わたしの嘘は

見る子

第1話

 


 ――――わたしは嘘をつくのがやめられない。






 もうすぐ放課後をむかえる教室は賑やかでうるさい。


 夏が近づいているせいで教室内はむし暑くて、みんな肌にうっすら汗をかきながら談笑をしている。先生はまだ教室にやってこない。


「マジで速くなるの?」


「うん。テレビでみた」


 そんななか、わたしは席がとなりの彼とのお喋りに夢中になっていた。


 彼は机から身をのりだして、まるでエサをねだる鯉みたいにわたしの話に喰いついている。まあ話の内容はウソの作り話だけど。

 

 サッカーをしている彼には足が速くなる話題は興味ぶかいみたいで、キラキラした瞳でわたしの話にうなずいている。犬が散歩に行くときみたいで、なんだか可愛かった。


 テレビで見たというわたしの作り話を疑うことなく聞いてくれている。席がとなりになってから彼とはよくこうして話をする仲だった。

 

 リアクションが良いので、わたしの密かな楽しみでもあった。


 言ってしまえば彼は、まあおバカである。だけどスポーツが得意で明るくて顔もなかなか可愛い顔をしているので、クラスでは人気者で友だちも多い。


 将来サッカー選手になるのが夢で、本気でそれを信じている。


 きっと数年後には現実を知り、挫折してしまうんだろう。そんなことを想像するとちょっと胸がチクリと痛む。


 そんな彼のことが、わたしはあまり好きじゃない。


 転校生してきたわたしは周りと仲良くするために嘘までついて話題を提供しているのに、彼みたいな陽気な人間は何もせずにいつもクラスの中心にいて友達も多い。


 正直、ずるいといつも思ってしまう。


 先生がやってくると教室は、少しずつ静かになっていった。わたしも彼とのお喋りをやめて、姿勢を正して正面をむく。先生の終わりの挨拶は毎日、ほぼ一緒なので聞く必要なんてない。


 すぐに飽きて、ぼんやりと窓の外をながめる。


 夏が近づいている青い空のなか、ひとつの高い山がそびえている。


 このあたりでは有名な山らしく、昔ばなしもあったりするのだった。


 なんでも山には神サマが住んでいて、麓にある村の若者が嘘をつくたび山が高くなり陽が当らなくなる。村は作物が取れなくなり、そして終には山がくずれ、村はなくなってしまうとかそんな話。


 それが本当なら、わたしがここにきてずいぶん高くなったに違いない。


 いわゆる都会から2年前に引っ越ししてきたわたしは、周りと仲良くなるため色んな嘘をつき続けている。そして今では息をするように嘘をついてしまうようになってしまっていた。


 家でも学校でも、家族にも友達にも、それと彼にもだ。今では罪悪感すらなにも感じていない。悪いことだとすら、思っていない。


 そんなことを考えているとHRは終っていた。



 ◆◆◆



 放課後をむかえるとうちのクラスでは、男子は校庭でサッカーをして、女子は教室でお喋りする子が多い。もちろん何人かは帰る子たちもいるけど、わたしは仲の良い女子たちと好きな芸能人の話をして盛り上がっていた。


 もちまえの嘘をついて、話をもり上げる。彼女たちの興味を引きそうな話題を作って、想像を膨らませ話をはずませていく。好きなアイドルが誰と付き合ってる噂があるとか、どうでもいい内容だったけどそれなりに楽しくて時間が過ぎるのも早かった。


 ふと外を見るとうす暗くなっているなか男子たちはまだサッカーをしていて、そのなかには彼の姿も見えた。陽が落ちてきたせいか、肌寒い空気が窓から入ってくる。


「……あ、そろそろ塾だ」


 ひとりの子が言い、それを合図にお開きにすることになる。


 そろそろ放送がなって最終下校時刻だと知らせるだろう。帰る準備をして彼女たちと廊下へ出ると声をかけられた。


 クラスで女子の中心グループの子たちだった。


「……なに?」


 一応クラスメイトだから媚びへつらうことはしないが、ちょっと緊張する。


 彼女たちはわたしだけに用があるのか、わたしと一緒にいた子たちをいちべつする。空気を読んだ彼女たちは挨拶だけ交わして帰っていった。


「ちょっと相談があるんだけど……」


 声を掛けてきたのは、背が高い子。


 だけどその子の後ろで、思いつめた表情の子が何やら気まずそうにしている。どうやら相談したいのは彼女らしく他の子達は付きそいらしい。


「ああ、うん」


 平静をよそおいながら返事をして、もう一度教室へ入りなおす。


さっきよりも陽はおちて教室内は暗く、窓から見える夕焼け空が影絵みたいに山を黒く浮かびあらわしていた。


「その、告白したくて……」


 クラスで人気の彼女はそう言った。


 誰に……? と聞きかえすと隣の席の彼の名前をあげる。


 可愛いくておしゃれで明るい彼女は女子の中心で、それはそのままクラスでの権力とイコールだ。大抵の女子は彼女には逆はない。もちろんわたしもその一人だった。


多少プライドが高いとこはあるけど、悪い子ではない。わたしが彼女に持っている印象はそんな感じだ。別に嫌いではない。好きでもないけど。


「その仲いいじゃん。だから……さ」


 どうやら彼とよく話しているから、相談相手に抜擢されたらしい。


 じんわりと手のひらに汗がにじむ。


 立ち回りの次第で、この件がわたしのクラスでの立ち位置をプラスにもマイナスにもする。クラスの中心人物と接することは、そういうことなのだ。


「うん、いいよ……」


 とうぜん断れるわけもなく、私はうなづいた。



 無理難題を言われる前に、わたしは会話の主導権を握るため彼女の言葉を待たず、質問をしていろいろと聞きだす。具体的に彼女がわたしに何を求めているのか、それを理解する必要があった。


