分離版下


 時は現代、都会の片隅のうらぶれたボロアパートに独身のサラリーマンが住んでいました。

 その日も朝っぱらから日付変更ギリギリまで働いて、疲れにクタクタになった体を引きずって帰ってきたのです。

 出来合いのコンビニ弁当を買って夕飯にしようと思っていた社畜は家の前で固まってしまいました。

 ドアの前には見慣れないゆりかごと、それからこれまた見覚えのない、どころか全く身に覚えのない赤子が入っているではありませんか。

 揺りかごの中にはもう一つ入っているものがありました。それはそれなりのふくらみを持った封筒です。


「な、なんなんだよ……。コレ、新手の嫌がらせか……?」


 社畜はため息を吐きつつも、腹が空いていたのでとりあえず揺りかごを家の中へと引っ張り上げます。

 やっと少し息をつけるようになったので、買ってきた弁当を電子レンジへと放り込んで適当に暖めながら封筒の中身を取り出します。


「あー、何々……?」


 社畜は疲れているので自然と独り言が多くなってしまいます。仕方がないのです。

 便箋の中身へと目を通してみましょうか。


『弟君へ

ご察しの通りかと思いますが、この子の母親はあなたの姉です。

まずはこの子を家の前へと置くような鬼畜の所業をしたこと謝りたいと思います。ゴメンナサイ。

しかし、私にも已むに已まれぬ事情があり、この子を育てることが出来なくなってしまいました。

迷惑だとは思いますし、あなたにもあなたの生活があるでしょうから、無理にとは言いません。

ですけれど、どこかの施設へと預けるよりも肉親であるあなたに育てて頂けると、私としては安心できます。

もし無理だと思うならば施設へと預けて貰っても、構いません。不甲斐ない姉を許してください

桃子をよろしくお願いします。かしこ』


 この子供と手紙はどうやら社畜の実の姉からの贈り物のようでした。数年前に失踪してそれっきり姿も見せない姉君はどうにも厄介ごとを押してつけてくれたようです。

 温まった弁当を割りばしでつつき回しながら社畜は考えます。

 今の仕事を続けながら子育てなんて不可能だ、いやもしかしたら産休とか育休とかとれるか、そもそも子供ってどうやって育てるんだよ、なんてグルグルと頭の中を駆け巡っていきます。

 この卵焼きうめぇなとかなんとか考えながら思考とお箸を動かしていた社畜ですが、そこでふと気が付くのです。


「なんで俺は家で引き取るのを前提として考えてるんだ……?」


 男には肉親はもう行方不明の姉しかおらず、頼れる人もほとんどいません。だというのに、なぜか初めからこの子を施設に預けるという選択肢を除外していました。

 何故なのか、と社畜は考えます。

 温まった梅干しを口に含み、うーん、うーん、と唸ります。

 社畜にとって暖かい家族なんていうものは縁遠いものでした。

 暴力ばかり振るう父親は六才の時に亡くなりましたし、母親はその一年後に兄弟二人を残して蒸発しました。

 それから施設に預けられた幼き日の社畜とその姉は、その施設で長いこと暮らし、高校を卒業してからはサラリーマンとしてブラック企業に勤め始めたのですから、仕方がないというものです。

 そんな彼のたった一人の肉親の姉が自分に当てて託した子供を無下にするなんて、そんなことはできなかったのです。

 がりがりと頭を掻いてため息を思い切り吐き出します。


「はーっ、しゃーねーな」


 それからの社畜はお父さんとなって大変でした。先ずは会社に相談してみましたが、どうにも埒が明きません。なので、会社の先輩に相談し手伝ってもらいながら転職先を探し、子育てしながら務められる環境を模索します。

 ですが、なかなかうまくいきません。そんな折に一つ出会いがありました。

 ボロアパートの隣の部屋には一人暮らしの女子大生とちょっと変わった外国人の夫婦だったのです。

 その人たちに手伝って貰いながら、幼い桃子の面倒を見つつの転職活動を続け、ようやく賃金はあまり良くないけれどその代わり時間に融通の利く職場を見つけることが出来ました。

