4:Is Your Love Strong Enough

『生命の路は進歩への路だ。生命は死を怖れない。死の面前でも、笑いながら、踊りながら、滅びる人間を踏み越えて前進する』-魯迅





死者はこの星に生まれる、とベンジャミンは言っていた。

死は天国でつくられている。

死は天国で決められている。

死者の書はこの星に書かれたことなのだから。


果たして、ぼくは死を上書きされているだろうか。

永劫に生き伸びようと躍起になる命に、ことごとく終止符を打つためのメソッドが。

されていたとしても、ぼくの葬儀を誰に看取ってもらえるというのだろう。

「自己完結するのさ、イーサン。この世でもっとも理想的な終わりを遂げようと思ったら、誰からも見られてはいけないんだぜ」

「そんなの無理さ、儀式なんだから」

そうさな、理にかなってない、と卒なく答え、彼は聖書に関するウィキペディアにセックス、ドラッグ、バイオレンスの項目を付け加えていたところだった。

死に関するウィキペディアには、どこぞの死生学者の論文とそれに付随する統計が張り付いていた。

MinuteMenが遍く広がっていく以前、人間の寿命は延びるところまで延びきっていて、殆どの病気や疾患は放逐されかけていた。

けれど、それに値するようにたくさんの人が自殺で死んでしまった。

自殺した人間を裁くことはできない。

生きた人間を裁くのが法だとするならば、死んだ人間を裁くのは神だった。

けれども、神は死んだ。

あいにく、人は死ななくなった。

自殺を罪の外延に配置することでタブー視し、忌避してきた宗教さえも葬儀上のファッションに成り果てた。

死生学者はこの傾向現象を、人々が「良き終わり」を迎えている兆候であると、従来のような罪の意識も無しに言及していた。

そうして、そんな古典的に言う自殺現場を葬儀として規格化してしまったのは紛れもないぼくたちだとまで。

見知らぬ誰かに記述された継ぎ接ぎの百科事典は、クリック一つで歴史を跨ぎ超えていくよう編纂してある。

色付けされてある死という言葉にリンクすれば、おそらく今のぼくたちが考えているより無造作で無作為な概念が綴ってあることだろうな。

ようはやる気の問題で、好奇心という扉を開け放てば、いつだってそこには真実が待っている。

人は見たいものしか見ない。見ることができない。

けれども、ぼくは見なくてもいい無駄知識トリビアの泉に浸かってしまう人間の一人だった。

そのせいで、死ぬという言葉が、現在認識されている意味を孕んでいはいないことを知ってしまった。

他の動物たちと同一の過程で、肉体が酸化して腐り、やがて有機物として土の養分となっていたことを。

命を自分の意志で、自由に扱えることなどなかったということを。

「そこでは人は死ぬために生まれてきた存在だと語り継がれているのだという。彼らの葬式は人生最大の祝日セレモニーだ。莫大な費用を積んで式をあげる。方舟の様に大きな棺桶を拵えるために、島民が資金を出し合って執りおこなう」

21世紀末の宇宙の旅のはじまりを見届けた後、ぼくは語り部の189年もののトリビアに聞き入っていた。

昔々どこぞの木陰に頓挫していたかもしれない年長者から聞かされる取り留めのない昔話のようだった。

「世紀を跨いで生き永らえていると、取り留めのない殆どの記憶は外出しされる。名前と住所と必要最低限の思い出くらいしか私の脳の許には存在していない」

「外注にストレージされている、と」

「ああ、君らもよく世話になってるんじゃあないか」

国家が保有する膨大なデータの中。

その中にこの老人の頭の中身は、言い換えれば、彼の人生は国そのものに含有されているのだろうか。

「時に、碌でもないことまで覚えている。父親と『男の争い』を見に行ったこと。死んだ妻の面影。まだ人が死んでいた頃、PTSDに悩まされていた軍人たち」

人に辛うじて寿命と呼べるものがあった時、老人たちが死ぬ間際まで記憶を止めておくことは極めて少なかった。

家路も、家族の顔も、ひどければ自分のことさえも。

既に認知症を患ってもいい年寄りのベンジャミンは、その記憶を莫大な記憶のネットワークにおいて管理しているのだから、すべて思い出すことも、すべて忘れ去ることも出来よう。

