成就。



 ---------その日から、入試までのわずかな時間、寝る間を惜しんでラストスパートをかけた。


 そして本命の大学の入試の日がやってきた。


 その前に何校か滑り止めを受けていて、そのうち1校は既に合格発表があり、受かっている事を確認済。


 でもやっぱり第一志望に受かりたい。てか、受かる。


 だって、俺には早川さんがくれたお守りと大吉のおみくじがあるから。


 今日もポケットに大事に忍ばせ、早川さんがプレゼントしてくれたネックウォーマーを首に巻き付け、試験会場入り。


 席に着き、筆記用具と受験票を机の上に置き、壁に掛けられた時計を見ながらその時を待つ。


 予定時刻通りに試験用紙が配られて、合図と共に裏返されていたそれを捲る。


 軽快に持っていたシャーペンが動く。


 余裕で解けた。なんなら時間も余った。


 正直、自信がある。手応えもあった。


 でもやっぱり、合格発表までソワソワする。



 ---------そして、合否発表の日が来た。


 大学のHPで合否確認する事も出来るが、敢えて大学に行き、掲示板を見に行く事にした。


 オカンと一緒に結果を見るのが、なんとなく嫌だったから。


 受かっているとは思う。でも、万が一落ちていたらリアクションし辛いし、慰められるのも何か嫌だし。


 今日も『お守り・おみくじ・ネックウォーマー』の早川さん3点セットを身に着けて家を出た。


 電車に乗って、大学の最寄駅で降り、大学の門をくぐる。


 掲示板の前には、既に人だかりが出来ていた。


 人を掻き分け、掲示板の近くに移動。


 受験票を握り締めながら掲示板を見上げ、自分の番号を探す。



 「…あ」

 


 …あった。


 受かっていた。自信があったはずなのに、思わずガッツポーズが出てしまったくらい嬉しい。


 受かった、受かったよ。早川さん。


 合格を1番に伝えたかったのは、オカンではなく、早川さんだった。


 ポケットからスマホを取り出し、早川さんに…掛けてないで、会いに行こう。


 早川さんに、会いたい。


 ポケットにスマホを入れ直し、さっさと入学資料を受け取ると、一目散に早川さんの家へ走った。


 早川さん、家にいるかな。


 1年は今日、試験休みのはず。


 ちゃんと勉強してるかな? 遊びに行ってたらどうしよう。やっぱ電話するべきだったかも。


 ごちゃごちゃ考えているうちに、早川さんの家に着いてしまった。


 ので、インターホンを押してみる。


 早川さんのお父さんは会社だろうし、弟さんは学校に行っているはずだから、出るとしたら早川さん。



 「はーい」


 インターホンの向こうから、会いたくて仕方がなかった人の声がした。


 「あ…木崎です。早川さん、今、ちょっと出て来られる?」


 「え!? 木崎先輩!? ちょっと待ってて下さい。すぐ行きますから」


 インターホンから驚いた早川さんの声がした。


 1分も待たせる事なく玄関から出てくる早川さん。


 そんな早川さんは、顔に白い粉を貼り付けていた。


 「早川さん、顔が粉だらけだけど、何をしていたの?」


 髪にまで付いた白い粉を払ってあげる。


 「あ、餃子を作っていたんですよ」


 早川さんは、『髪にまでついてたかぁ』と苦笑いをすると、半歩下がり、犬の様にフルフルと顔を左右に振った。


 揺れる前髪から粉が舞う。 


 どんな作り方をすると、そんなに粉まみれになるのだろう。

 

 「上手に出来てる? 作り方、教えてあげようか? 俺、大学に受かったから」


 「え!? 受かったんですね!! 良かったー!! 本当に良かったー!! おめでとうございますー!!」


 何故か早川さんが涙目になって、握手を求める様に俺の手を握った。


 早川さんは、手までも粉まみれだった。


 「あ、スイマセン。すぐウエットティッシュ取ってきます!! ごめんなさい!!」


 それに気付いた早川さんが、慌てて家に引き返そうとした。


 そんな早川さんの腕を引っ張って抱き寄せる。


 自分の胸に粉の付いた早川さんの顔を埋めて、粉のかかった早川さんの髪を撫でた。


 「汚れちゃいますよ!! 木崎先輩!!」


 早川さんの耳が赤くなっているのが見えた。


 俺も他人の事を言えない。顔が、耳が、頭皮までもが熱い。

 