 そうして、四苦八苦し、いろいろな出会いを経験し、人の手を借りながらお父さんはどうにかこうにか桃子を育てていきます。

 どうやら桃子はとても聡明な子のようで、他の子よりも発育も良く、言葉も早くに覚えて、小学校に上がってからは成績もよく、素直ないい子に育っていきます。

 そして、桃子が十歳になったときにお父さんはもう一度転職し、とても忙しく、だけれどお給金が沢山もらえる職場へありつきました。

 そのころになると桃子は一人でご飯も作れるようになっていましたから、一人家へと置いておく心苦しさを考慮しなければ何とかなる状態ではあったのです。

 お父さんは沢山働いて、休日は桃子のことを目いっぱいかわいがります。まさに無私の人でした。

 愛情を沢山注がれて育った桃子はお父さんが大好きでした。

 桃子が中学生になるころには、そんな一人の寂しさにも慣れて来て、朝早くに出かけて夜遅くに帰ってくるお父さんをきちんといたわってあげられるまでになります。

 しかし、別離とは唐突なものでした。

 それは桃子が十六歳になったときの出来事です。

 突然、『鬼』と呼ばれる一団が街を占拠しました。

 鬼たちはほぼ人と変わらぬ姿形をしていて、だけど人よりもずっとずっと強かったのです。

 そいつらはまごうことなき略奪者でした。

 そして偶の休みを利用してショッピングに出ていた桃子とお父さんは運悪くそいつらに襲われてしまったのです。

 お父さんは桃子をかばって倒れ、そのまま息を引き取りました。

 桃子は泣きました。泣いて泣いて、泣きました。

 桃子は鬼が許せませんでした。どうせ殺すならば、国民からの血税で私腹を肥やして無能の極める政治家どもを殺してくれればいいのに、と思いました。

 あまりにも理不尽でした。高校を卒業したら就職してお父さんに少しでも楽をしてもらおうと思っていたのです。

 桃子はお父さんが大好きでした。十六歳の桃子はすでにお父さんと自分の関係を聞かされていましたから、だからその思いは余計に強かったのです。

 自分の幸せを棒に振ってまで自分を育てくれたお父さんは桃子にとって何よりも大切な存在だったのです。

 ですから、桃子は決意しました。


『復讐してやる……。ボクがお父さんの敵を討るんだ……。復讐してやる……』


 お葬式の席で桃子の心に火が付きます。

 ボロアパートの隣に住んでいた女子大生は今は銀行マンの彼氏を捉まえて結婚しちょっとリッチな奥方へとなっていましたので、たっての希望で桃子はそちらへと引き取られました。

