オフィスの机に置いた携帯電話から、アラーム音が響いた。


 伸治はPCの画面から顔を上げ、携帯電話のアラームを止めて時間を見た。確かこの後、新規プロジェクトのミーティングが入っていたはずだ。



「資料、出来てるか?」



 ちょうど、山本が伸治の席にやってきた。伸治は手に持っていたコーヒーを一口すすって答える。



「今印刷するわ。ちょっと待って」


「鹿島先生、もう来てるぞ」



 そう言って山本は伸治のPCの画面を覗き込もうとしたが、その時、デスクの上に『ユアタイムバンド』が置かれていることに気がつき、それを手に取って言った。



「お前最近つけてないよな、これ。飽きちゃったのか?」


「ん、まぁそんなとこ」


「次の仕事の方が面白そうだから?」



 伸治は曖昧に笑った。


 別に大した理由があるわけではなかった。


 伸治は今でも『ユアタイムバンド』を気に入っていたし、これで賞を受賞したことも誇りに思っている。


 その内にまたつけるようになるだろうとも思う。そう、例えばまた、次の「光景」が見えなくなったら――



「先に会議室行ってて。印刷したら持ってくから」



 伸治は山本に言った。「遅れるなよ」と言い残し、山本は会議室へと向かって行った。


 パワーポイントから印刷を実行し、プリンタが動き始めるのを確認して、伸治はまた携帯電話を見た。


 書きかけになっていたメールの文面を読みなおす。伸治はちょっと考えて、メールに一文を付けたした。



「大きな流れは変えられなくても、少しの未来を変え続けていれば、下流のどこかで向こう岸につけるかもしれないよ」



 伸治は麻奈にそのメールを送信し、携帯電話を机に置いた。


 印刷の終わった資料をプリンタから取り上げて机の上で揃える。カップを口につけすすってから机に置き、飲みかけのコーヒーをそのままにして、伸治は会議室へと歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水面《みなも》を渡る人 輝井永澄 @terry10x12th

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