 なんとなくだけど話すうちに、だんだんとわかってきたことがある。


 彼女は告白に協力して欲しい気持ちはあるが、まだ具体的に行動するところまでは考えていないようで、まず彼のことをいろいろ知りたいらしい。そんな感じだった。


「あいつって、好きな子とかいるの……?」


 わからない、ではなく明確にいないと答える。少なくとも本人からは、そんな話はきいたことはない。曖昧な態度で頼りがいがないと思われてはいけない。

 

「うーん、でも……」


 そしてわたしはわざと引っかかるようなことを言う。


「……な、なに?」


 彼女があたしの話題に食いついた。わたしは人が自分の話題に興味を示すこの瞬間がたまらなく好きだった。


「3組の岩越さんと仲がいいみたい」


 彼女は不安そうに眉をさげる。


 前のクラスで二人がうわさになり両想いではないにしろ相手のほうは好意を寄せているんじゃないか、とわたしは推測を語ってみる。


本当のところは、去年同じクラスなだけの関係だけど。


 けど彼女の顔を見ると、狙い通りに不安をあおれたようだ。


「でももうクラス違うし、しゃべる機会は少ないよね」


 そしてチャンスの話をする。せっかく頼ってくれたんだし、有意義だったと感じて欲しい。


「まだわたしにも、チャンスあるかな……?」


 むしろいまからだ、と答えてあげる。


 すぐに気持ちを伝えるのではなく、彼と話す機会をもっと作り距離を縮めるべきだとアドバイスする。それはきっと彼女自身まだ告白に踏み切れない気持ちと重なるはずだ。


「だからこれから、あいつともっと喋れるように協力するよ」


 これならわたしは、たいしたことをしなくてもよいはずだ。しかもこのアドバイスを彼女はとっても気にいってくれたようだ。


 きっと勇気をだせない彼女にとって、楽で簡単に実行できるほうが答えのほうが望まれるはずだと思っていた。


「ほんとありがとう! 感謝だよ!」


 嬉しそうに私の手を握ってくる。


 それから彼が興味のある話題をいろいろ教えてあげる。サッカーのことや好きなアニメや漫画、お笑い芸人の知識を教えてあげた。


「その話のときに入ってくれば仲良くなれるよ」


 わたしの話す内容で素直にうなずく彼女に、思いのほかわたしも嬉しくなっていることに気付く。なんだかんだでわたしも人に喜ばれるのは嬉しい。


気を良くしたわたしは調子にのってしまう。


「あと気休めかもだけど……」


 そう続けて、おまじないの話をした。


 たしか彼女たちのグループはたまにそんな話をしている。


「どんなどんなっ!」


 わたしを信頼してくれたのか、口調に親しいものを感じた。


 ここで彼女たちがすでに知っているおまじないで白けさせるのはNGだ。お得意の嘘で、わたしはおまじないを新たに作りだして彼女たちに伝える。


「……そ、それは」


 彼女たちはおどろき戸惑っていた。


「見つかったら怖い?」


 すこし兆発するようにわたしは言う。


「当然だって! バレたら……」


 彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしそうだ。


「リスクがあるほうがよく効くからね」


 簡単なおまじないよりも、ちょっと危険なほうが効果が高そうに思えるに違いない。


「それに勇気をためす意味もあるんだよ」


「……ど、どういうこと」


 これくらいできないと告白する勇気なんて持てない。それこそ一生言わずに終わってしまうよと語ってみる。


「それにバレても、そのまま気持ち伝えたらいいじゃない」


 試すような視線を投げかける。


「――や、やる!」


 わたしの意見にどう思ったかは知らないけど、彼女はつよく頷いた。


「じゃあ早速いまから、しよう……」


 校庭のサッカーがまだ続いているのを見て、わたしはそう言った。



 ■■■




  おまじないの内容はこうだ。


 意中の相手の持ち物に、バレないように自分の名前を書くというもの。


 身近なものほど効果は高く、そのあいだ相手は名前を書いた人のことを好意的に想いいずれ好きになる。もしバレても自分の気持ちが伝わるという、効果にデメリットがないおまじないだ。


 必要なのはほんの少しの勇気、それだけで相手の気持ちを傾けることができる。


 たったいま、でっちあげたおまじないだけど。


「……ど、どれに書く? やっぱりノートとか消しゴム?」


 やると決めてからは彼女の行動は積極的だ。さっそくどれに書こうと、付きそいの子たちと話しながら、彼の机に置いてある荷物を漁っている。


 そんな彼女たちに、少し得意げにわたしは声をかける。


「身に着けている物ほど、効果が出るんだよ?」


 まるで度胸試しの場のような変な空気が漂っている。


「これに書こう」


 それは彼がいつも身に着けている腕時計だ。


 小学生で腕時計をしているのは珍しくて、クラスでも彼だけだ。気にいっているらしく、いつも身につけている。さすがに今はサッカー中なのでランドセルと共に机の上に置かれていた。


