5:We have all the time in the world

『鳥の将に死なんとするや、其の泣くや哀し。

人の将に死なんとするや、其の言うや善し』

-『論語泰伯』より



あるスラムで闇医者が臨時のクリニックを開いている光景を見たことがある。 穏やかだがどこか哀しげな瞳をした医師が、まだMenuteMenの馴染んでいない子供たちの頸筋から機械を引き抜いていた。ほそぼそと存在していた地方の診療所でも、紅くぬめりを帯びた鍵穴が非合法に取り出されていた。

「ああ、寒いな」

彼の白い吐息を目にしてはじめて、「寒い」ということを、ぼくは思いだした。

環境は絶えず変化するものであるけれど、人がそれに伴って適応していく所以は残念ながらありはしなかった。

人体は知覚し、理性が意識しうる、最も近い環境だ。

寒さを、痛みを、生きているという実感を認識する入力装置だ。

人間はミイラ化した肉体の持ち主になったのだから、どんなに環境が変動しても不変である。

MinuteMen不在の躰は凍てつく風に晒されて、一身に穿たれた銃創から噴出した血液さえも凝固し始めている。

もしくは、ナノマシンの残滓が悪足掻きでもしている証拠なのか。

生きようと。

まだこんなことでは死なないと。

フィンは、いままさに生まれたばかりなのだ。

そして、これから死んでいくのだ。

身体のあちこちから血をだらだらと流して、たびたび苦悶に顔を歪める。

だがそのたびに、彼はその痛みを愛おしむように安堵の微笑みを浮かべたのだった。

葬儀場で見た数多の笑みよりずっと、生々しいほどに安らかな気がした。

「おれは、鍵穴を頸から引っこ抜いたんだぜ。危うく脳味噌まで根を下ろしかけていたナノマシンどもの侵攻を絶った。痛いな…すごく痛い…でも、もう何も怖くない」

ぼくは頭を打ち抜かなかった。

「葬儀省の人間はタフだよなぁ」

「君もタフだったさ」

「いんや、おれはみんなみたいに単純で頑丈じゃなかった。何べんも見れたもんじゃなかった…人生の終わりなんてのは」

脳味噌にある言語野を打ち抜かなかった。

この世に残った人々ないし世界に、言い残したい言葉を聞かせてくれると思ったからだ。

「気づいていたんなら、ぼくに教えてくれても良かったじゃないか」

「ベンジャミンに会え、そしたら分かる」

フィンはそのままついえた。

無音の断末魔だけが響き渡って、ぼくの体と冷たい空気と地面に染みついた。

こんなにも中途半端で呆気ない終わり方をするために、葬儀社はおろか誰にも相談せずこの男はぼくを騙し誘って、引き金を引かせた。

ただ、朋友に殺され、その有り様を看取らせるために。

みっともないったらありゃしない。

葬儀場から葬儀場へ。

終りから終りへ。

ぼくは死に場所を探して彷徨える旅人かなのか。

それとも、式或いは死期の近い人に寄り立つ死神なのか。

それは、自分でもよく分からなかった。


ここまで人が死に囚われた時代はなかった。

秘蹟は、新しい希望へ捧げる歓迎と祈りだった。

正教会では司祭が往生際の病人にオリーブ油を塗っていたものだが、元からそれが死に備えるための終油-あの世への最後通告だったわけではない。

人々は生きることで自己保存の欲求を満たしていた。

時間を自分自身の生き甲斐のために費やすべく、生き永らえてきた。

充てられた浪費に意義があり、価値が生じた結果、わたしを保つかけがえのない要素として考えられてきたはずだった。

死を孕んだ人生に絶えず怯え、

頭の中の時計を狂わせ、人生の待ち時間から恐怖をことごとく取り除き、死をもってして自己保存を成し遂げた。




瞼を開くと、そこは真っ暗だった。

けれど、そこいらじゅうに光が点在していることに気づいて、ぼくは宇宙に来たみたいだな、と思った。

まるでアンゼルム・キーファーの描いた星空のよう。

「そう、ここは宇宙よ。あなたがいた世界が続いている場所」

葬儀の時のドレスのままのサラは「わかるわ、あの時きっぱり別れたつもりだったもの」

どうしてこんなところに辿り着いたのか見当もつかなかった。物事の連続性がぷっつりと切れて、散り散りになったような錯覚。

言うなれば、天国や地獄みたいなオルタナティブで漠然とした世界観。

その声は低かった。というのも若い女性の声帯から発した声ではなかった。ベンジャミンの喉が振動し、言葉を、思考を紡いだのだ。

「わたしは脳内BeBrain会議の構成員」

B.Bの肉体を借りたサラはは自分のこめかみを指差した。

「ここだよ。ここにいる」

人格をデータ化し集住シノイキスモスした人々。

発案者のコニー・デイヴィスだ、と声色が自己紹介した。ベンジャミンの顔をしている別人格。

「当初は地球軌道上の物理データベースに会議室を設ける予定だったけれども、あまりにも多すぎる宇宙ゴミデブリのせいでそうもいかなった。また、地上からの視認されるとこちらとしても困るのでね」