 桃子はそれからも表面上はいい子を装って学校へと通い、元女子大生へも感謝して、復讐の方法を模索していました。

 そんなある日の出来事でした。

 犬と名乗る少年が桃子の高校へと転入してきたのです。

 イヌは「キミには鬼を倒す力がある」と言います。桃子には真偽は分かりませんでしたが、それがあるのならばお父さんの敵討ちが出来るなと、受け止めました。

 戦うことへの恐怖よりも、鬼への憎しみのほうが勝ったのです。

 桃子は犬にどうすればいいのかと問いかけます。ですがイヌは方法までは分からないと、宣います。

 桃子はつい、「調べてきて!」と怒鳴ってしまいました。

 イヌはシュンとして、「ゴメン」とだけ言い残して桃子の前から逃げるように去っていきました。

 その夜、桃子がいつものように遅くまで図書館で鬼についての情報を収集した帰りにソレは起こりました。

 暗い夜道でOLを締め上げている一人の男と桃子が鉢合わせました。

 場所は小さな路地で、あまり人の通らない区画でした。なぜ桃子がそんなところを通っていたのかといえば、まさにこんな場面を見つけるためにほかなりません。

 桃子は男の肩に手を置いて、問いかけます。


「ねぇ、なにしてるの……? あなたは鬼?」


 はっきりと申し上げると、この時点で桃子はすでに切れていました。とても冷静に激昂しています。

 不愉快そうに振り向いた男はぐにゃりと口元をゆがめます。


「おいおいおい、こんな時間に独りぼっちでこんなところに割って入ってくる嬢ちゃんなんて、笑えるぜぇ。おう、なんだ、嬢ちゃんも犯してほしいのかぁ?」

「ごちゃごちゃ言ってないで、ボクの質問に答えてよっ。お前は鬼なの? それともただの強姦魔なの?」


 桃子の声色は十六才の女子とは思えないほど冷めたものでした。


「おお、そうだよ! 俺は鬼だぜぇ! だから大人しく――!」


 行動はとても迅速でした。腰を落としてタックルをかまし、鬼だと嘯く男を押し倒します。

 そして、制服のポケットから二本の果物ナイフを掴み出して、ケースを口にくわえて抜き放ちます。

 刃渡りわずか六センチ。ですが、命のを刈るのには十分な大きさです。

 桃子はたったの一拍さえも迷いませんでした。一本は迷わず男の心臓の位置へと刃を寝かせて打ち込み、もう一本も迷わず喉元へとグサリと差し込みました。


「ひ、ひぃぃい!」


 桃子に助けられたはずのOLが悲鳴を上げてその場から走り去っていきました。

 果たして目の前の男は本当に鬼だったのでしょうか。今となってはそれは分かりません。


 ですが、

「アハハハハハハ、殺してやった……! 鬼を殺してやった……!」

 力なく地に落ちた男の遺体の上に跨ったままで桃子は高く、盛大な笑い声をあげました。


 ただ、ぼんやりとした月明りだけがその場を照らします。

 そこへざりっと足音が響きました。何やら重く、硬質的な靴音ですので、靴底に金属を仕込んだ革靴でしょう。


「おい、何か不穏な感じがするかと思えば、コレは一体何の冗談だ?」


 靴音の主は大男でした。身の丈六尺ほどの大男です。そいつはぐたりと倒れた男に跨り笑う少女という異様な光景をものともせずに、桃子へと近づいて行きます。


「殺したの……」


 笑いながら月を見上げていた桃子は気だるげに首を下してそれから立ち上がって男のほうへと向き直ります。


「鬼を殺してやったのよ……!」


 桃子は狂人のように嬉々としてそうい言います。


「鬼を殺した、か。どれならばそいつは俺が回収してやらんとな」


 大男は死んだ鬼を回収すると、そういいました。それがどいう意味なのか、桃子は計り兼ねました。

 ですがすぐに答えへと行き着きます。


「お前も鬼か……?」

「おうともさ」


 お互いの距離はもう三メートルもありません。桃子の足元には突き刺さったままの果物ナイフ。

 そして、目の前には本日二匹目の鬼。

 透明な玉のような瞳には果たして何が映っていたのでしょうか。

 確かなことは桃子の動作が甚く巧速だったということだけです。

 遺体の心臓部からナイフを引き抜き、そのまま勢いに任せて目の前の鬼を名乗る大男へめがけて体当たりをかまします。

 それは人からしてみれば突然の出来事だったはずです。ですが、正真正銘本物の鬼からすれば、どうでしょうか。


「なっ――!」


 桃子は小さくこぼしました。その直後にパキンッと小気味良い音が小さく木霊します。

 それは小さな果物ナイフの刃先が砕けた音でした。そうしたのはもちろん鬼です。


「随分ちゃちなもんで挑んでくるじゃねぇか。その心意気は買いたい、がちと力不足だったな」


 その鬼の強さに桃子はなす術がありません。


「お嬢ちゃんみたいな幼気な子を手に掛けるのは憚られるんだが……。まぁ仕方ないわな」


