結末。

 


 早川さんのお父さんの許しは得た。


 後は、ウチのオカンだけ。


 オカンの許可を得るという事は、オカンに親父の不倫の事実を伝えるという事。


 オカンを傷つけたくない。でも、オカンに隠し事をしながら付き合うなんて事は、早川さんにも俺にも出来ないだろう。


 俺は、オカンを傷つけてまで早川さんと付き合って良いのだろうか?


 良いか悪いのかは分からない。でも、早川さんの事は手放したくない。

 


 家に帰り、リビングに行くと親父が1人でテレビを見ていた。


 おそらく、オカンはお風呂だろう。


 「俺、早川さんと付き合いたいと思ってる。オカンに全部話して、俺と早川さんの事、許してもらおうと思ってる」


 久々に親父に話しかけた。親父の不倫が発覚してから、ろくに口もきいてなかったから。


 「いいのか? お母さん、傷つくぞ」


 親父が、俺と視線を合わせてきた。


 オカンを裏切ったのは親父の方なのに、なんでオカンを傷付けるのは俺の方になってしまうんだろう。


 「早川さんのお父さんは分かってくれた。だからオカンだって…」


 「どうせ、俺が止めても言うんだろ? 湊は俺を軽蔑しているから。ただ、これだけは言っておくぞ。

 早川さんのお父さんが納得したからって、お母さんもそうだとは限らない。お母さんは、そんなに強い人間じゃない」


 親父が、警告をする様に俺に釘を刺す。


 俺には、歩けなくなっても明るくていつも笑ってるオカンが、弱い人間には思えなかった。


 親父の『オカンにはバラさないでくれ』という最後の醜い抵抗に見えた。


 だいたい、不倫を隠したまま親父がオカンに謝っていない事も引っかかっていた。


 オカンに話そう。オカンに俺と早川さんの交際を認めてもらって、親父にも謝罪させよう。




 その週の土曜日、ウチに早川さんを招いた。


 本当は俺1人でオカンを説得しようとしたのだけど、早川さんが『私もお願いに行く』と引かなかった。


 早川さんのそんな律儀なところも、やっぱり好きだなぁと思う。


 早川さんを、オカンがいるリビングへ連れて行くと、


 「莉子ちゃん、久しぶりだねー!! 全然遊びに来なくなっちゃったから淋しかったー」

 

 と、オカンは大喜びで早川さんに寄って来た。


 大丈夫。オカンは早川さんに好感を持っている。


 きっとオカンは許してくれる。

 


 緊張で顔が強張っている早川さんをソファに誘導して、俺もその隣に座った。


 太股の上で硬く握り合っている早川さんの手を、『大丈夫、大丈夫』と自分の手で覆う。


 「~~~なーんか、ラブラブじゃない? お2人さん」


 そんな俺たちの様子を、オカンがニヤニヤしながら見ていた。


 …どう、切り出そうか。


 「…あの「早川さん」


 喋り出そうとした早川さんを『俺に任せて』と止めた。


 こんなに辛い話を好きな人にさせる程、俺はダサイ男じゃない。


 

 「オカンさぁ。最近、親父の様子がおかしいって、思った事なかった?」


 「…え?」


 オカンは、俺の問いかけに一瞬右眉をピクつかせたが、すぐに笑顔を取り繕った。


 オカンはバカじゃない。オカンも何となく気が付いてたんだ。


 「…親父、早川さんのお母さんと、、浮気をしていたんだよ」


 「…何を、言ってるのよ」


 オカンは笑顔のままだけど、驚きを隠せない様で、少し声を震わせ、睨んでいるわけではないが、大きく見開いた目で強い視線を早川さんに向けた。


 「俺、早川さんと付き合いたいと思ってる」


 俺の言葉に、オカンが笑顔を消した。

 

 「…は? さっきから何を言っているの?」


 オカンの顔がどんどん引き攣っていく。


 「俺たちの事、許してくれるよね? オカン、早川さんの事を『娘にしたい』って言ってたくらいに可愛がってたよね?」


 オカンに、確認作業の様なお願いをすると、

 

 「…莉子ちゃんは…いつから知っていたの?」


 オカンは、俺に返事をする事なく、早川さんに話しかけた。

 

 オカンの表情が急に冷たくなって、憎しみを放ち出す。


 こんなオカン、初めて見た。息子の俺でさえ、動揺してしまう。


 「…初めてお家にお邪魔した時には…既に知っていました」


 申し訳なさそうに俯く早川さん。


 見開いたオカンの目から涙が零れた。


 「…面白かったでしょうね。何も知らずに莉子ちゃんを可愛がる私を見て、滑稽に思ったでしょうね」


 オカンは、口元は笑っているのに、目が死んでいた。


 「そんなつもりは…「あの時は、俺が早川さんを誘って連れて来たんだよ。早川さんはむしろ来たくなんかなかったはずなのに、それでも来てくれたんだよ。早川さんは何も悪くない」


 即座に早川さんを庇うと、オカンはそれが気に入らなかったようで、奥歯を噛み締めて、また涙を零した。


 「…なんで湊まで…。やっぱり親子なのね。お父さんの不倫相手と同じ血を引く娘を好きになるなんてね」


 「……」


 オカンが怒りの中で呆れながら吐いた言葉に、言葉を返す事が出来なかった。


 俺が1番突かれたくなくて、1番認めたくなかった事だったから。

 