「だから」

「そう、だから。彼、ベンジャミンの頭の中に潜ませることにした。脳は生体コンピューターとして機能しているし、何よりも肉体はイモータライズされ不朽不滅、死ぬ気もない」

脳神経のマップは宇宙の構造ととっても似ているだろう、とコニーはユーモラスに言った。

「フィンはなぜあんなことをした」

「彼が最初の復活者だった」

「何だって」

「彼は二度目の人生を、友人であるきみの手で終わらせて欲しかったらしいな」

フィンは殺し殺されるという関係性を求めていたのだろうか。自分で自分を終わらせるのではなく。



人は誕生することに葛藤を感じることはできないが、誕生してしまったことに悩み苦しみ後悔することは当たり前のようにできる。

なぜわたしはこんな国に生まれさせられたのか。

なぜわたしはこんな時代に生まれさせられたのか。

なぜわたしはこんな遺伝子で生まれさせられたのか。

なぜ、なぜ、なぜ。

彼らは死んだ。己の人生をもう一度問い直すために。人生を問いただし、考え直し、より良い来世に臨むためにここで合議している。ベンジャミンの頭の中の彼らは情報でしかないが、ちゃあんと知性と記憶を保持している主体に変わりなかった。

思い通りにならない生前と死後の状態を管理し、操作し、意識的な人生を送るため彼らは結集したのだ。

サラの死は、彼女が生まれさせられたことへの復讐だった。

意志のない生命を生命と呼べない。

選ぶことがかなわない人生なんて真っ平だ。

あの時のわたしがわたしを死なせたように、あの時のわたしはわたしを生まれさせる。

「てっきり、きみはこの世に満足しきったからだと思っていた」

「うそよ。まったくの。わたしにはどうしようもなかったんですもの。人はどうしようもないからこそ死を選ぶものよ、イーサン」

人類は何も変わっていない。倫理的にも道徳的にも人間は一歩も進んじゃいない。

「でも、これからはどうにかできる。ここでみんなで人生について語らうの」

そして、新しい人生を歩むのよ。良質で、豊かで、満たされた、わたしだけのかけがえのない人生を。

一度目よりも二度目。二度目よりも三度目。そうして、彼女たちは人生を永劫に繰り返していくのだろうか。

自分が納得のいくまで、終わらないインターバルマラソンを続けるというのか。

「それじゃあ、ぼくはきみが生きた人生を大切なものにできなかったんだな」

沈黙。それはことばが何の役にも立たない時に起きる現象。彼女にとってぼくと共にいたわずかの人生は、語り得ないということでよろしいだろうか。

きっと、これは愛だよ。

けれども、彼女はきっと次の人生ではぼくのことすら忘れているだろう。一度目の人生を踏み台にして、二度目の人生に飛び移るために。

「あなたもどう。わたしと生きた人生なんかやり直して」

ぼくは黙った。静かに、静かに。何も言葉にはしなかった。




このあとMinuteMenの生みの親、クルクス・アンサタぼくが語り聞かされたことは、脈絡もない事ばかりで驚くにも驚けなかった。

脳内会議を構成する人格データのほとんどが、昔の体制にしがみつく権力者や有識者とほんの少しの運のいい民間人に違いなかった。

C&Eカール・アンド・エレナ社は黙認していた。

国費削減のために打ち止めされたと思われた外宇宙探査は、元NSAを前進とした関係者会議によって人類離散計画を極秘裏に進行。

あの宇宙飛行士を先駆けに、世界各地で柩に乗せた屍者たちの打ち上げを開始した 。

エンバーミングを目的として注入されたはずのナノマシンは宇宙空間の放射線に反応し、再起動する。

いつしか冷凍睡眠の魔法が解けた屍者たちは、別の惑星でもう一度生まれ、産めよ、増やせよの本能的連鎖によって必ずやその異星を苗床として繁栄するだろう、というわけだ。

馬鹿馬鹿しい誇大妄想だった。

この手の陰謀論はゴシップのゴの字にもならない。

しかし、かねてより死後という期間は人為を超えた環境に囲まれていた。土の中の真空に埋められるのと、宇宙の未知の真空に晒される違いはどこにあろうか。

「MinuteMenはかつて軍事産業複合体やDARPAと各医療機関が共同で開発した軍用ナノマシンでした」

「知りませんでした」

「でしょうね。日用品の起源なぞ知る必要もありませんし。」

