第3話 絶品舌戦接待
健太郎は接待のために四時に仕事を終わらせ、今後の仕事の資料に目を通していた。
部長は薬を飲んで体調を整えていたが、顔の青白さに変化は見られなかった。
そして、しばらくして、定刻となり二人は遂に宮古亭へと向かった。
到着するなり、二人は高級感溢れる和室に用意された席に案内され相手の到着を待った。
「今日は太陽会社のトップクラスの方が来る。その方は気難しい方で有名だ。言葉一つ一つ慎重に話すようにな」部長から伝わる緊張感に健太郎は身構えた。
腕時計に目をやると七時十五分を指していた。それから数分程遅れて、太陽会社の社員が和室に入って来た。
「遅れて申し訳ない。渋滞していたもので」
「いえいえ。とんでもございません。無事にご到着されて良かったです」
部長は体調不良を悟られまいと満面の笑みで対応したが、よく見ると大量の冷汗で額は光っていた。
「大丈夫かね。なんだか顔色が悪いが」
「少し緊張しているだけですよ。大手の太陽会社様とこうやってお食事が出来る等、滅多にございませんから」
「お前の上司も、よく言葉が次々に出せるな」健太郎は胃の言葉を聞き流し、続けて挨拶をした。
「はじめまして。渡辺健太郎と申します。本日はこのような席に招待して頂き誠にありがとうございます」
「私が伊藤清十郎だ。よろしく頼むよ。ほれ、名刺だ」
伊藤は名刺を手渡してきた。健太郎も急いで名刺を取り出したが、伊藤は見向きもせずに席につき、二人は急いでお酌をした。
「この日本酒は名産品でね。私のお気に入りなんだよ」
お猪口を片手に伊藤は顔を赤くして上機嫌となっていた。気難しいと思っていたが、気の良い中年男性のようだと健太郎は思った。
「この日本酒おいしいですね。流石、伊藤さんの選んだものだ」
一口飲むなり、部長は伊藤を褒めちぎる。
「本当にそう思っているのか。美味しいなら、どう美味しいか言ってみなさい」部長の顔色の悪さに拍車がかかる。
「えーと、そうですね。まずは、飲みやすさでね。他の日本酒とは違ってその、飲みやすいと言うか」部長の緊張感を高めるかのように伊藤の眉間に皺が寄ってくる。
「もう、君はいい。それじゃあ、そこの君はどうなんだ」伊藤の視線は健太郎に向けられた。健太郎も何も考えずに飲んでいた為、何も言葉が出てこない。
「君も何もないのか」伊藤はため息をついた。
「すみません。もう一度、飲ませて頂けないでしょうか」伊藤はあきれ顔でどうぞと手で示し、健太郎はお猪口に口をつけた。
部長の腹は、食あたりとストレスですでに限界を向えようとしていた。頼みの綱は健太郎のみ。
二人に注目されている健太郎は数秒、酒を口の中で転がし、口を開いた。
「なるほどですね」と言いながら、お猪口を置きながら、笑みを浮かべる健太郎を伊藤は見逃さなかった。
「どうだったのかね」伊藤の問いに部長が出来るのは、神頼みだけ。
ハンカチを握りしめながら、心配する部長を横に健太郎は淡々と感想を述べ始める。
「まずは香が抑えられており、爽酒かなとも思いましたが、口の中に広がる重みのある深い味わいは熟酒の物ですね。コクも旨味も強い割には、口通りもよく、上品な味わいでとても飲みやすかったです」部長は伊藤の方をゆっくりと見た。
「ほう。その若さでこの酒の味がそこまでわかるのかね」
「いえ。まだまだ、未熟者です」健太郎の返答にしかめ面する者がいた。
「何が未熟者ですがだよ。私がそう言うから間違いないのですよ」
「わかってる。本当に助かったよ。舌」
健太郎に味など理解できない。
だからこそ、自分の舌に頼んで日本酒の味を分析してもらい教えてもらっていたのだ。
「今度は一本数万円する赤ワインを買って飲んで下さいよ」
「わかってる。約束だ」健太郎は自分の舌と交渉し、それからも出されるお酒、料理の感想を正確に言い続けた。
「女将さん、この鯛の煮つけの隠し味に少しだけリンゴを入れてませんか」
「はい。こちらの煮つけには摩り下ろしたリンゴを使用させて頂いております」健太郎の味覚に部長をはじめ伊藤も驚かされていた。
「凄いな。料理の勉強でもしていたのかい」
「とんでもないです。料理なんて全く出来ません」ほろ酔いの伊藤は健太郎の料理に対する博学さや謙虚な姿勢に心打たれていた。
「部長さん。良い部下を持ちましたね。若いのに物の良さを理解している。私は彼が気に入りましたよ」
「ありがとうございます。ほら、渡辺くんも頭を下げて」上機嫌な伊藤に部長の腹痛も完全に消え失せていた。
「契約の話だが私は君達と是非、仕事をやっていきたいと考えている。特に渡辺くんの物を見る目には期待しているよ」
「はい。ありがとうございます」伊藤は契約書を取り出して双方の判が押され、無事に契約成立が取れた。
詳しい話は後日にと伊藤はタクシーで先に帰った。タクシーを見届けると部長は改めて感謝した。
「渡辺くん。君は凄いよ。本当にありがとう。これから、忙しくなるが頑張ってくれよ」
「はい!」臓器達も健太郎同様に喜びを噛みしめていた。
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