七月 十四日-尭土井惣介のデザイア

 こんな事では、ライヤに笑われてしまう。いや、怒られてしまうだろう。

 なあ、そうだろうライヤ?

 あれぐらいの事で心が折れるようじゃ、誰一人守れやしない。お前以外は、誰もいらなかったんだ。俺は、お前がいればそれでよかった。それ以外は、何もいらなかった。お前を助ける為に世界の全てを壊してもいいとさえ思えるほどに、お前を愛していたはずなのに……何故俺は、こんなところで止まっているんだ。


 気が付けば、家の中にいた。

 地下室だ。

 俺の家にある地下室。即席の魔力とか、埃を被った魔術書とか、そんなものが詰め込まれたただの倉庫。

 ただ、その先に一際荘厳で異質な鉄の扉があった。

 いつこんなものを作ったのか、記憶にないが、何故か俺はその扉のパスワードを知っていたし、開け方も理解していた。

 大仰な音を立てながら開いていく扉。中からは凍えるような冷気が漏れ出ていた。これは、冷蔵庫か?

 ただ、とても狭かった。人が二人入れるか入れないかくらいの広さ。その中にはポツンと一つ、棺桶のようなものがあった。


 寒気がした。この冷気のせいではない。もしかすると――という、予想できてしまうものが、その中に入っているような気がした。

 その蓋を開ける事を躊躇するが、好奇心が、その中を覗いてみたいと喉から手を伸ばす。

 凍傷しないように手袋を嵌めて、棺桶の蓋を開けた。

 中には、人がいた。


「ライヤ……」


 綺麗な白い肌、艶やかな黒髪に、安らかな寝顔。この美しく、死してなお儚い少女は、確かに俺が愛した少女の骸だった。

 途端に、自分が何をしていたのかを理解する。理解して、劣情が、自己嫌悪が沸き上がる。


『そう、それが、全ての始まり』

「――!? アンタ、アレイゾン」


 ふと気が付くと、背後に半透明の女性がいた。

 亜冷存だ。


『久しぶりね。約束通り、あの子の全てを知った後、出てきたわ。いいえ、貴方は悪くない。あの時、表に出る事ができなかった私の落ち度よ』

「俺の心が弱かっただけだ。もうこんな事にはしない。まだそう遠くへは行っていない。この街から出るとすれば、尚更追いかけやすいからな」

『そう。それもいいわね。でも、その前に、貴方は知るべき』

「何をだ?」

『貴方の記憶を。貴方が求めた者を。貴方の役目を』

「な――


 冷気が、俺とライヤ、そしてアレイゾンを包み込んでいた。

 可視化できるほどの真っ白な、竜巻のように渦巻く冷気が周りの景色を変えていく。俺達の周囲に立体的な映像が映し出されていく。


『貴方は、どこから来たの?』

『貴方は、何をしにここに来たの?』

『貴方は、何の為に昼子を助けるの?』


 俺の頭の中に、別の誰かがいるかのように、その記憶は溢れ出た。



 世界は終わろうとしていた。

 因果は崩れ、時間線はボロボロだった。これ以上の世界の運行は不可能とみなされ、世界の新生の為、終わりを迎えようとしていた。

 俺はその世界にいた。

 終わる世界など無視しながら、ずっと、同じ事に没頭し続けていた。


 ――死者の完全な蘇生。


 ヒトの肉体には魂があり、それが核として生命を支えている。その魂がなくなった時、それがヒトの死だ。脳を潰されても心臓を止められても、魂が体に残っているのなら、それは生きているとして扱えた。逆に、どれだけ綺麗な体でも、魂がなければ死んでいる。

 体から抜けた魂は天へと還る。そうしてまた、新しく生まれる体へと入っていく。これが転生だ。


 一度抜けた魂はもう戻らない。だが、俺はそれを戻そうとした。既に転生した魂を、もう一度元の器に戻す事ができれば、それは完全な蘇生となる。

 ライヤが死んでから数百年、いや、もっと経ったか。数えるのが馬鹿らしくなるくらいの時間の中、俺はずっとその研究を続けていた。


 様々な方法で蘇生を試みた。

 幾度も失敗を重ね。

 魂がすり減っても、それこそ、世界が終わるその直前までも続けていた。


 そして、でき得る事は全て試して、結局成功しなかった。

 悔しかったが、絶望はしなかった。やれる事はやったんだ。だったらそれでいい。それに、もうすぐ世界が終わるんだから、俺もあっちにいけるんだ。転生できずに、魂があっちの世界で留まっているはずだから、もし、死んでも意思があるならば、きっと会えるだろう、と。

 未練など、何一つなかった。

 最期の手段を見つけるまでは。


 時間を遡り、ライヤが死ぬ前の時代にいけば、ライヤを守れると気が付いた。

 ただ、タイムスリップをしようものなら『神様』に消されてしまうだろう。それだけ、タイムスリップは因果を乱す。それに、この時間線の過去に飛ばなければ意味はない。もしパラレルワールドの過去にでも飛んでみろ、なんの意味がある。この世界のライヤは助かっていないままだ。

 だからこの方法は不可能だと、何十年か前に止めたはずだった。

 ただ、一つだけ、今だからこそできる方法がった。


 『世界が終わる』と言ってもそう簡単なものではない。ただ終わらせればいい訳ではないのだ。次の世界を創る為、二人だけ、男女の番を残さなくてはならない。『アダムとイヴ』だ。

 この、終わりのアダムとイブによって世界は終わる。

 この二人がいなければ、世界は綺麗に終われない。本当に世界は崩壊し、新たな世界は作られない。


 だったら、俺がその二人を殺し、正常な終末を妨げ、過去から助かった状態のライヤを連れてくるように神に直談判すればいいのではないか? と、そう思った。

 正直、神様が物理的にいるものだとは思えなかったが、こんなややこしいシステムがあるのだから意思を持った何かはいるはずだろう、と。新しい未練を手に入れてしまった俺は、それを実行せずにいはいられなくなった。

