七月 十四日-地獄への相乗り切符

 予想通り、グルハウチェが俺達の前に立ちふさがった。

 不自然なほどに人気のない住宅街の中、黒雲を背景に黄金の剣ルギエヴィートを携えた外国人の女性。黒いコートが風に靡き、煙草の煙が吹きすさぶ。


「待っていたぞ。尭土井惣介」

「佐久奈、頼んだ」


 佐久奈は答えず、ただ首肯した。

 こんなところで足止めを喰らう訳にはいかない。俺は前に進まななければいけない。


「ああ、別にいい。行けばいい。私はあくまで時間稼ぎだ。あの男も、お前が追ってくる事は分かっているようだからな。恐らく待っているだろう。今ここでお前を殺してもいいが、あの男が堕天使を手に入れてくれるのであればそれでもいい」

「そうか、分かった」


 なら、お言葉に甘えて行かせてもらおう。

 グルハウチェを横切る刹那、刃が首を狙って飛来した。それを剣で受け止め、残りの斬撃も全て受け流す。


「ふん……やはりか。到底私に勝てる相手ではないな」


 悪態を吐くグルハウチェ。

 俺はただ前に進んだ。



 「さて、暇つぶしでもしようか。まあ、お前にとって、私をここに留めておかねば、いつ尭土井惣介を奇襲するかも分からんだろうから、お前にとっては真面目な戦いか」


 グルハウチェ・アレクサンドロフがルギエヴィートを構え直す。

 既に戦闘態勢の佐久奈は、手の中に隠し持った自分の血液が入った試験管を握りつぶした。途端に中身が溢れ出し、爆発するように周囲に広がっていく。


「『凍血閃光フローズン・ブラッド・レイ』」


 それは槍の形を形成せず、不安定な広がりのまま空中に固定される。


「ほう、少しは上達したか。まあ、この程度なら安心して戦えそうだ」

「そう言ってられるのも今のうちじゃない?」


 とは言え、優秀な魔術師ではない佐久奈にとってグルハウチェは強敵だ。相手はただ真っすぐに突っ込んで物量を叩き込むだけの猪だが、あまりに激しいそれは回避を伴わせない。

 一瞬の隙が、本当に命取りとなってしまう。


「本当は、尭土井惣介にも見せたかったのだがな……仕方がない。これを使ったとしてもアイツには勝てなかったろう」


 そんな独り言に皮肉でも返してやろうか、と思いながら『凍血閃光フローズン・ブラッド・レイ』に力を籠める。

 だが――


 いつの間にか、頭に剣が突き刺さっていた。

 ルギエヴィートの能力による不可視の斬撃が体を串刺しにしていく。

 そこで、死んだ。

 死んだ?


「奇遇だな、お前も時間を操るか」


 頭から剣が引き抜かれた。距離を取るグルハウチェを眼前に、飛びかける意識をなんとか引き戻す。

 佐久奈の扱う『凍結』の魔術は時間をも凍らせる事が可能だ。正しくは、時間の進行を滞らせる事。あくまで一点に対してしか発動できないが、それでも、惣介の『概念干渉』に引けを取らない裏技だ。

 これにより、致命傷による死を遅らせる事ができる。

 頭を思い切り刺されたが傷はない。ただ、『傷付いていない』事にできる『意味無き壁クラッジ』とは違い、この魔術を適用させた傷は後に必ず訪れる。故に、佐久奈の死は既に決定していた。

 だがそれでもいいと佐久奈は思った。


「時間を操る……ね。そんな大層なもんじゃないよ。ただの時間稼ぎ」

「皮肉なものだな。時間稼ぎに時間稼ぎとは」

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。愛する人の魂が消滅する運命を、遅らせているだけだものね、貴方も」