「えぇ~、さすがにバレないかな……」


「だから見つかったら告ればいいじゃん?」


 友達の説得も受けて腕時計に名前を書くことに決まる。


「でもどこに書けばいい?」


 腕時計を手に持って、書く場所を探している。


「そうだね。書く場所なんてないじゃん」


 そこで素直に変えてしまえば良かったのに、二人のガッカリしたような口調にわたしは焦ってしまう。自分が提案の不手際を悟られたくなかった。


「こ、ここに書けばいいよ」


 腕時計の余ったバンドを固定する輪っかの裏に書こうと言う。ここならばすぐにバレることもなさそうだ。


「……でもさすがにこんな所に書けないよ」


 とてもペンが入る隙間などない。


「シールに小さく名前書いて。それを切り取って貼ったらいいよ」


「おお! 頭いいね!」


 さっそく彼女はシールを取り出して、小さく自分の名前を書く。女子は何故か、使わないシールをたくさん持っていてそれを小さく切り取ってこっちへ持ってくる。


 わたしはそれを受け取り腕時計に張り付けようとする。すごく小さく狭い場所なので少し手こずるが、なんとか貼れそうだ。


 ――そんなとき、騒ぎながら男子たちがサッカーを終えて教室へ帰ってきた。


 とっさに腕時計をポケットに隠す。


 男子たちはいつも通りに馬鹿なこと言いながら、各々が机に向かい帰り支度をし始めた。


 バクバクと自分の心臓がうるさい。


 腕時計をこっちに持ってきてのが幸いした。


 なに喰わぬ顔で、一緒にいる子たちに話かけ会話を続ける。他の娘たちもぎこちなくだが、返事をして会話を成立させていた。


「――あれ? ない……」


 すぐにそんな声が上がる。


「どうしたぁ?」


「いやここに置いてた時計が」


 男子たちがわらわらと彼の机に集まってくる。


 女子たちで会話をしながら耳を傾ける。胸の鼓動は強くなり声がふるえそうだった。


 そしてすぐに時計がないと騒ぎになった。ここに置いたんだと彼が話している。疑う男子も居たけど、俺も見たという男子がいて間違いないという話になってゆく。


 男子たちが辺りを探したり、彼の机のなかやランドセルの中身を引っ張り出して一緒に探しだす。

「なあ? お前ら知らない?」


 近寄ってきた一人の男子に声を掛けられる。


「なにを?」


 心臓が跳ね上がったが、そのときにはもう言葉を返していた。


「いやアイツの時計がなくなったんだって」


「うそ!? どこかに置き忘れたわけじゃなくて?」


 そう返すと、それを聞いた彼本人もこっちへきた。


「いや確かに机に置いた。なぁ?」


 彼の横にいた男子が同意してうんうんと頷く。どうやら勘違いという話の流れには、しにくそうだ。


「じゃあどこにいったの?」


「わからない……」


 彼は悲しそうに顔をふせた。さすがにかわいそうに思ったけど、正直に言おうと気はみじんもなかった。


「盗まれたんじゃね?」


 男子の誰かがそう言った。ギクリという体験を初めてする。


男子みんなが賛同して盛り上がり、そういう結論になる。当然だ、だって本当に盗まれたんだから。


 ポケットに入れた時計が重たく感じる。


「なあ、犯人みなかった?」


 疑いをかけたわけではないと思う。純粋にそう聞かれただけ、だけど他の女子は怖いくらいに青ざめた顔をして今にも白状しそうだった。


「わたしたちもトイレから帰ってきたばかりだからな~」


 わたしはわざと明るい声をだして答えた。


「……そっか」


 彼の声は低くて、はかなげだ。


「かばんとか全部見たの?」


 カバンを探すふりをして、そこから見つかったことにしようか?  いやそれは怪しい。いろいろ考えが浮かぶが、あせりのせいかどれが正しいか判断ができない。


「うん……だけどなかった」


「ほんとに?」


 そんなやりとりをしていると教室を閉めに先生がやってきた。事態が大きくなることを予想すると、めまいがして倒れそうになった。


「あなたたちまだ居るの? もう帰りなさい」


 先生に時計がなくなったことが伝わり、男子たちが騒ぎ盗まれたのだと主張する。


「本当に机の上に置いていたの?」


 話を聞いた先生は彼にそう尋ねる。戸惑いながらも彼はしっかりと返事をする。


「あなたたちは……? ずっと教室にいたの?」


 女子たちが気になったのだろう。先生はこっちにもそう問いかけてくる。他の子は先生に質問されただけで今にも泣きそうな顔をしている。


「いやわたしたちもさっき教室へ戻ってきたところなので……」


「そう……」


 先生はわたし達を一瞥しただけだった。


 それからカバンやら別の場所を探すなど、同じようなことをし始める。


 硬直して動かない女子たちに声をかけ、わたし達は帰ろうとする。


この場には居ないほうがいいと思ったからだ。


「じゃあ先生、わたしたちは先に帰ります」


「あ、はい。気を付けて帰ってください」


 咎められることもなく、連れだって教室をあとにする。




「どうするのよ!?」


 すごい剣幕でみんなに詰め寄られる。


 やったのはアンタだ。わたし達は関係ないと強く言われる。彼女たちも泣きそう、いや涙をためて訴えている。好きな子の物を盗んだという汚名だけは、被りたくないのだろう。その気持ちは痛いほどわかった。


「……大丈夫だよ。明日早くにきて、あいつの机に返しとくよ」


 そう言って彼女らを納得させるけど、どうやら嫌われたらしい。冷たい言葉を投げかけられて、みんな行ってしまった。


 ひとりで夕焼けのなかを歩いて帰る。


 気分は最悪で、でも空はとてもきれいだった。うすい青の空に、夕焼けに照らされてオレンジに光る雲が浮かんでいる。そしていつも見る山は不気味なくらい黒くなっていた。



 ■■■



 よく眠れなかったので早起きはする必要はなかった。


 母に当番だからと言って、早くに登校する。今日も朝から嘘で始まった。朝の淡い日差しのなか登校する道から、町の外れにあの山が高くそびえているのが見える。


なんだかいつもより高く見えるなと、現実逃避のようなことを考えはじめる。さっさと時計を返してしまえば、少しは気持ちも軽くなるはずだと足を早めて学校へいそぐ。


 学校に着きそっと教室を開けると、すでに教室に誰かいた。


「……おはよう」


 目が合い挨拶される。少し元気がなさそうな彼だった。


やっぱり時計が無くなったことで、元気がないんだろうか?