 「…莉子ちゃんはだめ。絶対にだめ。認めない。湊、莉子ちゃんに決めるのはまだ早いわよ。大学に入れば、莉子ちゃんより賢くて美人なコがいくらでもいる」


 「オカン!! 早川さんに謝って!! 今すぐ謝って!! 失礼すぎる!!」


 オカンが吐き捨てた言葉に、思わず立ち上がる。


 そんな俺の左腕を、早川さんが引っ張って座わらそうとした。


 「でも!!「大丈夫、大丈夫」


 今度は早川さんが、さっきの俺を真似て少しだけ微笑んだ。


 でも、俺を見上げる早川さんの目には、ちょっと揺らせば零れ落ちそうなほど、涙が溜まっていた。


 だけど、早川さんは泣かないだろう。


 涙を流せばオカンを悪者にしてしまうし、俺が早川さんを庇うだろう事を、彼女は分かっているから。


 早川さんは、そういう子。凄く凄く優しい子。


 だから、早川さんを傷つけるのは、オカンであっても赦せない。

 

 大きめに息を吸って心を落ち着かせると、早川さんの隣に座り直した。


 「湊は、私の気持ちを踏みにじってまで、莉子ちゃんと付き合いたいの?」


 どんどんおかしくなるオカンの思考についていけない。


 「踏みにじってなんかないだろうが」


 「湊は、私と莉子ちゃん、どっちを取るの?」


 わけの分からない質問を、真剣な顔でしてくるオカン。


 「……」


 どうしていいのか分からなくて言葉に詰まる。


 「莉子ちゃんを取るの? 私は死んでも良いって事?」


 最早理解不能なオカンの言動。


 「はぁ!? 何言ってんの!?」


 「死ぬわよ。いいの? 死ぬわよ!?」


 自分の母が手に負えない。

 

 なんでこんな、小学生でもやらない様な脅しを平気でするのだろう。


 呆気に取られていると、オカンが急に近くにあったハサミを手に取った。


 それを見た早川さんが、慌ててオカンに駆け寄り、ハサミをオカンの手から抜き取った。


 「帰ります!! 私、帰りますから!! 本当に申し訳ありませんでした!!」


 早川さんは『ごめんなさい、ごめんなさい』と何度もオカンに頭を下げると、ぎゅうっと胸の辺りで握り締めていたハサミを俺に手渡した。


 「私、帰りますね」


 早川さんは床に置いていた鞄を拾い上げると、早足で逃げるようにリビングを出て行った。

 

 「待って!!」


 早川さんを追いかけると、彼女は既に玄関で靴を履いていた。


 「ちょっと待ってよ、早川さん!!」


 早川さんの肩を掴んで自分の方に向かせると、早川さんが苦しそうに顔を顰めながら俺の胸を押した。


 「ダメじゃないですか、木崎先輩。私を追いかけてきちゃダメですよ。早くリビングにに戻って下さい。今、木崎先輩のお母さんを1人にしちゃダメです。木崎先輩のお母さんの気持ちを荒げちゃいけない」


 あんな事を言われても、オカンを気遣う早川さんは、元々優しいのもそうだけど、やっぱりオカンへの罪悪感もあるのだろう。


 「でも!!」


 早川さんの事だって放っておけない。だってさっき、凄く傷ついたでしょう?


 「…木崎先輩のお母さんの言う通りだと思います。木崎先輩、早まっていませんか? 大学に行けば、全員が私より頭が良くて、可愛い子ばかりですよ。今、私に決める事はないと思います。私だって、後々振られるとか辛いですもん」


 やっぱり、早川さんの心はしっかりと傷ついていた。


 早川さんは、自分の心が傷ついているから、俺に聞きたくもない話をしている事に気が付かない。

 

 「ねぇ、早川さん。ウチの高校にだって、早川さんより頭が良くて美人なコはたくさんいるよね? でも、それでも俺は早川さんを好きになったよ。早川さんが生きていて、俺を好きだって言ってくれている限り、俺は他のコと付き合いたいとは思わないよ」


 「…木崎先輩も、暗に私をブス扱いするんですね」


 早川さんが、涙をいっぱいに溜めた目で、少しだけ笑ってくれた。


 「ブスとは言ってない。美人は美人で好きだけど、美人より早川さんが好きだって話」


 早川さんに微笑み返すと『美人に勝つブスって希少価値高いですね』と早川さんがまた笑った。


 笑った早川さんの目から、遂に涙が1粒零れた。


 それで拍車が掛かってしまったのか、早川さんの涙が止まらなくなった。


 平気を装っていたいのか、早川さんは『違うんです、違うんです』と、手の甲でしきりに涙を拭った。


 何がどう違うのか。きっと何も違わない。平気なわけがない。辛くて、悲しくて泣いているに違いなかった。


 「早川さん、少しだけ時間ちょうだい。オカンの気持ちが落ち着くまで待って欲しい。オカンに絶対俺たちの事、認めてもらうから」


 早川さんの頬に触れ、親指で涙を拭うと、


 「はい」


 早川さんが、優しい笑顔で俺を見上げながら鼻を啜った。


 本当は泣いてる彼女を抱きしめたい。


 だけど、リビングには気を狂わせたオカンがいる。


 早川さんを送ってあげる事さえ出来ない。


 「気をつけて帰ってね。送れなくてゴメン」


 抱きしめられないから、せめて早川さんの頭を撫でる。


 「全然。まだ全然明るいですし。真っ昼間ですし。私、1人で夜の山登った事ありますし」


 早川さんが、俺に頭を撫でられながら気持ち良さそうに目を細めた。


 もっと触りたい。もっともっと触れたい。

 


 玄関で早川さんを見送ってリビングへ戻ると、オカンが車椅子から転げ落ち、床に横たわりながら泣いていた。


 なんで車椅子から…?