 ほんの少しだけだが、グルハウチェに動揺の色が見えた。


「流石は、厭の情報網という訳か……だがあまりにも下賤だな。人の心の中に土足で踏み込むソレは」

「まあね。だから何? って感じだけど。堕天使の力を使っても、既に融合しかけた魂を分離させるなんて不可能よ。不安定すぎるもの」

「そうだ……だがな、私が生きている限り、私は希望を抱き続けなければいけないのだ。その為だけに生きてきた。今更、引き下がる事などできるはずがない」


 また、最初からそうだったかのように、今度はいつの間にか心臓を貫かれていた。どんどんと刺し傷が増えていく体。だが今の佐久奈に痛みはない。


 恐らく、先のグルハウチェの発言から鑑みるに、これは自分の時間だけを加速させ、自分だけを未来に移動させる魔術。

 そうする事で、瞬間移動以上の速さ、最早速さの概念すら超越し、求めた未来へと到達できる。今は、『佐久奈の心臓を突き刺した』という未来へ飛んだのだろう。なるほど、確かに攻撃を当てなければいけないルギエヴィートの能力とは相性がいい。

 だがそれは同時に、グルハウチェの目的を根底から覆すものでもあったはずだ。

 そんな力があるのなら、大切な人を守れた未来へ行けばいい。なのにそれをしないのは、ただ単に魔力が足りないからか、のか。


「惣介を先に行かせたのも、既に、無意味である事を認めつつあるからでしょ?」

「そうか、そうなのかもしれないな。それがどうした。決められた未来など、運命など……越えればいい。越えてしまえば、未来など自分の手で幾らでも変えられる」

「今の貴方に、その気力はあるの?」

「あるに決まっているだろう……その為だけに生きてきた……その為だけに、全てを捨てた!!」

「その結果が、そのルギエヴィート? その魔術? たくさんの失敗の証を持って、それは自分を慰めているだけしょう?」


 振り落とされた重い斬撃を球形の膜となった『凍血閃光フローズン・ブラッド・レイ』で受け止める。後の斬撃を自動で撃墜し、紅い閃光となってグルハウチェの脇腹を貫く。


「だからなんだっ!! そんなものは関係ない、私はただ私の目的を果たすだけだ!!」


 あまりにも盲目的で、理由も何もない。

 ただそれでも、大切な人の幸せを願って、それ以外の全てを投げ打ってでもそれを成そうと足掻き続ける。まるで惣介のようだと佐久奈は感じた。


「ルギエヴィート、貴方はどうなの。こんな無謀な事を止めようとは思わないの?」


 もう魔力が足りないのか、未来へ飛ぶ魔術は使ってこない。燃費が恐ろしく悪いのだろう。そう分かれば、佐久奈の攻撃の手も激しくなっていく。

 歪な翼のように広げられた二対の『凍血閃光フローズン・ブラッド・レイ』に新たに二本ずつ血液を追加する。巨大化したそれを鋭利な爪を持つ二対の手のような形へ変え、片方を上からグルハウチェへ振り下ろす。

 それを、上に翳しただけのルギエヴィートで完全に受け止められた。


「何も言う事はない。ご主人は正しい。私はご主人の目的の為に、全力て手を貸すだけや」

「ルギエヴィート……ありがとう。お前だけだ。分かってくれるのは」

「当たり前やろ? 伊達にご主人と過ごしてない」


 まるで、惣介と自分のようだと佐久奈は感じた。

 ルギエヴィートだって分かっているはずだ。どれだけ主人を慕っても、その見返りは自分にこない。なのに、助けずにはいられない。

 どれだけ惣介を愛そうと、その思いは決して届かない。

 それは分かっている。それでも、佐久奈は惣介を手助けしたい。好きでいられる事でも、十分に幸せなのだ。

 ――だから、惣介にあだなす者は必ずここで食い止める。


 拮抗する血の翼と黄金の剣。

 翼はそのまま、佐久奈は地を蹴り駆け出した。

 もう片方の翼を翻し槍を形成。


「『凍血霊槍フローズン・ブラッド・ランス』ッ!!」


 滞り、蓄積された時間の流れを全て開放する。

 そんな事をすれば、佐久奈の体はただではすまないだろう。全身の刺創と破壊された脳と心臓。それらが一気に流れ込み、即死は確実だ。

 だが、蓄積された時間を解放すれば、その分の時間の速さを得られる。

 加速する風を感じ、なくなっていく体温を感じ、崩れていく自分の体を感じた。

 それでも前へ疾走する、

 その一撃に全てをかけて、


 グルハウチェの防御、または迎撃よりも早く、早く、その槍身を打ち込める――!!