「めずしいね。こんなに早くにきてるなんて……」


「お前もだろ」


「わたしはいつもこの時間だよ」


「そうなのか」


「いつもギリギリだから気づかないんだよ」


 またわたしはウソをつく。いつもと違いチクリと胸が痛んだ。


「き、昨日の……時計探しに?」


「うん、まあな。でも昨日家でずっと考えてたら、机に置いたのは勘違いに思えてきた」


 そんなことはないのに、彼は反省しているようだった。


「やっぱりね。それで? 家にはなかったの?」


「なかった。どこに置いたんだっけ……」


 悔しそうに片手で頭を抱える彼を見ていたら、正直に告白しようと思った。謝ってすぐに返そう、心からそういう感情が沸き上がった。


「あ、の――」


「うん……?」


 でも口からでた言葉は昨日の女子たちも心配してたよ、なんてセリフだった。


 すぐにクラスメイトたちが登校してきて、けっきょく彼に時計を返すことも正直に話すこともできなかった。


 先生がやってきて朝のHRが始まる。


 話題はきのうの腕時計が無くなった件だ。職員室の落とし物入れにも届いてなかったらしく、先生はみんな知りませんか、とクラスに問いかける。


 当然それに答える声は上がらず、みんな周りと視線を交わすだけだった。昨日の子たちがこっちを睨んでいるのを視界の端っこでわかったけど、目は合わせなかった。


 そのまま授業が始まるが、とても集中なんかできない。


 頭が痛くなるほど考えるけど、ほとんどは時間が巻き戻ったらいいのにとか無駄なことを想像しているだけだった。


 またぼんやりと窓から見える山を眺めている。


 いっそ昔話のように山が全てを壊してくれたらと、自滅的なことさえ思う。そう思うと心なしか眺める山はいつもより高く見えた。



 休み時間を迎えるたびに話は広がり、クラスのなかでは盗まれたという話は確定してしまっていた。とくに彼と仲の良い男子たちが騒いで犯人探しをしている。


 そんな騒ぎのなか昨日の女子グループはわたしのほうを睨んで何やら話していた。

 次の授業中にその女子たちから手紙が回ってくる。


 ≪朝に返すって話だけど、どうなってんの?≫


 手紙を見たわたしを確認してたぶんまたこっちを睨んでいると思うが、正直止めて欲しい。こんな怪しい行動をするなんて疑ってと言わんばかりだ。わたしは気付かないふりをして窓からまた山を眺めていた。


 そうこうしているうちに午前中の授業は終わりを迎えて、お待ちかねの給食が始まる。今日の献立はきな粉パンにビーフシチュー、そしてひじきの炒め物に牛乳だ。


 六人一組で席をくっつけ班にして食事をする。横の席の彼とは向い席で、やっぱり少し元気がないように見える。パンを持つ左手には腕時計の日焼け跡が残っていた。


――嘘つきは泥棒のはじまり。


 頭のなかでその言葉を誰かがそう呟いた。


 罪悪感からか、何を食べても美味しくない。


 給食が終わって昼休みが始まる頃、先生に話がありますと呼ばれる。クラス全員の前でだ。騒がしかった教室が一瞬止まり、そして静かに騒めきはじめる。


『わかりました……』とわたしは返事をする。


 不思議と焦りのようなものはなかった。ちょうど昼休みの鐘が鳴り、先生と一緒に教室を出ていく。きっといま教室では大騒ぎになっている頃だろう。


 ひんやりとした廊下を先生のあとに続き職員室まで連れていかれる。


「ほら、座りなさい」


 先生は自分の机らしき場所へ座り、横にあった椅子にわたしを座らせた。


 職員室は少しタバコの臭いがするとぼんやり思う。人の出入りも多く、他の先生や生徒はわたしをチラチラと見ていた。


 先生の話はもちろん昨日のことだった。


 どうやら男子が戻ってくるまで教室にいたわたしに聞きたいことがあるらしい。


 なぜわたしだけなのだろうと思ったけど、すぐにワケは判明する。どうやら昨日の女子たちに確認したら、もともとは私が教室にいた所に合流したと話を聞いたらしい。


 わたしは事実を認めた。そして一人ではなく何人かと居たと実名を出して話す。


 先生はひとつ溜息をついて、それ以上聞くことなく帰された。


 はやく話が終り昼休みを潰されることはなかったけど、全然うれしくなくて、むしろ逆だった。


 心配したとおりに教室へ帰ると、クラスのわたしを見る目は変わっていた。


大人に疑われている、つまり正式に容疑者扱いされることは犯人断定とイコールに近い。教室でひそひそとわたしのことを話していることがわかる。


机に突っ伏して目をつむった。


その場に彼がいないことだけが、救いだった。




 けっきょく今日は、時計を返すことはできなかった。


 悪い意味で注目されいるわたしは、以降そんなチャンスが訪れそうになかった。放課後も今回のことで教室にはすぐ鍵がかけられ、生徒は全員締め出されてしまう。


 彼の下駄箱に入れようとも思ったが、なくなってしまいそうで怖かった。八方ふさがりの状況に、心が重くて溜息ばかり出る。


 暗くなった廊下を暗い気持ちでとぼとぼと歩いていたら、後ろから彼に声を掛けられる。これからまたサッカーをするんだろう。片手にボールを持っている。

「おい……、なんか大丈夫か?」

「……な、なにが?」

 わたしは反射的に強がってみせた。

 クラスでわたしを犯人扱いしていることは彼の耳にも入っているだろう。

「なんか泣いてないか?」

 デリカシーがない言葉を掛けてくる。だけど心配してくれてるんだなと思った。

「いやくしゃみが、でそうで出なくて……」

 また嘘をつく。

「なんだよ……それ」

 彼は呆れたように、笑ってくれる。

 わたしのこと怒ってると思っていたけど、そうじゃないなら腕時計を返して謝りたいと思った。床に差し込む夕日に視線を落としながら言葉を紡ごうとする。

「……あ、あのさ」

 だけどせっかく膨らんだ勇気はしぼんでしまう。

向かい合う彼の後ろのずっと先の曲がり角で、例の女子たちがこちらを見ていた。わたしが彼によけいなこと言わないか見張っている。

 彼に泥棒なんて思われたくないのだろう。盗まれた本人なら絶対怒るし、嫌われるに違いない。そう嫌われてしまうのだ。……そんなことに今、気づいた。

 そう思った瞬間、わたしの心は凍るように冷たくなる。

 あとの言葉を紡げずにパクパクと口だけが金魚みたいに動いただけだ。

「うん? どうした?」

「な、なんでもない……」


 あぁ……わかってしまった。わたしは彼に嫌われたくないんだ。


 ストンと落ちていた言葉を整理できなくて、わたしは思わず逃げてしまう。

 彼の呼び止める声が聞こえたけど、ただ今は顔を見られたくない。それだけだった。



 ■■■


 

