最後の弾丸 ―Last bullet―


 ――深夜。




 黒一色に塗り込められた風一つない夜空で、夜の闇よりも更に黒い翼を音もなく展開していくステルス飛行船。

 その翼はやがて正確な八角形となって空中に静止し、眼下に広がるDDSの実験施設を空中からすっぽりと覆い隠す。


 ステルス飛行船がその翼の展開を終えると同時。

 実験施設に灯っている明かりが一瞬消える――。


 施設の明かりはすぐに復旧するが、その時すでに飛行船の主、アリスは目的を達していた。






『――目標、基幹システムへのアクセス成功。これより、施設内のスキャン、及び、ナビゲートを開始します』


 飛行船内部。淡く輝く巨大なコンピューターシステムの中央。脳波コントロールによってシステム中枢とリンクするアリス。


『ターゲットαの位置情報を確認。ルート、転送します』


 アリスの視界と神経に膨大な量のデータが絶え間なく流れ込み、システムはそれを受けたアリスの判断と指示を待つ。


 アリスは施設の監視システム、迎撃システムを次々と無効化しつつ、既に内部へと侵入し、ターゲットに近づくユウトに対し、上空の飛行船から的確なナビを飛ばす。今の彼女には、地上で戦うユウトの姿が手に取るように視えていた――。


『データベースへのアクセス、開始。ターゲットβの解析を続行――』




 広大な屋敷内。バロック調の荘厳な通路をアリスの指示に従って突き進むユウト。

 異常に気付き巡回を開始したDDS職員を一瞬で昏倒させ、施設を更に奥へと進んでいく。


 目指すものは二つ――。


 ヨゾラの奪還。そしてDDSがアークエネミーの生成を行っているという確固たる証拠を手に入れること。


 ラウールからの通信によって、既にヨゾラの居室は特定している。

 

 データベースへのアクセスと解析をアリスに任せ、ユウトは音もなく木造の階段を駆け上り、いくつかの部屋を抜け――。


『……ユウト?』

「…………」


 両開きの巨大な木製の扉。その扉の前で、ユウトはぴたりと足を止めた。




 気配――。




 否。扉越しでも伝わるその激情は、研ぎ澄まされ、圧縮された凄絶な殺意――。


 ユウトは理解する。この扉の向こう側で、この殺意の主が自分を待ち構えていることを――。


『ユウト、αの反応は……』

「――わかってる」


 だが立ち止まるわけにはいかない。ヨゾラは、この先にいる――。


 僅かに身を屈め、肩で押すように扉を解放するユウト。室内の眩い光が、その先の光景を照らし出す。




 礼拝堂――。




 規則正しく配置された木製の長椅子に、美しい意匠の施されたステンドグラス。そして、中央に配置された宣教台と、その奥に立つ巨大な神像――。




 ――ほら、これ。借りちゃってごめんな――

 ――ううん。約束――守ってくれてありがとう――




「声――?」



 目の前に広がったその光景に、既視感とも言えぬ、おぼろげなイメージを幻視するユウト。だが、今のユウトに、そのことについて深く考える時間は与えられていなかった。


「――お前がユウトか」


 静寂に包まれた礼拝堂に響く声。


 視線を上げたユウトの目が驚愕に見開かれる。

 奥の神像から影のように現れたのは、まるで自らを鏡で映したかのようにすら見える、ユウトと瓜二つの容姿を持つ少年だった――。


「似てるな。吐き気がするほどに……」


 苦々しい表情を浮かべ、吐き捨てるように言う少年。しかし、それを受けたユウトは表情一つ変えず、アリスへと指示を送る。


((アリスはデータを))


『――気をつけて』


 その応答を最後に、それまではっきりと感じられていたアリスの「気配」が遠のくのをユウトは感じた。


 アリスが去り、二人きりとなった空間で、眼前に立つ少年を見据えるユウト。


 空気が変わる。


 大気中のあらゆる粒子が圧縮され、少年に吸い寄せられていくような感覚。その正体は、常人であればそれだけで命を絶たれかねない程の殺気の濁流――。


「君は、一体――」 

「――わからない」


 少年がユウトへと銃口を向ける。無造作に切り払われた長い前髪の奥から、不安定に明滅する金色の瞳が覗く。


「俺の名前はアルト。エアの家族は……兄は――……俺の、はず――」

「――エア?」


 殺気と共に放たれる少年の言葉。だが、ユウトにはその言葉の真意が掴めない。


 そして、ユウトが見せたその反応は、ギリギリで制御されていたアルトの衝動を爆発させるには十分だった。




「――俺は、エアのために全てを殺すと誓った」


 限界まで凝縮された殺気が、ガラスのようにひび割れ、砕け散り、飛散する。


「お前も殺す。お前に、エアは渡さない」


 瞬間。ユウトは前方に飛び込み、アルトの持つ拳銃のトリガーが引かれた――。



 ◆  ◆  ◆


 

