読みづらいときのための分離バージョン
分離版上
昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯へと出かけました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、大きなモモがドンブラコ、ドンブラコと流れてきました。
おばあさんは不思議に思いながらも、その桃をどうにかこうにか引き寄せて、捕まえました。
それから洗濯を終えたおばあさんはその大きなモモを家へと持って帰ることにしました。
家へと持ち帰ったモモを前におじいさんとおばあさんは顔を見合わせます。
「このモモどうやって食べましょうかね、おじいさんや」
「やっぱりこの鉈で真っ二つにして食べるのが良いじゃろう」
それでは方針も決まったおじいさんとおばあさんです。
大上段に鉈を構えて、えいやっ! とモモを真っ二つに切り割りました。
「おぎゃー、おぎゃー!」
するとなんと中から玉のようにかわいい赤子が出てきたではありませんか!
「こりゃたまげたわい」
「モモから赤ん坊なんてねぇ」
二人は驚きながら赤ん坊を抱きあげます。
「おぎゃー! おぎゃー!」
赤ん坊は元気いっぱいでした。
「この子はきっとお天道様の使いに違いねぇ。わしらで育てようじゃ、ばあさんや」
「そうさね、そうするのがよさね、おじいさんや」
それから二人はその赤子にモモから生まれた桃太郎と名付けて、大切に大切に育てました。
桃太郎は十二年くらいかけてスクスクと育っていきました。
体も丈夫で力強く育った桃太郎は、おじいさんとおばあさんと幸せに山で暮らしていました。
ところがそんな折です、麓の村で何やらよくないことが起こっているらしいという風のうわさがおじいさんたちに届きました。
それを聞いた桃太郎は、「僕が少し様子を見てきますよ!」と安請け合いをして颯爽と麓の村へと下っていきました。
その背中を見届けるおじいさんとおばあさんの視線は不安げです。
勇んで麓の村へとやってきた桃太郎は、その光景に絶句してしまいました。
村は焼け落ちて滅んでしまっていたのです。
桃太郎はあまりのことに呆然としながらも大慌てで生き残った村民の捜索に乗り出しました。
探せど探せど生き残りは見つけられません。
どこもかしこも焼け落ちて黒い煤と人の焼けたニオイが充満しているだけなのです。
それはそれは酷い有様したが、桃太郎はあきらめません。
探して、探して、探します。
日が暮れても、日が昇っても、ひたすらに探し続けました。
そして、太陽が高くなったころになってようやく一人の村民を見つけ出すことが出来たのです。
「ぶ、無事ですか!? 一体この村に何が……?」
年齢に似合わぬ礼儀正しい口調で呻く村民を抱きかかえ介抱しながら、桃太郎は問いかけました。
するとどうでしょう、村民はパクパクと口を動かすばかりで声が出ません。
桃太郎は理解しました。なので、水をと考えてから、井戸からは饐えたニオイがしていたことを思い出しました。
あの水はきっと毒だ、桃太郎は直感的に理解し、それからうんうんと頭をひねります。
桃太郎はおじいさんとおばあさん、山での三人暮らしでしたので、あまり学がありませんでした。
ですからどうしていいのかさんざん悩む羽目になってしまったのです。
そしてようやっと経ってから桃太郎は決断して、村人を背負い、山を駆け上がっていきました。
村の水が飲めないのならば、飲めるところの水を飲ませればよい、とそう思い至ったのです。
桃太郎は急ぎました。とてもとても急ぎました。
というのも、背中の中でその村人は段々と冷たくなっていくからです。
ゆっくりと、でも確実に命の灯が消えていく感覚が伝わってくるのです。
桃太郎は焦りました。焦って、焦って、何度も山の中で転びそうになりながら、それでも駆け上がっていきました。
そうして急ぎ足で日が暮れる前に何とかおじいさんとおばあさんが住む山の家へと帰り着いたのです。
桃太郎は戸を叩きました!
