臨界点 ―Critical Point―


 夢――。

 



 それは、何度も、何度も、何度も見た夢。

 大好きなお兄ちゃんが、傷だらけになって闘っている夢――。

 

 わたしはそれを見ていることしかできなくて、待っていることしかできなくて――。



 とても苦しくて、でも、どこか懐かしい夢――。




 ――エアにはかなわないな――




 お兄ちゃんは、そう言ってわたしに笑う。


 でも――。

 

 ――違うのに。

 

 わたしの名前は、エアなんて名前じゃないのに。

 

 見上げたお兄ちゃんの顔は、お兄ちゃんに似ているようで、どこか違う。


 とても、寂しそうな顔――。




 わたしはヨゾラ――。

 



 そうだよね?

 お兄ちゃん――。 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 重い。ただひたすらに重く、心の臓まで届くかのような音が辺り一帯に響く。




 オーバー艦艇の心臓部。中央炉心。


 巨大な円筒形の構造物中央に向かって一定の間隔でプラズマの放射が収束し、その度に周囲の大気が振動。それはまるで生物の鼓動のように一定のリズムで繰り返され、消えていく――。




「――見事だ。だが、お前にこれ以上やらせるわけにはいかぬ」


 繰り返されるプラズマ放射を背景に、眼光鋭い一人の老人が口を開く。


 老人の両腕と両足は流線型のアーマーで覆われており、まるで老人の呼吸に呼応するかのように、一定間隔で光のラインが明滅していた。

 



「――あんたで最後か」


 年若い、少年の声――。

 二丁の拳銃を携えた、灰色のパーカージャケットを着た少年――。


「これは……私もついに耄碌したか。お前は私のよく知る少年と瓜二つに見える」

「俺はあんたを知らない。知る必要もない」


 驚愕の表情を浮かべる老人に対し、少年が踏み込む。


「知らぬか――GIGのS級4位と言えば、大概の相手は諦めるのだがな」


 老人が構える。

 軸足が大きく後退。同時に両腕を緩やかに旋回させ、弓を引き絞るかのような位置でぴたりと静止。既に老人の顔には、先程までの動揺は見られない――。




「私の名はジン・シンイン。今からお前を殺す者の名、覚えておいて損はあるまい」


 それが、合図だった。

 


 ◆  ◆  ◆


 

 オーバー艦艇『クロライナ』


 多数存在するオーバーの中で最も古いこの艦は、形骸化したとはいえ未だ存在する国連の総本部が置かれ、現在でも国家外交上の要衝として機能する重要拠点である。だが――。


 今、この空飛ぶ巨大な鉄の船は、たった一人の襲撃者によって、壊滅寸前の危機を迎えようとしていた――。




 ――錯綜する影と影。


 接近しての一撃必殺を狙うジンに対し、少年は間合いを保ちつつ銃撃戦の構え。

 襲い来る弾丸の雨。しかしジンはその雨の中、両腕と両脚を覆う金属製のアーマーで弾丸を弾き飛ばしつつ接近。


 それを見取った少年は即座に左手の拳銃を投げ捨てると、腰からナイフを抜き放つ。


 流麗かつ鋭い動きで少年の間合いへと踏み込むジン。二人の戦いは超至近距離での接近戦へと移行。

 ジンの抜き手を少年は身を引いて回避、少年はその勢いでジンの頭部に強烈な横蹴り。ジンは手甲で少年の蹴りを受け止めると、手首を捻って少年の足を捕縛。自身後方の地面へと少年を叩き付ける。


「わかっているのか? ここを墜とせば、数十万の未来が潰える!」

「俺は一人の未来が守れれば良い」


 地面に叩き付けられた少年は追撃を試みるジンめがけ発砲。だが撃ち放たれた弾丸は空を切る。直進する弾丸の軌道がジン周辺で不自然に湾曲し、逸らされたのだ。


「無駄だ、すでに機は熟した」


 ジンが加速。少年は迎撃。

 少年は迫るジンに対し小刻みに発砲。しかしそれらはまたしても空を切った。

 



 ――違和感。



 

