ショートショート

蒼生真

①彼女の夢

僕には彼女がいた。

とても気の合う人だった。

きっと結婚するだろうな、と思っていた。

そのくらいには、彼女を好きだった。彼女を愛していた。

僕の彼女には、理想のプロポーズがあるらしかった。

それを実行するためには、付き合っている1年の間に少しずつ聞き出さなければならなかった。

そして「2人きり」で「夕焼けが綺麗な時間」に「夜景の見える高いところ」で「結婚式で言うようなセリフ」で「男性の方」からされるのがいい、ということを突き止めた。

女性ならではのこだわりってやつだろうか。

彼女の理想は典型的に見えて、実際のデートは今まで経験したことのないほどの楽しさがあった。

時間を共有することで、彼女がもっと好きになった。

彼女の理想を叶えるべく、デートの終わりに夜景が見えることで有名な山へ向かった。平日のせいか、いたのは僕らだけだった。

夕陽でオレンジに染まる世界はとてもロマンチックで、これから見えるであろう夜景も美しいだろうことを予感させた。

夜景を邪魔しないよう低く設けられた柵。

それにもたれる彼女は、お気に入りの白いワンピースを着ていた。

僕は彼女の前に跪き、ずっと用意していた婚約指輪を差し出した。

「僕はあなたを愛しています。病める時も、健やかなる時も、永遠の愛を誓います。あなたも誓ってくれますか?」

緊張で声が震えた。

覚えたはずのセリフは僕の頭からすっ飛んでいて、なんだかおかしなセリフになっていた。

それでも彼女は喜んでくれた。

「誓います。」

そう繰り返して僕の胸に飛び込んだ。

僕はそれをしっかり受け止めた。

誓いのキスをして、抱き合って、お互いに指輪をはめ合った。

彼女は嬉しさが体から溢れないように、手をパタパタ動かしたり、飛び上がったり、何度も僕に抱きついたりした。

愛おしそうに指輪を見つめる彼女は、喜びの力でそのまま飛んで行ってしまいそうな気がした。

僕が少し強引に手をつないだら、彼女はさっきより落ち着いたようだったけれど、やっぱり顔がニヤけていた。

そんなところも好きだ、と感じた。

そのままベンチに座り、身を寄せ合う。

つないだ左手の薬指に、僕と彼女のイニシャルの入った指輪がされているのを見ると、僕にも彼女の喜びが伝わってくる気がした。

彼女が甘えた目をしたまま、僕の耳元へ顔を寄せる。

「私は幸せ者よ。」

そうだね、と頷くと彼女はいたずらっぽく笑った。

「私の夢はね、幸せになることだったの。」

何を言い出すのか、と聞き返そうとしたら、彼女は突然立ち上がった。

固くつないでいた手は、呆気なく離れてしまった。

彼女は指輪を大事そうになでながら、僕から離れていく。

彼女の温もりが遠ざかっていく。

その後ろには夕焼けと、世界が闇に呑まれるのを拒むように輝き始める都会の夜景がある。

儚く笑う彼女と相まって、とても幻想的な光景だった。

「私の夢は、幸せになることよ。」

彼女はもう一度繰り返した。

「幸せになって、その絶頂で死ぬこと。それがやっと叶うわ。」

彼女がくるりと後ろを向いて、柵を飛び越えた。

柵の向こうには今にも沈みそうな夕焼けと、都会の明かりと、彼女の綺麗な背中が見える。その先に足場はほとんどなく、崖になっていた。下は岩場になっているはずだ。

「幸せは永遠に続くとは限らないわ。未来の不幸を憂うより、一番の幸せを感じている時に死んだ方がいいの。」

僕は彼女が何をしようとしているのか分かってしまった。だから彼女を止めなければいけなかった。

僕はその足を動かして、その手を伸ばして、彼女を抱きしめなければならなかった。これからもっと幸せにする。そんなことを言わないで欲しい。どんなことでも聞く。何でもする。だから一緒に生きていこう。

そう伝えて、僕らの家に帰らなければならなかった。

でも、彼女の幸せそうな、嬉しそうな顔を見てしまったら、僕はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。彼女がしようとしている事を信じたくなかった。

だから動けなかった。

「病める時も、健やかなる時も、永遠の愛を誓います。…素敵な言葉だね。」

そう言ってから「ふふっ」と笑う。

楽しそうに笑う。

彼女が振り返った。

「ずっとずっと、あなたを愛してる。私が死ねば、愛は真の永遠になるの。私はあなたの永遠になるの。それが私の幸せ。」

彼女がぱっと柵から手を離した。


「私、今、最高に幸せよ!」


彼女はそう叫んで闇へ飛び込んでいった。

彼女の着ている白いワンピースが蝶のように舞い、木の葉のようにゆらゆら落ちていった。

その姿は今までのどんな彼女よりも綺麗だった。

僕は、それを額縁の向こうを鑑賞するような心持ちで見つめていた。


  ○  ○  ○


そこで目が覚めた。

全身汗だくで、心臓は信じられないくらいバクバクしていた。

僕が上半身を起こすと、隣に寝ていた彼女が身じろぎした。

僕はたまらず彼女を強く抱きしめた。

僕があんまり強く抱き締めるもんだから、彼女は苦しそうな声を出した。

でも、僕が泣いているのに気がついて、彼女はそっと抱き締め返してくれた。

「昔の夢を見た。でも何かが違う、すごくすごく怖い夢だった。」

「そう。」

「君を失う夢だ。」

「私はここにいるわ。」

「うん。」

「ねぇ。今日が何の日か覚えてる?」

僕は頷いた。

今日で結婚して1年

初めての結婚記念日。

初めての約束を果たす日だ。

「病める時も、健やかなる時も、永遠の愛を誓います。愛し続けます。もっともっと幸せにします。だから、僕の前からいなくならないでください。」

僕はあの夢の中で彼女に言わなければならなかった言葉を、素直に口にした。

「もちろん。これからもずっと一緒よ。」

女性ならではのこだわりってやつだろうか。

結婚する時の条件は、毎年愛を誓うことだった。

彼女の夢は永遠に一緒にいることだった。

そうして僕らはもう一度永遠の愛を誓った。

来年も同じ言葉を伝えるために。

また1年を繰り返していく。

「私は幸せ者だわ。」

その一言を聞くために。

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