零月 零日-尭土井惣介のヴィジョン
街に人の気配はない。
確かにここは田舎ではあるが、それにしてもこの様子は何かがおかしい。
言うまでもなく季節は夏の始め。だと言うのに、七月の十四日だとは思えない、冷たい風が吹いていた。雪はない。ただ、本当に肌を裂くような風があるだけだ。
「俺と昼子が本当に愛し合えば、アダムとイヴになり世界は終わる。それが近いという事か……」
このアレイゾンの力は『
俺と昼子が近付くにつれて、世界が終わりに近付くという事か。
まあ、今となってはどうでもいいが。人がいないならいないで、無意味に人を殺さなくて済む。
本当のところ、何も感じないというのは気概の話で、できれば関係のない人は巻き込みたくはない。いずれ終わる世界でも、理不尽に殺されるというのはあまりにも理不尽だ。
その考えはあまりにも甘かったと、すぐ後に思い知らされるのだが。
――女の子が道端で泣いていた。
この異様な世界の中で、一人取り残されてしまったのだろう。因果が狂えば、そういう事もあるか。
とにかく、どこまで被害が広がるか分からない。まだ余裕はある。先にこの子を安全な場所へ連れて行こう。どうせ世界が終わるとしても、巻き込まれて無残に死ぬ事はないだろう。
「キミ、どうしたの?」
「…………………………」
泣いてはいたが、声は出していないようだ。すすり泣き? とも違う不気味な声。
「ここにいると危ないから、家に帰った方がいいよ。場所を教えてくれれば、お兄ちゃんが連れて行くから」
「そこ……」
少女が指さしたのは俺の腹……の先か。どうやら丁度俺が立っている向こうにあるらしい。
「そこって、あっちの事?」
「ううん、そこ」
「……?」
「お腹」
「お腹って……ガ――ァ!?」
鋭い痛みのすぐ後に広がっていく熱、痛み。少女の口から這い出た黒い何かが俺の腹に突き刺さり、突き破った内臓の中へソレが侵食していく。
「還る……お腹へ……」
「クソッ!!」
黒いソレを顕現させた
これが、肉体の一部だという事か?
だとしたら……
「ア゜ア゜ア゜ア゜ア゜ア゜ア゜ア゜――ッ!!」
脳髄を引き裂くような、空気を切り裂く金切り声。
人間のものとは思えない悲鳴をあげる、少女の形をした怪物。
「なんで……? お兄ちゃん……私を、傷付けないで……?」
「――――――ッ」
なんなんだよこれは……これも、冷存零士の差し金か……?
あの時の父さんや母さんの時も、『わざわざ作り直した』と言っていた。どういう原理か知らないが、用はただの作り物だ。元々生きてないただの人形だ。だから壊す事に躊躇しなくていい。
ああ、殺すんじゃない。『壊す』んだ。
だから――躊躇なんて……
「なんで……なんで手が震えてるんだよ」
ここまでくる為に、何人殺してきた。これから幾ら人を殺そうがもう変わらない。罪もクソもない。だと言うのに、怖いのか?
恐らく、未来の俺の肉体で完全なタイムスリップをした訳ではなく、過去の俺に未来の俺の意識が上書きされているからだろう。記憶喪失もその副作用だ。俺の中に過去の俺の綺麗な心がある事で、それが殺人を躊躇わせている。
「怖いよ……お兄ちゃん……」
殺さなければ殺される。
昼子を助ける為には殺さなくてはならない。
覚悟を決めろ。甘い考えは捨てろ。本当の意味で昼子以外の全てを捨てなければ、昼子の元へは辿り着けない。
「はは……馬鹿馬鹿しいよな……」
肉と骨を断つ形をした鋭利な刃が少女の体へ振り下ろされた。
「ぁ――――――」
これ見よがしに、普通ならあり得ないほどに、切り裂かれた肩口から血が噴き出た。
少女の幼い体が血の海に落ちていく。それでもまだ黒い何かが湧き出ていた。
俺は、また少女の体に刃を突き立てた。
何度も、何度も、黒い何かがなくなるまで。
そしてやがて、肉の塊になったそれを、俺は無関心で眺めていた。黒い異形はもう出てこない。
無関心でいなければ心が押し潰される。
こんな幼い少女を手にかけて。
俺は……なんの為に、何をやっている?
そんな愚問には誰も答えてくれやしない。
周りの誰も、俺の問いには耳も貸さない。
みんな見知った顔だ。
クラスメイトもいた。先生もいた。よく行く商店街の肉屋の主人もいた。隣の家に住んでいる人もいた。さっきの少女の友達もいた。
街はいつもと変わらない。
ああ、変わらない。
街に人がいる。活気で溢れている。
ただ、二つだけ違ったのは、俺にとって、それら全てが敵という事。
そして、それら全てが人間ではない怪物だという事。いや、これに関しては俺も含まれるだろう。自分が既に正常でない事くらいは、自分で分かっていた。だが、昼子を助ける為、この場を切り抜ける為に、正常な精神でいる事など誰にできようか?