 次の日の授業中、わたしの睡魔は大魔王級だった。昨日の夜もほとんど寝ることはできず睡眠不足だ。朝いちばんに登校して彼の机に腕時計を入れようとしたが、荷物がいっぱい過ぎて失敗に終わった。


 それでも、とにかく腕時計は彼に返さなきゃならない。


 いつも放課後になると真っ先にサッカーへ行く彼が、いま思えばあんな時間に廊下にいたのは、たぶん腕時計を探していたんだと思う。


 罪悪感で頭がどうにかなってしまいそうだ。


 授業をしている先生の言葉など頭に入らず、ずっとそのことを頭のなかがグルグルしている。時計を見ると針が残り5分を指していた。


 もうすぐきょう最後の授業の算数が終わる。


考えた末、彼の家のポストに直接返すことにする。


学校終りの時間に返せば夕刊などでそんなに時間も経たずに、家の人が見つけてくれるだろう。とにかく早く返したくて、たまらなかった。


 問題は彼の家を知らないことだ。


 それでも授業中に、ある程度考えてみた。


 ストーカーのようにあとをつけて家の場所を探るしかない。よくない行動だけど、今のわたしはなりふりかまってられない。


 だけど彼本人の後をつけてもバレるに決まっていて、それは不可能だと思う。


なので彼の弟をつけることにした。わたしは顔を知っているが向こうは知らないだろう。弟ならつけても多少不信に思われるけど、問題にはならないはずだ。


 授業が終わると一目散に校門へ向かい、彼の弟を待ち伏せる。


 初夏の日差しに目を細めグラウンドを見ると陽炎のように揺らめいていた。


たぶん男子だから学校に残って遊ぶだろうから、かなり待たなくてはならない。けどそんなこと気にしていられない。何時間でも待つ覚悟はしていた。


 だけど予想していたよりも早く弟くんは姿を現した。


 ひとりの友達と談笑しながら校門を通過する。


顔を眺めて間違いないか確認しようとすると、弟くんと目が合い軽く会釈される。

 その瞬間、わたしの足は地面に縫い付けられた。


 ―――わたしのこと知っている? 


 お互いに話したこともないけど、どうやらわたしがお兄さんのクラスメイトだと知っているようだ。なら後をつけることはできない。仮に強行して家を突き止めたとしても、その不信な行動が彼本人の耳に入る可能性がある。


 そしてそんな日にポストから返された腕時計。わたしが犯人だと簡単に想像ができる。


「……完璧だと思ってたのに」


 思い通りにいかなくて溜息が出る。


 そのまま家に帰る気分になれなくて、かといって学校にいたくもない。帰り道の途中にある公園のブランコに腰を下ろしてぐちぐちと悩んでいた。


 いつのまにか地面に写る自分の影が長く伸びている。


 空は赤く染まって東の空は夜になりかけていた。なんとなく一番星を探してみると、例の山が見えた。


 たしか昔話では村を潰された村人が山に登り、神サマに許しを請うて助けてもらう話だったはずだ。あの山に登れば神さまがいて、わたしも謝ったら助けてくれるんだろうか?


そこでふと道路の向いから男子たちの声が聞こえた。


様子を伺うと別れの挨拶をして、それぞれの帰り道に別れるところだった。そこには彼もいて、男子たちと別れ一人になってこっちへ向かってくる。


 彼はわたしには気付かず片手でサッカーボールを遊ばせている。

 なんとなく逃げたい気持ちにかられたけど、そんな理由はないはずだと考えているうちに彼と目があった。


「……あ」


「……オス」


 気まずさを感じたけど、それ以上にわたしは何故か無性に腹が立った。心の泥のようなものを誰かにぶつけてやりたかった。


「またサッカー?」


 皮肉な口調でそう言った。


「……お、おう?」


「荷物はどうしてたの?」


「なにが……?」


「サッカーしてた間、荷物はどこに置いてたの?」


「脇の階段の所だけど」

 

 彼は戸惑いながらも、質問にこたえる。


「誰か荷物番してたの?」


「いや……誰も……」


「そんなんだから時計なくすんじゃないの?」


 イラ立ちをぶつけることは気持ちいい。けど鼻がツーンとなり、何かが溢れそうだ。


「知ってるよね? わたしがキミの時計を盗んだ犯人って疑われているの?」


 彼は黙ってわたしを見ていた。暗くてよく見えないはずなのに、彼が申し訳なさそうに顔を歪めてるのがわかる。


「それなのにまた同じようなことして、危機感ってものがないよ!」


 声のギアはいつのまにか上がっていて、自分でも信じられないくらいの金切り声が出る。壊れたヴァイオリンみたいに不快な音だった。


「わかった、わかったから……」


「わかってない! わかってないよ!」


 ああ……色んなもの溢れて爆発してしまいそうだ。


「だから……もう泣くなよ」


 え? と思った瞬間には彼に抱きしめられる。


間抜けにも彼が落としたボールを目で追っていた。


 わたしって最低だ。


 自分が盗んだのに、それを謝らずに返そうとして、それでうまくいかなくて彼に当たって、そしてこうして彼に抱きしめてもらってる。


 わたしって最低だ。


 彼を突き飛ばしてわたしは走りだす。


 溢れた涙が灯り始めた街灯を煌めかせ、世界が違うふうに見える。


 わたしは叫ぶ。


「わたしは悪くないっ! あの子たちが悪いっ! そもそもあいつが学校に時計を持ってくるのが悪い! あのとき騒いだ男子が悪い! 何もしない先生が悪い!」


 叫びながら走った。


涙で視界が歪んで見えた山は、暗く高い。そうだもっと高くなれ、高くなってこの街を濃い影を落とせばいい! 