 鬼の手がずぅぅと桃子へと延び、そして少女の首を捉まえようとします。


「その子に手出しはさせねぇぞ!」


 ザンッという鋭い一撃とそんな声が桃子の前へと躍り出ました。


「ほう、その力……。貴様さてはイヌだな?」


 そうです、そこには転校してきたばかりのイヌの少年が立っていました。


「この子は絶対にやらせない」

「ほぅ。ここでイヌが出てくるとなると、その子はモモタロウということか。ならばますますここで殺しておかないといけなくなったな……!」


 鬼を名乗った大男はこの段に来て初めて獰猛な笑みを見せました。

 巨体が消えます。それに合わせてイヌもまた消えました。


「やらせないといってる!」


 桃子の目では捉えらえきれない攻防です。

 思わずへたり込んでしまいました。鬼の強さをまざまざと見せつけられたのです。

 そしてそれと渡り合うイヌという少年の強さもいやというほどわかりました。

 しかし、次第に地面には血が飛び散りだしました。

 はぁっはぁっ、という荒い息づかい。

 ちいさな石ころが一つはずみました。

 それきりです。バァンとイヌの体が地面に叩きつけられました。

 重傷必至に違いありません。見ているだけの桃子にさえそれは分かりました。


「少しはやるようだが、まだ手が足らんな」


 体中のあちこちに返り血を受けてなお平然としている鬼に対して桃子は少しの恐怖心が浮かびます。

 ですけれどそれよりももっと強い感情がわきました。


「い、いやだっ! こんなところで死ぬもんか……! お父さんの、お父さんの敵を絶対に討って見せるんだから……!」


 迫りくる鬼に対して、気丈にもふるまいます。


「ほぅ……。腐ってもモモタロウの眷属けんぞくか、なかなか立派じゃないか、だけどな現実ってのは案外あっけないもんだ」


 男は片手で桃子の首を掴み吊り上げてしまいます。

 あまりの膂力りょりょく差に為す術がありません。桃子は呻き、じたばたともがき、何とか丸太のような片手から何とか逃げ出そうとしますが、それは叶わぬ願いでした。

 やだ、やだやだやだよ、死にたくないよ、とそんな諦めの悪さが桃子の頭の中を駆け回ります。

 しかし二秒後にはあまりの苦しさに頭が真っ白になり、死ぬ、死んじゃう死ぬ死ぬ死ぬ! という言霊だけが脳内にこびりつきました。

 涙が鼻水が涎が、汚らしくも止め処なく流れ落ちます。じわりと滴った雫が桃子の足の下の地面へと水たまりを作り上げていきます。

 ビクリビクリと体が痙攣しました。もう桃子の頭の中には何もありません。大好きだったお父さんのことも、その思い出も、弔い合戦をすると誓ったあの日の熱も、何もかもがありません。

 くたりとした桃子の体を鬼はぞんざいにその辺へと放り投げ、死んだ鬼の体を回収するために近づいていきます。

 その時、不思議な音が響きました。

 それは小さな小さな音でした。ですけれど、非常なまでに存在感を放つ音でした。

 何事かと思い振り返った鬼の目には驚くべき光景が飛び込んできました。

 それは月明りに照らされた幽世の遊女のようでした。うっすらと浮かび上がる揺らぎと、朧のような仄かな明るみが絡み合い甚だしくも幻想的な一幕です。


「ほぅ……、命失くしてなお戦いを望むか。いや、それとも死ぬことがモモタロウの力の鍵であったか?」


 そんな鬼のつぶやきが聞こえているのかいないのか、見慣れぬ衣装へと変貌した桃子のぼぅとした瞳はただ鬼を捉えて離しません。

 頭には行道面ぎょうどうめんをかぶり、全身をすっぽりと覆い隠す真白い死覇装しはしょうを身に纏っているのです。何より特徴的なのはその腰に携えた長刀です。

 刃渡りだけで五尺以上はありましょう、柄まで含めた全長ならば優に六尺を超える大業物です。

 すぅと桃子の右手がゆっくりと持ち上げられ、その表情を覆い隠すかのように顔の前を通り抜け、そのまま天を衝くように動いていきます。

 その動作は緩慢で、だけれど何より流麗でした。


「――――い。……、――ス。……、鬼――――、殺す」


 そのまま右腕はぐるりと回転して行きます。その驚くほど美しい動作に敵対者である鬼までもが惹きつけられ見入ってしまいました。

 きっちりと半円を描いたその腕が、今度は上方へと移動し始めたその瞬間に、ふぅと桃子の体が虚空に消えました。

 一迅の閃きが走ります。

 鬼は内心でギョッとしながらも、冷静に身を捩り回避行動を起こしました。

 ピチャピチャという粘りつくような水音の後に、びちゃりっと何かが水たまりに激突したような音が残響します。

 そう一手、一手遅かったのです。

 たったの一拍、怖気の走るような優美さを湛えていた桃子に見惚れてしまった、たったそれだけのことで鬼の右腕はあゞ無常にもコンクリートの上を転がることになってしまったのです。

