二百七十四 それから

 他大陸との交易用に建造が始まった大型船も、いよいよ就航の時を迎えていた。


「それはいいけど、何で私らまで?」

「いいじゃん、面倒な式典には参加しなくていいんだから」


 セロアに宥められ、ティザーベルはそれ以上の文句を言えなくなっている。


 大型船就航に関して、大々的な式典を行うのは、これが帝国にとって最初の対等な交易になるからだ。


 今までも東の小国群とも交易はあったけれど、とても対等とは言えないものだった。なので、これが初と言っていい。


 そんな帝国史に刻まれそうな一大事業の、最初の一歩を踏み出させたのがティザーベル達冒険者パーティーオダイカンサマだとして、式典への参加が要請された。もちろん、席は大分末の方だけれど。


 それでも面倒は面倒だ。この日の為にとクイトが注文していた礼服を纏い、何とか愛想笑いを浮かべて席に座っているが、内心は早く帰りたくて堪らない。昔からこうした式典とかは、大の苦手なのだ。


 ――入学式とか卒業式とか入社式とか。必要なのはわかるんだけどさあ……


 せっかくそうしたものから解放されていたというのに。冒険者には、式典など遠い存在だ。


 ちなみに、セロアが出席しているのは、事務方としての功績が認められたからだという。本人曰く、「こき使われた結果なんだけど」だそうだ。


 セロアをこき使った張本人であるクイトは、責任者として壇上に座っており、これから挨拶も控えているという。大変ではあるけれど、これも身分ある者の勤めと諦めてほしい。


 ティザーベルの隣には、彼女が着ているものと似たデザインの礼服を着こなしたヤードがいる。こうもあからさまだと、周囲からの生温かい視線にも諦めがつくというものだ。


 ちなみに、式典が始まる前にセロアには散々冷やかされている。そのうち反撃してやると心に決めたのは、内緒だ。


 あの調印式の時以降、二人は順調に付き合いを重ねて、もうじき正式に結婚する。帝国の結婚は事実婚扱いで、戸籍が存在しないので籍を入れる事もないし、何なら結婚式もなしでいい。


 ただ、セロアとクイトからはけじめとして式くらい挙げろと言われているので、やる事になりそうだ。


「あ、そろそろだ」

「そうだね」


 セロアの声に、壇上に目をやる。クイトの挨拶だ。珍しくもきりっと引き締まった表情をした彼は、緊張した様子もなく前へと進み出た。


『今日この日は、帝国にとって重要な日となるだろう。この大陸以外にも大陸があり、人の営みがあったと知れたのは、大いなる喜びだ』


 声は魔法道具のマイクとスピーカーによって拡散され、式典会場の外まで聞こえるようにしてある。


「あの台本、考えたのあいつの副官と私よ。まったく、ギリギリまで手間掛けさせて」

「マジかー……」


 引き締まった顔をしているのも、大方陰で副官に叱られた影響だろうというのが、セロアの読みだ。いつの間に、そんなに通じ合う仲になっているのやら。


 クイトは、この交易による利益や交流などを話し、最後に締めくくりの言葉を告げる。


『最後に、国同士の交流の一端として、互いの国への移民を受け入れる事になっている。その第一陣は、既に帝国に逗留しており、近く公表されるだろう』


 フローネルの事だ。結局彼女の存在は今日この時まで秘匿され、表に出される事はなかった。


 もっとも、地下都市での出産と育児に追われている為、帝都を歩き回る時間もなかったのだけれど。


 レモとフローネルは、そんな訳でこの式典には欠席だ。今頃、都市機能で中継している映像を見ている事だろう。


 何はともあれ、全ての準備は整ったようだ。




 帝国からシーリザニアまで、船で海路を行き、向こうの大陸に到着してからは川を遡って行く。内陸の国であるシーリザニアまでどうやって船で行くのかと思ったら、そういう方法があるらしい。