 家について誰の顔もみたくないから一直線に自分の部屋へ向かう。すぐ布団をかぶってわたしは泣き続けた。自分がどれだけ汚い人間ということ、それと彼のこと思うとたまらなくなる。ずっとずっと涙が止まらなかった。


 自分が憎くてたまらない。わたしなんてどうにかしてやりたいと強く思いつづける。



 ■■■



「もう、昨日はどうしたの?」


 朝起きてくると声をかけられる。


「なんでもない……」


 お母さんは心配しているみたいだけど、いまは鬱陶しいとしか思えなかった。今日もかなり早く家を出る。こんな気分でも夏の朝は心地よい。


 また山を眺めながら、学校へ向かう。朝の誰もいない教室が日課の風景となっていた。





教室はなにやら騒がしかった。


 それもそうだ。わたしの机にラクガキがされてある。


うそつきと鉛筆を使い大きく太い字で書かれていた。丁寧に時間をかけて作られたと思えるそれは、反射して光ってみえた。


 まあさいわい鉛筆だ。みんなが注目するなか消しゴムで消していく。


 先生が教室にやってくるまでには、きれいに消し終えた。なかには同情する様子のクラスメイトもいたが、大半は無関心かつ面白そうに遠巻きで笑っていた。


 そしていつも通りに授業が始まる。




 わたしの日常は変化していた。


 まず朝早くに登校するようになった。お母さんから理由を聞かれたが、新しい役員になり早くに登校しないといけないと嘘をつく。付きたくもない嘘だ。


 朝は先生が来るまでに机のラクガキを消すことが日課となり、すぐにノートにも同じ内容のことが書かれるようになった。直接何かを言われたり暴力を振るわれることはなかっけど、みんなが遠巻きにわたしを笑っていた。まあ、それも当然だと思う。


 わたしはクラスで孤立していた。


 せめて彼に直接謝って時計を返したいけど、なかなかそういう機会は訪れない。


 イラつく気持ちに比例して、嫌がらせもエスカレートしていった。


 

 そんなある日だった。


 相変わらずの喧騒のなか、教室に入る。


 机はいつも通りに、うそつきと大きな文字が書かれている。


 慣れたものでわたしは消しゴムでそれをこすり消していく。すっかり消しゴムは小さくなってしまい消し辛い。


 席がよこの彼が無言で手伝ってくれる。


 彼はバカだからきっとわかってない。泥棒の味方をして、自分がどんなに目に合うのか。それに泥棒がどんな気持ちになるのか。


「……やめてよ」


 わたしは彼にそう言った。


 一瞬、こっちを見るがそのまま彼は止めずに手を動かし続ける。



 次の日、教室へ行くとラクガキが消してあった。


彼しか考えられない。


 彼は馬鹿で明るくて運動が得意なだけの奴。だけど優しい。けどそんな優しさ苦しいだけだ。


 横の席の彼とふと目が合う。


 彼は優しく笑いかけてきたが、わたしは舌打ちをした。そんなことはわたしの望んでいることじゃない。



 その日から登校するとラクガキはすでに消されていた。


 それならばと次のターゲットは教科書だった。


 道徳の授業の時間。教室の後ろにある荷物入れに置きっぱなしにしていた道徳の教科書は、むちゃくちゃに破かれて使えそうにもなかった。


「どうしたんですか? 忘れましたか?」


 一人教科書を出していないわたしに先生はそう尋ねてくる。


 わたしは何も答えなかった。ただじっと先生の目を見る。


 そんなわたしの机に彼が自分の教科書を置く。先生は勘違いしてそれがわたしの教科書だと思ったようで、普段から忘れ物が多い彼が忘れてきた、ということになった。


 教室からはまた何人かの囁く声が聞こえる。わたしと彼を冷やかす内容だ。くだらないとしか思えなかった。


 胸のなかで汚水が溜まる。わたしはこんなに気持ちになるのに、彼は気にならないのだろうか?


 色んなものから目をそらし、わたしは窓の外を眺める。今日もそびえる山は、いっそう高く見えた。それはわたしの罪悪感がそうさせるんだろうか?



 次の日は下駄箱に上履きがなかった。


 仕方がないので職員室前の、来客用の茶色いスリッパを使う。


 ペタペタと音を鳴らしながら廊下を歩いて教室に向かった。扉を開けると、みんながこっちを見る。


 ここ最近はわたしが教室に入ると、空気が変わる。


 わたしが上履きを履いていないことはすぐに気づかれ、コソコソと喋っている声が聞こえてくる。連中を睨みつけ、自分の席に座る。


 その日の掃除の時間に、水の入ったバケツのなかから上履きは見つかった。男子が見つけ、ちょっとした騒ぎになる。


 それを見て彼はすごく怒って、クラスのみんなを怒鳴りつけた。


 すぐに男子の一人がそれを茶化してつかみ合いのケンカになる。


 みんなが騒然とするなか、体格の良い男子は彼を床に押し倒して殴りつける。それを見たわたしは頭が沸騰したみたいにわけがわからなくなり、何かを叫びながら長い定規で男子に殴りかかった。