 再び間合いに入られた少年は左手のナイフで横薙ぎ一閃。が――。


「気づいたか」


 ナイフでの一撃、だがそれは少年が狙った場所から数センチ上方を掠めた。何らかの力によって、少年の狙いが歪められている。


「私の領域下では全てが歪む。それは私にも影響を及ぼすが――なに、そこは年季が違うのでな」


 衝撃。少年の視界が真っ赤に染まり、意識が飛ぶ。


 ジンの掌底。深く、抉るような一撃が少年の鳩尾に決まる。

 はね飛ばされた少年は糸の切れた人形のようにバウンド、壁面に叩き付けられ吐血。


 一撃を叩き込んだジンは静かに残心姿勢を取る。だが、彼はここで追撃の手を緩めない。


 少年からの殺気は微塵も衰えていない。

 残心姿勢のジンは両手を鋭く回し、次の瞬間弾丸のように加速。倒れ伏す少年に最後の一撃を叩き込まんとする。だが、その時――。


「っ――まさか!?」


 少年が消える。驚愕に見開かれるジンの双眸。

 刹那、突き出されたジンの右腕がアーマーごとねじ切られ、吹き飛ばされる。



A.Dアドバンスド・ドライブ――なぜ、お前が――?」



 呟くジン。だが、彼にそれ以上の猶予は与えられなかった。


 失った右腕。そして眼前に迫る強敵の奥の手。ジンは即座に横っ飛びに跳躍。ジンが先程まで立っていた位置に黒い残像が奔る。


「――ならば、死力を尽くすのみ」


 超高速で迫る影。常人の反応速度を遙かに上回る一撃。

 しかしジンは残る片手を弾かれつつも受け流す。




「後は頼んだぞ。ユウト――」


 

 

 ◆  ◆  ◆




 ――それから数時間後。



 

 世界最古にして、最も巨大なオーバー艦艇『クロライナ』は、地上に墜落。


 全長数十キロにも及ぶ巨大な浮遊大陸の墜落は、数十万のクロライナ住民だけでなく、アンダーに住む多くの人々にも甚大な被害を出すことになる。


 クロライナ防衛に当たっていた多くの兵士、及び傭兵部隊はほぼ全滅。

 そして――。



 GIGのS級4位、ジン・シンインは戦死――。



 人類史上類を見ないこれら全ての惨劇が、ただ一人の少年によって引き起こされたことを、多くの人々はまだ知らない。


 そして、その凶行の主は、今――。


 


 ◆  ◆  ◆




「あ――」


 薄明かりで照らされた室内。アンティーク調で纏められたその部屋の中で、豪奢な造りの寝台から、まだ十代前半に見える一人の少女が身を起こした。


「アルト、さん?」

「ただいま」


 薄明かりの届かない部屋の奥。漆黒の闇の中から溶け出すように、一人の少年が姿を現わす――。


「酷い怪我――」


 少女が悲痛な表情で呟く。


 アルトと呼ばれた少年の服はところどころ破れ、その下の肌には無数の裂傷が見える。アルト自身の表情も憔悴しきり、彼が今こうして立っているのが不思議な程の有様だった。


「俺の事はいい。それより、ここから出ていけるかもしれないんだ」


「え――?」


 アルトの言葉に驚きの表情を浮かべる少女。


 アルトは自身の傷や痛み、疲れも全て忘れたように無邪気な笑みを浮かべると、少女に向かって歩み寄る。


「『国家』の拠点を墜としたんだ。これでもう、俺達が追われる心配もない」

「こっか――?」 


 不思議そうに首をかしげる少女。


「ここに匿われている必要もなくなったんだ。準備を整えたら、すぐにまた二人で旅を続けよう。エアだってそのほうが――」




「――エアじゃない――」



 

 まるで熱に浮かされたように話し続けるアルトを、少女が遮る。

 その声には困惑と共に、強い否定の意志が籠もっていた。


「ヨゾラだよ――わたしの名前はヨゾラ――」

「――っ!」


 その言葉に、今度はアルトが顔を歪める番だった。


 先程までの笑みは一瞬で消え、少女のその言葉を受けたアルトの表情は、今にも泣き出しそうなほど弱々しく、悲しみに充ち満ちていく。


「わたしは、旅なんてしたくない――」


 そう呟くように口にしたヨゾラは、寝台に置かれていた小さなクマのぬいぐるみを掻き抱くと、嗚咽を漏して涙を零す――。


「会いたいよ――ユウトお兄ちゃんに会いたい――」

「ユ、ウト――……」

 


 違う。

 


 ――お兄ちゃんは、ここにいるじゃないか――。 



 寝台の上で泣き続ける少女を前に、思わず溢れそうになる想いを悲痛な表情で飲み込むアルト。


 ――おかしい。この世界は、なにかがおかしい。

 どうして俺は、この少女を救うことが出来ない?



 俺が間違っているのか?



 実の妹なのに。

 血を分けた、たった一人の家族なのに。


 最愛の――この世界でただ一人守れれば良いと思っている妹からの拒絶――。

 それはアルトの心を苛み、自己の『記憶』と『現実』に巨大な溝を生み出していく。



 だが――。



 例え記憶と現実、そのどちらもが歪み、間違っていたとしても――。



 彼には彼女しか、依るものがなかった――。


 

「――ごめん。また、来るよ」


 嗚咽を漏す少女の肩にそっと手を添えると、アルトは踵を返して部屋を後にする。


 しかし彼が部屋から幾ら離れても、その背に聞こえる少女の――。

 妹の泣き声が止む事は無かった。


 ――薄暗い通路の中、何処かへと向かうアルトの蒼い瞳が金色に変わる――。



「今の俺に護ることが出来ないのなら、せめて――」




 全てを殺す。




 妹を、エアを傷つける、全てを――。 

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