第2話

 デート当日の土曜日。初夏の陽射しが明るく爽やかだ。


 Aは待ち合わせ場所に少し遅れて到着した。

「悪い、待たせて……」

「遅いぞ」

壁にもたれて本を読むBが顔を上げた。

そう。今日は大人なイメージの服装で、とは言っておいた。

しかし…

今日のBは、涼しげなネイビーの七分袖シャツに、黒のスキニーパンツ。

…ただそれだけなのに、なぜそんなに色っぽい?

すらりと長身で端正な顔立ちがいっそう引き立ち、それはもう大人の男だ。


 そのBが、Aを見てぱっと華やかに微笑む。

「お前、それ似合うな」

Aはチャコールグレーのサマーセーターに白のチノパンというシンプルな装いだ。

「そういうの着ると、いい身体してるのがよくわかる。お前の涼やかな醤油顔にもよく合ってるな」

ああ……くらくらする。

わかってて言ってるんだろうか、ただその辺がニブイだけなのか。

「どうした、ふらついて」

「…何でもない。行くぞ」


 今日の1箇所目は、こともあろうかパチンコ店だ。

「おい、A!18歳未満はダメなの知ってるだろ!!」

店の前でBは険しい顔になる。

「見物だけだよ。客として打たなければ大丈夫だ。だから、一応ガキ臭い恰好をNGにしたんだ」

「……見てるだけで、なんか面白いのか」

「B、『確率変動』って言葉を知ってるか?」

Aがニッと笑いながら、そんな言葉をBに囁く。

「…カクリツヘンドウ……?」

Bの眉がぴくっと反応した。その謎めいた言葉の魅力に数学脳がまんまと食いついたようだ。

「そうだ。大当りを出すためのまたとないビッグチャンスのことだ。これが発動すると、通常の大当り確率が変動して大幅に甘くなるため、大当りが出る可能性は跳ね上がる」

「——とりあえず入ろう」

今度はBがAの腕を引いて店内に乗り込んで行く。

店内の騒音はいささか堪え難いが、そんなことを言っている場合ではない。Bは近くで打っている客の台を食い入るように見つめる。

「…玉が釘に当たって流れて行くんだな」

「そう。あの釘の位置が重要だ。店側は、あの釘をこまめに叩いて、当たりの出やすさを調整している。上級者は、釘を観察すれば出る台が見分けられるらしい。『釘読み』ってやつだ」


 通路をゆっくり歩きながら穴のあくほど台を観察していたBが、確信に満ちた声で低く呟いた。

「……釘読み、できそうな気がする」

「!?」

「コツを掴めば、多分できる」

なんか今、とんでもないギャンブラーを誕生させてしまったような…?

「パチンコって、当たれば儲かるんだろ?」

「ああ、本業の給料をほぼ貯金して、パチンコで稼いだ金で生活してる奴もたまにいるらしい。…あ、それから、地方に行くと玉の換金率が都会地よりもいいから、地方へ『旅打ち』に出かけて稼いでくるのもいるそうだ」

そのとき不意に、BがAの手を取りぐっと握った。既に眼はキラキラと輝いている。

「高校を卒業したら、一緒に行こう。旅打ちへ。——北海道でも九州でも」


マジか?一足飛びに旅行の約束か!?

Bはとりあえず金に目がくらんだだけのようだが、俺はBと一泊以上の旅ができれば何でもいい。一緒に北海道か……

やばい。でれっとするのは早い。全てはスイッチを入れてからの話だ。

パチンコ店見学を終えても、Bはジャラジャラ出続ける玉を妄想して夢心地だ。これで良かったのか悪かったのか…。



「さあ、今度はここだ」

次は、ショッピングモール内のごく一般的なゲームセンターだ。土曜だけに大勢の客で賑わい、それはもう騒々しい。

「A………俺的には、ここには何の意義も見出せないような気がするんだが……」

「いやいやそんなこと言わずつき合えよ」

そうAに言われて引っ張られてきたのはクレーンゲームの前だった。

「ん…何だこれは?どうやるんだ?」

「コインを入れるとクレーンが起動する。縦横1回ずつクレーンを動かして目当ての景品を掴み、取り出し口に落下させるというものだ」

「ほう………」

Bの眼つきが変わってきた。

「じゃ、一度試すか」

じーっと目標を見つめ、多方向から景品の位置を充分に把握し、コインを投入する。

見ていると、普通は狙わない位置の景品にクレーンを動かして行く。

「B、いきなりそんな場所のやつ取れんのか?」

「見てろ」

「!」

クレーンのアームに、景品のタグを結んだ細い紐が見事にかかった。

「このアームは大きな物体をしっかり挟めるほど強力じゃなさそうだ。ということは、引っ掛ける方法が正解だろう」

初心者とは思えないBらしいスマートさで、鮮やかに1つ目をゲットだ。

「じゃ、次これ」

「そんな大物、さすがにやめとけば……」

「どこに力をかければ物体がどう動くか。それを考えれば簡単だ。物体の重心の位置を捉えられれば、クレーンで掴むべき位置も決まる。

このデカいぬいぐるみなら、この方向へ1回転、こっちへ2回転させてあのくびれた部分にクレーンをかければ、間違いなく落ちる」

もはや獲物を狙うハンターの眼だ。怪しい潜在能力が次々と開花しつつあるようでちょっと怖い。

まあいずれにしても、物体の移動やら重心の位置やらコイツの物理方面の興味は目論み通り大いに刺激されているようだ。……などと考えている間にも、景品がガンガン取り出し口へ落ちていく。

