第6話 安息の時間
健太郎は帰りの電車の中で何度も眠りかけた。駅から家までの道中も休憩を挟みながらやっとの思いで家に到着した。
部屋に入るなり、何日間も着続けた背広も脱がずにベッドに直行し、念願の休息を噛みしめた。
「みんな、今日こそゆっくりと休んでくれ」
「お疲れ様。俺達も今日はゆっくりと休ませてもらうよ。おやすみなさい」小腸、大腸兄弟は労いの言葉をかけて休憩に入った。
「お疲れ、腸兄弟」
「僕も休ませてもらうよ」肝臓は眠たそうな声で挨拶をしてきた。
「お疲れ様。肝臓」それからも続々と臓器達と挨拶をした。普段、あまり話さない腎臓の双子や膀胱、膵臓、上の歯、舌の歯達などともだ。
「お疲れ様。えっと…君は」
「僕は延髄だよ。体温調整を常に行っているから中々、話しが出来ないもんね」
「そうだね。いつもお仕事お疲れ様」
「今から休憩に入るから、身体が冷えないように布団の中に入ってね」
延髄の助言通りに徐々に身体が冷えてきたので指示に従って布団の中に潜り込んで暖をとった。
「そう言えば、彼とまだ話してなかったな」健太郎は臓器達の中でも一番、仲良しの胃に声をかけた。
「胃は、まだ起きているか」
「起きてるぞ」胃も他の臓器達同様に少し眠たそうにしている。
「君は、臓器達の中でも一番よく話をしたよね。仕事で辛い時も君が一番、話かけてくれた。感謝しているよ。今日はゆっくり休んでくれ。お疲れ様」
「何を今さら言ってるんだよ。お前もよく頑張ったよ。お疲れ様。脳みそ」健太郎を包み込む眠気は胃の思いもしない言葉に一蹴された。
「胃、今何て言ったんだ」
「何って、お疲れ様って言ったんだよ」
「違う。その後だよ。俺の事を何て呼んだんだよ」胃は健太郎の質問を不思議そうに聞いてもう一度、彼の名前を呼んだ。
「だから、お疲れ様。脳みそって言ったんだよ。お前の名前だろ」健太郎は自分の聞き間違えじゃない事をはっきりと確認した。
「なんで俺が脳みそになるんだ。俺は渡辺健太郎だ。そうだろ」胃は眠りを邪魔する脳みそにイラつき始めていた。
「なんで、お前だけが渡辺健太郎になるんだよ。俺だって渡辺健太郎だぞ。お前が前に言ってただろ。『俺はみんなで、みんなは俺だ』って。忘れたのか」
「ちょっと待てよ。今まで渡辺健太郎が仕事を頑張ったり、怒ったり、泣いたりしていいたのは俺が渡辺健太郎個人として感じた事ではなくて、俺が脳みそだったからってことか」
「それが、お前の仕事だろ。渡辺健太郎として物事を考えたり、感情を表に出したりすることが。もう、いいだろ。俺は寝るぜ。おやすみ」脳みそは混乱していた。俺が渡辺健太郎じゃなかったら、誰が渡辺健太郎なんだ。渡辺健太郎はどこにいるんだ。と言うよりも今、こうやって考えているのも渡辺健太郎としてではなく、脳みそとしてか。つまり、色々と感じたり行動したりする俺自身も所詮は渡辺健太郎の臓器の一つだったと言うことなのか。
食べ物を消化する仕事、栄養を吸収する仕事、排泄物を作る仕事、臓器には各々の役割があった。そして、疲れたと考えている俺自身の役割は『何かを考えること』だっただけのことなのか。
「なんだ。俺は人間じゃなくて臓器だったのか」止まる事無く、毎日、何かを考えて行動した為に自分が脳みそである事を忘れていたのであろう。
すぐには受け入れるのは難しい事だ。また、あとで起きて考えよう。考えるのは得意な筈だから。疲労の性で、身体はもう1mも動かせない。脳みそは、ショックもあったが、まずは眠ることにした。
「また明日、起きたらみんなに聞いてみよう」
意識は次第に薄れていく。まだまだ、挨拶仕切れてない目や耳、爪、髪の毛達は脳みそに気を使い小声で挨拶を済ませた。脳みそも半分寝ながら答えた。布団の中で身体を丸めて身体の熱を逃がさないように、万全の眠りの準備をした。あとは、何も考えないだけ。
しかし、あと一歩の所で息切れしながら挨拶する者が現れた。
「危ない、挨拶に遅れるかと思ったよ。おやすみなさい。これで僕もようやく休憩できるよ。お互いに仕事が忙しい者同士、ゆっくりしようね」その言葉を聞いて脳みそは「自分よりも忙しい者などいない。誰だこいつは」と思った。
常に何かを考え行動しなければならない役割の自分と同じくらいに忙しいと言う者がいるのか。この初めて声を聞く得体の知れない者が誰か気になって眠気がまたしても吹き飛んだ。
「君は誰だい」脳みその質問に相変わらず、息切れをしながら謎の男は答えた。
「僕かい。僕は心臓」だよ。脳みそくん」心臓がそう言った瞬間に脳みその中で一つのある疑問が産まれた。心臓にその疑問をぶつけようとしたが、その前に胸に強烈な痛みが走った。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「まさか、ちょっと待ってくれ心臓。君が休むと言う事は、君が眠ると言うことは、止めてくれー」
そして、健太郎達の声は静かに消えていった。
内臓と内緒話 盛田雄介 @moritayu
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