「サラのことは覚えていますか。彼女に名刺を手渡したことは」

「ああとも、式は予定通りに執り行なわれたようでよかった」

彼女は式の前日にこの男の元を訪れ、カウンセリングを受けたに違いない。

「何を話されたのですか」

「時間の話だよ、人生の時間」



ぼくは、英国人の血が混じっていないからかその椅子の上質さが分からなかった。

「ベンサムのミイラが展示されている博物館に行ったことは」

「ありません」

「あれは滑稽な昔話があってだね。腐り落ちた生首にいたずらをされていたそうだ。今は木製の頭部が申し訳程度に乗っかっている」

「もしや、そのいたずらっこはピーターシンガーでしょうかね」

「さあて、どうだか」

ジョンソン・スミス監査長官は肩を竦め、毎日のように人がこの世から去っていく世を一蹴し、いかんせん人手が足りんのだと、ねめつけてきた。

「シヴィルベッド監査官、君には、本来の職務から逸脱した要求を呑んで欲しい」

スミスはぼくを見据えているようで、上の空のように目を泳がせる。

「さりとて、非公式な調査だ。くれぐれも事を表沙汰にすることだけは避けていただきたい」

フィンの顔が目の前に去来する。

比喩的な意ではなく、網膜に投射された光学的像という意で。

「フィン・ウォーカーマン監査官についての情報をできる限り収集してもらいたい」

「要するに…同僚の素行を探れと、おっしゃりたいのですか」

「さよう。ウォーカーマン監査官の視察した葬儀に何ら問題はない。だが懐疑すべき事実はその後だ。シヴィルベット監査官。これだ」

フィンが看取ってきた死者のプロファイル。数える程を諦めるくらいの此の世を去っていった者たち。

その全てが失踪扱いだった。

「死者が行方をくらましている」



ぼくは外に用意されていた護送車に乗り込んだ。スミスから申し訳程度に手渡された自動拳銃が体温と同じくらいになった頃、後部で雪隠詰めになっていた雇われ兵たちに目をやった。

それらの面子は男も女も老いも若きも、平等に標本抽出され取り揃えられていた。

今時の傭兵たちは戦地に行けば兵士になり、オフィスビルに行けば警備員になる代理戦力サロゲートだ。

この自動運転AIの手綱を握る女、ステラ・マーキュリーはそのまとめ役だった。子持ちで、しかも、反不死主義者。

「心配することはありませんよ。誰も死にませんから。わたしも」

誰も誰かを殺せなくなった。

血肉の迸りへの衝動を抑え切れない殺人犯も、少年兵の胸に風穴を開けるための無意識を啓発しなくてはならない兵隊もいやしない。

自分でしか自分自身を殺せない。

人々は己が死に場所が見つかるまで、日常で待ち惚けているだけでいい。

やがて、無音のまま車輪が駆動し始めた。

「ご友人はご旅行?あんな大きなものにお乗りになって。恋人でもお迎えにいくのかしら」

「かもしれないね。ともすれば、ぼくたちも街の外れにキャンプに行くみたいだ」

フィンは、ぼくたちの先にいる。

海苔で舗装されているような道路のずっと先に。

静謐でサイケな風景が時間と共にスクロールしていくのが、やけに鮮やかさを帯びて見えた。

時間が解決してくれることがあまりにも少なくなりすぎて、決断とそれに伴う責任を背負い続けなくてはいけなくて。

リコイルやマガジンの動作確認を済ませ、落ち着きを取り繕おうとしたが気が休まる心地がしなかった。

世間にたばこや酒やドラッグが出回っていれば、この焦燥を吹き飛ばしてくれ紛らわしてくれたかもしれないが、それも叶わない。

まず前提として、ぼくらの肉体は微睡みを与えるニコチンやアルコール、心身を激昂させうる名も知らぬ化学物質を一切受け付けない。

分子機械の取り得る化学浄化システムがその合切を無かったこととして取り扱うからだ。

在りし日の嗜好品が、ぼくらの体の中では嗜好品の役割を果たさない。

「もうすぐです」

いつの間にか霧が立ち込めていた。

映画『ミスト』をちょうど見た後ならば、目の前の不可視に狼狽えたかもしれない。

この道沿いには湖畔があって、以前は悪臭を伴うほどに汚染されていた。

ここ一帯の霧はその汚染が、今まさに天然微生物の模造機械-外環境ナノマシンによって浄化されている証だ。

多くの墓が並べてあった。

防腐処理した後で、土に埋まっていくことを選ぶ人も未だにいる。あの宇宙飛行士のようなフロンティアスピリットさえなければ、その方が無難で宗教的ファッショナブルだ。

「フィンだ」

ぼくは、その一つの墓に佇む後ろ姿を捉えていた。何か様子が変だと、ステラは怪訝な目をして振り向いてきた。

フィンの両脇には土が山のやうに退けられている。

彼が掘り出したのは死に損ないの亡殻だった。こうして、資料通り彼は何人もの死体を収集してきたのだ。

「早すぎた埋葬だとでも」

ぼくは照星を朋友の眉間に合わせていた。大昔から伝わる脅迫の方法論が、存分と無為に思えてくる。

「頼まれたんだよ。彼に。そして、サラに」

「なんだって」

墓地に漂う霧は、彼の象りをより一層曖昧にしていった。

「俺は、愛していた」

「屍者は愛せないぞ。屍者愛者ネクロフィリアでない限り」

埋められた人間はことごとく死んでいるし、剥製になった人間も息をする術はどこにもない。

「肉体は最も有用性のある遺物だ。MinuteMenを魂の代用として、死んでいくことが常套な時代ならなおさらだろう」

サラは今一度蘇る。

肉体を遺していった者たちも全て。

いつまでたっても腐らない体に、魂魄MinuteMenを吹き込むことによって。

「それは、人間じゃ、ない」

ぱぱぱ、ぱぱぱぱん。乾いた銃声が辺りで鳴り響いていた。ぼくの連れてきたPMC達の消音装置サプレッサーがチクワだったわけではない。

霧の間隙を縫っていったのは、フィンに雇われた兵隊共。彼らの肩にかかっているアサルトライフルのせいだ。

ぼくら二人を他所に彼らは互いに銃を向け始めたのだ。

「イーサン、誰もここでは死なんよ。こんな人の都合では死にきれんだろうよ」

ぼくも、ここでは決して死ねないだろうなと思った。


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