ドンドン、ドンドン。
「おじいさんおばあさん、僕です桃太郎です! 戻りました!」
ぎぃと、ドアが中からゆっくりと開きます。
「も、桃太郎かえ……」
息も絶え絶えな様子のおばあさんがぬっと姿を現しました。そして桃太郎はちらりと覗いた家の中を眺めて絶句します。
そう、家の中は散々荒らされ放題になっていたのです。
「お、おばあさん……。一体何があったんですか!?」
桃太郎は背中に背負っている村人のことを忘れたかのように語気を荒げます。
「鬼がね、鬼がやってきたんだよ……。それよりも中へお入り」
「お、鬼が……」
桃太郎は部屋の中へと入り、崩れかけた囲炉裏のそばに村人を寝かせ、それからおばあさんに向き直ります。
「この人にお水を飲ませてやりたいんだ」
「お水だね、まっとりなね」
そういっておばあさんは家の外の瓶へと急ぎ、そこから一掬いの水を吸い飲みへ入れて戻ってきて、村人にゆっくりと飲ませます。
村人は呻きました。
そしてごほごほと咳をして、それからゆっくりと息を整えました。
「大丈夫ですか? 一体村で何が!?」
桃太郎の問いかけに村人はぜぇぜぇと息を切らしながら答えます。
「お、鬼が……。鬼が村の全部を略奪していきやがったんだ……!」
村人はもうしゃべるのが限界です。当人もそれを良く分かっている用で、さらに続けます。
「女子供は連れ去られた……、男はみんな殺された……。頼む、村の敵を討ってくれ……!」
興奮したように怒気を孕んだ強い口調でそういうと、ブクブクと泡を吹いて、それから白目を向き意識を失っってしまいました。
「しっかりしてください……!」
桃太郎は声を掛けますが、もう村人は一寸たりとも応えません。
そう、村人はこと切れてしまっているのです。
「桃太郎……、もうおよし。その人はもう……」
おばあさんは静かに首を振りました。
「おばあさん……、そういえばおじいさんは……?」
それから、桃太郎は気が付きました。おじいさんがいないことに気が付きました。
きょろきょろと辺りを見回しても姿は全くと見当たりません。
「おじいさんはね……」
小さなため息を吐き出したおばあさんがとつとつと語り出しました。
それはとても信じられないようなお話でした。まるで悪夢のようなお話です。
そして最後の一言によってそのお話は締めくくられます。
「おじいさんはね、死んでしまったよ」
目を伏せたおばあさんは悲しみに暮れていました。
桃太郎は悔しさに涙を流しました。
悲嘆にくれたおばあさんと桃太郎は一刻ばかりそうして過ごし、一人が涙を拭いて立ち上がります。
立ち上がったのは桃太郎です。彼は何かを決意したようで、目に煌とした光を宿していました。
「おばあさん僕は決めました、鬼を倒して見せます! そしておじいさんと村のみんなの敵を討ってみせます!」
「……、ダメだよ桃太郎。お前まで危険な目に合わせるなんて、そんなこと死んだおじいさんだって許してくれないよ」
「いいえ、おばあさん。コレは僕の誇りの問題なんです! おじいさんに止められたとしても、おばあさんに泣かれたとしても……! 僕は鬼に仕返しをしてやらないと気が済まないんです! 何より、僕自身の誇りのために!」
復讐の炎を目に滾らせた桃太郎は高らかに宣言しました。
「決意は固いんだね」
「はい、止められても行きます!」
「そうかい。なら少し待っていなね」
おばあさんは桃太郎の決意を汲み取りました。一人家の奥へと姿を消して、何やらごそごそと床を浚っているようです。
何かと思い桃太郎は大慌てでおばあさんを追いかけました。
そこで桃太郎は大きな黒い穴を目にすることになったのです。
「桃太郎、この最奥にはねあなたを強くするものがあるの。もしそれを取ってこられたのならば、行くことを認めましょう」
「奥に何が……?」
「それは奥まで行ってからのお楽しみだよ」
ばちんっと桃太郎は自分の頬を張ってから真っ暗な闇の中へとずんずん進んでいきました。
暗闇の中はとても怖いものです。
だけれど桃太郎は進まなければなりません。そう、暗闇への恐怖を克服することが鬼に対抗するための勇気を養うのです。
