3:The man who sold the wonder

『未だかつて、ヒトの死体がかくも無臭のままに、これほどの技術的完璧さをもって臨終の部屋から墓地へと搬送された例はない』

-ノルベルト・エリアス『死にゆく者の孤独』より






満天の帳の下、その柩は発射台の上に乗っかっていた。

それはぴたりと向かうべき方向へと照準を定め、幾何学的側面を夜風に晒している。

よく目を凝らし、視拡を高倍率に設定すると、人工衛星とお揃いのイオンエンジンを積んでいるらしく、そこかしこには宇宙航空力学の叡智が随所に見てとれた。


空飛ぶ棺桶サルコファガス

屍者を天高く飛ばす冴えたやり方。


ある宇宙飛行士のパイロットの最期のプランに沿うという名目で、この葬儀を輸出した日本の葬儀社が、この棺桶を空へ飛んでいけるように細工を施した。

株式会社イクメイリビコ。

ここで懇切丁寧な説明書きを加えるならば、これからぼくが意図的に、あくまで葬儀省の役人面を装って接触を図るであろう葬儀屋の登録名称。

そして、今宵の式典の提供社プロバイダ

かつて日本という国で、名だたる政治家や富豪をクライアントに含めつ、著名人から一般層、若年のクラブDJに至るまでを多種多様なバリエーションで葬ってきた。

この企業な占有は言わずもがな、業績やその方針にはフィンでさえ、こんなのもあるのか、と感嘆した。


家庭葬。

夫婦葬。

友愛葬。


たとえどんな堅い絆で結ばれた者と諸共に死を迎えるといえども、あの頃の倫理から後ろ指を指されるはずだった。

これらの心中沙汰を、あろう事かこの企業は集団葬と称して擁護したのだ。

それに呼応するように葬儀省も、このイレギュラーに対応を強いられた。

終末主義社会に定める死は計画、自己完結すべき儀式であり、一個人にとり、他者の意思の介在は認めていなかったから。

誰かによって死を脅かされることは、かけがえのない生命に対する冒涜だと考えられていたから。

挙句、省は集団葬の自由をいくらかの規制を加筆するだけに至り、事実上葬儀の範疇に組み込んだ。

最高の最期はお客様のご要望通りに。

またしても、人を納めた棺を宇宙そらへ打ち上げようと、この葬儀屋は荒事を企てていた。

それまでは人の墓場は地球つちの中だと相場が決まっていたというのに、これからの墓地は空の上にあることになる。

誰かが言った、この地球ほしで生まれたからといって、この地球ほしで死ぬ必要はない、と。

これからぼくは、人の墓が位置することとなる場所、宇宙が一つの文化圏になるまでの儀式を目の当たりにすることになるだろう。

ぼくはある雑貨商から買った携帯端末を左耳に当てる。

極端な小型化を信奉した携帯業界に生まれてしまった世代の一機。まず聴拡が普及した世間ではお目にかかることはないだろう。

「どうだ、そいつの具合は」

内蔵スピーカーから、嗄れた男の声が聞こえてきた。

ぼくは、久方ぶりに鼓膜が振動感覚を覚えながら返答する。

「これが昨今の生体通信が排した煩わしさか」

「そうか。おれは電話がかかってくるたびに、耳鳴りに悩まされるよりはましだと思うがね」

表向きは海外雑貨商のゴロゥは、傍ら武器商、情報屋、諜報活動、エトセトラ、エトセトラーを請け負っており、世にも珍しいヨロズヤと化しているとしか思えない。

「今回はガイドを任せてしまったな、助かった」

中国は急速に躍進した宇宙産業で、国民の生活をやっとの事で養っていた。しかし、不死が一度蔓延すれば少子化政策を講ぜずとも、人の数は減じていった。

そんなゴーストタウンのごとき、ひっそり閑とした景観を眺望できる高台に葬儀会場は設営された。土地勘のない所をGPSだけでたどり着こうというのなら、至難だったろう。

依頼人はよほど名の知れた宇宙飛行士であるようで、野次馬、報道関係者並びに為政者の風体をしたものまで葬送に参加している。

そこに集う人たちの姿を映したぼくの瞳は、あらゆる情報を溜め込んだクラウド《アカシック》だかから、個人情報を次々と開示していく。

前世紀の情報社会では、記録され蓄積されたデータが杜撰な管理システムのせいで世に曝された。日常の糞のようなことから、秘匿されてしかるべきことまで、流出し、炎上した。

兵士によって撮影されたまるでFPSのような戦場がYouTubeで再生回数を重ね、軍部のクーデターで駆り出された戦車が民間人を捻じ切っていくストリームがネットの海の底に沈んでいる。