 「別にいいし」


 いい格好しいの俺は、それでも平静を装う。


 てか、まじで汚れとかどうでも良い。ずっとこうしてたいと思った。


 「…1番に早川さんに知らせたかった」


 早川さんの髪に顔を埋める。


 「え!? 木崎先輩のお母さんには? 学校には?」


 顔を見ずとも、早川さんがキョドっているのが分かった。


 「後で言うから」


 「何を言ってるんですか!? 木崎先輩のお母さん、絶対に心配してるはずですから早く知らせて下さいよ!!」


 早川さんはそう言うけど、だって、離れたくないから。



 ----------もう、言ってしまおうか。


 分かっている。多分こっちは成就しない。


 でも、大学も受かったし、奇跡が起きるかもしれない。


 奇跡が起こらなかったとしても、やっぱり伝えたい。早川さんに、俺の気持ちを知ってほしい。



 「…ずっと、認めたくなかった。こんな自分の気持ち。親父と好みが似てるって、思いたくなかった。でも…。早川さん、俺、早川さんが好き」


 早川さんを抱きしめる力を強める。振られると分かってるのに、逃したくなくて。


 「…木崎先輩、苦しいです」


 早川さんが、俺の背中をポンポンとタップした。力、入れすぎだったらしい。

 

 「あ、ゴメン」


 腕の力を緩めると、早川さんが少しだけ俺から離れて俺を見上げた。


 「…私は、だいぶ前から好きでしたよ。木崎先輩の事」


 早川さんが、うるうるの瞳で微笑んだ。



 ---------奇跡が、起こったんだと思った。でも、


 「早川さん、俺の彼女になってくれる?」


 「…それは、出来ません」


 早川さんの潤んだ瞳から、涙が零れた。


 「木崎先輩は何も悪くない。…だけど、お父さんと木崎先輩のお母さんの気持ちを思うと、木崎先輩とは付き合えない。 

 それに、木崎先輩に私じゃ釣り合いが取れないですよ。こんな、頭も見た目も冴えない私なんかと付き合うなんて…。 

 でも、木崎先輩に『好き』って言ってもらえた事、木崎先輩に『好き』って言えた事、死ぬほど嬉しかったです。だって、木崎先輩が私を好きになる事なんか、万が一にもないと思っていましたから。本当に、心臓止まるかと思いました。まじで死ぬかと思いましたもん」


 ボロボロ涙を流しながら、なのに嬉しそうに笑う早川さん。


 そんな顔をされたら、そんな事を言われたら、もっともっと好きになっちゃうじゃん。手放せるわけがない。


 

 「なんで早川さんはそんなに簡単に諦められるの? 俺は無理。だから早川さんも俺の事を諦めないでよ。俺の事、好きなんじゃないの?」


 両手で早川さんの肩を掴み、早川さんの目を見つめる。


 冷静になれば、恥ずかしい言葉。でも、必死な俺は冷静になんかなれない。だって、自分を好きだと言ってくれた俺の好きな人が、俺から離れていこうとしているから。


 「簡単になんか諦められるわけないじゃないですか。…なんで『好き』とか言ってくれちゃうかな。付き合えない事が、悔しくなっちゃうじゃないですか。木崎先輩のバカ!!」


 早川さんが、両手で顔を覆いながら泣いてしまった。


 女のコに泣かれて嬉しくなっている俺は、相当なドSだと思う。


 早川さんが、可愛くて可愛くて仕方がない。


 「どの口が俺の事をバカって言ってんだよ」


 早川さんの両手を掴んで顔から剥がすと、早川さんさんの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。


 「そういえば、医大受かったんですよね。おめでとうございます」


 早川さんが、少しむくれて、少し笑った。

 

 早川さんが可愛くて、いじめたくて、早川さんの額に軽く頭突きをした。


 「そうなんです。あのK大医学部に現役合格です。どちらかといえば、頭は良い方です。言い辛いんだけど、早川さんの方が、『好きって言われて嬉しかった』って言ったすぐ後に『好きって言ってくれるな』的な事言い出す支離滅裂さ。頭、大丈夫?」