暗闇の中を大股でどんどんと進んでいきます。
時折小さなネズミの骨を踏みつけたり、木の根に躓いたりしながらもどんどんと前へと進んでいくのです。
まるで死を恐れない勇敢な戦士のようでした。
それでも先は長く、道のりは遠いようです。まだまだ、全然奥へは届きそうもありませんでした。
桃太郎は進みます。狭く暗い真っ暗な道のりです。
微風すらも吹き込まぬ常闇の中をそれでも確かな足取りで進んでいきます。
ひたひたひた、と足音だけが闇の中へと溶け込んでなんともいやな感じを発します。
三刻ほども歩いたところで桃太郎はふと疲れを感じてしまいました。
そう、三刻です。そもそも、桃太郎は昨日からずぅとずぅと動きっぱなしでしたので、今まで疲れを感じていなかったことこそおかしな話なのです。
「はぁ、はぁ、こんなところで、立ち止まってはいられないよ……」
桃太郎はそれでも一人前へと進もうとしますが、トロンと重くなった瞼は彼の意に反して彼を深い眠りへといざなうのでした。
夢の中で誰かが桃太郎を呼びました。それはおじいさんの声のような気もしましたが、おばあさんの声のような気もしました。
桃太郎はぼんやりとした頭を抱えて手招きされるように夢の中を進んでいきます。
彼は寝ても覚めても前へと進むのです。それでも桃太郎は進みます。何かとても大事な疑問がぐぐっと
ただ、彼を呼ぶ声がおじいさんのものでも、おばあさんのものでもない、ということだけは確かそうだと、そう理解しました。
そうするとパタンパタンと手招きのような音が最後に響き、それっきり桃太郎は夢の世界から追放されるのです。
桃太郎は冷たい洞窟の地面へと手をついて体を起こし、それから頭をゆっくりと振りました。
彼自身に何が起きたのか、そんなことはよく分かりませんでした。ですけれど、桃太郎は何かを得たようです。
暗闇の奥から聞こえる桃太郎の勇み足は深い闇を切り裂くかのように勇猛なのです。
どんどんずんずん、と静謐なる闇の中に猛き足音だけが響いていきます。
足取りに迷いはありませんでした。
どこへともなく、だけれどまっすぐと桃太郎は進んでいきます。
そして桃太郎はついにたどり着きました。
そこは暗い洞窟の最深部です。何も見えず、何も聞こえず、ただ暗闇としっとりとした土の温度だけが漂う空間です。
「何もない……、のか?」
桃太郎は顎に手を添えて首を捻りました。
しかしおばあさんの口ぶりを思い出せばきっとそんなことはないぞ、とそう考え直します。
むむむとうなり声をあげた桃太郎はどかっとその場に座り込み、座禅を組みました。
ゆっくりと息を整えて、それから目を瞑ります。
そう桃太郎は、今ここでなにも見つけられないのは自分が未熟に他ならないからなんだ、と考えたのです。
なので、ゆくりと精神を熟すために瞑想へ耽ることに決めたのでした。
真っ暗闇の中には色々なものが溶けています。恐怖、孤独感、それから優しさ。分かりやすいものなど何一つありはしないのです。
冷たさの中にある暖かさ、孤独の中にある安心、恐怖と表裏一体の生きる実感。ほかにも大小様々なモノたちがここに結集しているのです。
そして集まった全てを平等に受け入れるのが、この『闇』という存在なのです。
桃太郎は気が付きました。
鬼を怒りに任せてただ蹴散らせばよいというものではないのです。
それでは鬼がやってきたことと同じになってしまうではありませんか。
だけれど、目には目を歯には歯をという言葉もあります。
鬼を倒すには鬼に堕ちるか、はたまた修羅に堕ちるか、兎にも角にも桃太郎はこのままではいけません。
復讐を果たすということは、そういう覚悟を決めるということなのです。
桃太郎は理解しました。この真っ暗な洞窟の意味を、理解しました。
おばあさんはこの洞穴に桃太郎をいざなうことによって、桃太郎に問いかけたのです。
『お前はそれでもおじいさんの仇討ちをするのかい?』
ということを、問いかけたかったのです。
音は暗い洞窟の中の全てに響きわたって、それから最後に力を失って桃太郎のもとへと帰ってきました。