 鬼は叫び声を噛み潰して振替り、桃子の背を追いかけます。

 鬼に対して脇構えの体勢で振り返った桃子の瞳は完全に色を失っていて、ともすればそれは非常にシステマチックな様相でさえあるのです。

 あまりにも無機な白い衝動。それがモモタロウという概念に飲み込まれた桃子の今の姿です。

 しかしてそれはあまりにも強く、あまりにも激しいものです。

 ただ視界の中にいる鬼を滅する、というそれだけが今の桃子の中を占拠して止みません。いいえ、もはやそれすら桃子の心にはないのかもしれません。

 ゆらゆらと不規則なリズムをとった桃子の体がまたしてもふぅと虚空の彼方へと遠退きます。

 今度は桃子の体だけが消えたわけではありませんでした。そう、鬼の体もリズムを合わせるかの如く消え去ったのです。

 人の目ではほとほと追いきれないような速度で桃子と鬼は討ち合います。

 優劣は火を見るよりも明らかです。文字通り片手落ちの鬼と桃子では話になりません。

 それでも鬼はよく耐えていますし、それはもはや賞賛に値する見事さであります。

 だとしても劣勢は劣勢に違いありません。気を抜けば――それがどれほど刹那的な時間だったとしても――即座に首を落とされてしまいかねないほどです。

 なので鬼は決断しました。

 瞬間、元来鬼に備わるという邪な力が吹き込みます。それは人の命を喰いモノにする力で、鬼の枷を外す力です。

 大男の体が膨らみ、その肌が赤みを帯びていきます。吐く息は白く濁り、その端正で精悍せいかんだった顔立ちに牙と角が生えてきます。

 古来より伝わる鬼本来の姿形へとほど近いものへと回帰していくのです。

 バギリッとコンクリートの地面が割れました。その瞬間にはすでに鬼の姿も桃子の姿もまた夜闇へと溶け出します。

 ですが、本気を出した鬼の目的は桃子を打倒することではありません。桃子によって命を失った自称鬼の死体の回収なのです。

 ビュバッと桃子の一閃が明確に空を裂きました。それはふいに起きた一瞬の隙です。

 桃子は長い刀身を振り回して体勢を整えますが、その時には既に鬼は鬼の遺体を残っている腕で抱きかかえて脱兎のごとく夜の喧騒に姿を消してしまいまっていました。

 そう鬼を逃がしてしまったのです。

 ふぅと桃子の体が淡く光り、そしてまた元の制服へと還りました。

 そのまま意識を失ってばたりと倒れてしまいます。無理もありません、何せ桃子は一度命を失った身なのです。

 それから三日。桃子はただ眠り続けました。命を亡くし力を手に入れて蘇り直後に死闘を繰り返したことを勘案すれば、三日眠り続けただけで済んだというのは破格とさえ言えましょう。

 桃子が目を覚ました時、そこは知らない場所で、だけれどとても暖かいところでした。


「ん、ここは……?」


 目を覚ました桃子をイヌが覗き込んでいました。


「起きたか桃子……」

「あなたは……、イヌだよね。昨日は助けてくれたありがと……」

「いや、昨日じゃない……、四日前だ」


 桃子はそんなイヌの言葉に絶句しましたが、彼としてはもっときになることが、心配になることがあります。


「なぁ、その記憶とか……。そういうのは……?」

「うん、あぁうん。少し混乱してるけど……、でも平気。ちゃんと記憶してるよ、死んだのを忘れるほど鳥頭じゃないって」


 今度はイヌが絶句する番だった。


「全部、全部覚えてるってのか……?」

「うん、覚えてるよ。死んでいきかえって、それから鬼の腕を切り落として逃げられた。これから何をすればいいかもわかってるよ。現代の鬼ヶ島に行って、鬼を皆殺しにするの。昨日ので確信したよ、私にはその力がある」