 そして、頭皮と頭皮をすりあわせながら、ゴリゴリと頭蓋骨を擦りつける。


 「痛い痛い!! 禿げる禿げる!! 頭バカになる!!」


 早川さんが、両手で俺の頭を引き剥がした。


 「残念なお知らせだけど、結構もう手遅れの域じゃん?」


 早川さんが可愛くて、面白くて、更にいじめる。


 「全然まだ巻き返せますけど!! 大体木崎先輩だって、『諦めたらそこで試合終了』って言ってたじゃないですか!! 木崎先輩こそ支離滅裂ですよ!!」


 早川さんは、ごくたまにまともな返しをしてくる。


 だけど俺は、早川さんより頭が良い分、口も達者なわけで。


 「だから俺の事、諦めんなっつってんだろうが」


 今度は早川さんのほっぺを両手で引き伸ばしてやった。


 「じゃあ、どうすれば良いんですか?」


 ほっぺを伸ばされたまま、俺を見つめる早川さん。


 恋ってスゲエのな。こんなアホ面でさえ、当然の様に可愛く見える。


 「餃子の作り方、教えてあげる。一緒に餃子を作りながら、早川さんのお父さんの帰りを待たせて。親父がした事をちゃんと謝って、早川さんと付き合う事を許してもらう」


 「木崎先輩の家のご飯は作らなくていいんですか?」


 「んー。…まぁ、いいっしょ」


 俺、オカンより自分を優先したのは初めてだ。


 だって、早川さんを諦められない。

 


 ---------早川さんの家にあがらせてもらい、餃子を作りながら早川さんのお父さんを待つ事に。


 早川さんは、想像を遥かに超える不器用さで、餡をはみ出しながら作った餃子は、最早シュウマイに近かった。


 四苦八苦しながら一生懸命に餃子を包む早川さんを見るのは、楽しくて面白すぎた。


 そのうち早川さんの弟さんが学校から帰ってきて、俺を見るなり、


 「目が悪いの? それなら眼科で済むけど、美的感覚がイっちゃってるなら、脳の問題ですよ?」


 と、まるで可哀想な人を見るかの様な目をした。


 「視力は悪いけど、コンタクトしてるから」

 

 と弟さんに答えると、


 「今すぐ眼科に行った方が良いですよ。そのコンタクトの度数、さっぱり合ってないですから。姉の事、ちゃんと見えてます? 普通にブスですよ? まぁ、性格は悪い子ではないんですけどね。ただ、ブスですよ? 姉でいいの?」


 と『ブス』を連呼された。


 ただ、弟に『性格は悪くない』と言われる早川さんは、やっぱりいい人なんだと思った。


 「自分だってカッコイイわけじゃないでしょうが!!」


 弟さんの散々な言い草に、さすがにキレる早川さん。


 「すぐキレるし、ブスだし。料理出来ないし、バカだし。世の中には物好きなイケメンがいるもんだ。晩ご飯出来たら呼んでー」


 早川さんの悪口に言い返すと、弟さんは自分の部屋に入って行った。


 なんて気が利く弟さんなんだろう。

 


 餃子を、後は焼くだけの状態まで作り終えると、リビングで早川さんと色んな話をした。


 好きな食べ物、好きな音楽、好きな映画。


 早川さんの事を、もっともっと知りたいと思った。


 俺の事も、全部知って欲しいと思った。


 早川さんと楽しい時間を過ごしていると、玄関のドアが開く音が聞こえた。


 早川さんのお父さんが帰って来た。


 「見慣れない靴があったけど、お客様が来ているのか?」


 俺の靴を目にしただろう、早川さんのお父さんがリビングに顔を出した。


 早川さんのお父さんと目が合い、会釈をする。


 「おかえり、お父さん。あの…こちらは…」


 俺を紹介しようとするも、やはり俺の名前を言い辛いのか、どもってしまう早川さん。


 「初めまして。早川さんと同じ高校の木崎湊と言います」


 なので、自ら名乗って挨拶をすると、早川さんのお父さんが少し顔を顰め『…木崎』と小声で呟いた。


 俺の苗字で、勘付いた様子の早川さんのお父さん。

 