響き渡ってそして最後に帰ってきたモノの名前は『勇気』でした。
人が鬼に挑むのです。蛮勇と罵られようとも、犬死だと蔑まれようとも前へと進むための『勇気』が何より桃太郎には必要なのです。
桃太郎は知りました。
意志があり、力があったとしても、それだけでは片手落ちなのです。意志と力、それらを冷静にまとめ上げるための冷徹なる精神、それから最終決定を下すための勇気、それが必要なのです。
復讐とは範囲と矛先を決して、決して間違えてはならないのです。それを間違えてしまえば、それはもう寸分違わず鬼へとなり果ててしまうでしょう。
桃太郎はしっかりと闇の中から必要なものをつかみだしました。
揚々と足取り軽く、来た道と思わしき道を引き返していきます。
本当に正しい道を引き返しているという保証は何一つないのです。ですけれど、桃太郎は自信満々に真っ暗な洞穴の中を指示したように迷いなく進んでいくのです。
どれほどの時間そうして歩き続けたでしょうか。日もなければ気温も分からず、時間の感覚などもとよりありませんので、桃太郎自身にさえ今どれほど歩き、どれほど進んでいるのかなど分かりはしませんでした。
それでも歩き続けました。出られないかもしれない、なんてコレッぽっちも考えません。自分の歩いた先に必ず出口があると信じているのです。
そう、それこそが彼が見つけた『勇気』の正体です。自分を信じること、諦めないこと、確実に一歩進むこと、それが桃太郎の心に宿った『勇気』なのです。
いつしか薄ぼんやりと明かりが見えてきました。
そこにはおばあさんが待っています。
桃太郎は安心しました。安心したら無性に体の疲れを自覚しました。
どうにかこうにか出口までたどり着きましたが、桃太郎の体力はそこで途切れてしまいました。
それもそのはずです。桃太郎は洞窟の中を丸一日以上彷徨っていたのですから、むしろここまでよく持った、というものです。
疲れから桃太郎は丸っと二晩も眠り続けました。
おばあさんは桃太郎の目覚めをそばでずぅと待っていました。
山は静かなものでした。
木々の騒めき、鳥たちのさえずり、動物たちの息遣い、いつも通りです。
いつもの通り、平和な山の温度です。
そして、ようやっと桃太郎は目が覚めました。
目が覚めたとき桃太郎は自身が酷く空腹であることに気が付きました。
それは強烈な
身の内から湧き上がる強烈な食欲です。
お腹が空いたなどという生易しいものではありませんでした。咥内からは涎が止まらなくなり、全身が怖気立つように叫びをあげるのです。
それはある種、激烈な衝動でありましょうか。
桃太郎の中から湧き上がるすべての情動が喰えと、食せと、そう叫ぶのです。
内なる獣の咆哮でもありました。それほどまでに餓えとは
桃太郎の呼吸はどんどんと荒くなっていきます。もう目の前に現れたモノ全てを取って食い始めかねない勢いでございます。
そこへおばあさんが戸を開けて現れました。
桃太郎は頭を振って、それからすぅと大きく息を吸い込みます。
それを見たおばあさんは軽く頷きました。
「桃太郎、こっちへおいで。ご飯にしよう」
「おばあさん……」
桃太郎が連れられた先にはあったのはきびだんごでした。
桃太郎は一心不乱にそれを頬張ります。それは少しだけ固いきびだんごでした。
一息にたくさん頬張りすぎて桃太郎は思わず咽込んでしまいます。
げほげほと、しかし口の中のきびだんごを吐き出すなど以ての外です。
そこへおばあさんがお水を一杯湯呑に入れて持ってきてくれました。
桃太郎は大慌てでそれに口をつけます。
ごくごくごく、と喉を鳴らして詰まりそうになっていたきびだんごを流し込みました。
「ありがとう……。助かりました」
「桃太郎それでいつ行くんだい?」
「すぐにでも立とうと思っています」
「やっぱりかい……。これをもってお行き」
差し出したのは笹の葉にぎゅぅと包まれた沢山のきびだんごでした。
「こんなに……。でもそれではおばあさんの食べ物が……」
「いいんだよ、私の分は自分で取れるさ。ここには山菜もたくさん自生しているしねぇ」
