内臓と内緒話
盛田雄介
第1話 無遅刻無欠席の男
朝日が入り込む寝室で、愛用のベッドを軋ませながら健太郎は「もう限界だ。早く起きろ」との複数人からの怒鳴り声に起こされ、トイレへと向かった。
昨晩の飲み会の疲れなど微塵も感じさせない身の軽さは若さならでは。
用を足し、小さい水槽に入っている三匹の金魚には目もくれず、冷蔵庫へとまっすぐに向かう。中を開けると野菜から肉、乳製品、調味料が几帳面に並べられていた。
「どれを食べようかな」指をさしながらつぶやく健太郎の背後で三匹の金魚が跳ねた。
「ちょっと待ってよ。朝ごはんより先にすることがあるだろう」再び、複数人に怒鳴られて健太郎は思い出した。
「そうだった。お腹が空いたから忘れてた」健太郎は洗面所へ向かい、はみがきを口の中に入れ、洗濯機の棚に置いてある金魚の餌袋を開けてリビングに戻った。
片手で歯を磨きながら、三匹に餌を与える。細切れの小さな餌を食べる様子を横目に念入りに歯磨きを行う。
三分ほど経過し口の中は泡だらけ。再び洗面所に向かおうとするが、またしても複数人に止められた。
「まだだよ。上の奥から五番目と六番目の歯の間に溜り物があるよ」健太郎は「まだかよ」とイラつきながらも指示に従った。
「よし、もういいですよ」の合図で口をゆすぎ、台所へと戻る。
「どれを食べたらいいんだ」健太郎は冷蔵庫の中身を見ながら誰かに問いかける。
「そうだな。昨日の飲み会で若干、荒れたから、消化に良い物にしてくれ。パン二枚と豆腐、バナナもいいな。それと最後にヨーグルトで完璧だ」
「わかった」健太郎は何者かに従い、泳ぎ回る金魚を見ながら朝食を食べ始める。
「昨日は忙しくてごめんね」
「気にしないでいいよ。たまには、ゆっくりお酒も飲みたいでしょ」
先ほどの怒鳴り声とは違い、低くゆっくり話す声の主に健太郎は申し訳なさそうにしながら、サプリメントを飲んだ。
その後、再び小言を言われながら、歯磨きを行い家を出た。
さくら駅はいつも通りの大混雑。同じような背広に身を包んでいる大人達や学生で溢れている。
そして、人間の事など恐れていない鳩の大群。
健太郎の周囲にも数羽の鳩が地面を突いているが、無視して、階段に足をかける。
しかし、先を急ぐ健太郎の足は急な静止の声によって止められた。
「ちょっと待って、朝ごはん食べたばかりだから、運動せずにエスカレーターで行くんだ」
健太郎は、混雑するエスカレーターを見てため息をついたが、指示に従い、鳩が飛んでいくのを見送りながら、ゆっくりと動くエスカレーターに乗り込んだ。
そして、駅に入って二十分かけ、ようやく電車に乗り込んだ。
電車の中はいつも通りの満員で窮屈であるが、そんな事を無視して、健太郎に声を掛けてくる者がいた。
「朝食を食べたのが、朝の七時だから十時には仕上がるよ」
「今から仕事だから出来れば、昼休みに調整してくれないか」
「では、またその時に声掛けするね」
「ありがとう」と言った瞬間、健太郎は焦った。思わず、口に出して言っていたからだ。
目の前に立っている女子高生の冷めた視線が余計に悔やませた。女子高生から見ると健太郎は一人で突然、「ありがとう」と言ったように見えたからだ。
それもその筈だ。なぜなら、健太郎は心の声を使って人以外のある者達と会話が出来るのだ。今も心の声でその者達と話をしていたのだ。周囲の人間に彼らとの会話は聞こえない。話せるのは健太郎だけ。彼らは、常に健太郎の事を考えて行動している。彼らは健太郎の幸せを常に祈っている。特に健康面に対しての配慮はただならなかった。
そう、彼らとは健太郎がこの世に産まれた時からずっとそばにいる健太郎の臓器の事である。
健太郎は自分の臓器と会話が出来るのだ。
彼がこの力に気付いたのは小学生の時に高熱で苦しんでいた時だった。初めは、ペットのハムスターが声をかけてきたのかと可愛らしくも空想したが、実際は小腸と大腸が風邪で弱った身体を整えるためにスポーツドリンクを飲めと言ってきたのだ。
その後、健太郎の風邪はすぐに治り、改めて臓器達と会話を始めた。臓器はそれぞれに性格があった。すぐに怒る胃や寡黙でのんびり屋の肝臓、職人気質の小腸・大腸兄弟などだ。全ての人間がこうなのかと思って親にも聞いたが、結果は内科から精神科に連れて行かれただけだった。
それから健太郎は臓器達と生活を共に送っていた。彼らの言う通りに食事をするので体調管理はばっちり。風邪を始めとする病気には小学生の高熱以来、かかった事が無かった。勉強や運動にも身が入り、「無遅刻無欠席」は健太郎の代名詞となっていた。
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