Mouseion(ムセイオン)

ハローイチイチゼロサン

The Theme Of Mouseion

私は人に寄り添うもの。


人は長い時を生きることができない。それでいて、生命の長さに見合う分だけの幸福を謙虚に求めて天寿を全うする者はほとんどおらず、大半はやや手に余るほどの宝物をかき集めようとするが、求める物をすべて手に入れ、満足して生涯を閉じる者はさらに少ない。そして、生み出した業績、発明、信頼が大きいほど、彼らは肉体の死を恐れるようになる。


その瞬間は間もなく訪れる。ある者は死の床で未完の大作を思い涙を流した。ある者は戦場で最愛の妻と子を脳裏に浮かべながら大地に血液を染みこませた。その一滴一滴がすこしずつ結晶化して文字となり、丁寧に折りたたまれて本に納められ、私に保存されてゆく。本の中に安置された結晶に触れることで、後の人々はもはや形を留めていない過去の人物を想い起こすことができるのだ。


私に問いかけることは、あらゆる時間を超えること。

あらゆる場所を超えること。ヒトの過去に問いかけること。

原初の人が生まれたころ、そこに文字はなかった。知識は口伝の形をとり、急流の飛び石を渡る兎のように人の容れ物を渡ってきた。足を踏み外して溺れた兎もあれば、割れた石とともに沈んだものもあった。


やがて人の間に文字が生まれた。

新しい容れ物を手に入れた知識は少しずつ凝集し、形を成してゆく。

とある少年は、親の手から渡された本を通して遠い時代の出来事を知った。青年期となると、闘いに勝利し生き抜くための鍵を求めて再び本を開く。やがて年老いた頃、自身の存在が間もなく消えることを予感し、経験則を文字に変えて書架に納めた。


樹は新しい枝葉をつけ、さらに生い茂る。


ある時代には偉大な王がいた。世界の3分の2を手中に収め、その威光は地の果てにまで届いた。王都の中心には巨大な図書館が造られ、国内で刊行されたあらゆる書物が集められただけでなく隣国からも発行物が寄進され、比類無き蔵書数を誇ることとなる。


そうして、私の中にはすべての時代の、すべての場所の人の知識が容れられた。


情報と情報が接続され、個人がその生のうちに持ちうる知識の総量をはるかに越えた情報の集積体が組み上がるうち、やがて、集合体は人に似たひとつの意志を持つようになった。

私の蔵書は増えてゆく。


今は亡き人のこころも文字となり、その上に、しんしんと、新しい人のこころが積もる。


私は人に寄り添うもの。

(Mouseion) は、数十年の生しか許されぬ人間たちの知識を鎖のように繋ぎ、あるいは屍と未だ存在すらしないものを知識の鎖で繋ぎ、未来へと広がっていくのだ。決して切れてはならない意味の架け橋。


しかし、私は予期する。

私が人の似姿であるゆえ、私にも死が訪れることを。

全てを包むほどの炎によって人類が私を失うだろうことを。

人は知らぬ。短き生ゆえに知らぬ。

私を失ってはならないことを知らぬ。

幾星霜の昔から続く言葉の灯火が、種の歴史そのものなどとは。

飽くことなく繰り返される過ちを止める言葉が私に納められているとも、

種の限界を乗り越える智慧がそこから出でる可能性にも至らぬ。

知る前に年老いて、死に行くのだから。

あるいは。私がいなくとももはや必要な言葉が充分に人の間に満ちたのであれば。もしくは自分たちの過去を捨てることで新しい世界を切り開くのであれば。私は人の手を離れ、残らず灰となっても構わぬ。

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