「……。おばあさん、行ってきます」
「無事に帰ってくるんだよ」
そして、桃太郎は鬼を倒し、奪われたものを取り返す旅に出るのです。
目的地は分かっています。
鬼ヶ島です。そこには鬼たちが略奪していった沢山のモノがあるのです。
桃太郎は考えました。鬼を倒すにはどうすればいいんだろうかと、考えました。
今の桃太郎はきびだんごだけしかもっていないのです。略奪を繰り返しているだろう鬼はきっとたくさんの武器を持っているだろことは想像に難しくありません。
なので、桃太郎は考えます。
一人山を下りながら、考えるのです。
そう、桃太郎に必要なのは武器でした。いくら桃太郎が強く大きく育ったとはいえ、無手では鬼とやり合うことなど出来はしません。
頭を悩ませながら下山すればそこには朽ちた村が広がっていました。
桃太郎は一瞬だけ渋い顔をして、それから崩れ落ちた村の中をごそごそと探し始めるのです。
そう、誰一人村民がいなくなった村からいくつかの刀を拝借するためなのです。
この村に捨て置かれた長刀を使って鬼を退治できればそれは村にとってこの上ない供養になるはずだ、と桃太郎は思ったのです。
ただそれでもやはり村から無断で拝借していくことには変わり在りません。ので、心苦しい思いもあるようでした。
そうしてしばらく村の中を漁って、やっとの思いで二本の太刀と一本の小太刀を見つけます。
桃太郎はそれを腰へと下げ、ぱんっと気合を入れるために自らの頬を張りました。
すると、どうでしょう。一匹の犬が朽ち落ちた家の薄暗い影から姿を現したではありませんか。
「やい、お前は何者だワン! その刀をどうするつもりだワン!」
犬は桃太郎に喰って掛かります。
「僕は桃太郎。この刀を借りうけて鬼を退治しに鬼ヶ島へと行くんだ」
桃太郎は堂々と答えました。
「ワン! そんなの信じられないワン!」
犬はグルルと唸りました。
しかし桃太郎もここで引くわけには行きません。どうにか犬に納得してもらおうとあれこれ知恵を絞りだしました。
犬の目の前で、うーんうーん、と声を上げるのです。
それを訝しんだ犬が問いかけてきました。
「お前は一体何を考えているんだワン!」
「どうすればお前を説得出来るか、だよ」
犬は呆れてしまいました。桃太郎とはなんて馬鹿正直な奴なのでしょうか。
参ったようです。
何よりあまりにも馬鹿正直な桃太郎のことが心配になってしまったのです。
「ワン! 仕方ないワン、お前馬鹿そうだから心配になるワン! 俺が付いて行ってやるワン」
「本当か! ありがとう助かるよ」
「ただし、条件があるワン!」
犬の言葉に、桃太郎は何でも言ってみろと言わんばかりに頷きました。
「その背に詰めてあるきびだんごを寄越すワン! それが条件だワン!」
お安い御用だとばかりに包んであったきびだんごを取り出して桃太郎は犬へと分け与えました。
心強い仲間を得た桃太郎は犬とともに今度こそ鬼ヶ島へと向かいます。
湖の真ん中にそびえ立つ鬼ヶ島はまだまだ遠いのです。
えっちらおっちら、野を進み、森の入り口までやってきました。
桃太郎はそこで森を見据えて怒りに拳を握ります。犬も総毛立たせて吠え猛ります。
そうです、森はすべてが焼け落ちてしまって見る影もありませんでした。
怒りに震える桃太郎と犬をじぃと覗き込むような視線が一つ、ありました。
「お前は……、何者だ!」
そいつは猿でした。猿はおっかなびっくり、怯えた様子で、だけれど毅然として桃太郎たちへと立ちはだかります。
ずぃと前に出て名乗ろうとした桃太郎を犬が制して、代わりに高らかな名乗りを上げました。
「俺とこの方はこれから鬼ヶ島へと鬼を退治しに行くんだワン! 邪魔立てするな、ワン!」
「鬼を退治……。それならオイラも連れて行っておくれよ! この森を焼かれた恨み晴らさでおくべきか……!」
それを聞いた桃太郎はうんと大きく頷き、きびだんごを差し出します。
「これが仲間のあかしだ!」
そうして一行は一人と二匹に増えて鬼ヶ島を目指します。
焼けた森の中を進んでい来ますとだんだんだんだん見えてきました。