 男子は痛がりこそしたが逆に突き飛ばされ後ろに転ぶ。凄い力に身がすくみ怖さで身体が震えて涙が溢れた。


 さすがにそれは可哀想と思ったのか、一部女子からその男子に非難の声があがる。


 教室の騒ぎはさらに大きくなる。


すぐに先生がやってきて収まったが、教室内は今だ騒然となっていた。


わたしも心臓がはちきれそうで手足がしびれるように震えていた。怒っている彼の顔はわたしにとって凄くショックなもので頭にこびりついて離れなかった。


 馬鹿なことをしたと思い知らされる。


 そして次の日からは何も起こらないようになった。



 ■■■




 そして翌日からは普段通りの時間に登校する。


 下駄箱で上履きに履き替え、教室へ入る。そして自分の机に座り、次の授業の準備をして待つ。横の席では彼が男子たちと仲良く喋っている。そのなかには昨日ケンカになった男子もいて少し安心する。


もう仲直りしたようだ。


 しかし男子は単純でいい。ちょっと複雑な気持ちにもなった。


ふと反対側を見ると女子のグループのあの娘と目が合うと、やっぱり睨まれる。女子と男子の世界は違うということだ。


 やることもなくてそのまま横の男子たちの会話を聞いていた。


 そのうちに眠気から机に突っ伏す。ぼんやり思い出すことがあった。


 あれは一年以上まえの冬だった。いつも元気な彼が毎朝眠そうな時期があった。どうしたの? と尋ねるとマラソン大会に向けて毎朝走っているらしい。


 マラソンが苦手なわたしには理解できないことだった。


 どうやら10番以内に入ると、お父さんが何かを買ってくれるらしい。そしてそれが腕時計だったことをいま思い出した。


 すぐにでも腕時計を返さなきゃならない。


 直接彼に会ってちゃんと謝ろう。そう強く心に決意する。


 そして今週が終わる金曜日の鐘が鳴った。



 ■■◆


 

 午前5時、わたしは眠気を覚ますため顔を洗っていた。


 家族はみんなまだ寝ていて、音を立てないように行動する。


 あの山を登る。


そう決めてわたしはこうして朝の五時に目覚めたところだ。遠足に使ったリュックサックを引っ張り出して、水筒にお茶を入れ、タオルとおやつと絆創膏を入れて出発する。


 途中のコンビニでおにぎりを3つ買う。それが今日のお昼ご飯だ。


 初夏とはいえ、やっぱり朝の空気はひんやりとしていて気持ちが良い。街はまだ寝ているように静かで、朝陽とスズメの鳴き声がわたしの気持ちを軽くしてくれた。


 いまならなんでもできそうな気分だ。遠くに見える山へひたすら自転車を漕いでゆく。


 山にたどりついた時にはもう1時間以上が経っており、それよりもわたしの体力の消耗のほうが深刻だった。


 すでに気温も上がり、うっすらと全身に汗がにじんでいる。


 見つけた登山口の入り口は、木々の影でなかが暗くて、率直に言えば不気味で気味が悪かった。見上げる山は、遠くから見るよりも高くそびえている。


 怯える気持ちはあったけど、決めたことだ。わたしは山へ踏み込んだ。



 あんがい登り始めると楽しいもので、思っていたよりも険しくはない。


 見慣れない自然の風景を眺めるのは新鮮だった。


 山のなかは意外に涼しくひんやりとした空気が心地よくて、木々がさわさわと音をたてるのを聞くと心まで爽やかな気分だった。


 いくらか登ってみて振り返ると、街が見えた。さすがに自分の家は見えないが学校の校舎は見えて、いつもはあそからここを眺めているのかと思うと不思議な感覚に頬をゆるんだ。


 さすがに少し疲れたのでちょうどいい岩に座って、持ってきた水筒から冷たいお茶を飲む。爽快感が喉からお腹に伝わって、ついつい飲み過ぎてしまう。まだ先は長そうなので、ぐっと我慢をする。半分は登っただろうか?

 

 楽しかった山登りも体力を消耗するにつれ、苦しく辛くなっていく。


 途中はっきりとした道が草木でわからなくなり、どこを歩いているかわからなくなっていた。道は険しくなり、かなり歩きにくい。


 足が重たくなり、肌にベタつく汗が不快になってきた。どれくらい時間が経ったのか持ってきた時計を見ると、4時間近く経過していた。


 たまらくなって腰を下ろす。


 10分だけの休憩が、もう30分くらい動けずにいた。次第に山の木々が不気味なものに感じられて恐くなる。人がいない気配というものに身がすくんだ。


 それでもと立ち上がり、賢明に足を動かす。


 持ってきた水筒は空になり、ただの重りなっていた。時計を見ると、お昼はとっくに過ぎて14時を回っている。


 頂上についたら食べるはずのおにぎりに手をつける。飲み物がないせいで、食べづらかった。ふと気づくと、空が暗い。


 雨が降るのではと心配になり、見上げるとすぐにぽつりと雫が落ちてきた。


 すぐにザァーと音を立てて雨は容赦なく降り注ぐ。


急いで大きな木の根元で雨を凌ぐ、寒さと不安を我慢して止むのを待ち続けた。


 それでも止まない雨は、よりいっそうわたしを追い詰める。


 暗い空に不気味な木々そして光る雷、雨と風の音が不安を煽る。わたしはたまらず、逃げるように小走りで先に向かった。


 雨は本当に容赦がなくて、怒るようにわたしに体当たりしてくる。服はすでに水浸しで重く泥で汚れている。


 いつのまにか道はなくなり、今はひたすら草木をかき分けて進んでいる。雨と風の音が恐くて何も考えずに来たせいか道を外れてしまったみたいだ。


 戻るべきかと思ったけど、それもよくわからなかった。


 薄暗い山のなかをひたすらに進む。


 なんでこんなところにいるんだろう……?


 ふとそう思う。辛くなると違うことを考えて逃げるのはわたしの悪いくせだ。


 どうしてこんなことしてるんだろう……?


 わたしが彼の大事な時計を盗んでなくしてしまったからだ。


 なんで盗んだんだっけ……?


 クラスメイトにおまじないを教えてあげたから。


 なぜおまじないなんか教えた……?


 恋のおまじない。二人が仲よくなるようにって。


 おまじないを教えてって、相談されたの……?