 不審に思いながら、オカンを車椅子に座らせようと、オカンに近づき抱きかかえようとするが、オカンは暴れ出し、俺の手を振り払った。


 そんなオカンの視線の先を追うと、オカンの目が捕らえているものに気付く。


 ベランダの窓を開ける錠だった。


 身体が震えた。


 オカンは、本当に死にたいと思っているのだろうか。

 


 ---------その日から、オカンの様子がおかしくなった。


 ほとんど食事をしなくなり、誰とも会話をしなくなった。


 俺が何処かへ行こうとする事を嫌がり、俺の姿が見えないだけで大泣きする。


 これを『鬱』と呼ぶのかと疑い、病院に連れて行こうとすると、『私は病人じゃない!!』と泣いて暴れるオカン。


 そんなオカンの様子を見て、離婚を避けようとしていた親父も、『お母さんの気持ちが少しでも穏やかになるなら、離婚しても良いと思っている』と言い出した。


 『逃げる気なのか? 今のオカンを俺だけに押し付ける気なのか?』と、親父に怒りを覚える。そんな自分に嫌気が刺す。そんな事を思っている時点で、俺もオカンを厄介者扱いしている様なものだから。


 そんな状態で、あの日から早川さんに会えていない。


 ストレスが肥大する。


 早川さんに、会いたい。



 オカンが寝ると、やっと自由になれる時間が出来る。


 今日もオカンが寝たのを見計らって、早川さんに電話を掛ける。


 早川さんは、どんなに遅い時間になっても電話に出てくれる。


 早川さんの声に、心が落ち着く。疲れが和らぐ。


 早川さんに心配をかけまいと、オカンの様子がどんどんおかしくなっている事は言っていない。


 会えないから、せめて電話だけでも早川さんの明るい声を聞いていたい。


 早川さんと楽しく電話をしている時だった。


 突然部屋のドアが開いた。


 「誰と話をしているの? 莉子ちゃん? 莉子ちゃんだったら私、死ぬから!!」


 驚いてドアの方に目を向けると、寝たはずのオカンが車椅子に乗っていて、俺を睨んでいた。


 多分、今のオカンの声は、電話の向こうの早川さんにも聞こえてしまっただろう。

 

 「ゴメン、後で掛け直す」


 スマホに向かってそう言うも、既に通話は切れていた。


 スマホを適当に机に置き、オカンに近付く。


 「早川さんじゃない。学校の友達だから」


 嘘を吐いてオカンの車椅子を押し、オカンを寝室に連れて行こうとすると、


 「何で嘘吐くのよ!! 湊もお父さんも莉子ちゃんも!! 人を騙すのがそんなに楽しいの!?」


 オカンが顔をぐちゃぐちゃにしながら、興奮気味に泣きじゃくった。


 確かに俺は今、嘘を吐いた。早川さんも、事実を知っていながらオカンに隠し事をした。


 でもそれは、オカンを陥れる為じゃない。


 オカンを傷付けたくなかったからなのに。


 「……」


 どうする事も出来ずに、ただ立ち尽くす。

 

 

 何も出来ないまま、仕舞いに泣き疲れて眠ってしまったオカンを抱き上げて、オカンの寝室に連れて行った。


 オカンをベッドに寝かし、自室に戻る。


 早川さんに電話しなきゃ。もう遅いしLINEメッセージにしようか。


 スマホを手に取り画面をタッチすると、早川さんからのLINEが受信されていた。


 LINEを開き、その文面を見て固まる。


 〔やっぱり、私たちは付き合うべきじゃないと思います。木崎先輩の事を、簡単に諦めたわけじゃないですよ。私は、木崎先輩のお母さんに死んで欲しくないんです。私さえいなければ、木崎先輩のお母さんの心も落ち着くはずです。 

 木崎先輩にも、木崎先輩のお母さんにも、ちゃんと会って謝れなくてごめんなさい。もう、会いません。色々すみませんでした。ありがとうございました。大学で素敵な彼女、作ってくださいね。ばいばい。木崎先輩〕


 なんでこうなってしまうのだろう。


 俺は早川さんに、もう会えないの?

 


 もし、俺があの時オカンの足を奪わなかったら、親父は不倫なんかしなかったかもしれない。


 オカンを苦しめる事も、なかったかもしれない。


 早川さんの事だって、傷つけなくて済んだかもしれない。


 全部俺が悪い。全部俺のせい。


 なのに今、オカンが尋常じゃなく鬱陶しい。


 全ての諸悪の根源は、自分にあるというのに。



 もう、疲れた。




 ----------時刻は午前3時。


 夜も明けていない、電車も走っていない時間。


 それでも家にいたくなくて外に出る。


 どこに行けば良いのかも分からない。


 俺がいなくなった事に気付いて、オカンが半狂乱になろうとも、そんなのどうでも良くなっていた。


 俺は、なんて自分勝手で薄情なんだろう。


 自分が引き起こした事。


 だから、一生オカンへの懺悔の中で生きるのは、当然の事だと思う。


 でも、早川さんを諦めなければいけない事が、どうしても当然に思えない。



 もう、限界なんだ。

 