そう、鬼ヶ島です。後はこの広がる平野を通り抜け、湖を船で渡り終えればもうそこが鬼ヶ島なのです。
そこへケンケンと鳴き声が聞こえてきました。
声の主はどこだろう、と桃太郎たちはキョロキョロ辺り見回します。ですけど、声の主は一考に見つけられません。
それでもケンケン、ケンケンと鳴き声だけが聞こえてきます。
「やい! お前はどこにいるワン!」
犬が吠えました。
「クケっ、俺様はこっちだぜ」
そいつは空にいました。桃太郎たちはいっせいに声のした上の方へと視線を動かします。
そこには赤と緑の立派な体毛を持ったキジが羽ばたいていました。
するりと地面へと降りてきます。
「オイラたちに何か用?」
威嚇する犬に代わってサルが
「お前ら鬼ヶ島に行くんだろ?」
「そのつもりだけど……。もしかして……? 鬼の仲間か?」
キジの疑問に答えたのは桃太郎です。そしてそのまま訝しみ、剣呑な様子で刀の柄へと手を掛けました。
「チゲー、よ! バーカ! あいつらは俺の仲間たちをみんなとっ捕まえて喰っちまいやがったんだ!」
「なんだワン、復讐かワン!」
「ケンケンケン、そうだよ。お前らとおんなじさ! だから俺も連れていけ!」
桃太郎はキジの言葉を信じました。
「それじゃあお前にもこのきびだんごをあげよう。仲間のしるしだ」
差し出されたきびだんごにキジががっつきました。
がつがつむつむしゃむしゃ。
「それじゃあ行こうか!」
一人と三匹になった桃太郎一行は野を進み鬼ヶ島を目指します。
ここまで長い道のりでした。それでももうすぐ目的の地に着くのです。
そう、ついに湖のそばまでやってきたのです。
湖畔にはボロの小舟が一隻きりあるだけで、民家も何もありません。当たり前の話です、湖の真ん中には鬼ヶ島があるのですから誰も怖がって近づいたりはしません。
ボロの小舟をせっせと簡単に修理して、何とか沈没しないような形に整えた桃太郎たちはいよいよ鬼ヶ島へと乗り込みます。
湖は静かなものです。時折キジが偵察に空を飛びますが、特に目立ったことはないままに半分くらいまでやってきました。残りあと半分です。
偵察に空へと飛び立ったキジがけんけんけんけんけんけん! と声をあげました。
一体何事かと桃太郎たちは飛び上がり、鬼ヶ島のほうを注視します。
すると、なんということでしょうか、沢山の石と弓が飛んでくるではありませんか。
小舟を漕いでいた桃太郎は飛び上がり、刀を抜きます。船の運転はサルに代わってもらいました。
先頭に立って降り注ぐ矢を切り払い、意志を鞘で弾き飛ばし、桃太郎たちは鬼ヶ島へと近づいていきます。
距離がだんだんと近くなって来るにつれて飛来物の精度は上がってきて、桃太郎を苦しめます。
雨というには少々物足りない感じですが、それでも大変な苦労を伴って何とか鬼ヶ島へと上陸を果たしました。
敵の本拠地です。桃太郎たちは気合を入れなおしました。
「散開!」
上陸した桃太郎たちは素早くばらばらに散らばります。
鬼たちは徒党を組んでの略奪に慣れているのです。そんな相手に一人と一匹の急造チームで対抗するなんて土台無理な話です。練度が違い過ぎるのです。
ですから、この林と切り立った崖の地形を利用して、強襲、闇討ち上等の電撃戦を敢行するようでした。
例えばキジは空を飛べますし、瞬発的な足の速さならば人間には決して負けませんから一撃離脱を繰り返して、鬼たちを苦しめることが出来ます。
例えば猿は器用に手を使うことが出来ますし、とても木登りが上手いのです。ですから罠を仕掛け一人づつ分断して、こっそりやっつけていくのです。
例えば犬は鋭い牙を持っていますし、四足歩行ですのでやはり瞬発力が違います。そのうえ機転が利きますから、武器を持った鬼たちの攻撃を掻い潜り、ガブガブとかみついてやるのです。主に狙いは足です。
そして桃太郎はといえば、三匹が暴れている隙に鬼の総大将のところへとこっそり、しかし一目散に向かっています。
そう、全ては桃太郎が鬼の総大将のところへたどり着くための囮なのです。
「やい、とうとう追い詰めたぞ!」
「命知らずめ返り討ちにしてくれる!」
