偽書と戦火

この街が「太陽の都」と呼ばれなくなって久しい。

かつて広大な領土を支配し、街とともに私を産み出した帝国はとある世代に生まれた愚かな君主によって道を踏み外し、支配下にあった無数の国家の反乱によって滅亡した。次にこの地に興った国は実に穏やかであった。領土を拡げず、協調外交を掲げ、また歴史を重んじ、人々がこの街の名としてありし国のものを、つまり「ソルトスレイニア」を与えることを許した。一連の政策が功を奏して 200年ほど生き長らえたが、一人の国王側近の讒言によって衰退し、野心旺盛な隣国に滅ぼされた。


周囲に渦巻く無数の戦火から数百年の長きにわたり私を守ったもの。それは、智慧という形無きものに対して世界中の人々が背負い続けた畏敬の思いであった。


私を構成する一字一句、細胞のひとつひとつが過去を生きた人間の写し絵であること。私を失えばその細胞もまた死滅し、けして復活することは無いということ。人間がそれを知る限り、また祖先を愛する限り私は存在する。


ところで、200年程前から若干他とは色味の異なる人間が現れだした。古い知識を癌とみなし、自らとその子孫が生み出す新たな平和で世界を覆い尽くそうとする者達。彼らは同じ神を信じ、希望と正義感に満ち溢れ、敵を打ち払い領土を拡げてきた。私の周囲を見るに、彼らの願いは成就されつつあるようだ。「陽の沈まない国」と喩えられた帝国ソルトスレイニア。そこから数えて5つ目の国が誕生して7年、この街は再び争いに揺れている。


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その日、若き図書館守はソルトスレイニアに新たに赴任する将軍を迎えた。

この1年で街の状況は大きく変化した。数年前に北方で興ったばかりの新しい国が急速に領土を拡げ、内乱が続いていた周辺地域を呑み込み、ソルトスレイニアを支配することとなったのだ。既存の為政者は排除され、街は直轄領となった。


この国は「過教」と呼ばれる宗教を国教に据えていた。生まれてから200年程度の比較的新しい宗教で、源泉には慈しみと気品を湛えているが、分派には苛烈なものも見られた。

街の新たな為政者となるロタ・エルモ将軍は敬虔かつ急進的な過教徒として知られる人物で、神の名の下に異教徒や無神論者を容赦なく弾圧したため、 自然科学をはじめあらゆる部門の学者から非常に恐れられ、また激しく忌み嫌われた男である。彼にとっては国際的学術都市ソルトスレイニアも異端者の溢れ返る汚濁であったし、その中心に座する図書館はまさに腐敗の巣窟であった。

その男が図書館の視察を求めた。間もなく悪名高きロタ・エルモ将軍が自分たちの前に姿を現すとあって、館の正面入口前に集まった関係者はみな一様に重苦しい表情をしていた。


目の前に馬車が停まった。中からまず現れたのは護衛兵。見慣れない意匠を散りばめた鎧を着込んでいる。次に丸く大きな目をした若い男。線が細く、帯剣はしていない。そして深紅の軍服をまとった眼光鋭い大柄の男。背丈も胸囲も図書館守の二倍はありそうな体を窮屈そうに馬車の外に出し、一歩、一歩と距離を縮める。逆光に阻まれ、相貌がよく確認できない。将軍と思わしき男は館長らの最敬礼を見慣れない礼で返し、歓迎の口上を遮ると、案内を促した。


館内を視察する間ずっと、将軍の表情は厳しかった。国際的にも評価の高い学者が終始将軍の脇につき、至る所で説明を加えたが、原型をとどめないほど平易に噛み砕かれた言葉でさえ彼の心には届かないようだった。

過去が幾層にも積み重なる館内で、エルモは明らかに異質であった。自らの信じる未来だけを見据える彼は、図書館を構成するどの人間とも、所蔵されているどの本とも同じ時間を生きていない。まるで彼の周囲に時間の断層ができているようでもあった。