顔見知りは全て敵。
知らない奴も全部敵。
たとえどれだけ中のいい友人でも、俺を殺そうと襲い掛かる。そういう風に冷存零士が仕向けている。
こんな異常な世界で普通でいられる奴は、それこそ異常者だ。
ああ、だから、何も躊躇う事はない。
この世界はもう終わる。
だから、昼子以外の誰を殺しても変わらない。
「ああああああああああああああああああああ!!」
――気が付けば辺りは血と肉の海と化していた。
殺した。沢山殺した。
これでいい。
全部忘れろ。人間の心も何もかも。ただ必要なのな昼子への愛だけだ。
極彩色に染まる空の下、昼子の魔力を辿ってただ歩く。
感情を振り切って、邪魔な肉壁を引き裂きながらただ歩く。
たとえ限界が、心に限界が来ても関係ない。そこへ辿り着くまでは、昼子を助けるまでは、決して倒れてはいけない。折れてはいけない。この心だけは。
「尭土井くん」
ああ、また、邪魔な木偶人形だ。
そう思い、振り上げた剣が、手が勝手に止まった。
「鮭野先生……」
「いいのよ。無理しなくても。疲れたでしょう? 辛いなら、休んでもいいのよ。ここまで頑張ってきたじゃない。もう十分よ。みんなが幸せになる結果じゃないかもしれないけど、貴方は頑張った。なのに、これ以上辛い思いをする意味はある? 『ここまでやったから、折角だから最後までやりたい』……それは分かるわ、けどね、貴方が全てを捨ててやってきた事は、たった今何かの役に立っている?」
そうだ。
ここまでずっと頑張ってきた。生活も家族も友人も何もかも投げ出して、ただライヤを蘇らせる為だけに生きてきた。結局それは失敗したが、俺は、大切な人を見つけられたんだ。ライヤは救えなかった。
だったら、昼子を救ってもいいだろう?
自分の為だ。ライヤを救う事ができなかった自分を慰めるだけの行為だ。
それでもかまわない。
俺は昼子が世界で一番大切だと思えた。
だからたとえ、無意味で何の意義もなくても、俺は昼子を助けたい。
「ごめん……鮭野先生……もう決めたんだ」
引き裂いた。鮭野先生は死んだ。
昼子が近い。
強い魔力を感じる。
いや……これは?
「そーうすけっ!!」
いつもと変わらない、元気な笑顔の佐久奈がいた。
俺にちょっかいをかける時も、俺と昼飯を食う時も、俺と喧嘩をする時も、俺を助けてくれる時も、どんな時もずっと、佐久奈は元気だった。
そんな佐久奈に俺はどれだけ支えられてきたか。感謝してもしきれないだろう。
「佐久奈……! いや……そうだな。そうだ」
無意味だ。
俺をずっと支え続てくれた。俺の事を一番に思ってくれていた佐久奈を選ばず、ライヤの代わりとして無理矢理役割を与えられてしまった昼子を選ぶ。
それはあまりにも無意味で、非生産的だ。
だからどうした。
「今までありがとう。佐久奈」
佐久奈を殺した。俺が、佐久奈を殺した。
積み上げてきた死体の先、俺を待つ人影がいた。
最高に嗜虐的で、最悪に加虐的な笑顔の男が。
その傍らには、まるで世界の終わりでも見るかのような顔の昼子がいる。ああ、その顔を見れただけでも、安心だ。まだ昼子の心に俺は存在している。
「惣介……さん、なんで……」
「なんでも終末もない。俺はただ、昼子が好きだから、昼子を守りたいだけだ」
もう、迷いはない。
全てを捨てて、全てを諦め、その上で俺は昼子を選んだ。昼子を愛し、昼子と共にいる事が俺の幸せだった。
もう曲がる事はない。決して折れない。俺の幸せを手に入れる為に、俺は昼子を助ける。
その後で、もし昼子が俺を拒絶するのなら、それはそれでハッピーエンドだろう。
『昼子を助けた』。
その事実さえあれば、俺はそれでも幸せだ。
「ふ……嬉しいぞ愛しの惣介。ああまでしておきながらまだ、俺のもとへ来てくれるとはな。たとえ俺を追って来たのではないとしても、十二分に嬉しい」
「終わりだ。世界も、お前も終わる。そして俺が、昼子を助ける」
「いいぞ……その眼は好きだ。ライヤの時には微塵も見せなかった芯の通った眼光だ……昂るな。
さて、役者も部隊もそろった。見ろ、この空を。時が加速し始めた。お前と昼子が近づいた事でこの世が終わろうと急ぎ始めたようだぞ。見ろ」
そう言って見せた零士の腕は、いや、体は薄っすらと空気に溶けそうなくらいに消えかかっていた。
存在が消滅し始めているのだ。
「悲しい事だがな。まあ、惣介はイヴを得る為にこの時間に来たのだから、オレが邪魔者である事は自明の理だ。しかしな、俺がお前を殺せば、アダムは自然と俺になる。それはつまりどういう事だか分かるか?」
「そんな未来はない」
「く……はは、ハハハハハハハハッ!! よもやそのような台詞が惣介の口から出ようとは!! 強くなったなぁ……ここに来るまでに何を捨てた? たった一人の赤の他人、否――生物としてライヤの代わりにすらなれん昼子の為に、どれほどのモノを殺してきた?」
「惣介さん……」
答える義理はない。
昼子にそんな重荷を背負わせるわけにはいかない。
昼子は昼子だ。俺が全てを捨てたのは、昼子の為じゃない。俺がただ幸せになりたいが為だ。その罪は俺が背負えばいい。
ただ、もしこの後に、昼子が共に背負ってくれるのであれば、どれだけ幸せな事だろうか。
「何も、心配はいらない。昼子の心の安寧は、俺が取り戻す」
その為に――俺には最後にもう一つ必要なものがある。
全てを捨て去って来た俺が昼子を助けるにたる最後の理由。
「昼子。お前の言葉で言って欲しい」
「――――――――」
何も難しい言葉ではない。
ただ四文字。
それがあれば、俺は昼子を助ける為に、俺の為に戦える――!!