 ---------どのくらい歩いただろう。


 歩いているうちに、朝日が顔を出してきた。


 無意識に歩いてるつもりだった。


 でも辿り着いたのは、早川さんの家の前だった。


 早川さんの家に来たからって、こんな早朝に早川さんを呼び出すわけにもいかないのに、俺は何をしているんだろう。


 でも、どうしても早川さんに会いたくて。


 会えなくなるなんて、どうしても嫌で。


 早川さんの家の前でしゃがみこむ。


 どのくらいそうしてただろう。


 ただひたすら地面を見つめていると、


 「木崎…くん? だよね? ウチの前で何をしてるの? 春先に出現しがちな変質者かと思ったじゃないか。『まだそんなに暖かくなっていないのに、随分活発なんだな、今年の変態は』って、普通に気持ち悪くなったから、危うく通報しかけたぞ」


 頭の上で声がした。

 

 顔を上げると、朝刊を手にした早川さんのお父さんが、怪訝そうに俺を見ていた。


 こんなに怪しまれているというのに、早川さんのお父さんの声を聞いたら、何故かなんだかホっとして、泣きたくなった。


 「…早川さんに、振られました」


 『おはようございます』もなしに、俺はなんて無礼なんだろう。


 でも、苦しくて苦しくて。早く誰かに助けて欲しくて。


 「とりあえず上がって。こんなところにいたら、風邪を引いてしまうぞ。家で話、聞かせてくれる?」


 早川さんのお父さんが、俺の腕を持ち上げながら、俺の背中を擦って温めてくれた。


 なんでこの人は、こんなに優しいのだろう。こんな俺なんかに。

 


 リビングに通されると、早川さんのお父さんがあったかいコーヒーを淹れてくれた。


 正直、まだまだ外は寒かったので、めっさありがたい。


 ソファに座り、遠慮なくコーヒーを頂く。


 身体が温まったせいか、少し気持ちが解れてきた気がした。


 「少しは落ち着いたかな? 木崎くんの話、聞かせてもらってもいい?」


 早川さんのお父さんが、俺の正面に座った。


 「…はい」


 俺のオカンの事。早川さんとの事。包み隠さず話した。


 苦しくて、苦しくて、全部吐き出したかった。


 早川さんのお父さんは、俺の話に真剣に耳を傾けてくれた。


 早川さんのお父さんに縋りたかった。助けて欲しかった。


 早川さんのお父さんは、一通り俺の話を聞くと、


 「いくら頭が良くても、木崎くんもやっぱりまだまだ子どもなんだねぇ」


 と言いながら、『ふふふ』と笑った。


 なんか微妙に馬鹿にされている様な…。


 でも何でか嫌な気分にはならなかった。

 

 なんとなく恥ずかしくて、コーヒーに口をつけながらコーヒーカップで顔を隠そうとした時、


 「お父さん、おはよー。起きるの早いねー。日曜日なのにー」


 早川さんが目を擦りながらリビングにやって来た。


 早川さんは見るからに寝起きで、寝癖は大変な事態になってるし、ジャージ姿で…って、中学の時の体操着かよ。名前書いてあるじゃん。


 そんなある意味ファンキーな早川さんと目が合う。


 『まじか』


 お互いの口から別な意味の『まじか』が飛び出た。

 

 「木崎先輩、何故ここに!?」


 驚く早川さんの瞼は普段の2倍に腫れあがっていて、あのLINEメッセージはきっと泣きながら打ってくれたのだろうと推測出来た。


 「…早川さん、いつも中学のジャージを着て寝てるんだ」


 『フッ』と思わず吹き出してしまった。


 「今日はたまたまですよ」


 早川さんが、胸に刺繍されている中学の校章をサッと右手で隠した。


 「嘘を吐くな。毎日愛用してるじゃねぇか」


 早川さんのお父さんが、『中学のジャージを、たまたま着る状況なんかあるかよ』と、速攻で早川さんの嘘をバラした。


 「お父さんのバカー!!」


 早川さんが恥ずかしそうに、膝を抱えて小さくなった。


 そんな早川さんを、


 「ところで莉子、どうしたんだ、その頭は。何かの実験で失敗でもしたのか?」


 早川さんのお父さんが更にイジる。


 「もう嫌だー!!」


 早川さんが赤面しながら、両手で寝癖を押さえつけた。


 羞恥の余り、唇を噛みしめた早川さんが、ふと俺を見た。

 

 「…昨日送ったLINE、読みましたよね? 既読になってたから…」


 両手を頭に乗せたままの早川さんが、俺の方にやって来た。


 「うん」


 「じゃあ何で…。もう会わないって書いたじゃないですか」


 早川さんが頭上に置いた両手を、今度は両目に当てて泣き出した。


 もうこれ以上腫れさせたくないのに。


 泣かせたくないのに。


 また、泣かせてしまった。 


 泣きじゃくる早川さんを、


 「泣くくらいなら振るなよ、木崎くんの事」


 早川さんのお父さんが、『しょうがない子だなぁ』と困った顔をしながら笑った。

 

 「えぇ!! 姉ちゃんの分際で木崎さんの事、振ったの!? まじで天罰下るって!! 何考えてんの、姉ちゃん!! 身分を弁えろよ」


 そこに、莉玖くんがタイミングを図ったかの様に登場した。


 イヤ、完全に図ってたな。リビングの外で聞き耳立ててたな、コイツ。


 「振ってない!! てか、分際って何だよ!! 身分って、いつからブスは身分が低くなったんだよ!!」


 そんな莉玖くんに、泣きながらキレる早川さん。


 俺にとっては、結構深刻で真剣な話をしていたはずなのに、何でだろう。


 微妙に楽しいのは、何でだろう。

 

