序曲 ―Overture―
――クロライナ陥落。
この絶望的な事実は瞬く間に全世界を駆け巡り、人類を震撼させた。
無理もない。
オーバーがこの星の大空を行き来するようになって数十年。艦艇を構成する一区画がエネミーの攻撃で落下することはあっても、艦艇そのものが撃墜されることは一度たりとて無かったのだから――。
そして、そのニュースとほぼ同時。民間軍事企業GIGのCEOレヴィン・ランバートの元に、ある一報が届いていた――。
「わかった。すぐに手配してあげて」
GIG本社ビル。
広々とした執務机で通信連絡を終えたレヴィンは、青白く輝くモニターを見つめ、深い溜息をつく。
彼が見つめるモニターには、S級3位のユウト・キサラギとそのオペレーター。アリス・リリエンソールのGIG脱退についての連絡が表示されている――。
「わかってるよ、ユウト――ようやく見つけたんだろ?」
そう呟くレヴィンの脳裏に、かつて過ごした故郷での日々が想起される。それは、ユウトやイエロ。そしてヨゾラと共に過ごした、遠い過去の記憶――。
「正直、戦争は避けたかったけど――」
席を立つレヴィン。彼が向かうのは、執務室横に掲げられた一挺の銃。レヴィンはその銃に手を伸ばし、呟く。
「僕を怒らせるとどうなるか、教えてあげるよ。ジェラルド――」
◆ ◆ ◆
今から百年前――。
まだ『国家』が絶大な権力と地位を維持し、世界に上も下もなかった頃。とある軍事実験によって生み出された一組の兄妹がいた――。
――その兄妹のうち、兄には人類を超越した身体能力と反射神経が。そして妹には、当時発見段階だった特殊なエネルギーに干渉する能力が与えられていた。
奇跡とも呼ばれたこの兄妹の存在は、停滞していた人類の技術革新を、次の段階へと導く切り札として期待されていた――。
「が……二人は逃げた。そしてそのまま、二度と戻らなかった――」
見渡す限り全てが白一色の空間。DDSの総帥ジェラルド・ディグニティは、自身しか存在しないその空間で一人呟く。
「俺は、あの二人が最も望む場所へ辿り着いたのだと信じている。お前なら、例え全ての武器を失ったとしても、必ず妹を護り切るからだ」
ジェラルドは言って、自身の喉元へと手を添える。禍々しく痛ましい。喉元に穿たれた、銃創へと――。
「――そして、そんなお前だからこそ、俺はこの衝動を抑えることができない」
笑みと共に発せられる声。その声は純白の空間に反響し、消えていく。
「楽しみだ。ようやく俺はまた、お前と戦える――」
◆ ◆ ◆
橙色の明りが灯る廊下の奥。木製の扉の前に立つ黒髪の少年が、その扉をゆっくりと、二度ノックする。
「――アルト、さん?」
扉の向こうから聞こえる少女の声。
アルトは安堵の表情を浮かべると、少女に向かい、扉越しに優しく声をかけた。
「遅くにごめん。実は、また行かないといけなくなって――」
――静寂。返事はない。
暫くそのままににしていたアルトはやがて、居たたまれなくなったのか辛そうな表情で踵を返すと、その場から離れようとする。だが――。
「――帰ってくる?」
不意にかけられた、消えるような小さな声。その声にアルトははっとなって足を止め、顔を上げる。そして緩く開かれた掌を、固い拳へと握った。
「――約束する」
アルトはその瞳に涙を溜め、震える心から絞り出される声を必死に押さえつけながら答えた。
「お怪我、しないでね――」
「ありがとう」
心配そうな少女の――最愛の妹の声に後押しされるように、アルトは確かな足取りで扉の前から離れると、薄闇の中、溶けるように姿を消した――。
◆ ◆ ◆
「――ユウト、ラウールさんから。『失せ物を確認。回収されたし』」
星一つ無い漆黒の夜空。その中を音も無く飛翔するステルス飛行船。
先だって潜伏するラウールからの通信を確認したアリスは、念入りに装備の確認を行うユウトに声をかけた。
「わかった。後は任せて、退くように伝えて」
――既に、二人はGIG所属の傭兵ではない。
イエロが遺した最後の言葉からDDSの暗躍を知ったユウトは、暫くしてGIGを脱退。アリスもそれに従った。全ては、DDSが主導しているというアークエネミーの生成を止めるため。そして、ユウトの妹であるヨゾラを救うため――。
アークエネミーの生成の手がかりを得てからの二人の行動は早かった。
アンノウン、そしてザナドゥに遺されていた痕跡から、実験データの断片へと辿り着いた二人は、2年前、アンダーで攫われたヨゾラと思われる実験個体の痕跡を発見する。
かつて相対したアークエネミー、ノエルからの情報で、ヨゾラがアークエネミー生成に関わっていることを知っていた二人は、そこから僅か一ヶ月でヨゾラが捕らわれているDDSの施設へと辿り着いた。
当然だが、GIG所属の傭兵がそんな場所に侵入しようものなら、両者の全面戦争に発展しかねない。ユウトが予めGIGを脱退したのは、そういった禍根を遺さないためでもあった。
「ラウールさんから最終連絡。『幸運を。死ぬなよ』って」
「……ありがとう、ラウールさん」
ユウトはアリスから伝えられたその言葉に、力強く頷いた。
「嬉しいね――みんな、ユウトを助けてくれる」
「うん……今度は、俺がしっかりしないと」
薄暗いコクピットの中。柔らかく微笑むアリスに、ユウトもまた笑みで応えた。
「――目標まで、後300秒」
今、この飛行船に乗っているのは二人だけ――。
薄青い光に照らされたアリスの横顔。
彼女の澄んだ瞳は、真っ直ぐに、装備の最終確認を行うユウトに向けられていた。
「どうかした?」
ユウトがアリスの視線に気づく。
振り向いたユウトとアリスの視線が交わる――。
「――帰ってくる?」
アリスはいつもと変わらない口調、変わらない抑揚、変わらない声色で、ただ一言、そう言った。
その瞬間。どこまでも深く、蒼いアリスの瞳には、ユウトだけが映っていた――。
「約束する」
それは、二人が出会ってから今まで、一度も交わしたことのないやりとり。
――帰還の約束。
ユウトは頷くと、アリスの肩を抱き、彼女の柔らかな頬と、自分の頬を重ね合わせた。アリスは肩口に回されたユウトの腕にそっと手を添えて、その瞳を静かに閉じた――。
「行ってくる――」
「――待ってる」
二人には、それで十分だった――。
――この時、その場に集った全ての者達は、皆、例外なく心に火を灯していた。
夜の闇を裂き、照らし、喰らい尽くす、凄絶な炎を――。
その炎がこの夜を境にし、全てを覆い尽くす事になるとも知らずに――。
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