「――助けて……助けてください、惣介さんッ!!」
「ああ――」
零士の顔面がとてつもない苛立ちと憎悪に染まりきる。いつもムカつくくらいにニコニコしていたこいつのこんな顔が見れるのは、こんな時でも愉快だと思える。いや、そんな余裕があるほどに、俺の心は今晴れやかだった。世界の終わりなんてないくらいに、自信と勇気と希望に満ち溢れていた。
「これで……本当に最後だ!!」
凍てつく刀身、漆黒の、触れた者の生命という概念を消滅させる魔剣――『
零士もこれがどんなものかは解っているようで、驚愕と共に横へ避ける。その隙に昼子を抱きかかえ移動させる。
「やってくれたなぁ……まあいい。どの道、昼子の体は傷つけたくはないし、なァ――!!」
零士の両腕が衣服ごと黒く染まり腐り落ちるように腕だけが取れたかと思うと、腕だった黒い塊は真っ黒なオオカミへと変化した。
喰らい付かんと飛びかかる二体のオオカミ。
触れた者の『生きている概念』を刈り取る刃が、黒い狼のような何かを絶命させた。
既に生えていた新しい腕が再び変質し、分離させずに腕ごと巨大な獣の大口で上から俺に喰らい付く。
「――ッ!!」
臆せずソレを漆黒の刀身で振り払う。零士の右腕は弾け飛ぶが、その表情には嬉しささえ感じられる。
「いいぞ……迷いなくオレをただ打倒さんとするその姿勢!! 殺すのが惜しいなぁ……やはり」
攻撃の手は緩まない。
零士の背から展開される六対の翼から零れ落ちるようにトカゲやオオカミ、トラのような黒い物質でできた獣が死体を貪るように群がり始める。
右足に喰い付き、脇腹を喰い破り、首筋を喰いちぎろうと這い上がる。
だが関係ない。
生きている限り『生』という概念を持ち続け生き続ける俺にとって、肉体的損傷など些末な事だ。
動ければそれでいい。
全て振り払い、傷も痛みも無視して零士へと肉薄する。
「心も体もヒトでなくなったか?」
「お前には言われたくないな」
虚空から現れた短剣で零士は
だが、たとえ無機物であれ、ソレが存在している限り、この剣は、俺の力は概念を殺し続ける。
ソレが素粒子の集合体である『物』という概念であるならば、破壊できないものはない。
「チィッ……!」
防ぐ術はない。
短剣は砕け散り、剣線を避ける零士の顔にも余裕の色がなくなっていく。
もっと制度を高めろ。
『命』を壊すだけでは意味がない。
『存在』という概念を殺さなければ、この男は殺せない。
「はぁあああああああああああああああああッ――!!」
腕を吹き飛ばす。
右足を切り落とし、脇腹を貫いた切っ先が零士の存在を基盤から溶解する。
「失せろ……お前はただの障害物でしかない」
漆黒の剣から流れ出る概念を殺す力を流し込まれた零士の体は消滅を始める。
憂う事も怒り狂う事も泣き叫ぶ事もなく、ただ受け入れるように零士は静かだった。
「惣介は……本当にそれでいいのか?」
最期に告げられたその言葉の意味は、俺には解らなかったが、とかく、零士は消えた。
あっけさな過ぎて、まだ生きている事を疑うほどだったが、確かにその存在そのものを消した。もう二度と会う事はないだろう。
終わった。
これでようやく。
終われた。
これでようやく。
長かった旅も終わりだ。
俺は昼子を救えた。
文字通り、なんの違いもなく、この俺の手で愛する者を守る事ができた。
ああ――やっと。やっと終われる。
「昼子――」
俺は決して忘れないだろう。
この結末も、この世界も、その全てが夢偽りだったしても……俺はこの最後を迎えられた事を幸せに思う。
大切な人を守れた事を。
VISION of DESIRE アスパラベーコン巻き炒め @Bacillusthuringiensis
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