 違う、確か彼のこと好きだからって。


 そう、あの子本当は告白の相談にきたんじゃないの?


 そう、だったかも……。


 それを誘導したんだよね。告白させないように。


 違うそんなことない。


口がうまいわたしはきっと協力はしても、うまくいかないように立ち回る自信があった。


そんな気はまったくなかった。


彼との橋渡しなんてさらさらなかったよね?


 ……ちがう。


彼にとっての一番は自分じゃなきゃって思ってるものね?


……ちがうちがう。


ならなんであんなことしたの?


あんなことってなによ?


自分の机をラクガキしたことだよ。


………。


わざわざ早起きして、消しやすいえんぴつでね。


 ………。


教科書はほとんど使わない道徳のだし。


 ………。


上履きもなくてもそんなに困らないもんね。


 ………。


そんなことしてまで彼に心配されたかったんだよね。


 ………。


それってそういうことでしょ?


うるさい。


自分にも嘘ついて意味ある?


どうせわたしは嘘つき。

 

自分でわかってるんだ? ならもう認めるだけなのにね。






 こんなにも身体は疲れて足は重いのに、心が軽くなっただけで前に進める。


 自分がまだ進めることを自覚する。頭のなかの声は聞こえてこなくなって、ただ頂上を目指す。すでに日は傾いてきていた。


 見晴らしのよい場所に出ると雨はいつのまにか止んで、空の隙間から夕焼けに染まった空が見える。


 街を見下ろす。陽の光が弱くなり街に夜の訪れようとしている。街の家々に灯りがともる。たぶんあの灯りのもとでは家族、人の暮らしがあるんだと想像する。

 うえを向く。もうすぐだ。



 この山の一番高い所、頂上にたどり着く。


 辺りを見渡すが、この場所より高い所がない。自分がこれだけ高い場所に登ったのだという達成感がこみ上げて、それをノスタルジックな景色と風が迎えてくれる。


 頂上には社だろうか? 神様が祭られている。


 普段訪れない場所に少し神聖な気持ちになる。なんとなく持っていた小銭を賽銭箱に投げ入れ、神様に謝ってみる。ジュースが買えるくらいの金額だ。効果があるかわからないけど。


 荷物から大事に腕時計を取り出す。


 胸がどきどきと高鳴って全身が強張る。


 わたしは辺りを見渡し、歩き周る。風の音が強くて、夕日に山が染まっている。

 社を下り広い場所にでる。休憩できるようにだろうか、いくつかのベンチがある。


「……森澤?」


 わたしの背中に声がかかり振り返った。


「なんでここにいるんだ?」


 その男の子は心底、不思議そうにわたしを見つめている。


 ずっと考えていた言葉は、いざとなると口が動いてくれない。


「……あ、その時計」


 わたしの手に握られた時計に、興味を示す。それは当然だ。


「お前も同じの持ってたの?」


 そんなわけないだろ、どんだけお人よしなんだと気が抜ける。


 でもこれは真剣に言わなきゃならない。気を取り直して、真っ直ぐ彼を見つめた。


「そうじゃないよ。この時計アンタから……と、盗ったのわたしなんだ」


 勇気を振り絞って、その言葉を口にする。


「なんで?」


 彼は顔も声のトーンも普通。怒った感じはしなかった。ただ心底不思議そうだった。


「……わたしがあんたのこと好きだから」


 髪を揺らす風に乗せてわたしは、彼に告白した。


「……え? あ、ああ?」


 さすがに驚いたようで、彼は動揺を隠せないでいる。


「……なによ、なんか言ってよ」


 わたしも頰が熱くなったのを感じる。なんだか目をそらしたくなるが、意地でもそうしない。


「な、なんで……好きなら、時計とるんだよ」


 わたしは答える。


「好きな人の身に着けている物に自分の名前を書いたら、両想いになれるっておまじない」


 本当は別の女子たちのためのおまじない。


「この時計に、自分の名前を書きたかったの……」


 わたしはまた嘘をついて、自分に嘘をつくのは辞めた。


「ごめんなさい」


 頭を下げ彼に時計を返す。


 彼はそれを受け取って笑う。


その顔は本当に子どもで、見てると吸い込まれそうだ。


「いいよ……ちゃんと返してくれたし。でも、お前なんでここにいるの?」


「……あんたに時計を返しに」


 夕暮れが沈んできて、わたしの好きな彼の顔が影に隠れていく。


「よくここにいるってわかったな」


「よくお父さんと来るんでしょ? それに昨日、今日いくって教室で男子にそう言ってたの聞いた」


 彼はなんとも言えない顔をする。


「変に思う? 好きな子の会話を聞いてて」


「お、おう。好きならしょうがないのか」


「そう。しょうがない」


 陽が沈む反対の空はすでに夜になっていて、星がまたたいていた。




 近くの湖で釣りをしている彼のお父さんと弟を二人で向いにいく。


 帰りは車で送ってくれるみたいで、わたしが登ってきた反対側は車が通れる道路が走っていた。


 すっかり夜になってしまった景色を眺めながら、わたしは車の後ろ席で揺られていた。彼のお父さんが言うには、この山は子供でも2時間もあれば登れる山なのだそうだ。


 道に迷ったとはいえ、なんであれだけの時間がかかったのはわからない。本当に山が高くなってたりしてたかもしれない。


「なあ……気持ちわるくないか?」


「え、なんで」


 彼はわたしの横に座ってくれている。


「だってここ、道ぐねぐねしてて気持ちわるくなるし」


「大丈夫だよ」


 結局わたしの告白に彼は答えていない。男子ってそういうとこある。照れるばっかりで、ちゃんとしてくれない。


 でも触れた拍子に彼の手を握ると、握り返してくれた。


 もしかしたらわたしの未来は明るいのかもしれない。


「な、んだよ……にやにやして」


「別に……あっ」


 そういえば自転車わすれた。


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わたしの嘘は 見る子 @mirukosm3

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