桃太郎はとうとう鬼の大親分のもとへとたどり着いたのです。
お互いに名乗ったりなどしはしません。桃太郎には相手が敵であることが十二分に理解できていますし、鬼の大親分はそもそも乗り込んできた相手の名前なんぞに興味もありません。
立ち上がった鬼の大親分はなんと身の丈八尺ほどもありそうなのです。おまけに五尺は在ろうかという巨大な金棒を軽々と担ぎ上げています。
いくら桃太郎が強く大きく育ったとはいえ、この巨漢を相手にするのは容易ではありません。しかも鬼の持つ金棒は見るからに使い込まれているようで、急ごしらえのような桃太郎の長刀とはとても不釣り合いにさえ見えるのです。
体格でも負け、恐らく武具の習熟度でさえ負けていることは目に見えています。
それでも桃太郎は退くことを選べません。勝ち目がなさそうだからと、おめおめと逃げ帰っては村のみんなやおじいさんに申し訳が立たないからです。
そして何より、闇の中で見つけた勇気が桃太郎を励まします。
「えいや!」
刀を握った桃太郎が鬼の頭領へと大上段から切りかかりました。
ガキィンと音が鳴り響きます。桃太郎渾身の一撃は軽々と受けられてしまいました。
このまま競り合いをするのは桃太郎にとって圧倒的に不利なことは目に見えていますから、素早く間合いを取り直します。
だけれど鬼の頭目も一筋縄ではいきません。
一旦退く動作を取った桃太郎を間髪入れずに追撃します。
たったの一振りだというのに、ビュゥと豪風が吹きすさびます。
桃太郎の足元がぐらつきました。大親分はそれを見逃しません。すかさず一歩踏み込んで次の攻撃を繰り出すのです。
ドゴォンと足元に敷き詰められた石畳が砕けました。間一髪、バランスを崩しながらも身をよじり、大親分の一撃を交わした桃太郎。
しかし、いくら躱したといっても凄まじい筋力の持ち主です。
風圧に巻かれて桃太郎の体が余計に後退させられました。
桃太郎はこの段になって、ようやく気が付きます。相手の広い間合いの中で回避をしながらの攻めでは明らかに一手遅れてしまうのです。
しかし、根本的にな筋力が違い過ぎるので受けてから反撃するにはあまりにも分が悪いのです。
けれどこのままでは明らかに踏み込みが足りません。
なので桃太郎は考えました。桃太郎の脚が止まり、距離を縮めてこないことを不審に思ったのでしょうか、鬼の頭目が金棒を担ぎなおしてにらみを利かせます。
「なんだなんだ、威勢よく飛び込んできた割にはずいぶんお粗末だな」
分かりやすい挑発でした。流石に透けて見えるので桃太郎も受け流せます。
「今お前の倒し方を考えているんだ、少し黙っていやがれ」
すると鬼はニヒルに口角を吊り上げました。
「これなら今まで略奪してきた村の弱っちい男連中のほうがまだしもましだったなァ! まぁ全員俺たちがあの世に送ってやったわけだがなぁ!」
「そりゃあお前は強いだろうよ! だけど、僕だってタダでやられてやるわけにはいかないんだ、だからお前を倒す方法をこうして考えているんじゃないか」
桃太郎は挑発には全然乗りません。なので鬼は舌打ちをして、それからまた口を開きました。
「村でとっ捕まえてきた女たちはいい具合だったなぁ。こうさ、絡みつくようでなぁ……」
「そうか……。何を言っている?」
桃太郎は十二才ですし、おじいさんとおばあさんと三人暮らしでしたのでそういったことにはトンと疎いのでした。
「あぁ、そういえば山で殺したジジイがなぁ、なんとも、まぁゴミ虫みたいなやつだったんだけどよぉ。お前何か知ってっかぁ」
それは明らかに桃太郎の大好きなおじいさんに対しての侮蔑でした。
一瞬、きょとんとした桃太郎でしたが、何とはなしに思い当たります。
「おじいさんを愚弄するなぁ――!」
桃太郎の冷静さはどこかへと飛んで行ってしまいました。
腰に下げたままのもう一刀の長刀を抜き放し、両の手で構えを作ります。
長刀による二刀流です。
そして怒りで理性の手綱を手放した桃太郎の動きは迅速です。
生きて帰るため、戦いに勝利をするための動きではありません。捨て身上等で敵対者をただやっつけるためだけの動きです。