 螺旋する赤い閃光が空気を切り裂き肉を裂いた。

 動揺からか余裕を欠いていたグルハウチェの咽喉元へ容赦なく血の槍が突き刺さる。


「ァ――が……」


 勢いが死なないまま、だが体に限界が訪れた佐久奈の体は、グルハウチェと共に地面へ倒れる。


「ご主人!! おい!! クソッ、まだこれくらいなら治療は間に合う……」

「無駄よ……『凍血霊槍フローズン・ブラッド・ランス』の媒体にした私の血には、毒を混ぜておいたから。とびっきりヤバい奴をね……」

「な……く――っ」

「これで、私の目的は達したわ。これで終わり……これで……?」


 薄れかける意識の中……佐久奈が見たのは一人でに起き上がるグルハウチェの体。まさか、毒が効いていない? そう思ったが、様子がおかしい。なけなしの治癒魔術を自分に使い意識を保つ。

 穿たれた咽喉の傷から黒い何かが湧き出ていた。それだけではない。口や、耳からも。まるで、何かに寄生されていたかのように。

 手放され、甲高い音を立てて地面に落ちたルギエヴィートが悲痛そうに言った。


「アイツか……冷存零士が、ご主人に何かしたんや……」


 そう、か。


「……冷存零士の使う魔術は、『生物』に対して強く作用する……」


 あの男が表に出てきてくれたお陰で、佐久奈の父が解析できた結果から、信じられない事が分かった。

 冷存零士は『セフィロトの樹』と繋がっている。

 セフィロトの樹は天界に生えた生命の樹であり、天界そのものだ。魂の還る場所、その保管場所でもある。冷存零士はそのセフィロトの樹の『真核生物ユーカリオート』を司る。

 自身の体のセントラルドグマ――DNAの転写・翻訳の過程を逆行させ、指定した遺伝子情報を取り込んで自分の体にその生物の特徴を発現させる。


「……自分の体を、あらゆる生物へ変換できる、セントラルドグマを操る力を利用して……人間の体に寄生して、自分の体としてのっとる力を手に入れてるの……」

「じゃあ、ご主人は、もう……」


 最後まで足掻き続けたその結果が、人間ではない何かにされて、意思を持たずに魂は縛られたまま、永遠に使役され続ける人形。

 そんなのは、あまりにも酷過ぎる。

 理不尽だ。

 許せないと、佐久奈は思った。

 だから、また立ち上がれた。


「お前……何を……」

「ちょっと、借りるね……」


 血だらけの手でルギエヴィートの柄を持つ。ずっしりと重たかったが、佐久奈の体には何故か力が湧いてきた。

 たとえ脳と心臓を破壊され、体中をズタズタに引き裂かれて血液を垂れ流し続けていようとも、この魂がある限り、死なない。


「魂を、この世に縛り付けとるんか……」

「そう、『凍結』の魔術はこんな事もできるんだよ」


 ルギエヴィートの柄を強く握り締めた。その度に血が噴き出したが、まあ、今更血が出ようと変わらないと、佐久奈は気にせず敵を見据えた。

 これで最後だ。


「いいよね、ルギエヴィート」

「ああ……もう、眠らせてあげてくれ」

「貴方は、どうなるの?」

「ご主人が死んだら私の意思も消える。だから心配せんでもいい」

「そう。私もご一緒していい?」

「ああ、仲間同士、地獄でも仲良くしようや」


 本当に、これで最後だ。

 グルハウチェだった何か、黒い瘴気を纏った怪物を引き裂いた。

 黄金の光が闇を切り裂いた。

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