 「莉子、取り敢えず着替えておいで。朝ご飯を食べたら、3人で木崎くんの家に行こう」


 早川さんのお父さんが、莉玖くんとじゃれる早川さんに、とんでもない提案をした。


 『…え?』


 早川さんも俺も、耳を疑う。


 「ダメだよ、お父さん!! 私たちが行ったら、木崎先輩のお母さんを刺激して、木崎先輩のお母さんの症状がもっと悪くなっちゃうかもしれないじゃん!!」


 『そんなの絶対にダメ!!』と、早川さんが顔を左右に振った。


 「莉子、頭悪いくせに何をお医者さんみたいな事を言っているんだ。お前には何の知識もないだろうが。それに、俺しかいないだろう? 木崎くんのお母さんの気持ちが分かるのは」


 早川さんのお父さんの言葉に、反論の余地などなかった。


 オカンを説得出来るのは、早川さんのお父さんしかいない。

 


 気を利かせた莉玖くんが、朝ご飯を買いにコンビニへ行ってくれて、その間に早川さんは着替えて寝癖を直した。


 莉玖くんが帰ってくると、4人で仲良くおにぎりとインスタントの味噌汁を食した。


 『緊張でおにぎりが喉を通らない』と言う早川さんに、『じゃあ、味噌汁と一緒に流し込めよ』と、莉玖くんが早川さんの味噌汁におにぎりをぶち込むという嫌がらせを働いていて、普通に笑った。


 莉玖くんのおかげで早川さんの緊張も少しは解けたようで、『このクソガキがー』と言いながら、おにぎり入りの味噌汁を啜っていた。


 荒手のイジりで姉の緊張を和らげようとする弟と、感謝しているくせに悪態をつく姉。


 仲が良すぎて妬けるくらい微笑ましい。



 朝ご飯を食べ終えると、俺の家に向かう支度をした。


 莉玖くんが、身支度を整える早川さんのお父さんに近付き、


 「お父さんもさぁ、なかなかカッコイイ事するよねー。見直したわ。つー事で、帰ってきたら久々に男同士で釣りにでも行こうよ」


 『ふふッ』っと笑いながら、『がんばって』と早川さんのお父さんの背中を叩くと、莉玖くんは自分の部屋に戻って行った。


 「なんつーカッコイイ事を…。あれで見た目さえ良ければなぁ…」


 そう言って笑う早川さんのお父さん。


 「ん? 莉玖、何かカッコイイ事した? 今」


 首を傾げる早川さんに、早川さんのお父さんが呆れた目を向ける。


 「莉子は、やっぱり馬鹿なんだなぁ。木崎くんにしっかり勉強教えてもらえ。

 莉玖、木崎さんの家からの帰り道、俺と莉子たちをバラす為に、わざと『男同士で釣りに行こう』って俺を誘ったんだろうが。莉子たちが気を遣わずにデート出来る様にって、莉玖の気遣いだろ」


 『顔さえ…顔さえ良ければ』と嘆く早川さんのお父さん。


 言うほど莉玖くんは不細工ではない。と言うか、小学生にしては大人びた顔立ちで、普通にモテそうだ。


 「何回も『バカバカ』言わないでよね。それに、莉玖ってあれでなかなかモテるんだよ。私、バレンタインの日に家の前で莉玖が、女のコから告られながらチョコもらってるの見たもん。しかも振ったんだよ、莉玖。莉玖のくせに!!」


 『不細工のくせに調子に乗ってるんだよ、莉玖』と何故か憤慨する早川さん。


 だから、不細工じゃないからモテてるんだろうに。


 でもホント、男前の事してくれちゃって。小学生のくせに。


 俺は莉玖くんの気遣いを無駄にする事なく、早川さんと付き合ってデートをする事が出来るのだろうか。


 今のオカンを、説得する事なんか出来るのだろうか。

 



 早川さんの家を出て、3人で俺の家に向かう。


 早川さんは、落ち着きなく目を左右に泳がせていた。


 『そんな焦点の合わない状態でよく歩けるな』と関心してしまう。


 「莉子の緊張しいは昔からなんだよ。莉子、小さい頃にピアノを習っていたんだけどね、発表会の日に『もうすぐ莉子の番』って時に吐き散らかして、順番後回しにしてもらったことがあるんだよ」


 早川さんのお父さんが、その時の様子を思い出しながら『クククッ』と笑った。


 莉玖くんの気遣いの上手さは、お父さん譲りだ。


 早川さんのお父さんが、早川さんのオモシロ話で俺の不安を和らげようとしている。


 なんて優しいんだろう。


 話に乗っかっておこうかな。


 「今日もウチで吐き散らかしますかね」


 「しまったー!! ゲロ袋持って来なかったー!!」


 早川さんのお父さんが、わざとらしく頭を抱えた。


 「ちゃんと飲み込むわ!! ボケ!!」


 そんなお父さんにタックルする早川さん。


 早川さんは、やっぱり頭があまり良くない。


 そのツッコミ、不正解じゃね?