「ここは、こんなふうに景品を稼いで得した気分を味わうところなのか?」

いや、本来全く取れずに損した気分を味わう場所なんだけど…

あまりのクレーンさばきの鮮やかさにギャラリーまで増える有様だ。

結局、景品を山のようにゲットし、紙袋2つがいっぱいになる収穫を得たのだった。


「今日のシメはこれだ」

ファストフードで軽いランチを済ませてやって来たのは、バッティングセンターだ。

「ここの利用方法は、飛んで来る球を打つ…だけだよな、A?」

「その通りだ」

「……面白さがいまひとつ分からないんだが」

「——バットと白球が作り出す巨大で美しい放物線を、間近で見たくないのか?」

Aはまたしてもにやりと微笑んでBを誘惑する。


「巨大で美しい…放物線……」

今、彼の脳内には壮大な二次関数が描かれたようだ。

「……なるほど。確かにそれはぜひ間近で見るべきものだ」

ほんとBって面白いヤツ。


「おっしゃ!!」

Aはバッターボックスに入るなり、快音を響かせる。

カーーーーン!

「おおおーー!」

スカーーーーン!!

「おお……。すごいな……感動だ……。

涙が出るほど美しい放物線だ……」

もうコイツには勝手に感動しといてもらおう。

気持ちよく球が飛んでいく爽快感は格別である。


「俺もそれを描いてみたい。俺にもやらせてくれ!」

じっと球の軌跡を見つめていたBも、やる気になったようだ。

「お、やってみるか?じゃ交代な」

「むむ…緊張するな」

「球を良く見ろ」

ビュンっと勢い良く振るも、1球目は空振りだ。

しかし振りはなかなかいい。

「振りはそれでいい。しっかりボールを見て振れ」

2球目。カンッ!ヒットレベルの当たりだ。

「おお、いいぞ!その感じだ」

3球目。カーーーンッ!!

惚れ惚れする放物線だ。

「うっしゃーーーー!!」

初めて見るBの盛大なガッツポーズだ。やればできるじゃないか、そんな弾けるような笑顔。

4球目。カンッ!……

「ぐっ……!?」


ん?

Bが打ちかけた姿勢で完全に固まっている。

「おい、B?」

「…やばいぞ……今、グキって」

Bは苦しげに自分の右脚を指差している。


「…あちゃー………これは捻挫してるな、多分」

Bに肩を貸し、足首の様子を見ながらAが呟く。

「家が近くて良かった。……B、少し歩けるか?うちで手当てするから」

「悪いな……運動不足が祟った」

「ああ、そうかもな」

Bに肩を貸しながら、Aはちょっと笑った。



        *



 歩いて10分ほどで、Bの家に着いた。

両親は共稼ぎだから、けが人を突然担ぎ込んでも何の問題もない。

自分の部屋へBを運ぶと、Aは救急箱を取り出して手際よく足首の処置をする。湿布を丁寧に貼り、サポーターでしっかり固定する。


「……とりあえず、これで様子を見よう」

「うまいな、A」

「何年スポーツに親しんでると思ってるんだ?」

そう言ってAは微笑む。



……ん??

……ということは、今、この家で二人きりじゃん……??

ヤバい。

処置が済んだ途端、Aはにわかに緊張し始めた。

「…あーー!!そういえば汗かいたよな!?タオルと水分だな!ちょっと待っててくれ」

Aは慌ててキッチンへ水分を探しに出る。心臓バクバクでほんとにヤバい。

冷蔵庫を開けるが、在庫が乏しい。奥まで漁ると、あったぞ!カ○ピスソーダが一本!でかした母親!!そして氷もちゃんとできてる、素晴らしい!

