第三章 『畳み掛けられる決定事項』(6)

 「じょ、冗談、じゃ……ねぇぞ」


 思わず声が漏れる。

 すべて、あの瞬間、いつの間にかに後ろに立っていた男の言った通りになっているではないか。

 洋介の周囲では火の手が上がり始め、あの竜の手の熱か、それとも上がり始めた火による熱なのかわからなくなり始めていた。

 もうしばらくすれば、体育館は燃え落ちて、火の手は学園中に回り始めるだろうことが予想できる。


 発端は歩の操っていた炎の手が暴走を始めた──いや、正しくは、歩が暴走を始めたことだった。

 今にして思えばアレは暴走していたのか、と首を傾げたくなるが、そんなことをしている余裕などない。


 後ろに飛び退いた洋介の前髪がわずかに焦げる。あとで処理しないと縮れ毛になるな、なんて頭の片隅で考えて、余分な思考に割いたリソースをあの男を視界の隅に入れることで元に戻す。


 そこに立っている男は街中で見かければ確実に忘れ去ってしまうような男だった。

 Tシャツにジーンズ。それも派手な柄とかダメージジーンズとか、そういうモノではない。ただの無地のTシャツに卸したての、まだ生地の固そうなジーンズだ。

 言い換えるならば、個性という個性がなかった。あえてそうしているのではないか、と思う程度には、その男の身なりには個性はなく、しかし、その男が行動を始めた瞬間から一つの圧倒的な個性を放つものがそこに君臨していた。


 分厚い、一冊の本。

 普通の日常を謳歌する学生が見れば、ほとんどが鈍器と答えそうな、一冊の本。

 しかし洋介は普通の学生などではない。

 ゆえに、それがなにかであるかなど、すぐに検討が付く。把握できる。


 ──アレは、触媒だ、と。


 つまり、あの男は魔法使いであり。


 歩はなんらかの魔法によって、あの男の支配下に置かれた、ということであった。



 ただ、だとしたら疑問が残る。

 なぜ自分もそうして支配下に置かないのか。もしかしてリソースの消費を抑えようとしている? あの男が魔法使いであるならば、その魔法には限りがある。どの程度の残弾を残しているかはわからないが、行使できる魔法には限りがあるはずだ。ないはずがない。

 そう考えるならば、あの瞬間で歩を支配下に置いたのは、その魔法があの男にとって有用そうに映ったからで。

 つまり支配下に置かれていない自分は、触媒を消費する価値もない者だと思われたからで。


 「操られていないことはいいことなんだが、正直、ムカつくなぁッ!!」


 そう吐き捨て、体を投げ出すように横移動。

 瞬間、洋介がいた場所を炎の手が焼き払う。不幸中の幸いなのは、あの魔法が高燃費であり、現状、歩が魔法を放つことができない状況にあるということか。

 しかし、同時にその魔法の対処法がないということが洋介を苦しめていた。


 剣の切っ先が触れれば溶けるような手だ。

 防ぐために盾を用意したところで、溶けてなくなるのは明白だろう。切り裂くなんてもってのほかだ。撃ち穿つこともできるわけがない。

 どうする、と。

 なにができる、と。

 躱しながら、思考を回して、思わず吹き出しそうになる。


 なんだかんだ、玲奈の言う通りだ。この状況をどうにかするには自分には手札が少なすぎた。飛び道具の一つや二つくらい作れるようになっておくべきだった。


 「どうしようもないな、ちくしょう!」


 思考を回らせてみて、いくつか気がついたことがある。

 どのような条件があるかはわからないが、あの男は、未央持っていた資料に書いてあった予言者ではないか、ということ。

 そして、その魔法が《予言》ではないだろう、ということ。

 正しい名前は洋介では判断はつかないが、それが《予言》ではない、ということはかろうじて断定できた。なぜならもし《予言》なのだとしたら、あの場面で宣言する必要がないのだ。

 もっと言うのなら、あの男が《予言》を扱うのならば、あの男の行動は知っているだけ、に留まらなくてはならない。起こり得る事実を宣言することでねじ曲げて事実を改変するのは、予言などではない。起こるはずの事実を起こそうとしている人物を操ってまで変えるということは、予言の範疇を逸脱している。