その突然の動きの変化に鬼は面食らいました。
だけど――、
「しゃらくさいな」
ズガンッと容赦のない金棒の一撃が振るわれます。
面食らいはしましたがだからと言って冷静さを失ったわけではないのです。
桃太郎はなんとその一撃を真正面から受け取ます。
ガキンッと音が響き渡りました。ミシミシと桃太郎の持つ二本の長刀から軋みが上がります。
桃太郎は理解しました。まともに打ち合えば刀のほうが持ちません。
ですけれど、逆に言えば今の桃太郎ならばどうにか打ち合える程度ではあるようでした。
無茶を承知で受け止めた金棒を真下から蹴り上げ、追撃に移ります。
今度は桃太郎が攻めへと転じる番です。
跳ね上げられた金棒を大親分は一挙に振り下ろして、桃太郎を叩き潰そうと動きます。
すぅ、と桃太郎の持つ二本の長刀の先端が金棒の側面を捉えました。
キィィと甲高い音が響き、チチチと火花が散ります。
それは単純な受け流しでした。ですが、鬼の大親分の暴力的なまでの蛮力から繰り出された必敗の一撃を受け流すというのは並大抵ではありません。
視線が交錯しまし、鬼の頭目は思わずぎょっとしました。
桃太郎の形相は鬼も角やというものだったからです。
それどころか、鬼より深く、蛇よりも鋭い、それはいうなれば修羅の形相なのです。
鬼の一撃を受け流した桃太郎の体が羽のように軽くふわりと動きます。
それはあまりにもなめらかで、一瞬鬼の大親分が虚を突かれるほどでした。
ザンッと二本の長刀が流星のごとくきらめきます。
死の剣戟、とそう呼ぶにふさわしい連撃でした。
つぅ、と大鬼の鼻先から血が噴き出します。
間一髪でした。間一髪のところで鬼は上体をそらしてギリギリで斬撃を避けたのです。
そしてそのまま巨体を柔軟に動かして逆巻きに飛び上がり隙を見せた桃太郎に飛び蹴りを浴びせました。
ズッ、ガンッ、と巨躯から繰り出された撃滅の一撃をまともに浴びた桃太郎の体は風に巻かれる紙切れのように放射状のひびを背負った桃太郎はそれでも、そこから抜け出そうと、両手に力を込めて吠えるように顎を開きます。
ですけれど、桃太郎の体はもうすでに戦えるような状態ではありません。体重差は四倍以上もある上に、防御もままならずに一撃をまともに直撃させられたのです。
それでも桃太郎は立ち上がろうとします。
鬼はそれに恐怖さえ感じました。
そう、何より鬼の頭領には良く分かっているのです。自分の一撃をまともに喰らって立ち上がってくるような奴は異常だ、ということがです。
壁から抜け出た桃太郎の体はあちこちが変な方向へと曲がっていました。未だに刀を握っていることさえ不思議です。そもそも立っていることさえ理解できないような惨状です。
だというのに、足を引きずり、血をまき散らし、骨をむき出しにして鬼へと迫ります。
鬼の大親分はそのあまりにも鬼気迫る揺らめきに体を縫い付けられてしまいました。
桃太郎の覚悟と勇気が、決死の咆哮が、鬼の強さを凌駕したのです。
二歩、三歩、と間合いが徐々に桃太郎のものへと近づいていきます。
そしてあと一歩というところまで来た段で鬼の体がぴくりと条件反射のように跳ね上がり前方へと推進しました。
ピシリッ、とそれからパキンッ。
鬼の青銅よりも固い拳は桃太郎の顔面を捉えることなく、一寸先で静止しています。
桃太郎の両手に持った刀の刀身が半ばからポキリと折れ、そしてまた桃太郎の体も前方に崩れ落ちました。
結局桃太郎の最後の刃は鬼の大親分には届かなかったのです。
幕引きは静かなものでした。
そして鬼ヶ島で起きた騒乱もまた沈静化していました。
鬼たちの損害は大きかったですが、やはり数は力です。犬たちのかく乱も長くはもちませんでしたし、そもそも大将戦においても桃太郎が敗北をしています。
ただ、鬼の大親分は最後の最後に見た桃太郎の強さを認めました。ので、打ち首や晒首という扱いにはならず、手厚く戦士として葬られたのです。
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