 「あの…父が、本当に申し訳ありませんでした」


 そんな早川さんのお父さんに頭を下げて謝る。


 「キミはやっぱり…そうだったのか」


 『頭を上げてくれないか』と、早川さんのお父さんが俺の肩を叩いた。


 「キミが悪いわけじゃない。わざわざそれを言いに?」


 早川さんのお父さんは、少しだけ顔を上げた俺を『まぁ、座って』とソファへ促した。


 言われるがままソファに腰を掛け、小さく息を吸い込む。


 早川さんが心配そうな顔をしながら、緊張気味の俺の隣に座った。


 早川さんのお父さんに謝りたかったのは本当。


 だけど、俺には言いたい事がもう1つある。


 嫌がられる事は分かっている。許しをもらえない可能性の方が大きいのかもしれない。


 でも、それでも俺は、早川さんが好きだから。


 「僕と莉子さんがお付き合いする事を、許して頂けませんか?」

 

 俺の向かいに座った早川さんのお父さんに、『お願いします』と再度頭を下げる。


 後頭部の上で、早川さんのお父さんが『ゴクッ』と唾を飲んだのが分かった。


 「…相手がキミだと、なかなか…ね。キミが悪いわけじゃないのは、頭では分かっているんだけどね。どうしてわざわざ私の許可をもらおうと思ったの? 勝手に付き合う事だって出来るだろうに」


 早川さんのお父さんが、眉間に皺を作りながらも、優しい視線で俺を見た。


 「莉子さんが『お父さんと僕の母が嫌がる事はしたくない』と言っていまして…。僕もそう思うからです」


 「じゃあ、私が反対したら莉子とは付き合わないと言う事?」


 早川さんのお父さんが、俺に試す様な目を向けた。


 「許してもらえるまで、何度でも頭を下げに来ます」


 『お願いします』と、また頭を下げる。


 早川さんのお父さんからしたら、妻の不倫相手の息子に頭を下げられたところで、簡単に大事な娘を渡すわけにはいかないだろう。


 どうしたら許してもらえるだろう。何て言えば、説得出来るのだろう。


 今まで、人並み以上に勉強してきたはずなのに、こんな時どうすれば良いのか分からない。


 ただただ、頭を下げる事しか出来ない。

 

 「莉子はどうしたい?」


 早川さんのお父さんが、複雑な表情をしながら早川さんに尋ねた。


 「お父さんの気持ちも分かる。だから、お父さんが嫌がる事はしたくない。でも私、木崎先輩の事が好きなんだ。…どうしたら良いのかな、お父さん」


 早川さん、まさかの質問返し。


 「どうしたらって…」


 早川さんのお父さんも、返事が出来ずに困っている。


 リビングに、困り果てた人間が3人。


 早川さんは俺を諦める決心をしていた。だから、俺が早川さんの事を諦めれば済む話。


 俺も早川さんのお父さんと同様、頭では分かっているのに、そう出来ない。 そんな中、


 「イヤイヤイヤイヤ。『お父さんの嫌がる事は』って、俺はどうでもいいのかよ。俺だって、姉ちゃんがお母さんの不倫相手の息子と付き合いだしたら、複雑な心境になるかもじゃん。グレちゃうかもじゃん、思春期だし。ホント、よりによって何で1番面倒くさいところに行っちゃうかなー」


 早川さんの弟さんが『晩ご飯まだー?』と言いながらリビングに入って来た。


 おそらく彼は、今までの話をリビングの外で聞いていたのだろう。


 「まぁ、別に俺は幸い、そんなにデリケートではないのでグレませんけど。

 俺もお父さんの気持ちは分かるよ。お父さんは何も悪くない。ただ、姉ちゃんも木崎さんも何も悪くないんだよね。

 お父さんはさぁ、お母さんがやらかしてしまった事のせいで、姉ちゃんが好きな人と付き合えないのって、可哀想だと思わない?

