九頭竜さま

あびすけ

九頭竜さま







 わたし今すっごくいい気分。こんなに愉快なの、ほんと久しぶり。ふふ、嗤いがもれちゃう。血ってこんなに温かくてぬるぬるしてるものだったんだね、今日はじめて知った。今までは鉄みたいに冷たくて固くてザラザラしてるんだと思ってた。きっと瘡蓋からのイメージ、もうわたしのお馬鹿さん。人間に流れてるんだから温かいに決まってるのにね、なーんてちょっと皮肉。だって人間は機械なんかよりずっと冷たい。残酷で醜悪で下品。ふふ、きっと九頭竜くずりゅうさまに滅ぼされるわ、楽しみ。


 爪の間になにか挟まってる。・・・あっ、肉だ。真っ赤な繊維だ。取り出して口に含む。血の向こう側にすっぱい匂いを感じる。ふふ、なんだかまた気分が高まってきた。こんなに楽しいの、九頭竜さまのおかげ。ありがとうございます九頭竜さま、このご恩は一生忘れません、いつもお祈りを捧げますあなたの為に行動しますわたしのすべてを差し出します。


 九頭竜さまっていうのは神さま。今はもうどこにいるのかわからないお母さんがある宗教に入ってて、その信者たちが信仰してた蛸みたいな頭の神さま。ある人は邪神だっていってた。悪い神さまだって。でも関係ないよね。九頭竜さまは間違いなくわたしを助けてくれた守ってくれた救ってくれた。だからお母さんもあの宗教に入って九頭竜さまの復活を願っていたんだね。必死の形相で九頭竜さまを模した木像に何時間も祈りを捧げ呪文を唱えているの、わたし昔から見てた。ぶつぶつぶつぶつ、小さい声で呟きながら穴が空くくらい木像を見つめて「九頭竜様!」って大声だしながらひれ伏してるの、鮮明に思い出せる。あの頃のわたしにはお母さんの行動が理解できなくて、けれどわたしにとってお母さんは絶対だったから、同じようにわたし祈った。「くずりゅうさま!」ってお母さんの真似をしながらね、ふふ。


 お父さんは知らない。わたしが産まれたときにはもういなかった。お母さんは「私達は捨てられたのよ」って憎しみの声をひり出してた。お父さんの話をするときのお母さん、凄かった。目がぎらついて、歯を剥き出して、髪を逆立てて・・・憎悪が人の形を借りたらこんな風になるんだってわたし思った。憎い憎いって感情、お母さんの祈りはきっと九頭竜さまに届いたんだと思う。だからわたしを捨てたんだよね。まだ十一歳だったわたしを捨てて、きっとお父さんの元へ行ったんだよね。復讐の為に。・・・お母さんのこと、今なら手に取るようにわかるよ。今のわたしと同じ、殺意を鋭く研いで、とにかく何でも切りつけたい。だからわたし、お母さんのこと怨んでないよ。






 捨てられたわたしは遠い親戚に引き取られた。顔も知らない、ほとんど他人みたいな人達。三十代のおじさんとおばさんの夫婦で子供はいなかった。結婚して五年目だって言ってた。なのに子供がいないなんておかしいよね?ふふ、だっておじさんの性癖が普通じゃないんだもん。きっと結婚したのは偽装だったんだよ。そうでしょ?世間の目を気にしてたの?異常だって思われたくなかったの?ねえどうなの?・・・って、もう喋れないかあ。そうだよね、そんな姿じゃねえ。ふふ、ふふふ、ふふふふふ。


 当然小学校は変わった。わたしは転入生として五年一組に編入された。今のわたしはこんなに明るくてお喋りだけど、少し前は人見知りで暗くて気の弱い少女だった。はじめの数日間、休み時間になるとわたしの席をクラスの女の子たちが囲んで、しきりに話しかけてきた。趣味はなに?好きなアイドルは?LINEやってる?・・・くだらない質問ばっかり、嫌になるなあ。でもあの頃のわたしは必死にその質問に答えようとがんばった。だってそうしないといじめられちゃうもん。前の学校の時、わたしいじめられてたの。「キモい」とか「無口」とか「汚い」とかいっぱい言われて、無視されて筆箱を捨てられたり、机にマジックで落書きされたり、もっと酷い事だってされた。だからね、わたしがんばったの、がんばって喋ろうとしたの。なのにがんばればがんばるほど声が出なくて、呂律が回らなくて、顔が真っ赤になって、最後はうつむいて黙りこくって・・・それでも最初のうちは緊張してるって思われてたんだと思う。でもね、わたしは一週間たってもずっとそんな感じ。そりゃみんな、イライラもしてくるよね。わかるわかる。


「ウザいんだけど」って最初に言ったのは峰島さんだった。峰島さんはとっても美人で服もオシャレで、なんていうかクラスの中心にいる女の子。性格は良くないけどね。


 峰島さんのその一言を皮切りに、わたしへのいじめがはじまったんだ。暴言を吐かれて、小突かれて、無視されて、ああまたいじめられるんだって思った。前みたいに給食のなかに唾入れられたり、教科書切り刻まれたり、上履き舐めさせられたり、また繰り返すんだ・・・実際繰り返したよ。峰島さんにつねられたり、その取り巻きの瑞木さんや茜さんの消しゴム食べさせられたり、あとは男子の林崎くんに身体を触られたり、いろんな事いっぱいされたよ。無抵抗で内気なわたしに、クラスのみんな酷いこといっぱいしたよね。許せないなあ、ふふ。わたしね、いじめられて心が悲しくて涙が止まらないとき、九頭竜さまに祈りを捧げた。お母さんが持ってた木像はもうないけど、毎日見てたから頭のなかに九頭竜さまの姿、すぐ呼び出せた。祈った。助けてくださいって。他に頼れるものなんてなかった。救ってくれる人なんていなかった。わたしには何もなかった。ほんとは九頭竜さまだって信じてなかった。神さまなんていないと思ってた。それでもわたしには信じるしかなかった。だって辛いんだもん。心が壊れそうだったんだもん。「九頭竜さまどうか助けてくださいお願いしますお願いしますお願いします」


