タバコのはなし

黒松きりん

タバコのはなし

 このあいだの引越しのとき、とうとうタバコを捨てた。といっても、僕は喫煙者ではない。学生の頃にタバコを吸うという行為に憧れて買ったものが残っていただけだ。1ダース程入っていたはずの箱のなかには、7本が残っていた。箱から出したものについて火を付けて吸った覚えはない。そのかわり、まるで棒付き飴のように口に咥えて、ときどき口元から離し、さも煙を吐き出すかのように「ふぅぅー」と溜息をついていた。これを一人暮らしのアパートの中でやっていたのだから、相当滑稽だったと思う。まして、人前でやっていたらどんなに冷たい視線を浴びていたことだろう。想像するだけでぞっとする。

 僕が学生のうちに学内は全面禁煙になったから、タバコを吸う人間を目にする機会はほとんどなかった。友人も、恋人も、ついでに家族も喫煙者ではなく、どちらかと言えば煙草の煙を忌み嫌っているタイプの人たちだった。そのなかにあって僕がタバコを吸う行為に憧れたのは、ひとえに「吸っている姿が格好いい」からだった。

 憧れの対象は主に小説や漫画、映画、アニメの中の登場人物だ。彼らは一様に魅力的な吸い方をする。大きい手に備わった細長い指を無造作に使って、ちょうどいい加減でタバコを掴み、口元に運ぶ。ふっと吸い込み、短く、あるいは長々と煙を吐く。煙を吐き終わった彼らの多くはリラックスし、そうでなければ感情が爆発する(主に泣き出してしまう)。彼らの「タバコ動作」の間、基本的に文や画の焦点は彼らから外れない。なぜなら、タバコ動作をしている姿が、人物の性格やその時々の心情を描写することになるからだ。

 ちょっと想像してみて欲しい。深夜の冷たい空気の中、一人の男がカラカラと音を立てる引き戸を開けて、ベランダに出てくる。そして上着の内ポケットからクシャクシャになったタバコの箱を取り出して、ベランダの手摺を使いトントンと叩く。大きく空いた箱の取り出し口から一気に2,3本のタバコの先端が押し出され、男はそのうちの一本をつまむと口に咥える。そしてまた上着の内ポケットをゴソゴソと漁り、ライターを手に取ると、咥えたタバコに火をつける。一気に吸い込むと、右手でタバコを持ち、夜空に向かって煙をふわっと吹きかける……。どうだろう、動作しか書いていないが、この男が少なくとも几帳面な性格でないことだけは伝わらないだろうか。さらに言えば、部屋の中で吸えない理由が何かあるのかもしれない、という想像もできるはずだ。

 タバコを吸うとき、口は塞がれる。つまり、どうあっても吸っている人物の言葉は少なくなってしまう。だがそれがなんだというのだ。全てのことをペラペラと喋られてしまうより、タバコ動作によって想像を掻き立てられたほうが、よほど真に迫る場面の方が多いはずだ。

 今の御時世では、タバコが目立つような描写が減っている。たしかにタバコが身体にもたらす害は甚大だ。タバコを吸うことに憧れ、すべての人が僕みたいに火を付けずに終わるならまだしも、大方はそうはいかないだろうから、魅力的なタバコ動作は今後描かれなくなってしかるべきなのかもしれない。考え方によっては、これまでタバコ動作に頼っていた「ハードボイルド」や「悪人」のステレオタイプな表現から脱却するいい機会になるだろう。でもなぁ、次元大介がタバコを吸わないでどうするんだよ。お喋りなのはルパンだけでいいんだぜ。ぶつぶつ。

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