 


 そうこうしてる間に、俺の家に着いた。


 早川さんと早川さんのお父さんをリビングに通すと、親父とオカンがいた。


 「どこに行っていたの!? 何で何にも言わずに出て行ったの!?」


 オカンは物凄い勢いで俺に向かって車椅子を動かし、親父は早川さんのお父さんの顔を見てかなり驚いていた。


 「申し訳ありませんが、お引取り頂きたい」


 親父が早川さんのお父さんに近づき、追い返そうとした。


 「親父はどんだけダサイ事すれば気が済むんだよ。

 俺、早川さんの家にお邪魔していたんだよ。早川さんのお父さん、俺の話を真剣に聞いてくれて、俺の為にわざわざ足を運んでくれたんだよ。そんな早川さんのお父さんを追い返すとか、失礼にも程があるだろ」


 親父を睨みつけて『すみません』と早川さんのお父さんに頭を下げると、


 「木崎くんのお父さんはその辺の事情を知らなかったわけだから、ちっとも失礼なんかじゃないよ」


 と早川さんのお父さんが、俺の肩にポンと手を置いた。

 

 そして、オカンの正面に移動する早川さんのお父さん。


 「初めまして。早川莉子の父親です」


 早川さんのお父さんはソファに座らず、車椅子のオカンの目線に合う様に、膝を立てる様に正座をした。


 「……」


 何も言わずに顔を背けるオカン。


 「家内が…と言いましても、ウチは離婚しましたのでもう家内ではないのですが…莉子の母親が大変申し訳ない事をしました。アナタを深く傷つけたでしょう。本当に申し訳ありませんでした」


 早川さんのお父さんが頭を下げようとも、オカンは見向きもしない。


 「アナタは、離婚をする気はないんですよね? 離婚を切り出したという話を、木崎くんから聞きませんでしたので。

 好きな人に、信じていた人に裏切られるのは、本当に辛い事ですよね。好きだからこそ、信じていたからこそ許せないですよね。許せない事も辛いですよね」


 優しく語りかける早川さんのお父さんの言葉に、オカンの肩がピクッと少しだけ動いた。

 

 「全部が許せなくなりますよね。私もそうです。何も悪くない木崎くんの事までも許せませんでした。なのに、娘と付き合うだなんて…正直、心の底から嫌でした」


 早川さんのお父さんの話に、早川さんが顔を歪めた。


 そして、『違いますよ。そういう意味じゃないですよ。お父さん、木崎先輩の事を嫌っているわけじゃないですよ』と、心配そうに俺を見上げた。


 『分かってるっつーの。俺、頭良いんだっつーの』と早川さんの頭を撫でる。


 分かっている。早川さんのお父さんが嫌がる気持ちは、理解出来る。


 ただ、早川さんのお父さんを慕ってしまったから、やっぱり悲しい気持ちになった。

 

 「私は、我慢っていつか限界が来ると思うんですよ。

 莉子に木崎くんと付き合う事を我慢させて、いつか莉子の我慢が限界に達した時、莉子はきっと私を恨むでしょう。莉子に恨まれるくらいなら、私が我慢をして限界を迎えた時に木崎くんを恨む方が、ちょっとは楽なんじゃないかと思うんです」


 これを『苦渋』と言うのだろうか。早川さんのお父さんの口から出てきた、切ない選択に胸が締め付けられる。


 「アナタもそう思いませんか? 息子に嫌われるくらいなら、莉子を嫌う方が楽だと思いませんか?」


 早川さんのお父さんの問いかけに、オカンの目から1粒、大きな涙が零れ落ちた。


 「ただ、私の方はもう、木崎くんに恨みは全くないんですけどね。

 木崎くん、今、結構ギリギリの状態なんですよ。私にはそう見えました。そんな状態の時に私を頼ってくれた事を、素直に嬉しく思いました。今となっては息子の様に可愛い…すみません。嘘吐きました。やっぱり息子の方が可愛いですが、でもそのくらい可愛く感じます。

 娘の言う通りでした。娘に言われたんですよ。『お父さんも絶対に木崎先輩の事を好きになる』って」


 オカンに優しく笑いかける早川さんのお父さん。


 早川さんのお父さんの気持ちが嬉しくて泣きそうになるのを、ぐっと堪える。


 が、隣で早川さんが号泣。


 上手く呼吸が出来ていない早川さんの背中を撫でた。

 

 「木崎くん、今までずっと、罪悪感の中で一生懸命アナタの幸せの為に頑張ってきたんだと思います。アナタが頼んだわけじゃない。望んでもなかったでしょう。でも彼は、色んな事を我慢してきたんだと思います。木崎くん、限界にきてるんじゃないでしょうか。

 私は、木崎くんにアナタの事を嫌って欲しくない。

 莉子の為にじゃない。息子の為に、我慢してやる事は出来ませんか? 木崎くんと娘の事、許してやってはもらえませんか?

 親の私が言うのも何ですが、ウチの娘は見てくれと脳の形は歪ですが、根は優しい良い子なんです」


 早川さんのお父さんが、オカンに頭を下げた。


 そんな早川さんのお父さんの姿を静かに見つめるオカン。


 オカンの口がゆっくり動いた。


 「…莉子ちゃんが良い子だという事くらい、ちゃんと分かっていますよ」

 

 早川さんが、目を大きく開けてオカンの方を見る。


 「…湊の事、『親離れ出来ないマザコン』だと思っていました。なのに、いざ離れられると淋しいものですね」


 オカンが涙を流しながら、早川さんのお父さんに微笑んだ。


 「子どもの成長は、いつからか喜びから淋しさに変わってしまうから、何だか少し切なくなりますよね」


 オカンに頷きながら笑い返すと、早川さんのお父さんが俺たちの方に戻って来た。


 「良かったね」


 早川さんのお父さんが、俺の頭を撫でてくれた。


 「ありがとうございました」


 下げた頭を上げられない。感謝してもしきれない。


 敵わないなと思った。


 いっぱい勉強した。いっぱい脳ミソを鍛えたはずなのに、俺はただのコドモでしかなかった。


 早川さんのお父さんが、こんなに短時間で解決させた問題を、俺はただジタバタしていただけで何も出来なかった。


 早川さんのお父さんみたいな大人になりたいと思った。

 