とにかく慌ててプルタブを開け、氷を入れたグラスになみなみと注ぐ。いつも本ばかりのアイツにしては運動もしたし、充分な水分が要るだろう。タオルも…よし、あったぞ。


「悪い、ほんとはスポーツドリンクとかがいいんだけどな」

ローテーブルにグラスとタオルを置き、部屋の窓を開けながらAが言う。

「これは?」

「普通のカ◯ピスソーダだ」

「おーー、美味いなー。汗かいた後の水分とはこんなに美味いのか」

そう言いながら、Bは勢いよくグラスを呷る。

「あ、そうだ!ちょっと待っとけ」

確か、和室に座椅子が…その方が背もたれもあって楽だろう。

それから、気の利いた茶菓子なんかはないのか。

椅子を運ぶついでにキッチンなどをゴソゴソ漁ったが、出せそうなものも見当たらない。——とりあえず仕方ない。



和室から椅子を運んで部屋に戻ると、BがAをじっと見つめる。

「…どうした?B」

「………」


Bは四つん這いのまま、無言でじりじりとAに近づいてくる。

「…おい、B?」

前進をやめないBに、Aは狙いを付けられた獲物のように後ずさる。

強い力でぐっと手首を掴んで座らされ、顔を間近に寄せられた。

シャツの襟から白い胸元が覗く。吐息が熱い。


「…A」

「はい…」


「あれは、本当にカ◯ピスソーダか?」



「……え?あれ!!?」

Aは慌ててキッチンへ確認に走る。

ヤバい……

これ、アルコールじゃん。「ほろ◯い」じゃん…

ぱっと見絶対カ◯ピスソーダじゃん…。


「すまん、B!間違いだ!さっきのは『ほろ◯い』だ!」

「どおりでなんかヘンだった。おかげで俺はほろ酔いだ」

ほろ酔いは完全に通り越し、Bはもはや目が座っている。とりあえず酒は弱いようだ。

「悪かった!水持ってくるから、ここ座ってろ」

座椅子へ移動させようと側に寄ったAの肩に、Bはくたっと頭を預けた。

「…もう、これでいい」

「………」

Aは、Bの頭を肩から落とさないように、静かに座り直した。



滑らかに白く、真っ直ぐに通った鼻筋。凛々しく整った眉。伏せられた瞼から細やかに生え揃う睫毛…描き込まれたように淡く艶やかな唇。

肩に触れる黒髪が、微かに香る。


改めて間近で見るBの美しさに、Aの身体の奥が震えた。



「…気持ちいいな、これ」

人の気も知らずにつくづく呑気だ。


「…今日は、楽しかったか?B」

「ああ。最高に楽しかった。満足至極だ」

「……」



「——キス、していいぞ」

その言葉に、Aの肩が一瞬ぴくりと反応した。

しかし…そのまま静かになる。



「………」

「…ん?」

「……いいよ今日は。そんなに酔ってるじゃんか」



BはAの耳元で囁く。

「お前に任せる」


酔ってるだけか。マジなのか。


——その唇は、さぞ甘いのだろう。



「……しないのか」

頭を肩に乗せたまま、Aが呟く。


「…酔ってるお前とは、したくない」

Aは、すぐ横のBへ向けて答える。


「もし明日お前がなんにも覚えてなければ、意味がない。

判断力が落ちたお前を、チャンスとばかりに好きなように扱うのも嫌だ。

お前の気持ちが本当に俺に向いてくれたのか、この状況じゃわからない。……だから、今はまだしたくない。


……それより、脚、痛まないか?痛むなら後で医者連れてくから」



 Aの肩で、Bはちょっと笑う。

「これだけ今まで努力して、ゴール目前だってのに…チャンスをモノにするのが下手だな?

——それじゃ世渡りが心配だ」

「勝手に心配しとけ」

「迷ったら、俺が教えてやる」


「…ああ、そうだな」



Bは、肩に乗せた頭をAの首筋へ押し付けた。

「………俺もお前が好きだ、A」



 ——そのまま、Bは静かな寝息に変わった。




   *




 それからひと月ほど経った昼休み。

隣のB組から、校内で一番人気の美少女C美がA組に乗り込んできた。

「A君、いる?」

「おいA、客だぞ。C美ちゃん…」

「失礼」

ひとをかき分けてずかずかとAの前にやってきた。

「A君。私、ずっとあなたを見てたの。けど、いつまで経ってもあなたが私に告白しに来ないから、私から来たわ。

——私と、付き合ってくれる?」

突然のC美の告白は、クラス中の注目を集める。


「……えー…っと……」

Aが返事を言い淀む。


「——Aには、もう相手がいるぞ」

Aの横で何となく参考書をめくっていたBが、本から目を離さずに自信満々のC美に助言した。

「ちょっと…B君。それ、誰よ。ウチの学校の子?」

「頭脳明晰な美形で、Aがやっと落とした相手だ。向こうもAに惚れてるから、多分キミに勝ち目はないだろう」

Bはいつもの冷静さで淡々と言う。

「そんな魅力的な子、いたかしら…?……本当なの?A君」

「…まあ、そんな感じだ」

険しい表情のC美に対し、AもBも表情を変えない。


「……B君が言うんだから、間違いなさそうね。

A君、今日は退くわ。

——でも、そのうち必ずあなたにこっちを向かせてみせるから」

色っぽい目つきでAを睨みそう言い残すと、C美は長い髪をふわっと翻し、鼻息も荒く帰っていった。


「おいおいA!何もったいないことやってんだよ、バカかお前!?校内一の

美女を秒速で振りやがって!」

周りに集まってきた男子が口々に騒ぎ立てる。

「へー、あれが校内一か?」

「なあ、Aの相手って一体誰だよ?あのC美をあっさり振るなんて、そりゃよっぽどのハイレベルだな?」

「……ああ。彼女など、比べ物にもならない」



AとBが一瞬口の端で笑い合ったことには、誰も気がつかなかった。




 それぞれに思い悩みつつも——お互いのスイッチをONにし合うことが、結局ふたりにとって一番幸せな選択だったようだ。

     




       

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ところでA君はB君のスイッチを入れたのか? aoiaoi @aoiaoi

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