一通りの視察を終えたところで、側近らしき男が将軍に耳打ちをする。

それを聞き終えるや否や間髪を入れずに将軍が発した言葉、

「地下室を拝見したい」

それを聞いて館長は顔色を失った。

なんとか話を逸らそうとさまざまに方便を立てたが、自身の言が将軍に対し てわずかの影響力も持ち合わせていないことを悟ると、重い足取りで地下室へと続く扉の鍵を開けた。


図書館には確かに地下室が存在した。 しかし、収蔵品のほとんどが現在では入手困難な貴重品であることからその 存在が秘匿されているうえ、部外者の立ち入りが厳しく制限される領域である。中には世界中でここにしか存在を確認されていないような本も納められており、図書館をはじめとするソルトスレイニアの博物館群が時代と国境を越えて保護されてきた理由の中核となる場所がまさにこの地下室である。


燭台に火を灯しながら仄暗い通路を進む。 将軍が棚の前で立ち止まり、説明を求める度に、図書館守は燭台の赤い炎に照らされる将軍の表情が醜く歪むのを見ることとなる。


ひときわ将軍の不興を買った書架があった。

およそ500年ほど前に編纂され、はるか東方のあらゆる風物を書きとどめた800巻余りの記録。その中には異国の神々が描かれた巻物もあり、子供が好むおとぎばなしとして一般的に知られていた。


数ある東方のおとぎばなしに触れ親しむ家庭は多いが、それらに唯一の原典が存在することにまで思い至る者は少ない。

さらに、その世界に強く恋焦がれ、図書館に人生を捧げてでも原典に触れようとする人間は極めて稀である。

将軍が醜悪な視線を投じた黒い巻物。それは、図書館守が最も愛した物語だった。


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視察を終えた地下室は再び静まりかえり、燭台の蝋芯が焦げる音だけが図書館守の耳に響いた。木製の椅子をきしませ、ひとり呟く。


エルモのあの横顔。貴い本たちに無遠慮に浴びせられる汚い視線。

館を出る間際、側近に何か耳打ちしていたな。どんな言葉を吐いていた。「異端の書をすべて炎に沈め、不道徳者たちが去った後に新たな信仰の街を造るのはどうか。」などと言っていたのではないか。あの男は図書館に納められた豊かな果実を恣意のままに毟り取るだろう。過教に都合の良い情報ばかりを残し、価値が理解できぬものはすべて握り潰すだろう。

それだけではない。自分の気に入らない書物を、歪んだ美意識のもとに改竄することすらありうる。

あの美しい物語も。

東方の大地に昇りゆく太陽、染め上げられる山々。吹き下ろす風に揺れ、柔らかくささやく麦畑。長い黒髪のたなびく美しい少女。その思いも。

どれかひとつでも、醜く歪められた形で後世に伝えられることなど許されない。


どうか、この世界を、永遠に固定したい。


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その日、ソルトスレイニアの中央広場で大規模な火災が発生した。図書館から起こった火の手は乾燥した空気を伝って急速に燃え広がり、街のおよそ半分を炎に沈めた。市民はソルトスレイニアの歴史と名誉を象徴する (Mouseion) が灰と化してゆくのを目にし、ある者は膝を折って失意に震え、またある者は泣き叫びながら火に飛び込んだという。


ソルトスレイニア市民にとって、あるいは後世の人類にとって、この火災において不幸なことが3つあった。

火事の発生が皆寝静まる真夜中だったこと、乾期の只中で空気が乾燥しているうえ中央広場から市街地に向かって強い風が吹いていたこと、エルモをはじめとする過教徒が消火活動に非協力的で、荒れ狂う炎が過教徒の施設に迫るまで動こうとせず、また残る市民だけでは市街地を守ることで精一杯だったこと。

太陽暦899年のこの事件は、後世の人間には「急進的な過教徒であったロタ・エルモ将軍が異教徒の施設を焼き討ちした事件」と伝えられており、現代の慣用句として残る「エルモの所業(またはエルモの過ち。勝手な行いで子孫や後任者に迷惑をかけること)」はこの一件を語源とする。


事実、(Mouseion) の消失によって膨大な量の知識が人の間から失われ、結果として人類の歴史は100年後退したと言われる。

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