 その意識を量子空間へと潜行させ、流星雨のように流れ込むデータの奔流一つ一つを、文字通り光速で処理していくアリス。

 彼女は実時間にして数秒で目的のデータへと辿り着くと、即座に解析と精査を開始する。だが――。


『この記録――なら、ユウトが今戦っているのは――……』

 





 ――実験記録。


 ――西暦2102年4月19日に放棄された北米の実験施設を接収。施設内部に残存するデータストレージの記録復元と、暗号化の解除に成功。以後、データを元に、実験内容の再現と完成を最終目標と定める。達成期限は三年以内とする――。




 ――飛び込んだユウトの頭上を弾丸が掠め、背後の壁面に弾痕が穿たれる。

 アルトは宣教台横まで悠々と歩みを進めつつ連続発砲。整然と並ぶ木造の椅子を遮蔽物にして移動するユウトを正確に狙い撃つ。

 ユウトは銃声と同時に地面を這うような姿勢から反転跳躍。空中へと逃れる。




 ――残されていた遺伝子情報を元に、『兄』の生成が可能となる。

 だが、『妹』の再現には遺伝子情報とは別の要素が必要と判明。『妹』の再現計画は中止。『兄』単独での実験続行を確認。

 第一次実験用として『兄』30体を生成するも、30体全てが要件に満たず廃棄処分。原因究明を急ぐ――。




 ――跳躍したユウトが弾丸を放つ。

 アルトは僅かに身を逸らしてその弾丸を回避し、同時に空中のユウトめがけてカウンター気味に発砲。が、その時すでにユウトは地上。アルトの弾丸をその頬に掠めつつ、ユウトは圧縮空気の放出で鋭角に急加速。アルトの眼前に着地し、即座に足払いへと移行する。




 ――精査の結果、『兄』の特性、身体能力を最大限発揮させるためには『妹』の存在が不可欠と判明。

 アークエネミー生成実験に使用しているサンプルNo.19を当面の間『妹』として併用することで対応。

 更に、再度生成した5体の『兄』に対し、記録データから得られた再現記憶を移植する――。




 ユウトの斬撃にも似た足払いを背面へのバク転で回避するアルト。ユウトが追い打つ。発砲。空中で無防備に晒されるアルトの背に弾丸が吸い込まれ――。


『右に回避!』

「――っ!?」


 アリスの叫び。かき消えるアルト。ユウトの弾丸はアルトの影を貫通し、その向こう側の木製の壁に突き刺さる。


 刹那、ユウトはアリスの声に反応。右へと跳躍。

 先程まで立っていた場所が抉れ、一拍遅れて跳躍するユウトの行く手を遮るように、四方からアルトの放った弾丸が降り注ぐ。


『ユウト、その人は――!』


 アリスの声。決断するユウト。

 その瞳が金色に染まり、同時に四方を囲む弾丸がその速度を緩める。



 ――一秒。

 速度を緩めた弾丸を回避し、音速を超えて加速したユウトの視界に、同じく金色の瞳を輝かせたアルトが映る。

 瞬間。二人はお互いに対して全く同時に発砲すると、一瞬で自ら撃ち放った弾丸を追い越して加速。接近し、射撃と蹴打、抜き放たれたコンバットナイフによる攻防へと移行――。


 ――二秒。

 時間差で二人の元に辿り着く一発目の弾丸。

 お互いの背後から迫る弾丸を僅かな首の傾きで回避するユウト。大きく身を屈め、ユウトと交差するようにその背面へと回り込みつつ回避するアルト。互いの背を向け合う形になった二人が同時に振り向き、空中で二つの斬撃が交錯する。