 姉ちゃん、お母さんの代わりに良くやってくれてるじゃん。料理は下手だし、洗濯物の畳み方は変だし、掃除しながらモノ失くしたりするけど、頑張ってるじゃん。許してあげられない? お父さん」


 弟さんは、早川さんをボロクソに貶しながらも、お父さんを説得してくれている様だった。

 

 「…莉子に可哀想な思いをさせるのは…違うよな」


 早川さんのお父さんが、弟さんの言葉に頷いた。


 「だいたい、お姉ちゃんが今後こんなイケメンと付き合える可能性なんか、0%だよ!? ゼロだよ、ゼロ!! みすみすこのチャンスを逃したら、もう2度とやって来ないんだからね!!」


 弟さんが親指と人差し指でゼロの形を作りながら力強く念押し。


 弟さんは、何をもって断言しているのか…。早川さんも否定しないし。


 そして、俺の事を『イケメン』って言うの、やめて頂けないだろうか。そりゃあ、悪い気はしないし嬉しいけど、こっ恥ずかしい。


 でも今、『俺、イケメンじゃないし』的な論点がズレた話を挟み込むのも邪魔臭い。が、しなかったらしなかったで、自分をイケメン認定しちゃってる痛い人間になってしまうし。


 何この、2重に気まずい状況。

 

 「そんな事はないだろう。莉子にだって良い人が…「お父さんは、自分の子だから姉ちゃんの事が可愛く見えるだけ!! よく見て!! ちゃんとブスだよ、姉ちゃんは!! しっかりとブス!! 筋金入り!! 姉ちゃんは性格以外全部中の下!!」


 早川さんのお父さんに、食い気味で相当数の悪口を並べる弟さん。


 でも、自分の姉を何度も『性格が良い』という辺り、コイツは結構なシスコンなんだと思う。


 素直じゃないとこが逆にかわいいな、弟くん。


 「え!? 私、自分の事を『ちょうど真ん中辺りの女』だと思ってたのに…中の下だったの!?」


 論点を逸らさぬよう、敢て俺が自分の『イケメン否定』をしないでおいたと言うのに、それに気付かず普通に話をズラす、早川さん。そんな事をされたら俺、自分の事を『イケメン』って認めてる事になっちゃうじゃん!!


 「そうだよ!! もしくは下の上だよ!! だから、ブスに免じて許してあげてよ、お父さん!!」


 そんな早川さんにブスをダメ押す弟くん。


 てか、『ブスに免じて』って何!?


 「『ブスブス』言わないでよ!! 心の中で留めておいてよね、莉玖!! でも、お願いします、お父さん!! ブスの一生のお願い!! 木崎先輩、凄く凄く良い人なんだよ!! お父さんも絶対に好きになる!!」


 早川さんが、俺の隣で必死に頭を下げていた。ていうか、『ブス』をアッサリ受け入れちゃってるよ、このコ。


 そんなところも、たまらなく可愛い。

 

 「…だろうね。木崎くんだって、自分の父親と不倫した女の家族に挨拶して頭を下げるなんて嫌だっただろうに。それが出来てしまうんだから、彼は凄く立派な人間なんだと思うよ。

 …ゴメンな、莉子。俺が小さい男で。ありがとうな、莉玖。莉玖のお陰で自分の意固地を砕く事が出来そうだ。

 莉子、後で莉玖にお礼を言っておくんだぞ。莉玖も莉子を『ブスブス』言いすぎだ。ちゃんと謝るんだぞ。 

 木崎くん、莉子の事を宜しく頼んだよ。ブスでバカだけど、優しいコですから」


 早川さんのお父さんが俺に頭を下げ、優しく笑った。


 「こちらこそ、どうぞ宜しくお願いします」


 早川さんのお父さんの男気に、優しさに、胸が熱くなりすぎて泣きたい気分になった。


 そんな俺をお構いなしに、


 「お父さんも姉ちゃんに謝りなよ。『ブス』の上に『バカ』まで追加してんじゃん」


 「そうだよ!! 言いすぎなんだよ、2人共!! 木崎先輩も『そんな事ないですよ』とか嘘でも言うべきですよ!!」


 莉子莉玖姉弟がギャーギャー騒いでいた。


 早川さんが何で優しいのか、今日分かった。


 こんなに暖かくて素敵な家族の中にいて、嫌な人間になれるわけがない。

 