「なぁ、それがどういうことか分かってるのか……」


 イヌは恐る恐る問いかけるが、内心ではもう何もかも分かっているのだろうな、と諦めにも近い感情を抱えています。


「もちろん。鬼を、その親玉を滅した時点で私からモモタロウの力は抜けて私は屍に戻るんでしょう。私はそれで構わないもん」


 酷くどす黒く、ツララのように透き通った双眸で桃子はこともなげにそう言ってのけたのです。

 イヌはその言葉を覚悟していたつもりでしたが、いざ実際にそれを目の当たりにすればどうしようもないほどに心かき乱されたのでした。

 それでもイヌはそれを肯定して頷きます。


「分かった……。俺の使命はモモタロウに付き従うことだ、貴女がそれを望むのなら、従うよ」

「そ、ありがと。でも、私はね別に一人でもやるよ。出来るか出来ないかは関係ないから」


 一旦イヌと別れた桃子は家へと帰って、それからこっ酷く叱られました。

 桃子はじくりと罪悪感を覚えましたがそれでももう絶対に止まることはできません。

 昼には学校に通い、夜はこっそりと町へと出かけ現在の鬼ヶ島の場所を調べます。

 町には人と、それから鬼と、混在して二つの匂いの区別もままならないほどでした。

 そう、いるのです。都会の喧騒に鬼たちは紛れているのです。

 桃子にはそれがとても我慢なりません。そう、のうのうと人と鬼が混在する世界がとても我慢なりません。

 恐怖で、力で、この世界をかき乱した存在が人に紛れているということが許せないのです。

 ですが鬼も巧妙ですので中々尻尾を見せません。

 一週間二週間と無収穫で時が過ぎ去っていきます。歯がゆい思いでした。

 そんなある夜の出来事です。そいつは唐突にやってきました。

 桃子がようやくと探り当てた鬼を尾行しているときの出来事でした。

 夜の繁華街、煌びやかで物騒なところです。そんなところを十六才の少女が一人で歩いていればそれはもう目立ちます。ですが誰も声を掛けようとはしませんでした。

 それは何故かというと、本来ならば目立つはず、目立つべき存在であるはずの桃子は、全くと言っていいほど人目に止まっていないのです。

 それは桃子が覚醒したモモタロウの力の一端です。鬼を殺すために鬼の目から消える術、そう隠形の術です。

 ですから、桃子は制服のままで堂々と夜の町を調べることができるのです。

 そしてそれを見破って声を掛けてきたのがそいつ、即ちサルでした。


「お嬢さん、こんな時間に何をしているんだい?」


 桃子はギョッとして、思わずモモタロウの力の一端、長刀、長船法光ながふねのりみつへと手を掛けます。


「おっと、違う違う、僕は鬼じゃないよ」


 飄とした大学生風の男は慌てた様子で両手をあげます。


「じゃああなたは何? キジ?」

「分かってるんじゃん……。僕はサルだよ」

「そう、話は後にしてくれない。今私忙しいから」


 桃子は尾行の真っ最中なのです。


「僕も手伝うよ、鬼には少し恨みがあるしね」

「そう、ありがと」


 桃子とサルは連れ立って鬼の後を追い掛けていきます。

 相手が怪しい接待店へと入れば出てくるまで入り口で張り、相手がタクシーで移動を開始すれば建物の上階まで一気に駆け上ってそこから屋根伝いに力を開放して追いかけます。

 距離も十全に取って万全を期しての尾行ですので、万が一にもバレたりはしないだろう、とある種の高を括っていたのもまた事実でした。

 つまり何が言いたいのかというと、桃子とサルはまんまと敵の本拠地を暴き出すことには成功したのですが、それは鬼たちの策略の一部でもありました。

 そう、自分ちのホームへと桃子とサルを誘い込んで、物量で討ち滅ぼす算段だったのです。

 しかしその全てにも増して桃子の虚を突いたのは現代の鬼ヶ島が存在するその場所でした。

 それはテレビでよく映る場所です。それは誰しもがそれとなく形を知っている場所です。

 塔のような中央部から左右対称の三階建ての建物がくっついた形をしている建造物です。

 そう、みなさんご存知の永田町にある国会議事堂、それこそが現代の鬼ヶ島だったのです。

 その広い庭のような場所にひしめきたるは、数十の鬼たちです。そこに桃子が腕を切り落とした鬼はいませんでした。

 手の早いことで、もうすっかり鬼たちに桃子の情報は流れきっていたのです。

 鬼を滅するモモタロウといえど、さすがにこの数では多勢に無勢です。


「なぁ、これはまずいよ。一旦退こう」


 サルそう桃子に提案します。それは妥当な判断と言えるでしょう。


 しかし――、

「そうね、確かに死んじゃうかもしれない。でもね、逆に考えればこれだけの鬼が一堂に会する機会なんてめったにないと思わない?」

「た、戦うと……?」

「どうせ、もう私の命なんてない命だもの。ならたった一匹でも多くの鬼を切りたい。私のお父さんを惨たらしく殺した奴らをただの一片でも許したくないの」


 獰猛な笑みとともに桃子の伸ばした手に五尺を超える刀身を持った長刀、長船法光が現れます。そしてそれに連なるように、桃子の衣装もまた淡い光に包まれて真白い装束へと姿を変えるのです。

 ただそれが変わり替わりきる前に、鬼たちが桃子を打ち倒そうと動き出し、殺到します。

 そこに、パンっと小さく音が響きました。それはサルが手のひらを合わせた音です。

 すると、ぼごっと地面が放射状にひび割れを起こします。今まさにだぁっと動き出した鬼たちの足元が突然ぐらりと揺れたのです。


「ナイスアシスト。ありがとうね」


 それはサルの持つ最も大きな力のうちの一つなのです。力や速度、単純な白兵戦に秀でているのがイヌならば、サルは相手を足止めしたり罠を作ったり、足元をすくったり、といった場や状況を変化させることに秀でているのです。

