霧顔(きりがお)

すごく、もやもやとしている。

それは僕の感情なのかそれとも僕の視界に映るこの霧の街なのか。

12月も終わりに近づく冬の霧の街で僕はかじかんだ手を擦り合わせ、某氏との待ち合わせ場所で待機していた。

某氏はこの場所で待機しろと僕に伝えたが、何時に現れるなどといったそういう詳しい情報は伝えてこず、僕はただ本日が開始するとき、つまりは0時からここにいた。馬鹿みたいにね。

そしてまだ某氏はやってこない。

懐にしまいこんでいる懐中時計をスッと手元に持ってくる、冬の冷たさで真鍮のボディは氷の様に冷えていた。

かじかむ僕の手はその氷を包み込んで、冷たさをしっかりと感じ取った。

待機開始から23時間が経過しようとしていた。



愛情というのはなんなのだろうか、ふと思うことがある。

愛情だけではなく怒り、憎しみの喜怒哀楽の感情すべてに対して僕は、こんな感じでふと思う事があるワケなのだが。

とりあえず例として愛情を持ち出す。

確かに愛情というものは存在しているとは思う、家族というものや恋人とか、友だちとか、同志とか、そういう僕の身近なヒトビトからその愛情を享受している事からそれは分かるのだけれど、でも具体的に愛情っていうのは一体なんなのか。

僕はこれっぽっちも解らない。

何故か。

形にすることができないからだ。

例えば、何か物体があるとしよう。それについて特徴を列挙していけば説明という形にできる。

例えば、言葉だったら文字として書き記すことで形にできる。

だけれど愛情というやつは、感情というやつは、説明できないし書けないし、形になんてできない。

形にできないことに対して僕はイライラする。

このイライラする感情だって、確かにイライラという字面でどういう感情なのかは想像がつくとは思うが、がしかし、このイライラしている状態を100パーセントかっちり説明できるかと言われたらできないだろう?

物体や言葉は違う、100パーセントを伝えられなくとも各々の頭の中で、はてそれはどんなものだったろうかと補完される。

だけれど、どこまでいっても僕の感情を誰かに伝えようとすると誰かの尺度の中でその誰かの持つ、感情のバリエーションでしか補完されない訳だから僕の100パーセントを伝えることなんてできない、相手に理解させることができないものはとても曖昧で怖いし、辛い。

だから感情ってなんなのか僕には解らない。

形にできなければそれを認識することなどできないじゃないか、そんなふわふわとしたものをごく当たり前の様に会話で使っている僕が怖い、僕の周りが怖い、この世界が怖い、ついて行くことなんてできない。


霧は晴れることはなかった。

もやもやと街に流布し、滞留する。

誰かの足音が聞こえた。

これの主は某氏だろうか。

顔も知らない、どこかの誰かから来た手紙。

「霧払い」

そう書かれた手紙。

秘密めいた手紙。

その次の行にはイエスかノーか、選択肢が書かれていて。

何故か僕はいつも抱えるこのもやもやとした感情に決着をつけてくれるのではないのかと勝手に、そう確信した。

だから僕はこの秘密めいた選択肢にイエスと受け答え、手紙を保管した。

数日後、僕の元にまた手紙が届いた。

待ち合わせ場所と日にちが書かれた手紙だった。これも秘密めいていた。

そして、足音がすぐそばまで来ている。

コツコツと、なんだか聞き慣れた様な足音だった。

そして、僕の背中で足音は止まった。

「この街の霧は深いだろう、この街の霧は君の感情だ」

僕は向き合う。


某氏の顔は僕と同じ顔をしていた。

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