 「てか、腹減ったっつーの。餃子食おうよー。木崎さんも食ってくでしょ?」


 莉玖くんが俺を見上げた。


 …いいのかな。俺も一緒に食っちゃって。と迷っていると、


 「お家で既に、木崎くんの分の晩ご飯の用意がしてあるのかな? もちろん無理強いはしないけど、遠慮をしている様だったら、そういう気遣いはいらないよ。木崎くんが嫌じゃなかったら一緒に…。言っておくけど、莉子の料理はイマイチ…イマ5くらいだよ。そこを踏まえて、どうする? 遠慮せずに食べるも良し、遠慮せずに帰るも良し。食べる覚悟を決めるのか、断る勇気を持つのか」


 早川さんのお父さんが、『莉子の料理は味を楽しむんじゃなくて、エネルギー補給だと割り切って食べるものだから』と笑いながら俺の肩に手を置いた。


 …早川さん、いつもどんな料理を作っているのよ。

 

 「お邪魔でなければ、是非ご馳走になりたいです」


 早川さんのお父さんに『ペコ』っと頭を下げると、


 「今日は木崎先輩と作ったから超絶美味しいもん!! 木崎先輩、めっさ料理上手なんだよ!!」


 早川さんが、俺の肩に置かれた早川さんのお父さんの手を払った。


 『それなら安心』と早川さんのお父さんが意地悪に笑う。


 「てゆーか、今度は姉ちゃんの唯一の得意料理の煮込みハンバーグを作ってあげなよ。クレソン乗っかってるヤツ。あれはヤバかった。レストランの味がした。つか、全く料理が出来ない姉ちゃんが、クレソンの存在を知っていた事にもビックリしたもん。姉ちゃん、とうとうおかしくなって、土手に生えてる雑草を毟り入れたのかと思って、一瞬目の前真っ黒になったしな」


 何気ない莉玖くんの提案に、早川さんのお父さんが『アレには、我が子の料理ながらお金を払っても良いと思ったわ』と同意。その様子に、早川さんが明らかに『ヤバイ』といった顔をした。


 …クレソンが乗った煮込みハンバーグ…。


 チラっと早川さんの方を見ると、


 「スイマセン。お父さんと莉玖があまりにも私の料理をバカにするから、つい出来心で…」


 早川さんが小声で『本当の事はどうか内緒に…』と懇願。


 …やっぱりか。俺が作ったハンバーグ、自分の手柄にしやがった。


 本当にどうしようもないな、早川さん。


 「今度、ハンバーグの作り方も教えてあげるよ」


 早川さんに耳打ちすると、早川さんが『約束ですよ』と微笑んだ。


 そんな早川さんが、どうしようもなく可愛くて、どうしようもなく大好き。

 

 「じゃあ、パパっと餃子焼いて、すぐに晩ご飯にするね」


 早川さんが腕まくりをしながらキッチンに向かった。


 過る一抹の不安。じわじわ漂う、焦げた匂い。


 『早川さん、火事起こしてない!?』とキッチンの方に目を向ける俺の傍で、『あぁー。今日も失敗かぁ』と早川さんのお父さんと莉玖くんがガックリ肩を落として嘆いた。


 「早川さん、手伝うよ!!」


 早川さんが餃子を全部焼ききる前に助太刀に行く。


 キッチンには、早川さんが躊躇無く焦がした餃子が並ぶ無残なお皿が置いてあった。


 「焼きたいなー。俺、餃子を焼くのが大好きなんだよなー」


 料理下手なくせにやる気だけは人一倍ある早川さんを傷つけない様に、やんわり焼き係の交代を提案すると、


 「そうなんですか? じゃあ、お願いしていいですか?」


 優しい早川さんは、あっさりフライパンを手放した。早川さんは基本、自分よりも相手の主張を汲んでくれる子だ。


 「やったね。ありがとう」


 必要以上に若干白々しく喜びながら、コンロの前に立ち、残りの餃子を次々焼いていく。そんな俺を、

 

 「木崎さんさぁ、本当に姉ちゃんで良いの? 何が良いの? まじで分かんないんだけど」


 キッチンを覗き込みながら再確認をしてくる莉玖くん。 


 「なんかごめんね」


 莉玖くんの隣にやって来た早川さんのお父さんも、何故か謝ってくるし。


 「本当に良いんです。俺、今めっさ楽しいですから」


 本心を素直に言うと、莉玖くんと早川さんのお父さんが目を合わせて笑った。


 こんな素敵なお父さんと弟を持つ早川さんを、心の底から羨ましく思う。


 俺も、この人たちに好かれたいなと思った。

 