 シーリザニアの王都近くまで伸びる大河は、大型船でも十分入れる幅と深さがあるそうだ。


 この最初の航海に旅立つ船は全部で八隻。そのうちの一隻に、菜々美が乗り込むという。どうやら、デロル商会の一人として、ゴーゼと共にシーリザニアに向かうそうだ。


「思い切ったわねえ、菜々美ちゃん」

「えへへ。この国で生きて行くって決めたから、どうせならとことんまでやれる事をやろうって思って」


 そう言って笑う菜々美は前向きだ。彼女にも、日本に帰る手段はほぼない事は、ティザーベルが帝国に戻ってきた時点で報せている。


 ネーダロス卿と違い、菜々美は半分以上日本に帰る事を諦めていたようだ。なので、実際に戻る術がないと教えられても、あまり落ち込まなかったらしい。


 それなりには寂しい思いも悲しい思いもしたそうだが、若さもあるのか早々に吹っ切れていた。


 そんな彼女が、少しだけ顔を曇らせた。


「そういえば、話だけ聞いていたんですが、その後ネーダロス卿のお加減はいかがですか?」

「それがねー。四番都市での治療が効いたのか、大分回復してきてるんだ。でも、一番の薬はオーナちゃんかなあ」

「ああ! フローネルさんの娘さんですよね? 可愛いだろうなあ」


 オーナは正式名称はオンサリアという、レモとフローネルの間に生まれた娘だ。現在生後六ヶ月。赤ん坊の可愛さで周囲を虜にしている。


 オンサリアの名前は、レモの亡くなった姉の名と、フローネルの行方不明になっている母の名から付けたのだとか。


 そのオーナ、オンサリアを、ネーダロス卿は我が孫のように可愛がっていて、彼女の存在が彼の生きる希望になっているようだ。


「クイト曰く、本物の孫もひ孫もいるらしいんだけどねえ」

「あー、それ私も聞いた。疎遠らしいね」


 セロアの言う通り、ネーダロス卿は実家族とは疎遠だったらしい。元々、政略で結婚した妻との間に跡取り息子が生まれると、貴族の習慣通りお互いに愛人を作って好きなように過ごしていたらしい。


 そんな親の元に生まれた跡取り息子は、育てた乳母が良かったのかまっすぐに育ち、恋愛結婚で得た妻一筋なのだという。そんな経緯もあって、息子夫婦からも孫夫婦からも煙たがられていたようだ。


「考えてみたら、ネーダロス卿って日本に帰る事に執念を燃やしていたから、ここでの家族って仮の存在くらいにしか思っていなかったんだじゃない?」


 セロアの言葉に、なんとなく納得出来る。あれ程の執着を見せ、全てが無駄だっと判明した時には、冗談ごとではなく命が燃え尽きる程だった。彼にとって、この世界は全てが仮初めのものだったのだろう。


 少ししんみりしてしまった場の空気を変えたのは、またしても菜々美だった。


「そういえば、フローネルさん、正式に帝国民になったんですよね?」

「うん。いつでもこっちに来られるようになったよ。まあ、ネーダロス卿がいるから、しばらくは五番都市から出てこないけど」

「ですねえ。ネーダロス卿と一緒に、帝都に戻ってこられる日を、祈ってます」


 そう言って笑う菜々美に、セロアと共にティザーベルも頷いた。




 だが、結局その祈りは届かなかった。ネーダロス卿は大陸間交易の初出航の日から十日近く後、静かに息を引き取ったのだ。死因は老衰。その最期は、穏やかなものだったという。


 生前の地位や功績を考えると、考えられないくらい質素な葬儀で送り出された。その遺骨の一部は、本人の希望により五番都市に埋葬されている。


 最初の交易船が無事に戻ってきたのは、出港してから約半年後だった。航海は順調で、海の魔物資源も大分開拓されたらしい。


 その交易船が持ち込んだものは、大量の品物であり、その中には向こうの大陸にしかなかった植物の苗木が多くあった。それらは国立の植物研究所に寄贈され、その後長く帝国に根付く植物になる。


 初の交易船が戻って少しした頃、ティザーベルとヤードの結婚式が執り行われた。この世界ではおそらく初の、ウェディングドレスを着用した結婚式だ。


 ドレスの仕立てはデロル商会が受け持ち、この式以降、帝国ではデロル商会のウェディングドレスを着て式を挙げるカップルが激増する。


 式にも出席したセロアは、同じく出席したクイトと共に盛大に涙を流していた。


 友人の結婚式に感激したのか、先を越された悔し泣きなのかよくわからなかったが、何と彼女もこの半年後、同じようにデロル商会のウェディングドレスを着て嫁に行った。


 相手は臣籍降下し侯爵位を賜ったクイトシュデンである。何がどうしてそうなったのか、ティザーベルにも何も知らされていなかった。


 貴族と庶民の結婚、しかも男性の方は元皇族である。貴族連中からのバッシングは相当だったらしいが、これを宥めたのはギルド統括長官であるメラック子爵と、意外な事にネーダロス卿の長男だった。