 そんな俺たちの方に、親父が近付いて来た。


 「湊、折角だからお母さんの事は俺に任せて、莉子さんと出かけてくればいい」


 突然の親父の提案に、普通にビックリした。


 「…え?」


 親父はオカンの事を面倒臭がっているのだと思っていたから。


 「久々に2人でどこかに行こうか」


 驚く俺を他所に、今度はオカンに近付き、デートに誘う親父。


 「……」


 戸惑い、返事が出来ずにいるオカン。


 「行ってきたらどうですか? きっと何でも買ってくれますよ、ご主人。豪華なレストランにだって連れて行ってくれるんじゃないですか? ご主人、仲直りしたいんですよ。アナタと」


 早川さんのお父さんが、そんなオカンを見兼ねて助け舟を出した。


 オカンは、早川さんのお父さんに小さく頷くと、


 「私は、湊の為にしか我慢しない。アナタの為になんか我慢しない。離婚なんかしてあげない。アナタの事は、絶対に許さない。アナタは私の傍で、一生反省して一生償い続けるのよ。今日は、私の為に惜しみなくお金を遣ってくださいね」


 親父を睨みつけて、少しだけ笑った。


 「なんなりと。嫌な思いさせてごめんな。本当にごめん」


 親父がオカンの手を握ると、オカンはその手を握り返して子どもみたいに嗚咽しながら泣いた。

 


 「行こっか」


 親父とオカンの邪魔をしない様にと、早川さんのお父さんが、俺と早川さんの背中を押した。


 3人でリビングを出ようとした時、


 「待って、莉子ちゃん」


 オカンが早川さんを呼んだ。


 「ごめんね、莉子ちゃん。酷い事、いっぱい言って本当にごめんなさい。…嫌じゃなければ、また遊びに来てくれないかな」


 オカンの謝罪に、早川さんがまた泣き出してしまった。


 「是非。次に来る時は、綾子さんから頂いた髪飾りを持ってきますね。自分じゃ使いこなせないんです、アレ。また私の髪の毛、弄ってください」


 早川さんがぐしゃぐしゃな顔で笑うと、オカンも鼻をグスグス言わせながら笑い返した。


 2人の仲直りを見届け、


 「行こう、早川さん」


 なかなか泣き止まない早川さんの手を引いて家を出た。

 



 「あの、今日は本当にありがとうございました」


 マンションを出たところで、早川さんのお父さんに頭を下げる。


 全部早川さんのお父さんのお陰。早川さんのお父さんがいなかったら、今も俺は悩み続けていただろう。


 「…俺、早川さんのお父さんの事、好きです。まじで息子になりたいって思うくらい好きです。そうだ!! 早川さんのお父さんの息子になりたいから、結婚しよう。早川さん」


 なんてグッドなアイディアなんだと、早川さんの手を握ると、


 「…それは…プ…プロポーズですか!? 木崎先輩!!」


 早川さんが火を吹きそうに顔を赤くさせた。


 「バカか!! 全然プロポーズじゃねーわ!! 『お父さんの息子になりたいから結婚』ってお前、ただのオマケって事だぞ!!」


 早川さんのお父さんは、早川さんのほっぺたを引っ張ると、俺を軽く睨み、


 「木崎くんも、何を1人で盛り上がっておかしな事を言い出しているんだ!! 莉子はまだまだ嫁には出さんわ!! あと10年は嫁に行かせるつもりはない!!」


 結構強めにどついてきた。

 

 「奇遇ですね。俺も結婚するのは10年後って考えていました。大学6年。インターン2年。で、2年働いてお金貯めて結婚です」


 睨む早川さんのお父さんに、ニィと笑ってみせる。


 「『結婚です』じゃねーわ!!」


 早川さんのお父さんに、今度はヘッドロックをかけられた。


 ヤバイ。この人、結構本気でかけにきてるわ。普通に苦しい。


 「やっぱりさっきの、プロポーズだったんだぁ」


 早川さんが嬉しそうに『ふふふふふ』と笑った。


 「お前は本当に馬鹿だったんだな。莉子はあんなクソみたいなプロポーズで良いのか!?」


 俺へのヘッドロックを外し、『目を覚ませ』と娘の肩を掴んで揺らす、早川さんのお父さん。


 「じゃあ、ちゃんとしてるヤツ言ってくださいよ。木崎先輩」


 早川さんが、口を尖らせながら俺を見た。


 「10年後にね。それまでにもう少し料理が出来る様になっていてよ」


 10年後も早川さんと一緒にいたいと、心から思う。


 そんな俺らの様子を、微笑ましく思ってくれたのか、呆れたのかは分からないが、『フッ』と小さく笑うと、

 

 「じゃあ俺は莉玖と釣りをしに行くから、お前たちは高校生らしく、清ーーーーいデートをするんだぞ!! 清く正しい交際をするんだぞ!! 分かったな!! 木崎くん、莉子の事を頼んだよ!! じゃあな」