プライバシーという自由を社会に提供し認証されることではじめて、世間に参画する自由を得る。

見てもらえない恐怖より、見守られ続ける暴力のほうが有益であることを、人は長い歴史の中でうすぼんやりと感じていたのだった。

だからきっと、地続きにはこの社会があるだろうし、そのために一人一人の人生が公に叙述される。

かつて戦争で何人もの兵隊が祖国に帰ることも許されず、異国で息絶えていった。

かつて扶助しきれなかった老人が骨身になって家屋の中で見つかった。

悲惨な終わりを見たかつての子どもたちは考えた、そんなの哀しすぎる、もっと人の死を厳かに安らかにせねば。

そして彼らが老獪に成り果てた頃には、セカイが人の最期を看取るようになっていた。

「左だ、イーサン」

ゴロゥの声が示す方向に、白髪の老人がたっていた。


name:Benjamin Bonds

dendrobium:189year


189年。

この数字は、彼がこの世に生まれてどれくらい経ったかを表示している。

死を拒み続けた末にしか、目にすることができない年齢。

ベンジャミンは歩み寄り、ぼくに名刺を手渡してきた。サラの父親から手渡されたものと同じ。おそらく、ベンジャミンがサラに手渡したものと変わりないだろう。

「いつも、やっているのですか」

「ああ、意外と好評なんだ」

小さく微笑む彼の足元には、少年坊が座り込んでいる。

「お孫さんですか」

「いいや、別の子だ」

と、ベンジャミンは棺を指差し「クライアントのお坊ちゃんさ。名前はシュイション君だ」

シュイション君と呼ばれた少年坊は、はにかみながらベンジャミンの足元で屈伸した。

「幼いながら彼も人が死へと向かうことは知っているよ。生まれながらに覚悟しているはずだ」

あなたの死はあなたが決めなさい。

子どもたちは家族や学校にそう教えられる。

世の中が、社会がそうしているからだ、とぼくは思っていた。こんな役割を担っているからには、これからもそう考えるしかない。

「まあ、私は不死身だがね」

「とすると、ベンジャミンさんは初期型の不死処置をお受けになったのですね」

死を実装され損なった者。

不死に関する医療技術の黎明期、それはあまりにも完全な生を再現したものの、完全な死を基本仕様とすることは叶わなかった。

「その年代の方には、保証は降りているはずですが。インプラントを摘出する」

「受けなかったよ。私は一度生き延びると決めたからな。人は生き甲斐を無くすまで、生き続けなければならんからな」


「私は土に還りはしない。私は星に還るのだ」

辞世の句を詠み終えた父親は、シュイション君に手を振りながら棺桶の中に納まっていった。

この場合、搭乗したと言う方が正確かもしれないが、これから死ぬことに変わりはない。

死者が生まれるための通過儀礼イニシエーションとしてMenuteMenの抽出が始まる。

それと同時進行に、発射までの段取りプロトコルが音もなく、澱みなく、狂いなく行われる。

いびつな長方形がその行程を踏んでいく様子はどこかテーマパークのアトラクションを彷彿とさせた。

カウントダウン、3、2、1。ローンチ。

ジェット噴射が棺の底を押し上げ、この星の重力から、死者を繋ぎ止めていた軛を、白い煙を巻き上げながら引きちぎっていく。

ぼくのお父さんはトカゲ座G1に帰りました、ぼくもいつかそこ行きたいです、と世界初の宇宙葬を見届けたシュイション君は、にこやかにこう言った。


ぼくが最初に看取ったのは、母親だった。

母さんは、MenuteMenを体の中に巡らすことを良しとしなかったし、望みの最期の話をしたりしない人だった。

頑固だったのか、時代錯誤だったのか、今となってはたずねようもないが、とにかく自分の生き死にを制御されることを拒んでいたのは確かだった。

兎狩り用の銃弾で間違って猟師に頭蓋をぶち抜かれるのはおろか、派手な色のキャディラックに体当たりされたり、スケートリンクで足を滑らせて絶命することは至極当然のことだと教わった思い出がある。

そうして、そうなった。

なるようになった結果、彼女は呆気なく、尊厳も安息もなく逝ってしまった。

母さんは何を望んでいたんだろう、と父さんは言った。母さんの骸が炎に包まれて灰になっていくプロセスを、二人でじっと見つめながら考えた。

突然死んでしまった母さんの意見を父さんは尋ねたかったらしい。

式の時はどんな服が着たいかとか、本棚のどの本を棺に入れたいかとか、火葬をするならどれくらいの温度でどれくらいの時間焼こうかとか。

「なあ、イーサンはどう思う」

「さあ」

父さんは、その人の望む最期を遂げてあげることが人生で最も大事ことだって口うるさく言っていた。

だから、母さんの事は相当ショックだったみたい。

でも、ぼくはそう思わなかった。

たぶん、母さんは運命を愛していただろうから。

自分が生まれて、死んでいくことが思い通りになるなんてこれっぽっちも考えてなかったろうから。

ぼくはそれきり父さんとは話さなくなったけれど、代わりに父さんの最期だけはしっかりしよう、と思った。

父さんは、その数年後、自分の人生の絶頂を迎えることにした。

ぼくは、それから父さんの人生の全てを調べた。

調べ終わった頃には、その実感が、ぼくが父さんが親子である血縁関係を思い知らされた。

父さんの好きなバンド、父さんの組んだバンド、父さんの書いた楽譜。

葬儀社に音楽は80年代のヘヴィメタルをかけるように頼んだ。

ランディ・ローズ、マイケル・シェンカー、ゲイリー・ムーア。

生前父さんが収集してきた遺物である幾本ものギターを中心にステージがデザインされており、その空間に父さんの人生の全てを押しとどめたようだった。

彼は、ぼくとその時にはとっくに居なくなっていた母さんに感謝の言葉を告げて棺桶の中に入っていった。メタルが泣き噦っていて、上手く聞き取れなかった。

この両親の死の後から、ぼくは頻繁に人の死を見届けるようになっていった。この世の中で最も有名で最も大事な儀式を監視するおくりびととして。


ベンジャミンとの対話を除けば、ぼくは葬儀社の倫理的、社会的、国際的な違反を罰するためにここにいるだけなのだ。

そこらの喪服姿のご婦人から優しげな眼差しを向けられる。

「世界全体が大きなホスピスになってしまった。ここは赤ん坊が生まれて死を覚悟することに、その父母が安息を得る家族で溢れかえっている。そして彼らは我が子が順風な死を迎えることが何より幸せだと思っている」

「ええ、おっしゃる通りです」

世紀をまたいできた男の言葉に、ぼくはなぜだか頬を濡らしていた。

哀しくも嬉しくも何ともないのに、景色が霞んで見えた。




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