 そしてモモタロウの力を完全に花開かせた桃子は迷うことなく地を蹴り、刃を薙ぎます。

 先手必勝。何十人もいる鬼たち、その出鼻を挫く一撃です。

 討ち合い、斬り合い、果たし合う、先制の一撃で始めは大立ち回りを演じていた桃子ですが次第に物量に押され始めてしまいます。

 無理もありません、戦力比は少なく見積もっても二十対一程度は開きがあるのです。

 腕を切り、胴を払い、首を落とし、あたりは鬼の血で真っ赤に染まっりきって、桃子の体には小さなものではありますが次第に傷が蓄積されていくのです。

 それでも桃子は止まりません。ですがやはり数というのは暴力です。いくら桃子がモモタロウとして鬼を祓う力を持ってたとしても、一人で捌くには限界があるのです。

 刃も、意思も折れたりはしません。ですが、傷と疲労の蓄積はどうにもままならないものがあるのです。

 そしてその瞬間はやってきます。桃子の膝がぐらりと笑うのです。刃の軌道が逸れて、鬼を一匹斬り損ねました。

 そこが起点になってしまいます。どっと、雪崩れ込むように鬼たちが桃子へと殺到しました。

 桃子は歯噛みし、体勢を崩しながらも鬼を切払います。しかし、一度決した大勢は覆り難いものがあるのです。

 次第に鬼の山を切り崩せなくなっていきます。

 そして鬼の手が見事桃子へと届きました。

 その直後、桃子をつかんだ鬼の腕がざくりと血を吹いて地面へと転がります。


「遅くなったな」


 それはイヌの仕業でした。


 そして――、

「初めまして、あなたが桃子ちゃん?」


 何やらとてもグラマラスなお姉さんもいます。


「あなたはキジ?」

「えぇ、だからお姉さんとおイヌちゃんにここは任せなさい? あなたはこの建物の地下にいる親玉をやっちゃいなさいな」

「分かった。道開いて」


 新しい登場人物にも桃子は全然動じません。さすがはモモタロウです。


「ほら、ワンちゃんご主人様の血の命令よ。がんばんなさいな」

「いわれなくってもそうする!」


 木の上でばたんきゅうだったサルもどうにか目を覚ましたようで、鬼たちへの攪乱が激しくなりました。

 そして、桃子は走り出します。

 目的地は分かっています。一番強い鬼の気があるところを目指せばいいのですから。

 入り口を強引に斬り開けて、地下への階段を探すこともなく、その場で床をくり抜き、階下へと飛び降ります。

 そしてもう一段、床を斬り払います。そう、あるはずのない地下二階。

 そこにいるのです。鬼の大親分が。

 静かで冷たい空間でした。見張りの鬼さえ存在しません。

 ただ強い鬼の気が二つばかし先にあるのです。

 刃を携え、ひたひたと気を抜かずして先へ奥へと進んでいきます。

 本当に何事もない一本道です。薄暗く、底冷えするような冷気を孕んだ地下空間は孤独感を誘うようです。

 ひたひたひたひた、と歩き通せばそこに巨大なドアが一つありました。

 桃子は迷いません。ただ一刀の元にそれをこじ開けます。


「ほぅ、来たか……」

「やっぱりあんたがここにいたんだ。そう、大ボスの側近ってわけね」

「あぁ、今度こそきっちり処分するさ」


 大男と、その後ろに控える王座に座った筋骨隆々のまさに鬼、といった様子の大鬼。

 桃子の切祓うべき最後の二つです。

 躊躇はなく、逡巡さえありません。

 ただ長刀をするりとふるいます。

 一閃。それは雷光のような一撃でした。

 ですが、力を開放した鬼の王とその側近はものともしません。

 敵の親玉がモモタロウに対して二対一で応戦するのです。もう一度、今度こそは完膚なきまでに叩き潰すために、鬼たちは策を講じたのです。

 戦いに卑怯なんて言葉はありません。皆が皆、生き残るために必死になるのですから、相手の講じた策に嵌るほうが悪いのです。

 それでも桃子は動じませんでした。大体二匹の鬼がいることは最初から分かっていたのです。

 ですから、それ込みで相手を殺しきる、最初からそういう腹積もりなのです。

 真なる鬼の力は絶大です。やすやすと岩盤を砕き、大木をなぎ倒すのです。それでも桃子は全く怯むことなく相対し、刃をふるいます。

 ざんっ、ぎんっ、ぶぉんっ、とまるで重力を無視したかのように桃子と鬼たちとが死合ます。

 それは一部の隙もなく、絶大な命のやり取りです。

 勝ったほうが相手のすべてを奪いつくす。そういう殺し合いなのです。