 でもね、いじめだけじゃなかったんだ。もっと辛いことがあったんだよ。それはね、ふふ、わかるよね、おじさん?まだ生きてるでしょ?わたしの話ちゃんと聞いてよね。じゃないとこの飛び出してる腸を引きずり出しちゃうよ?目玉をえぐりだすかもしれないよ?・・・ふふ、そうそう、ちゃんと最後まで聞いてね、わたしの親代わりだったんだから最後まで責任果たしてね。


 夜になるとわたしの部屋におじさんが入ってきた。いつからだったかわからないけど、いつの間にか日課になってたよね。すごく怖かった。寝てるわたしの横に寝転がってわたしの胸を触ってたよね。目が覚めてわたし心臓が止まるかと思った。だっておじさんの顔が目の前にあるんだもん。「騒いだら殴るぞ」っておじさんニタニタ笑いながら呟いて、わたしの首にキスして、太もも撫で回したよね。あの感触忘れないよ。背筋を虫が這い回るみたいなおぞましい感覚、あれが嫌悪だって気づいたの、実はついさっきなんだ。今までは恐怖だと思ってた。ふふ、恐怖。「これを触れ」っておじさん、わたしの手を股間に持っていった。固くて血管の浮いたおじさんの『蛇』。気持ち悪かった。「しごけ」言われたけどわたし怖くて動けなかった。そしたら殴られた。わたし泣いた。九頭竜さま助けて。泣きながらしごいた。一生懸命ね。「うっ」おじさんが唸ったあと、白い液体がわたしの指を汚した。「舐めろ」っておじさんに言われた。イヤだった。殴られ。震えなが舐めた。苦かった。生臭かった。九頭竜さま助けてください。目の奥で真っ黒い何かが蠢いて、心の底で何かが燃え上がった。それらは恐怖?ちがうよね、ふふ、そのときわたしが感じたのは憎悪だよ、真っ黒く煮えたぎった憎悪。いまならわかる。


 おばさんはこのこと知ってたんだと思う。わたしを見るおばさんの目、忘れないよ。汚い生ごみを見るような目。ふふ、知ってたんだ。知ってて放っておいたんだ。どんどんどんどん胸の中で邪悪なモノが膨らんでいったよ。峰島さん、瑞木さん、茜さん林崎くんおじさんにおばさん人間全部、許せなかった。でも許せないだけで、どうにもできなかった。力も知恵もなーんにもなかったもんね、ふふ。


 そして今日。学校で散々いじめられて、心は疲弊して、なにも考えられなくて、お風呂に入ってご飯を食べて宿題をして布団に入って、そしておじさんが入ってくる。でも今日のおじさんはいつもと違った。すごくウキウキしてた。笑顔が狂ってた。「服を脱げ」って命令されてわたしは脱いだ。どうせ殴られてむりやり脱がされる。痛いのはイヤだった。もうなにもかもイヤだった。そしておじさん言ったよね。「お前の処女を奪う」って。わたしね、絶望したんだ。手でしたり、口でしたり、身体をいじられたり、でも直接的なそういうことはなかった。イヤだったけど、それでもなんとか耐えられた、でも・・・こんなおじさんとセックスするの?わたしの大事なはじめてを奪われるの?涙がボロボロこぼれて震えが止まらなくてわたし逃げようとして、でも次の瞬間にはベッドに押し倒されて腕を取られ唇を貪られ吐き気が込み上げて突然下半身に凄まじい痛みが生まれてああ犯されたんだって気づいて「九頭竜さま」って祈ったとき、わたしの意識がぐるんっと回った。気づいたら真っ暗な海辺に立ってて腰まで水に浸かってた。潮の匂いと波の音だけがわたしを優しく包んだ。見上げる空には星も月もなんにもなくてすべてが闇。意味がわからなかった。けれど不思議と怖くなかった。ここにわたしの救いがあるって思ったの。そしてそれは間違いじゃなかった。


 九頭竜さまが現れたの。ううん、姿とかは見えなかった、でも感じた。この目の前に広がる真っ黒な海の底に九頭竜さまはいるんだってわかった。だからわたし潜った。どこまでも深く、沈むように・・・そして触れた。わたしの手が、わたしの心が、わたしの魂が、九頭竜さまに触れたんだよ。その瞬間、わたしは人間じゃなくなった。すっごい力と知識が流れ込んできてわたしはもうわたしじゃなくなって、わたしは九頭竜さまの眷属になった。


 おじさん、わたしがおかしくなったと思ってるの?ふふ、そう思うのも無理ないよね。でもこれは真実だし現実だよ。ただの人間が素手でおじさんのお腹掻き回せると思う?ふふ、痛そう、でも喋れないよね、喉ならさっき潰しちゃったし。でもわたしが受けた痛みはこんなもんじゃない。すぐには殺さないよ。まだまだたっぷり苦しんでもらわないと・・・でも大丈夫、おじさんだけじゃない、おばさんにも味あわせるし同級生の峰島さんにも瑞木さんにも茜さんにも林崎くんにも、ううん、クラスみんなにこの苦しみを与えてやるわたしの憎悪を刻み込んでそして最後に殺してやる。ふふ、ふふふ、ふふふふふ。






 了

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九頭竜さま あびすけ @abityan11

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