「いわばMinuteMenは改変された微生物なのです。そのため予想外の不具をきたしかねない微小機械とは異なり、特定の条件下のみならず、あらゆる環境下での生存を可能にします。だから、どのような体外環境でも宇宙飛行士が体内環境を維持したまま活動できる」

「微生物の突然変異をバックドアにしていたのですね」

「ええ、MinuteMenの元となった菌株は突然変異を起こしやすいという特性を持っていました。しかも、機能を果たす時は決まって他個体との群生ネットワークを構築するのです。その際、創出された状態こそが変異なのです。その一つの形態として、我々に馴染み深いものとしては『死』でしょうか」

「死ですか…」

「人は死ななくては気が済みませんからね。これもまた初めて口外するのですが、イモータライズした肉体にとり死は一時停止ポーズなのです。映画で見たいシーンでボタンを押すことと変わりません。死がかけがえのないものであることはないのです」

小さきものたちが演出した死という現象。

「ではなぜ、人は死に続けているのでしょうね」

その手の倫理的な問題のプロでなくてはいけないぼくは情けなくも、医療的見地生化学的見地から思考しているであろうクルクス・アンサタに問うた。

「それは、皆そう思いたがっているからですよ」

自分の死が、他人の死が、過去に葬られた人々の死体に意義を求めたいからではないでしょうか。



ぼくは胃に仕込ませておいたゴロゥのパルス爆弾を起爆した。

たちまち宇宙船はペーパークラフトのようにひしゃげて、サラやベンジャミンを含めた乗員を無造作に宇宙空間へと放り出した。アラビア語の流麗なフォントで書かれたステンシルがスローモーションで玉砕される。

ぼくの肉体は大気圏へと突入した。

大気の層が細胞という細胞を擦り減らし、焦がし、引き剥がしていった。

しかしながら痛いとは分かっても、痛みを知覚しないよう、即座に脳の局所がマスキングされるため、どうということはない。

視拡に身体欠損を警告するウィンドウが所狭しと開くだけ。

まるで、ムーン・レイカーみたいだなと思った。

地球で彗星を眺めているそこの君、正体はプラズマ化したぼくだよ。

不死身イモータルだからといって、ここまで我が身をずさんに取り扱うのも野蛮というものだが、宇宙船から退路の確保するというほうが困難だった。

ぼくは、砂漠に今一度降りてきた。

今度はクジラたちの墓ワディ・アル・ヒタンより西にあるサハラだったが。

他の乗員乗客の行方はいざ知らず、ぼくは砂の海を泳ぎ始めた。右目と右肩と左脇腹と左足しか残っておらず、そのほかの部位や器官がリカバリーするまで多少なりと時間はかかるだろう。

辛うじて右目がとらえたパースペクティブはあまりにも美しかったが、それを細部までチェックするのは止した方がいいだろう。ぼくの後を追ってくるように生きた人間ミイラが宇宙から降ってきていた。細切れになった者。ハンバーグみたいに球体になった者。液状化した者。そのどれもが生き生きとしていて、また元どおりになるんだ。そして、まもなく再生した彼らは平然としてぼくを追ってくるという可能性は高かった。

隠れる木々も草陰もない場所を尺取り虫のように匍匐で進むというのは何とも滑稽だが、やっとリカバリーし始めた足の腱の芸当としては上等だ。

ひとつ、またひとつと砂漠の海へと肉塊がシュートされる。ずしん、ずしんと波紋のかたちをした衝撃が荒原に重く響き渡る。

ああ、死なないんだな。生まれて初めて身体を酷使して得たエウレカは、哀しくもちっぽけなものだった。

ここまで不気味なテクノロジーが軍事的に利用されていた興味深さというよりは、その実践を父として生まれた技術がぼくたちの日常に存在し続けたことのグロテスクさ。兵士の背中に背負われていたものが、日本の小学生の背中に乗り移り、海外のファッションモデルの背中に寄生したランドセルの来歴のように。

それが辿ってきた歴史をおくびにも出さずに、生活基盤にすっぽりと馴染んでしまうことを想像するとものすごい。

スタント無しで挑んだ大気圏外からのバンジージャンプ。

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