 鬼の赤と桃子の白と、閃光と見紛う速度で一人と二人がぶつかり合います。

 祓いの一撃を二人の鬼が交互に捌くことによって必勝の剣戟が必勝ではなくなり、逆に鬼のひどく重い一撃も難なくと軽々捌きます。

 まさにそれは一進一退の攻防です。お互いに相手の決め手を是か非でも捌き自らの必殺の一撃へと繋ごうと、四苦八苦するのです。

 技の読み合いであり、必殺技級の応酬であります。

 単なる余波だけで議事堂そのものがぐらぐらと揺れます。

 求める目的はお互い同じ、シンプルなものです。


 “ただ相手を殺す”


 それだけのために、この国家の中枢さえ揺るがせているのです。

 一つの命の重さと軽さ、それに必要な命の代償の是非さえ問われます。

 結局のところ変え難い終局の結末を変える、そのためだけの戦いのなのです。

 終わりの時は、確実に近づいてきています。

 それは桃子の持つ長刀、長船法光に走る亀裂が物語っていますし、また鬼たちが型無しにふるう金棒の悲鳴のような風切り音もまた物語っています。

 そう、お互いがすでに満身創痍で疲弊しきっているのです。

 なればこそ、死力をとした一撃が出もしましょう。

 地を蹴った桃子の体がずずぅと沈み込み、二人の鬼もまた大地を踏み抜き、その力でもって圧倒的な推進力を稼いで、桃子へと突撃します。

 斬ッ! と四度剣戟が煌きました。

 直後に桃子の体はフルスイングの金棒を受けて壁へと激突し放射状のひびを作りました。

 桃子に一撃を与えたのは側近の鬼です。

 そして桃子が四度の斬撃で三肢と首を切祓うことに成功したのは鬼の王です。

 つまりこの勝負、桃子の勝利にほど近い痛み分けとなりましょうか。

 ですけれど、桃子の闘志はまだ消えていません。

 そう、まだもう一人いるではありませんか。目の前に、もう一人鬼が、いるではありませんか。

 吼えるように、猛るように、桃子は叫びをあげながらひびの中央から脱しようと足掻きます。

 それはまさにモモタロウでした。

 目の前の鬼を殺して、大事なものを取り返さんとする、たった一人修羅に悖るモモタロウです。

 鬼はそれに恐怖しました。君主を殺されたというのに、思わず恐怖してしまったのです。

 しかし彼もいっぱしですから、死の恐怖を目の前にして逃げることは叶いません。それをすれば何より自らの矜持に反するのです。

 それはある意味で死よりも恐ろしい結末に違いありません。

 だのに、鬼の体は恐怖で硬直してしまいました。

 壁から引きずり出てきた桃子は、もう立っていることさえ不思議なほどにズタボロな状態でそれでも刀を携えて鬼へと近づきます。

 一歩、また一歩と、死そのものが鬼へと近づくのです。

 それでも鬼は動けません。

 そして眼前にその切っ先が突き立てられたその瞬間までも、動けなかったのです。

 目を見開き最後の瞬間を覚悟しますが、桃子の動きはそこで止まってしまいました。

 外の鬼の大群と合わせてももう数少なくなった鬼の軍団の最後の要、その命を眼前にして桃子の命の炎が尽きてしまったのです。

 自分が生き残ったことを確認した隻腕の鬼はため息とともにしりもちをついてしまいました。

 

 少しだけ、その後の話をしましょう。

 まずイヌ、サル、キジの三人は多くの鬼を殺し、救世の英雄として祭り上げられました。

 鬼たちとつるんでいた政治家たちは民衆の怒りを大いに買ったようで、その後失脚し、少しずつではありますが、国はいい方向へと切ったといいます。

 桃子の遺体は回収され、立役者として手厚く国葬されたのです。

 そして最後に生き残った隻腕の鬼ですが、あれから歴史の表舞台に立つことは一切なかったそうです。

 そう何より強く理解したのでしょう。鬼が力を持てばその時には必ずまたモモタロウが現れるということを、です。


 長く続いたモモタロウの復讐譚は時を超え、なお達成されたのです。


 めでたしめでたし

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

現代リベラル論に基づき二重螺旋を組み込んだ桃太郎。おとぎ話再考の一例 加賀山かがり @kagayamakagari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