 では、その魔法はどのようなものなのか。


 おそらくは宣言した内容を事実とするような、そんな魔法。

 だからこそ歩は操り人形のようにあの男が宣言したことを忠実に再現しようとするようになってしまったのだろう。だからこそあの資料で書いてあったようにすべての出来事があの男の手のひらの上での出来事のように感じることになったのだろう。


 だが逆に言えば、その内容さえ実行してしまえば魔法の効果は終了するだろう。つまりは学園を火の海に変えれば……


 「──させるかっての!」


 ただ、そう思ったところでどうすれば止められる。

 あの竜の手自体を止めるのは無謀だろう。たしかにやりようはあるかもしれないが、それは洋介の魔法でできるモノではない。洋介の魔法はあくまで物を作ることだ。作ったものが一瞬で溶かされるようであれば、燃やされるようであれば意味のないものになる。


 可能性があるとすれば、術者本人を、この場合であれば歩を叩くことだ。しかしそれにはこの手を掻い潜る必要があるが、この大きさだ。非常に無理があるように感じられた。

 遠距離でどうにかできれば可能性はあったかもしれない。そんな武器を洋介が作ることができればなんとかできたかもしれない。

 しかし、そんな話はたらればで終わる。どうしようもない事実だ。いくら意気込もうが、洋介にこれを止める力はない。


 正直、ユニークを扱えるようになって慢心していた、というところはあったかもしれない。

 複数の状況に対処できない、という弱点も武器を作り替えれるのならば対処できるようになると、思い上がっていた。


 しかし事実はこうだ。


 圧倒的な物量の前では近距離主体の洋介には対処などできようもない。圧倒的な力に対しては洋介の作り出す物は武器にすら成り得ない。


 ギリッ、と歯を鳴らして、渋面を作る。

 先ほど焼けた髪が治らないのを見ていれば簡単に理解できる。

 おそらくはこの体育館に備わっていた魔法の効果はすでに失われており、怪我は怪我になる、と。

 たしかに元より被弾することはできない相手だったが、それでもその効果が続くのであれば、まだできることはあったかもしれない。ギリギリを行うことができたかもしれない。


 そんな堂々巡りのたらればを考えて、どうしようもないという事実に何度も行き着いて────



 また火の手が拡がる。

 そろそろ館外も燃え始めているのではないだろうか。

 視界の隅に入れていた男はいつの間にかに姿を消していた。何がしたかったのかはわからない。わからないが、それでも、あの男がこれだけで終わってくれるとも思えない。


 まったく、どうすんだよこれ、と小さくぼやいて、ため息を一つ。


 結局、いくら考えても洋介にできることなどなかった。いや、たしかにここに押し止める、ということはできていたのかもしれない。あの男の魔法の通りの出来事が起こるなら歩はここに居座らずに学園中を練り歩いて学園を火の海に変えていたのだろうから。

 それが今現在もこうして体育館に居座り、体育館とその周辺のみを火の海に変えるだけに止まっているのは、単に洋介の功績なのかもしれない。

 だがそれも時間の問題だ。さっきから集中力は切れ切れになっているし、服や肌は煤けてきている。

 その証拠に一片の意識を割いてまで存在を確認していたあの男を見失ってしまっていたし、武器も先ほど手に食われて熔けて霧散した。


 あと数瞬後にはおそらく火だるまになっている自分がいるんだろうな、と想像してみたりして。


 いっそのこと、諦めようか。どうせ自分がリタイアしたとしても学園内にはギルドの構成員だっている。戦線の第一線を張っている魔法使いも技術使いもいる。彼らなら洋介にできないことでもやってのけるだろう。だったらこうして自分が踏ん張る必要などないのではないだろうか。なんて、そんな考えが頭を過って、それを現実にしようとするかのように炎の手が洋介の眼前に迫ったところで


 「──させませんッ!!」


 それが霧散すると同時に、そんなソプラノボイスが火の海に響いたのを最後に、洋介の意識は煙に巻かれて白く塗りつぶされたのだった。


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正しい魔法使いになるための方法 水城朔月 @mizuki-saku

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