第5話 自分自身と一致団結

 屋上に着くと雨は止んでいた。相変わらず湿気が高く、肌寒いが今の気持ちを落ち着かせるには丁度良い。濡れることなど気にせずに安全柵に寄りかかり地面に座る。

「もう、どうでもいいや」健太郎はそうつぶやき、目の前の夕日を何も考えずに見つめた。

「ここまで来て、それはないだろ」健太郎はまた、臓器の誰かが話かけてきたのかと思ったが、声は自分の中じゃなく背後から聞こえた。

「陣内先輩」陣内は振り向いた健太郎に缶コーヒーを投げ渡す。

「それ飲んでもう少し頑張れよ」

「どうせ先輩も俺が飲み会の時、料理に細工してプロジェクトの仕事を取ったって思ってるんでしょ」

「そんなこと思った事ねーよ。そんな卑怯な手を使う奴が、誰よりも早く出社して、仕事して、毎晩行きたくもない接待に行って、ご機嫌とりなんかしないだろ」

健太郎は黙ったまま陣内の声に耳を傾けた。

「それに、このままで良いのかよ。みんなに誤解を抱かれて悔しくないのかよ」

「そりゃあ、悔しいですよ」

「なら、頑張れよ。俺はお前の努力を知っている。このプロジェクトを受け持ったお前をずっと見てきたからわかる。みんなにお前の実力をみせてやれ。お前は何かを持っている筈だ」そう言いながら涙目の健太郎の肩に優しく手を添える。

「ありがとうございます」

陣内は言いたい事はそれだけだと手を振って屋上を後にした。

「それで、どうするんだよ」

「決まってるだろ」健太郎は胃にそう伝えトイレに籠った。

「みんな聞いてくれ」健太郎は目を瞑って自分の臓器全てに声が届くように神経を集中させた。

「みんなが限界間近なのはわかっている。予定では、今日から休息が取れるはずだったが、仕事の都合上、それが出来なくなった」健太郎は深呼吸をして続けた。

「今日から残り四日間、伊藤さんは出張でいないから飲み事はない。だから今日から朝昼晩全ての時間を使って仕事をしたい。それにはみんなの力が必要なんだ。力を貸してくれないか」無言の臓器達に健太郎は更に声をかける。

「思い返せば、君達に心の底からお願いなどしたことが無かった。自分の臓器だから、俺の言う事を聞くのは当たり前とどこかで思っていたんだと思う。だけど、ようやく気付いたんだ。君達と俺は一つなんだ。俺一人はみんなで、みんなが俺一人なんだと。だからこそ、お願いをするんだ。俺一人の我が儘を聞いてもらうから。みんなの負担はわかってるけど、それでも突き通したい事なんだ」

健太郎は伝えたい事を言い臓器達の返事を待った。誰からの返答もなく時は刻々と過ぎていき、ようやく一人の声がした。

「僕は協力するよ」最初に名乗り上げてくれたのは肝臓だった。ここ最近で一番、忙しい思いをさせてしまった肝臓からの返答に心から感謝した。

「ありがとう。肝臓」

「あと少し頑張ってみんなを見返しましょうよ」

「報酬はキャベツ一玉分だな」

肝臓に続いて小腸と大腸兄弟の返答がきた。

「ありがとう。小腸、大腸」それからもあらゆる臓器達から賛同が得られた。そして、アイツからの言葉。

「俺も手伝うぜ。一緒にあの部長をぶっとばしてやろうぜ」

「胃もありがとう。一緒に頑張ろう」健太郎はすぐにオフィスに戻って一から資料を作り直し始めた。やはり周囲からは何かを言われたが耳に頼み、関係ない話は聞こえないようにした。一気に仕事に集中し、気づけば4時間が経過し、夜十時を回っていた。こんな時間までオフィス内に残業しているのは健太郎のみ。

「流石にご飯を食べないとな」と胃に言われ、コンビニでカップ麺と大量の栄養ドリンクを買った。更に下着、シャンプーを買って会社に戻る。健太郎は臓器達と相談して仕事が終わるまで会社で寝泊まりする事に決めたのだ。

健太郎は食事を簡単に済ませて仕事に集中した。眠気が来ても臓器達がカフェイン入りのドリンクを飲ませ、いつも以上に覚醒状態を持続させてくれた。朝を迎えてから、シャンプーで体と頭を洗って身を整え、仕事に没頭した。仮眠は三時間のみ。服は着替えてないので少し臭いがし始めたが、気になどしていられない。

そんな社内での生活を始めて三日目。遂にプロジェクトの資料が再完成した。

健太郎は最後の見直しを行い、すぐに部長へ提出した。

「部長、資料出来ました」

「出来ましたって、会議は明日だぞ。遅くないか」部長は相変わらず、適当に資料に目を通し結果を述べる。

「前のとどこがどう変わったの。ほとんど一緒じゃないか」健太郎には詳しく説明する気力など残って無かった。部長の話は続いたが、質問の意味が理解出来てなかった。うわの空で話を聞く部長がついに怒鳴った。

「渡辺、聞いているのか」はい。と反射的に答えるが、やはり気持ちなど入っていなかった。

「大丈夫ですか。部長」怒鳴り声に陣内が様子を見に来た。

「こいつの資料を注意しているんだが」

「あ、これですね。僕も見ましたがよく出来てましたよね」

「陣内もこれ見たのか」

「僕も確認させて頂きました」部長は陣内の言葉を聞くなり、資料を机の上に置いて笑顔になった。

「それなら、大丈夫だな。渡辺、お疲れ様。明日の発表も頑張ってくれよ」

「それと、部長。渡辺が少し疲れてるみたいで明日の発表に支障きたしてはいけないので早退させてあげてください」陣内の提案に健太郎は耳を疑った。そんな事が可能なのかと。

「わかった。資料もあるから、今日は帰って休んでいいぞ」健太郎は部長に一礼し陣内とその場を後にした。

「先輩、色々とありがとうございました。早退の許可まで提案してくれるなんて」

「お疲れ様。今日はゆっくり休んで、明日の発表がんばれよ」陣内は激励の言葉をかけて仕事に戻った。

自分の机に戻ると二人の女性が待っていた。

「渡辺さん、この前は変な噂をしてすみませんでした」どうやら、自分の噂をしていた二人のようだ。

「俺もあの時は、大きな声を出してすみませんでした」

「今日はゆっくり休んでください」二人はそう言うとケーキを手渡した。

「ありがとう」健太郎は受け取って会社を後にした。

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