 早川さん家の食卓は、終始笑いが絶えなかった。


 早川さんが何故か自慢気に『木崎先輩はK大医学部に現役合格したんだよ!!』と話し出すと、『まじか!! おめでとうございます!! …ゴメン、木崎さん。ウチ、今プリンしかないわ』と莉玖くんが3個入りのプリンを冷蔵庫から持ってきてくれて、『イヤー。めでたいな。ビールだな。ビール飲むしかないな。おめでとう、木崎くん』と早川さんのお父さんは、ただ単に自分が飲みたかっただけのビールを、俺を理由にがぶ飲みし、『この前の健康診断で、酒量を減らしなさいって言われたでしょうが!!』と、早川さんに叱られていた。


 楽しすぎた。腹を抱えて笑った。こんなに笑ったのは、いつぶりだろう。


 オカンの足を奪ってしまった日から、ちゃんと笑った記憶がない。


 今だって、オカンに後ろめたい気持ちが無いわけじゃなく、それはしっかりある。


 でも、俺が笑っていると、早川さんが嬉しそうな顔をするから。


 そんな早川さんの柔らかい表情が、俺のヒリつく心を撫でてくれるんだ。

 


 「しかし姉ちゃんさぁ、こんな『イケメンでお金持ちで賢い男』捕まえちゃってさぁ。人生の運を16にして全部使っちゃったんじゃないの?」


 莉玖くんが笑いながら、またしても早川さんに意地悪を言う。


 「ヤバイなー、莉子。人生100年だぞ。あと84年、生き地獄じゃねえか」


 ビールでほろ酔いの早川さんのお父さんが、莉玖くんの話題に乗っかった。


 『どうしよう、どうしよう』と見事に真に受け頭を抱える早川さん。そして、


 「木崎先輩、20㎏くらい太ってちょっと不細工になってくれませんか!?」


 割と真剣な顔で早川さんが俺の方を見た。


 「は?」


 「だって私、まだ16なんですよ!? こんなところで人生の運を全部使ってられないんですよ!! 私の残りの人生が、生き地獄だったらどうしてくれるんですか!?」


 莉玖くんとお父さんの話を鵜呑みのし、薄ら涙目の早川さん。


 てか、どんなキレ方だよ。

 

 「別に俺、イケメンじゃないし」


 早川さんに白けた視線を送ると、


 「……」


 早川家の3人が一瞬黙り、


 「嫌味だなー、今のはさすがに感じ悪いわ、木崎さん」


 「木崎くんがイケメンじゃなかったら、俺らはどうなるんだ。もう、虫けらだな」


 「取り合えず、謝ってくださいよ。木崎先輩」


 3人に一斉に責められた。『謝れ』って何でだよ。


 「…すみません」


 腑に落ちないまま、早川さんに言われた通り謝ったのに、


 「なんか謝られたら謝られたで嫌な感じー。『イケメンでゴメンナサイ』って言われてる感じー」


 莉玖くんに拗ねられた。


 じゃあ、どうすれば良かったんだよ。


 「なんか、こちらこそ不細工でスイマセンって感じだなー」


 早川さんのお父さんは、『ガハハ』と笑いながらキッチンに2本目のビールを取りに行き、


 「私も『美人すぎてゴメンナサーイ』とか言ってみたーい」


 早川さんもは自虐的に笑った。


 もう、この家族、面倒くせぇな。でも、


 「俺、20㎏も太らねぇから」


 早川さんだけにしか聞こえない声で言うと、


 「え?」


 早川さんが、『何?』と俺の方に耳を寄せてきた。


 「早川さんが行き地獄を彷徨っていたら、ちゃんと助けてあげるから、俺は不細工にはならない」


 俺の言葉に、早川さんが目を大きく開いて顔を赤くした。


 そして、『絶対ですよ』と笑った。


 うん、絶対。約束するよ。なんなら、早川家ごと助け出す。 


 だって俺、この家族が大好きだ。

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