はおもむろに立ち上がり、私の輪に触った。
「あぁ!覚えていないはずです。そもそもスイッチが入ってなかった!」
「困りました。これではデータが記録されていない!」
「これでは文字通り無駄死にじゃないですか!」
先程まで感情が読めなかった彼の狼狽した声が矢継ぎ早に聞こえた。
「やり直しですね。データがないのであれば、意味がない。」
「やり直し?」
「もう一度下界へ行き、データを収集してください。」
彼は虚空へ向かって言った。
「彼の刑期を伸ばしてください。どうやらこちらの世界に戻ることを拒みシステムを切っていたようです。いるんですよねぇ。どんな人生もリセットしてやり直したいなんて人。いつまでたっても罪が消えやしない。」
「刑期…?」
その言葉で全てを思い出した。
この世界では堕天した天使が罪滅ぼしのために下界に降り、データを収集して世に役立てている。穢れた世界に行けるのは穢れた存在のみだからだ。浄化する術はあれど、穢れる術は自らの堕天のみ。神聖な存在である神は直接手を下すことはない。全ては罪人達によるデータを基に決定が下される。いわゆる汚れ仕事で、神が満足する情報を手に入れるまで浄化されることはまずない。
それに嫌気がさしてスイッチを切ったのだ。
「データ収集には時間もコストもかかるんですから軽い気持ちでこの仕事をされていては困ります。軽いのはお辞儀だけで充分です。」
そう言って彼は会釈した。
「それではいってらっしゃいませ。罪人よ。」
とん…、と肩を押されると真っ逆さまに堕ちていく。
そうして飛び起きると、また病院のベッドの上だった。
体中にはありとあらゆる管がつけられ、突然起き上がったことで周りの医者が驚いていた。
固まった空気の中で私は「どうも」と軽く会釈した。
生死の境を彷徨い、奇跡的に生き返った私はまた平穏な日々を過ごしている。
1つ違うことといえば、会釈の本当の意味を知ったくらいのことである。
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