 自身が恋愛結婚をしたせいか、貴族間の政略結婚に異議を唱える彼は、同じような考え方の同年代と派閥をつくり、古い考えの貴族達に真っ向勝負を挑んだという。


 それに勝つのだから、やはりあの御仁の息子というところか。


 セロアは結婚後も、ギルドでの情報共有システム構築に携わる予定だという。難事業と化した共有システムだが、ティザーベルからもたらされた地下都市の技術の一部が秘密裏に使用され、一挙に話が進んでいた。


 世界は動きつつある。向こうの大陸でも、あちらこちらで新しい動きがあるようだ。大陸西では、とうとう統一国家が出現しそうだという。


 東側との行き来が出来て、違う地域の情報が入り込んだ事で、このまま小国同士が争い合っていては東側に負けるという危機感が生まれたらしい。


 東側は東側で、まだ人々の意識改革は完全には終わらないが、少しずつ知識が広がり、それによって偏見の目が減りつつあるという。


 とはいえ、長らく続いた迫害がそう簡単に消える事はない。まだ激しい抵抗を続ける地域も多いそうだ。


 ティザーベルはといえば、夫となったヤードと共にまだ冒険者稼業を続けている。子供を持ったレモは、危険な仕事からは遠ざかる事を決めたそうで、今は帝都の端に建てた家で小さな金物屋を営んでいた。


 フローネルはそんな夫と暮らしつつ、子供を育てている。まだエルフは帝国では珍しいので、たまに見世物のように見に来る客もいるそうだが、侮蔑の目で見てくる事はないのでどうという事はないそうだ。


 そして――




「じゃあ、これでいいんだね?」

「うん。よろしく」


 本日、ティザーベルはヤードと一緒に皇宮の端にある離宮……クイトの執務室がある場所に来ていた。


 彼女が提出した書類は、孤児に関する基金設立の書類だ。


「こんなに出して、大丈夫?」

「一時、向こうで稼ぎまくったからねえ」


 セロアに心配そうに聞かれて、思わず苦い笑いが出る。実はこの基金の元になったのは、あちらの大陸でエルフを狩っていたヤランクス達や盗賊などから巻き上げたものが殆どなのだ。


 それを帝国の孤児の為の基金設立に使うのに、少し後ろめたい思いもある。けれど、金は金だ。


「まだまだ、帝国でも孤児の立場って弱いからさ。本人が望んで素質があれば、帝都で勉強や魔法の修行が出来るようにしたいと思って」


 自分は教本を使って独学で魔法を憶えたけれど、自分の時にこの制度があれば、きっと使っていただろう。そして、これから先、自分と同じような子が出てこないとも限らない。


 魔法教育に関しては、一応法律はあるものの、形骸化してしまっている。国が動かないのなら、個人が動くまでだ。


「まあ、確かに国って動きが遅いからなあ」

「仕方ないわよ。お役所仕事なんてそんなもん」


 クイトのぼやきに、セロアが混ぜっ返す。そんな姿を見て、ティザーベルは笑った。


「個人の後に国が続いたっていいんだからさ。その辺りは、貴族の方々に期待しておくよ」


 ティザーベルの言葉に、クイトが情けない顔をした。


「うへえ、責任重大」

「貴族って、そういうものだからね?」


 セロアの方は、とてもいい笑顔だ。これでは、どちらが貴族出身かわかったものではない。


 ともかく、最初の一石は投じた。後は専門の人なりなんなりが動かして行くだろう。


「じゃあ、私達は帰ろうか」

「ああ」


 まだ何やら情けない泣き言を言っているクイトと、それを見下ろすセロアを置いて、二人は離宮を後にする。


 ずっと側にいる。その約束は、これからも守られ続けていくだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オダイカンサマには敵うまい! 斎木リコ @schmalbaum

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