 ――三秒。

 交錯は刹那。交わった刃が離れ、アルトはユウトの肩口めがけ発砲。合わせたようにユウトも発砲。息がかかるほどの距離。見切れはしても弾丸を完全に回避することは不可能。

 ユウトが被弾。アルトは右手に持つ拳銃に直撃し、喪失。ユウトはすかさず踏み込もうとしたが、よろける。


 限界の三秒を超え、ユウトの瞳の色がぶれる。

 A・Dアドバンスド・ドライブによる加速が終りに近づく。だが恐るべき事にアルトの加速は止まらない。暴風のように繰り出されるアルトの連撃がユウトを捉え、打ち据え、噛み砕く。


「くっ!」


 ユウトの左手。固く握りしめた拳銃が撃ち抜かれ、その手から弾き飛ばされる。

 

 ユウトは片方の拳銃を失いつつも咄嗟の見切りでナイフを投擲。更に残された拳銃を再度抜き放つと、アルトの回避ルートを潰すように連続射撃。が、勝機を手にしたアルトにはそれすら眼に入らない。

 投擲されたナイフによって、最後に残った拳銃をはね飛ばされるのも構わずユウトに接近し、痛烈な一撃を叩き込む。

 


 銃撃後、距離を取ろうと後方へ跳躍中だったユウトはその一撃をまともに受けた。

 ピンボールのように吹き飛ばされるユウト。叩き付けられた宣教台が砕け、ユウトはまるで壊れた玩具人形のように神像に激突、バウンドし、受け身も取れずに力無く地面へと倒れ伏す。


「ま、だ――っ!」


 激しく喀血しつつも、必死の形相で起き上がろうとするユウト。

 ユウトは震える両手で残された拳銃を構え、膝立ちの姿勢でただ自らの正面へと銃口を向ける。が――。



 視力の喪失。ユウトの視界が闇に消える。

 それは、限界を超えたA・Dアドバンスド・ドライブの反動――。



 一欠片の光すら失ったユウトに、未だ超音速を維持するアルトが迫る――。


 


 ――その時、アルトは確信していた。自身の勝利。相手の死――

 ――その時、ユウトは確信していた。声が。彼女の声が、聞こえることを――




『――今』




 銃声――そして、静寂。




 膝立ちで拳銃を構えるユウトの正面数歩先――。

 腹部を貫通されたアルトが、滲むように姿を現わす。

 

 アルトは何も言わず、ただ自身の体から立ち昇る硝煙を、無感情にみつめていた――。



 ◆  ◆  ◆



 ――炎上するDDSの実験施設と、施設を包囲するGIGの戦闘ヘリ群。


 ここだけではない。時を遡ること一時間前。GIGはDDSに対して宣戦布告。一方的に攻撃をしかけた。この後、GIGとDDSによる戦闘は全世界規模で繰り広げられ、その戦禍は全てを巻き込んでいくこととなる――。






 炎上する施設の地下深くで対峙する二つの影――。


 一方は黒いロングコートに身を包んだ老齢の男性。

 DDS総帥。ジェラルド・ディグニティ。




 そして、もう一方は――。




「――まさか、お前の方がここに来るとはな」


 ディグニティの呟きは、彼の目の前に立つ、傷ついた少年へと向けられていた。


「まあいい。手負いでは味気ないが、少しは楽しませて貰うとしよう」


 二挺の大型拳銃を悠々と構えるジェラルド。

 対する黒髪の少年は、拳銃すら持たぬ血まみれの手で、ゆっくりと拳を構えた。


「――俺が憎いか。だが、ただ一発の弾すら尽きたお前に、何ができる?」

 


 ジェラルドの声に嘲りの色はなかった。

 彼の言葉は、事実だった。



「――武器なら、あるさ」



 少年は言った。



「守ってみせる。それが、俺の最後の――」



 ◆  ◆  ◆



 ――炎上する施設から離れていく一機のヘリ。

 その中で、一人の少女が目を覚ます――。



 目覚めた少女は辺りを見回すと、すぐ横で自分を見つめる少年の姿をみとめる。



「――おかえり。遅くなって、ごめん」



 少年のその声に、少女の瞳が潤み、それはすぐに大粒の涙となって零れ落ちた。


 少女は、帰ってきた。



「お兄ちゃん――」 



「――約束。守ってくれて、ありがとう」

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ラストバレット ―Keep under― ここのえ九護 @Lueur

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