 早川さんのお父さんは1人、俺らとは別の方向に歩き出した。


 どうせ同じ駅に行くんだから、一緒に行けば良いのに。


 気が利きすぎていて、ウケる。


 …にしても、初デートが思いかけず降って沸いてしまった為、完全なノープラン。


 早川さんをどこへ連れて行けばいいんだろう。


 「どこに行こっか。行きたいとことかある?」


 何も思いつかないので、早川さんに振る。


 「じゃあ、ウチに来ませんか?」


 早川さんが、シレっと俺を家に呼んだ。


 何を言い出してんの!! 早川さん!! 襲っちゃうよ!? 俺、早川さんのお父さんとの約束、破っちゃうかも。

 

 「ハンバーグの作り方、教えてください。お父さんと莉玖に、今日のお礼に食べさせたいです」


 しかし、俺の下心とは裏腹に、早川さんは至って清かった。


 「うん。いいよ。じゃあ、材料を買いに行こっか」


 そりゃそうだわな。付き合った初日でガッツきすぎだよな、俺。


 若干ガッカリしつつも、ちゃっかり早川さんの指に自分の指を絡めた。


 手を繋ぐのはOKでしょ。清いっしょ。キスまでOKにして頂きたい。


 大目に見てください、早川さんのお父さん!! 限界まで我慢しますから!!


 ただ、早川さんのお父さんの言う通り、我慢には限界があると思うので、その時はいただきます!!


 心の中で早川さんのお父さんに謎の訴えをしながら、ぎゅうっと早川さんの手を握った。


 2人で手を繋いでスーパーまで歩いていると、


 「木崎先輩、一緒に写真を撮って貰えませんか? 沙希に『木崎先輩と付き合えたよー』ってLINE送りたいです」


 早川さんがスカートのポケットを漁り、スマホを取り出した。


 「うん。いいよ。島田さんには色々迷惑かけちゃったし、ちゃんと報告しないとね」


 「お正月ですよね。あの時、普通に叱られましたよ、私」


 苦笑いを浮かべる早川さん。


 俺にとってはそれだけじゃないんだけど。


 「実は、莉子の両親が離婚した事を教えてくれたの、島田さんなんだよね」


 「え!? 沙希のお喋りめー。ってゆーか、『莉子』って呼びました!? 今!!」


 サラっと名前を呼んだつもりなのに、アッサリ突っ込まれた。恥ずー。

 

 「…付き合ってるんだから『早川さん』っておかしいっしょ。それに、島田さんはお喋りじゃないよ。むしろ話してくれて良かった。俺が知らなきゃいけない話だったから。なのに莉子、話してくれないから。あ、莉子も俺の事、名前で呼んで。敬語ももういらない」


 「じょ…除々に変えます。いきなりは無理ですよ。恥ずかしいもん。…写真撮りましょう!!」


 恥ずかしがった莉子が、無理矢理話を変え、スマホをかまえた。


 顔を寄せると、大照れに顔を赤くさせる莉子。


 そんな真っ赤な顔で写る気なのか、コイツは。


 写真を撮って2人でスマホを覗く。


 「…撮り直しましょう」


 莉子は、赤面で写っている自分が許せないらしい。


 が、撮り直したところで、どうせコイツは赤くなる。


 「やだ。それ、俺にも送っておいてね」


 面倒臭いし、茹蛸みたいな顔をしている莉子は凄く面白くて、物凄く可愛かったから。

 

 しぶしぶその写真を島田さんに送る莉子。


 「……」


 そして、スマホを見ながら苦笑い。


 「どうした?」


 そんな莉子の顔を覗き込む。


 「あ、イヤ。沙希から速攻で返事が来たんですけど…。私、お正月に木崎センパ…湊のお守りを買った神社で、沙希の為に縁結びのお守りも買ったんですよ。で、沙希も地元の神社で縁結びのお守り買ってくれて、お互いのヤツを交換したんですね。…で、見ますか?」


 照れながら俺を湊と呼んでくれた莉子が、スマホの画面を俺に見せた。スマホの画面には、


 〔ゴメンだけど、私が莉子にあげたお守り、リバース。地元のお守りの方がご利益あるじゃん。莉子がくれたヤツ、サッパリ利かない。恋の予兆も予感も何もない〕


 とんでもなく罰当たりな文章が書かれていた。ある意味、勇気ある悪口だ。


 「大学に入ったら医学生を紹介してやるから、そのお守りは大事に持っとけって返信しときな」


 島田さんには感謝してるから、お礼しないとな。


 「うん!! 沙希、絶対喜ぶわ」


 莉子は、俺に言われた通りにLINEメッセージを送ると、また速攻で返事が返ってきたらしく、それを見て『ぶはッ』と豪快に吹き出した。

 

 「何何?」


 莉子のスマホを覗くと、


 〔私、木崎先輩の事は、最初から良い人だと思ってた〕


 この上なく調子の良い返事が来ていた。


 「清々しいほどに現金だね、島田さん」


 「だから沙希の事、大好き」


 2人で顔を見合わせて爆笑した。




 あぁ、何て楽しいのだろう。


 何て嬉しいのだろう。


 何て幸せなんだろう。


 今、これ以上の幸せなんかいらないくらい、幸せだ。


 だから、みんなみんな1人残らず幸せになります様に。








 「莉子、ハンバーグに乗っかってた葉っぱの名前、覚えてる?」


 「クレション!!」


 「ばーか」










 憎悪と、懺悔と、恋慕。


 おしまい。

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憎悪と、懺悔と、恋慕。 中め @1020

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