宇宙服

 都会の街に、ある老人がおりました。その老人はいつも、傍目からは奇妙な色のスーツを着ていることで、街の人々には有名でした。

 奇妙な色とは、形容しがたい色でした。黒に白、赤、青、黄、茶、それからアイリス、メドゥーズ、アランブラ、モーブ、ヘイズ、それからそれから海松茶、錆鉄御納戸、黒紅、象牙、蘇芳…とにかくありとあらゆる色んな色が点々と、星のように散りばめられたスーツを老人は着て、街の歩行者天国を悠々と歩いています。


 ある日、老人のお家に、彼のうわさを耳にした雑誌記者が訪れました。

「それでご用件は?」

「あ、はい。あの、あなたはどうしてそのような色のスーツをいつも召していらっしゃるのでしょうか?」

「確かに毎日この色のスーツを着ているが、そのような色とは?」

 雑誌記者はにやにやしながら言います。

「その、派手とも地味とも言い難い奇妙な色模様のことです」

 老人は、記者に向かってにっこりと微笑むと、

「ふむ。そうだね。私ももう老い先短いことだし、すべてをお話ししよう」

 そう言って、記者の真向かいのソファに座りなおしました。


「私がこの色のスーツを着ているのには大きく二つの理由がある」

「ではまず一つ目は?」

「一つ目は、私の昔の話になる。

 私は幼い頃、服の色のセンスが悪いとよく苛められていたんだ。わたしは苛めてくる彼らを見返したくて、ありとあらゆるファッション雑誌を読み漁り、洋服店を物色した。するとどうしたことだろう、どの雑誌でも一様に同じような色、同じような模様がオススメされているじゃないか」

「まあそうでしょう。だって、今でこそ知っている人も多いですが、毎年毎期、流行の色というのは、なんとかという委員会で前もって決められているんですから」

「そう、その通りだ。例えば、去年の流行はラディアントオーキッド、それから一昨年はエメラルド、遡ってタンジェリンタンゴ、ハニーサックル、ターコイズ、ミモザ――」

「随分とお詳しいですね」と、雑誌記者は遮るように言いました。


「それは私が決めたからさ」

「はい?」

「私は毎年流行色が決められていたことを知ると、今度はその流行色を決める委員会に入ろうと勉強を始めた。その甲斐あって、やがて私は委員会に参加することとなり、委員長のところに挨拶に伺うことになったんだ。すると驚いたよ。委員長は、私が今着ているのとまったく同じような色のスーツを着ていたんだからね」

「はあ」

「しばらくして委員長は老衰で亡くなった。私は若くして彼の後を継ぐことになった。このスーツは彼の生前に受け継いだんだ。当時は着られなかったがね。ともかく、それからは楽しかったよ」

「楽しかったというと?」

「委員会なんていうのは形ばかりさ。毎年新委員長である私が流行の色を決めた。するとどうだ!流行だと、センスのいい色だと、私が決めたとたんに、いたるところにその色が現れだしたんだ!私が言ったとおりにセンスは移り変わった!ほら、君の胸ポケットのそのハンカチ、今年の流行色マルサラ、私が決めた色…」

 それから老人は興奮した口調を落ち着けると言いました。

「これが理由の一つ目」


 雑誌記者はおずおずと尋ねます。

「二つ目は?」

「二つ目は私の研究だ。私は委員長に就任した後、暇を見つけては、最もセンスのいい色を研究することにした。」

「まさかその結果が…」

「そう、このスーツの色さ。いや正確には色と呼ぶべきか怪しい。一つ一つの色は単色でも、こんな風に細かく、境界線も分からないまでに散りばめられていると、模様なのか色なのか判別しにくいからね。

 ところで君は知っているかね?脳の神経細胞と宇宙の構造がとても似通っているという事を。宇宙の成長は、脳内のニューロンの分布に近く、また神経細胞の数は、星の数と同じくらいだとも言われている」

「はあ、いえ、知りませんでした」

「私たちはまさに宇宙の上に成り立っているのさ。ちょっと君、目を閉じてごらんなさい」

 雑誌記者は言われた通りに両目を閉じました。

「何が見えるかね?」

「何も…」

「いいや、見えているはずだ、真っ暗ではないだろう?それは瞼の裏側の色であり、宇宙の色であり、そして、このスーツの色にもよく似ていると思わないかね」

「………」

「目を開きたまえ。この色、あえて言うなら『宇宙色』は、私たちに最も身近で、眠るとき常に見ているものだ。人間が大人になっても、妊婦の胎内の音に安心を感じるように、私たちは『宇宙色』に安心を感じるのさ。もしかすると、前任の委員長も、私と同じ結論に辿り着いたのかもしれない。そして、この色のスーツを着ていた。私と、同じように」

 老人はにっこりと満面の笑みを浮かべました。


 それから数か月後、雑誌に特集された『宇宙色』は、瞬く間に街に溢れかえりました。

 赤ちゃんのつなぎの服や、若者の着るジャケット、井戸端会議に集まる主婦の手提げ袋に、おじいさんが被るニット帽まで、とにかくありとあらゆる服飾が、あの派手とも地味とも言い難い、奇妙で、最もセンスが良い『宇宙色』に彩られました。

 そんな街の外れにある病院で、白装束に身を包んだ老人は息を引き取りました。

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すこしふしぎな短編集 笹山 @mihono

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