 俺が生きている限り、ライヤを助けられるかもしれない方法がある限り、俺は使命を果たし続けなければならない。


 そして、残っていた世界中の人間を、一人残らず皆殺しにした。


 終末は正常に訪れず、崩壊していく世界の中、情報としてではなく、何か、電波のようなもので、頭の中に意思が伝わってきた。

 何が目的だ? と。


「アダムなら俺がなる。イヴが欲しいなら、俺を過去に連れていけ。そこにいる」


 まさか、上手くいくなんて思ってもみなかった。本当のところ、八つ当たりも兼ねていたと言えば嘘にはならない。

 ただ、上手くいってしまった。

 上手くいってしまったら、俺はライヤを助けるしかなくなった。


 なのに――その時一瞬でも感じて迷いが、全てを狂わせた。





「これは……」

『貴方の記憶。貴方の、本当の目的……いや、目的として変わらないわね。貴方は愛する者を救いたくて、この時代へ来た』

「いや違う……その時生じた迷いのせいで、それを汲み取った世界が、ライヤを死んだ後の世界へ俺をよこしやがった」


 その時代にイヴはいない。

 だから、無理やりイヴを用意しようとした。


『この時点で既に世界は狂っていたわ。一人の人間の、個人的な理由の為にタイムスリップを許す時点でどうにかしていた。その上でおかしくなってるんだから、滅茶苦茶よ』


 昼子は、ライヤの代わり、なのか。


『いいえ、ライヤの変わりは昼子ではない。厭佐久奈よ。考えてもみて、昼子は男。彼では、イヴにはなれないわ』

「でも、俺は……」

『昼子を追う必要はないわ。そうなるべくしてなっただけ。歪みまくって狂っていた因果が、少しずつ戻っていった結果がアレなの。貴方はすぐに、佐久奈と愛を誓い合い、そして世界を終わらせるべきなの』

「待てよ、アンタは昼子の母親だろ!?」

『ええ。でもその前に、私は天使。貴方の案内役としての役割を与えられた天使なの。強すぎる貴方の意思が、堕天使というシステムを生み出してしまい、死んだ伐花昼子の母親という器に入ってしまっただけの事。私はただのストッパー。たった今、間違った道へ進もうとしている貴方を、矯正する為のストッパー』

「ふざけんじゃねえよ。そんな事で、俺の心を勝手に決められてたまるか。俺は昼子を好きなんだ。心から。だから、俺は昼子を――

『助けないと、いけない? 何故、助けないといけないの? 好きだから、愛しているから。そんなものは現実から目を背ける為の言い訳にすぎない。明確な理由がないから、そのせいで停滞してしまう事を恐れた言い訳にすぎない。そんな理由で、人の愛を決めないで』


 そう、俺は今、この手に天秤を持っている。

 片方には昼子が、もう片方には佐久奈がいる。

 俺は、昼子の皿に重りを載せようとした。だが、それは何故だ? 明確な理由は? 堕天使は、そう問うた。


『貴方はタイムスリップした。この世界は決して映像ではない。この世界で生きる人間は文字通り生きた人間。見捨てられれば、心は痛む』


 俺は昼子を助けたい。それは、佐久奈を見捨てる事と同義だ。昼子を助けるという事は、この世界の全てを壊すという事。俺と昼子以外の全てを殺す、という事。

 それでいいのか? と、堕天使は問うた。


『貴方は何の為にここに来たの? 貴方はライヤを――は?』


「黙れ、俺は昼子を助ける。理由にならない? ハッ、それこそ戯言だな。『好きだから助ける。』これ以上の、助ける理由がどこにある!!」


 ずるっ、とアレイゾンが斜めに斬れた。半透明の霊体は俺をまるで怪物でも見るかのような顔で、消えていった。

 俺の手には剣が握られていた。

 何者であろうとも、愛する者の為ならば、殺してしまえる呪いの力。その為だけにずっと研鑽してきた生死を操る力。結局、何の役にも立たなかったこの力をようやく、昼子を守る為に使えるのだ。


 たとえ肉親でも憎しみ殺すシヴィヤスリト



「惣介っ! さっき、急に出て行って急に戻ってきたけど、どうしたの?」


 地下室を出ると、いつもの様子の佐久奈が俺を待っていたようだった。

 俺は、必要な情報だけを佐久奈に伝えた。かいつまんで、でき得るだけ。


「助けに行くんだね?」

「ああ。だが、十中八九グルハウチェが邪魔しにくるだろうから、その時は頼んだ」

「……! うん! 任せて!!」


 俺に明確な指示を以て頼られたのがそんなに嬉しかったのか、佐久奈は飼い犬のようにぴょんぴょん飛んで喜んでいた。

 もう、その姿に哀れみも、それに対する自分への自己嫌悪もない。

 もう、何もない。

 俺は昼子を選んだ。

 だから、昼子以外に抱く感情は、ない。


「もう前みたいに負けたりはしないから、安心して昼子ちゃんを助けに行ってね!」

「ああ、期待している」

「~~~!!」


 とても、嬉しそうだった。


 俺達はすぐに家を出た。

 俺は佐久奈を先に行かせて、少しだけ家に留まった。やるべき事がある。それに、佐久奈が囮になってくれれば万々歳だ。

 『やるべき事』――俺は、家に時限式の発火魔術をしかけた。無論地下室にもだ。

 もう俺にこの家は必要ない。ライヤや佐久奈との思い出はもう、必要ない。


「ありがとう、ライヤ」

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